著者
占部 正義 小笠原 正 森 寛 森川 千尋
出版者
都城工業高等専門学校
雑誌
都城工業高等専門学校研究報告 (ISSN:0286116X)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.115-123, 2000-01

It seldom snows in south Kyushu. Therefore, it is very effective to show unique artificial snow crystals for Junior High School Students. It's prsumable that they should have a greater interest in Science from seeing ephemeral artificial snow crystals and this extension course should contribute to increased nummbers of students preparing for an entrance examination to Miyakonojo National College of Technology, though the population of applicants has been decreasing recently. The experiment certainly cultivates creativity or originality, and gives not simple knowledge but intellectual theory. This extention course was operated by a teacher of high school physics. The project team is most important not only for industry, but for education as well. It shall be expected that this experience of forming artificial snow crystals shall be usefull for students in the future of the natural sciences or humanities.
著者
飯尾 高明
出版者
都城工業高等専門学校
雑誌
都城工業高等専門学校研究報告 (ISSN:0286116X)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.81-87, 2004-01

Bei den fruhen Werken von Thomas Mann handelt es sich um die Kunstler-Burger-Opposition. Auch in "Tonio Kroger" steht diese Opposition im Vordergrund. Bei genaueren Beobachtungen zeigt sie sich aber als eine Variante der Eros-Selbstbewusstsein-Antinomic. Die Ursache seiner inneren Schwankung seit der Jugendzeit ist diese Entgegensetzung. Er verneint den Dilettantismus, was von einer Art Hassliebe gegen sich selbst in der Vergangenheit herkommt, wo er sich als Dilettant von seiner Umwelt entfremdet fuhlte. Aber Tonio begreift seinen eigenen Zwiespalt als solchen nicht. Noch am Ende dieser Novelle beschrankt er sich auf die Wiederbestatigung seiner eigenen Liebe zum Burgertum. In dieser Novelle ist die wahre Auflosung der 'Eros-SeIbstbewusstsein-Antinomie' noch nicht gefunden worden. Aber das zeigt ironisch die Problematik dieser Novelle.
著者
望月 高明
出版者
都城工業高等専門学校
雑誌
都城工業高等専門学校研究報告 (ISSN:0286116X)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.42-31, 2008-01

本稿では前号に引き続いて、楠本碩水の生、わけても退隠後の梅林山荘時代について述べる。読書と講学の両者は、碩水の後半生におけるアルファであり、オメガァであった。そして、本稿では主として「講学」という私塾における講義を中心とする碩水と塾生たちとの共同という象面に焦点を当てて、その後半生を追跡しようとした。棄禄とともに始まった碩水の後半生は、始めから終わりまで貧窮とともにあった。その日常は、名利の生というものとはおよそ縁遠いものであった。そして、そのような清貧の生か、明治という時代に対するアンチテーゼとしての象徴的意味を担っていることを論じた。碩水はまた、私塾における教育の苦心を語っている。その主旨は、今日の学人は「古人の意思気象」を合点していないために、その弊害が少なくないというものである。このことが、碩水の講学において重要な地位を占めていることを指摘して、それが宋学の学問の本質に根差したものであること、更にはその意義について論じた。また、碩水は「塾規」を制定しているが、その中で伝統思想が筋道立った秩序性を失っていよいよ断片的性格を強めていった明治以後においても、依然として孔子・朱子の精神を標榜している。このことは突き詰めていけば、明治時代において朱子学者であることとは、畢竟どういうことかという問いへとわれわれを導く。そして、この問いを解くキー・ワードとして「例外者」という概念に着目した。
著者
松崎 賜 吉田 仁士 林 浩俊
出版者
都城工業高等専門学校
雑誌
都城工業高等専門学校研究報告 (ISSN:0286116X)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.29-40, 2002-01

これから紹介するのは,長崎の針尾島出身で,幕末の儒学者の,楠本端山(名は確蔵,後に後覚と改めた,字(あざな)は伯暁,端山は号,一八二八年〜一八八三年)が遺した漢詩集である。日本漢詩は,その価値がまだまだ十分に認識されていない。ましてや儒学者の仕事となると,存在すら忘れ去られているのが現状ではなかろうか。しかし,大方の予想に反して,儒学者のそれは,現代人の鑑賞にたえる魅力的なものが多い。儒学の伝統をふまえた人々の言葉であるがゆえに,かえって趣のある内容となっている,とも言えよう。端山の詩は,そうした優れたものの中でも,とびきりの表現と内容とを備えているのであり,だからこそ,ここに訳注を施すことにしたわけである。
著者
桑原 裕史 下野 晃
出版者
都城工業高等専門学校
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

駅前ショッピングセンター内に「鈴鹿高専みんなの理科教室」を開設し、近隣の小中学生対象の科学寺子屋を運用した。元企業技術者の応援を得て、教員と学生により、各種教材を開発するとともに、それを用いた子供たちへの理科教育を実施できた。鈴鹿高専のホームページから、この理科教室のページのリンクを作り、これを活用して、活動内容や予定を掲示するとともに、理科教室の活動内容に関係する質問・解答もできるようにした。この結果、多数の小学生や保護者に付き添われた幼児が理科教室を訪れ、開発した教材を活用して「理科」をより身近に感じるようにできた。
著者
林田 義伸 渡邊 道治 中村 裕文 太田 明子
出版者
都城工業高等専門学校
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2011-04-01

円形のローマとアウグストゥス神殿(1C.B.C.)を構成する石材について、3Dスキャナを用いて実測し、その実測図を作成し、平面及び立面の各部寸法について復元した。また、本神殿はエレクテイオン(5C.B.C.)を殆ど模して建設されたものであるが、各部寸法や施工痕を分析し、エンタブラチュアの割付方や接合部等、当時の手法が用いられていたことを明らかにした。関連研究として、古代ギリシアのトロス等の設計法や、神格化されたローマとアウグストゥス崇拝に関し考察した。
著者
宮原 千周
出版者
都城工業高等専門学校
雑誌
都城工業高等専門学校研究報告 (ISSN:0286116X)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.59-69, 2008-01

The present artilce is composed of the following four parts. (1) It is consideration of the neighborhood protest movement that came to aim at the enactment of the public referendum ordinance that came to happen frequently after 1990. (2) The term of "inconvinient facilties" has the extension on newspaper very after 1985, and what kind of facilities came to be called the trouble facilities is clarified. (3) Historical passage in which the neighborhood protest movement that starts enacting the public referendum ordinance in the neighborhood protest movement that happens frequently can be put within the country is chased. (4) The necessity that comes for the ordinance enactment type neighborhood protest movement to appear is clarified from the flow of a current neighborhood protest movement.