著者
伊藤 茂樹
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤大學教育学研究論集
巻号頁・発行日
vol.16, pp.23-47, 2000-03

子どもが自殺したという報道に接すると,大人は何ともやりきれない思いにとらわれる。前途に多くの可能性が広がっているはずの若い命が自ら死を選んだことに対して,「何も早まらなくても」という無念の思い,「何が自殺に追いやったのか」という疑念や憤りを抑えられない。これらは,子どもの自殺に接した際の感情としてはごく当たり前の,自然なものと見なされる。しかしこれを子ども以外の-すなわち大人の-自殺や,子どものその他の逸脱行動-例えば暴力や性非行-に対する感情と比べてみると,こうした感情が「子どもの」「自殺」であることによって導かれていることがわかる。そしてその基盤には,子どもという存在と自殺という行為,及び両者の結びつきについて我々が前提している意味づけや論理があり,それが我々の反応を方向づけているのである。そこで,子どもの自殺に対して我々が自明視している前提を抽出し,それが個々の,或いは多発する自殺に対して適用されることによって自殺が持たされることになる「社会的意味」のあり方について検討する。

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