著者
伊藤 茂樹
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.59, pp.21-37, 1996-10-15 (Released:2011-03-18)
参考文献数
18
被引用文献数
5 2
著者
伊藤 茂樹
出版者
駒澤大学
雑誌
駒澤大學教育学研究論集
巻号頁・発行日
vol.16, pp.23-47, 2000-03

子どもが自殺したという報道に接すると,大人は何ともやりきれない思いにとらわれる。前途に多くの可能性が広がっているはずの若い命が自ら死を選んだことに対して,「何も早まらなくても」という無念の思い,「何が自殺に追いやったのか」という疑念や憤りを抑えられない。これらは,子どもの自殺に接した際の感情としてはごく当たり前の,自然なものと見なされる。しかしこれを子ども以外の-すなわち大人の-自殺や,子どものその他の逸脱行動-例えば暴力や性非行-に対する感情と比べてみると,こうした感情が「子どもの」「自殺」であることによって導かれていることがわかる。そしてその基盤には,子どもという存在と自殺という行為,及び両者の結びつきについて我々が前提している意味づけや論理があり,それが我々の反応を方向づけているのである。そこで,子どもの自殺に対して我々が自明視している前提を抽出し,それが個々の,或いは多発する自殺に対して適用されることによって自殺が持たされることになる「社会的意味」のあり方について検討する。
著者
伊藤 茂樹
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.634-639, 2018-03-20 (Released:2019-01-11)
参考文献数
21

This paper examines the influence of the Chinese monk Yongming Yanshou (904–975) on Japanese Pure Land thought, which flourished in Nara during the Insei period (1086–1185). Renowned Japanese Buddhist thinkers of the time, such as Yōkan (1033–1111) and Chinkai (1091–1152), who respectively authored the Ōjōjūin and Bodaishinshū, were informed by Yanshou’s writings.Yongming Yanshou was a disciple of Tiantai Deshao (891–972) and the third ancestor of the Fayan Chan lineage. Zen monks frequently cited Yanshou’s seminal text Zongjing lu, though he also was prominent as a patriarch of Pure Land teachings in Japan during the Heian period. The Shinshū ōjōden describes Yanshou as having achieved the highest of the nine grades of birth in the Pure Land. This story repeatedly appears in Chinkai’s Bodaishinshū, the Agui text Gensenshū, Kōfukuji sōjō, and other Buddhist writings. Yanshou’s legend circulated with the latest information that came from China in the Heian period. Here, I discuss the transmission of Yanshou’s teachings and legends from the Tōnan-in temple at Tōdai-ji and its impact on Pure Land Buddhism during this time.
著者
伊藤 茂樹
出版者
佛教大学仏教学部
雑誌
仏教学部論集 = Journal of School of Buddhism (ISSN:2185419X)
巻号頁・発行日
no.100, pp.51-70, 2016-03

法然と同時代に生きた僧として明遍がいる。明遍は南都の学僧であったが、光明山寺また高野山に遁世し、やがて蓮華谷聖の祖とされる。法然と明遍は、散心問答という念仏法語があり、双方での交渉が確認される。しかし、『今物語』にみえる説話や、法語類を丹念にみていくと、法然系の浄土教と一致しない側面が多い。一方で重源との関係は、明遍が空阿弥陀仏という阿弥陀仏号をもつことからも、その関係は浅くない。高野聖や光明山寺系の聖の活動や思想的な側面は、祈祷念仏という要素は含みつつも、臨終に執着を起こさず正念にして来迎に預かるという平安浄土教。すなわち『往生要集』を規範とした価値観にあった。唱導、勧進で活躍する浄土聖の活動は『往生要集』を理想としたものである。本稿ではそのような聖の活動を分析しつつ、明遍と蓮華谷聖の活動を解明することに主眼をおいている。明遍浄土聖『往生要集』勧進臨終行儀
著者
伊藤 茂樹 田中 奈緒子 加藤 美帆 居郷 至伸 加藤 倫子 後藤 弘子 仲野 由佳理
出版者
駒澤大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-04-01

少年院に送致された非行少年に対する社会復帰支援は、少年院での矯正教育(施設内処遇)と出院後の保護観察(社会内処遇)として行われているが、日本において両者は制度的に分離しているほか、統制された施設とノイズに満ちた社会の間の環境面での「落差」が様々な困難を生んでいる。しかし更生保護の現場においては、施設内処遇の成果を踏まえつつ、保護司と保護観察官、更生保護施設の職員らがこの落差を調整しながら、少年の社会への「ソフトランディング」を可能にするべく支援や調整を行っている現状が明らかになった。
著者
伊藤 茂樹
出版者
日本犯罪社会学会
雑誌
犯罪社会学研究 (ISSN:0386460X)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.14-26, 2015-10-30 (Released:2017-04-30)

少年非行をめぐる現代の社会的状況について,大人と子どもの関係性に着目して検討する.現代において子どもや若者は,コミュニケーション能力の規範化,SNSの普及などに伴う人間関係の極度なまでの洗練,個性や自己選択を重視する学校教育,貧困や生活苦の前景化などを通じて,性急に「大人になること」を迫られている.その背景には,大人の成熟が遅くなって「子ども化」し,彼らは子どもを子どもとして保護したり教育したりする責任を放棄している状況がある.このような大人が少年非行について語るとき,非行の「新しさ」や非行少年の「強さ」が殊更に強調されるが,実際の非行の多くは伝統的な形で起こっており,非行少年の多くは「弱い」存在である.彼らの社会復帰や更生を可能にする支援として,就労支援など福祉的なそれが強調される傾向があるが,生活の基盤を整える福祉的支援はあくまで必要条件であり,自律的に更生の道を歩み続ける「力」をつけるための教育的支援が十分条件として不可欠である.
著者
伊藤 茂樹
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.70, pp.89-103, 2002
被引用文献数
2

Until the 1980s, adolescent culture in Japan was, for the most part, a student subculture, formed in school and differentiated in relation to students' attitudes toward school. However, in the 1990s this tendency weakened. During this period : (1) Adolescent culture strengthened its character as youth culture in relation to the mass-consumption society and the media ; (2) Adolescents' interests shifted from the society, or their status within it, to their inner selves or the human relationships around them ; and (3) Establishing an identity became more difficult and adolescents' identities showed a tendency to diffuse. These changes were caused by schooling and the society surrounding it. Schooling came to emphasize the instant satisfaction and individuality of students rather than their future accomplishments or conformity (This can be described as the "Consumerization of Schooling"). Moreover, it was becoming more difficult for students to realize the merit of schooling, because of the universalization of higher education. As a result, school became just a "place of living, " where students spent long periods of time. As for the society outside school, adolescents were celebrated as independent consumers in the mass-consumption society. On the other hand, with the progress and spread of personal media such as cell-phones, the Internet and e-mail, it became easier for adolescents not only to greatly expand their relationships, but also to have several characters and to present any of them depending upon the context. Consequently, the basis of adolescence and adolescent culture was greatly weakened. This is bound to make the purpose and meaning of schooling more ambiguous in the twenty-first century.
著者
伊藤 茂樹
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.59, pp.21-37, 1996-10-15
被引用文献数
19

In post-war Japan, juvenile delinquency has been "moving" from the society outside school, to the border between society and school, to inside school, and finally, to inside people's "mind". In recent years, people "find" juvenile delinquency in their "mind". "IJIME" (bullying) as a social problem has been constructed since around 1980. In the discourses about this problem, "mind" is often referred to. References to "mind" are of four types : moral "mind" (to be educated), weak "mind" (to be disciplined), sick "mind" (to be cured), and "mind" to be accepted. Recently, the last one is found most often in the discourses, and it is thought that the problem can be solved by accepting various children's minds. The reasons why accepting children's minds is thought to be the best way to solve the "IJIME" problem are as follows : 1. "IJIME" is now regarded as the problem of normal children, not the problem with special personality, so they can be, and should be accepted as they are. 2. People find a great deal of difficulty in understanding today's "IJIME" and the children, and accepting children's minds is their only hope. 3. Counsellors actively claim their effectiveness and people expect counselling and counsellors to solve not only emotional but also social problems by accepting mind. But to normalize and institutionalize accepting children's minds as the only way to solve the "IJIME" problem and to revive schools heavily burdens the teachers, and their identity as a profession is brought to a crisis. Moreover, it personalizes the "IJIME" problem, and the structural factors of the crisis of the legitimacy of schooling are concealed.
著者
広田 照幸 伊藤 茂樹
出版者
日本犯罪社会学会
雑誌
犯罪社会学研究 (ISSN:0386460X)
巻号頁・発行日
no.36, pp.28-41, 2011-10-31

この論文では,包摂的な社会を作っていくために,日本の少年院をどういうふうに見ていけばよいのかについて検討している.まず,現代社会における排除を「保守的な他者化」と「リベラルな他者化」として描いたジョック・ヤングの議論を参照しつつ,非行少年を悪魔化した存在ととらえる保守的な視点とは異なり,「リベラルな他者化」の視点をあえて採用することで,非行少年を教育・訓練によって「われわれの一員」になるべき存在と考える.その視点から,現実に少年院がどのようにして,非行少年の教育・訓練を成功させているのかを説明するとともに,保守的な議論に対して今後どのように反論していくべきかが本論文で考察される.ここでは,まずわれわれの研究グループが過去数年間やってきた少年院のフィールド調査とそれに基づく研究成果を紹介する.1970年代後半以降,教育・訓練を充実させてきた日本の少年院は,多くの点で独自の教育の仕組みを作り,成功させてきた.われわれは,インタビューと参与観察で,そのいくつかを明らかにした.次に,これまでの少年院教育がもってきていた問題点を克服する動きについて考察した.少年院を出た少年たちを対象にした新しいボランタリーな試み,少年院内での教育実践の改善,法律や制度のレベルでの改革の動きを簡単に整理した.最後に,今後必要なことについて次の3点を示した.第一に,少年院の外にある社会的状況-雇用や福祉の平等主義的な改革-,第二に,少年院の中での教育・訓練の改善,第三に,少年院の実態についてのもっと厳密な研究による客観的な情報の発信,の3つである.
著者
酒井 朗 上山 敏 永田 晴子 長谷川 秀一 米山 泰夫 伊藤 茂樹 保坂 亨
出版者
大妻女子大学人間生活文化研究所
雑誌
人間生活文化研究 (ISSN:21871930)
巻号頁・発行日
vol.2013, no.23, pp.246-257, 2013 (Released:2013-09-19)
参考文献数
3

本学教職総合支援センターでは,本学ならびに首都圏にある他の3つの大学で教職課程を履修する学生を対象に,教職に対する意識と学習への取り組みに関する質問紙調査を2012年秋に実施した.具体的な調査項目は,教職への動機付けの高さ,学習に対する取り組み,教員に期待される資質や能力の修得の度合いの3点についてである.回答した7割の学生は教職に就くことを志望しており,3割は高校生の頃に教職を志望するようになったと回答した.また,大半の学生は専門科目の授業も教職科目の授業も熱心に取り組んでいるが,自ら情報を得たり教育関連の本を読むことは少ない.さらに,学生たちは,同僚教員からの意見やアドバイスに耳を傾ける姿勢や担当教科の内容の修得度などについて,自身の力量を高く評価していることが分かった.
著者
音琴 淳一 渡邊 英俊 大野 美知昭 日垣 孝一 佐藤 哲夫 椎名 直樹 伊豫田 比南 温 慶雄 上條 博之 坂本 浩 河谷 和彦 伊藤 茂樹 太田 紀雄
出版者
特定非営利活動法人日本歯周病学会
雑誌
日本歯周病学会会誌 (ISSN:03850110)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.13-24, 2001-03-28
被引用文献数
2

歯周病患者のパノラマX線写真パラメーターを臨床パラメーターと比較することにより,歯周病と骨粗髷症の関係を明らかにし、さらにパノラマX線写真パラメーターを用いて骨粗髷症の診断を試みた。被験者は歯周治療経験,全身疾患のない20歯以上を有する歯周病患者(男性群113名,女性群113名)とした。パノラマX線写真パラメーターとして歯槽骨吸収量,下顎下縁皮質骨量(MCW),Central panoramic mandibularindex(C-PMI)を計測した。臨床パラメーターとして現在歯数,プラークコントロールレコード,臨床的アタッチメントレ・ベル,Gingivallndex,Gingival Bleeding lndex,動揺度を測定した。被験者は男性群と女性群,女性群を閉経前群と閉経後群(閉経後1〜5年群,閉経後6〜10年群,閉経後11年以上群)に分類し,年齢は20代から70代の各年代群に分類した。年齢およぴ閉経後年数と各パラメーターとの相関関係,各パラメーター問の相関関係を各群間で評価した。さらに,MCWを用いた骨粗髷症の診断を試みた。その結果,男女群間にはMCWを除いて全ての計測値に有意差を認めなかった。女性群においては,閉経後6年を越える群に歯槽骨吸収量の有意な増加およぴMCWの有意な減少を認めた。閉経後群は現在歯数の減少,閉経後11年以上群には臨床的アタッチメントレ・ベルの有意な増加を認めた。男性,女性群において年齢と歯槽骨吸収量,女性群において年齢と現在歯数および歯槽骨吸収量,MCWと歯槽骨吸収量,閉経後群において閉経後年数と歯槽骨吸収量,MCWと臨床的アタッチメントレベルは相関関係を認めた。またMCWから2名の女性被験者において骨粗髷症を発見することができた。この結果から歯周病と骨粗髷症との関連が示され,MCWを用いた女性歯周病息者の閉経後骨粗髷症診断の可能性が示された。