著者
蒲生 郷昭
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.A23-A38, 2005
被引用文献数
1

三味線が本土中央に伝来した当初は、「しやひせん」「しやみせん」「さみせん」などという称呼が併存していた。これらは当時の琉球人による発音の本土人による音訳、あるいはその転訛であったと思われる。文禄になると「しやひせん」等と書かれることはなくなり、はやくも「しやみせん」、またはそれに準ずるものが最有力になる。しかし漢字表記「三味線」、それに「三弦」という別称は、慶長にいたっても見ることができない。本稿では、いじょうのことを示したほか、この問題についての研究史の発掘もおこなった。

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