著者
石渡 さくら
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.73-83, 2007

子どもたちに絶大な人気を誇るアニメ。今やその人気は大人をも巻き込み、世界的な一大マーケットと呼ばれる程である。この小論では、「鉄腕アトム」「マジンガーZ」「機動戦士ガンダム」「新世紀エヴァンゲリオン」「交響詩篇エウレカセブン」の5本のロボットアニメを取り上げる。これらは、その時代のエポックメーキング的役割を果たしたアニメ番組である。番組の中に存在する「善」と「悪」の対立構造からその変遷を辿り、子どもとアニメの関係を探ると共に、現在のアニメの状況を考察する。
著者
藤原 成一
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.A117-A131, 2006

時代の転換期には新しい型の人間が登場し、新しい型の人間が時代を創造してゆく。平安時代末期には野性味ある「武者」(むさ)が世をきり拓いたし、十四世紀には農業経済の先進地帯を中心に、上はバサラ大名から下は野伏山伏や強盗まで、「悪党」が社会の各階層に輩出して世の中を混乱に陥れ、時代を大きく動かした。時代が悪党をくすぶり出し、悪党が時代を活気づけた。彼らは御恩と奉公という絶対服従倫理の枠内に居ながら、それを嘲笑し蹂躙(じゅうりん)して新奇な価値観や異装の美学を創り出した。頼りとするもののない時代における自侍のライフスタイル、男の生きざまであった。時代を直視し、時代に向かって、自らの力をぶちまけて生きる男である。本稿では、時代と格闘して生きる悪党の生態を見つめ、世直しを期待されるまでに人気をかちえた彼らの歴史上の意味を検証する。悪党といわれるこんなやくざな連中が、私たちの歴史を鮮やかに彩ってくれるのである。
著者
開發 孝次郎
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.A101-A116, 2004-07-30

近年になり日本は天皇の存在によって大きな動乱が二度未然に防がれ救われた、と言われています。明治維新では錦の御旗が大きな内戦を阻止し、先の大戦では昭和天皇の終戦宣言が秩序だった終戦、武装解除を可能にしました。しかし明治以降の天皇の存在のあり方は日本の歴史の中では非常に特殊でした。維新後、国家経営者は天皇を国民統合の中心に据える戦略を取り、明治憲法もその線に沿って作られました。明治憲法は当時としてはなかなか立派なものでしたが、最高権力がいずれに属するのか必ずしも明確ではありませんでした。当時は元勲が天皇の周囲をかため、憲法の不備を充分に補っていました。しかし昭和天皇が即位した時点では唯一人西園寺公望しか残されていませんでした。そこに権力の空白が生じ、国家経営に失敗することになってしまいました。本論では満洲事変を中心に天皇、権力機構、当時の日本の国内事情、国外事情、中国事情を考察します。
著者
金 龍郎
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.A17-A33, 2004-07-30

プロレスは、格闘劇や格闘ショーとしての性質を持った興業であり、演劇的要素によって観客や視聴者を熱狂させる。近年、プロレスが不振に喘いでいるのは、この演劇的要素がマンネリ化しているためだ。「闘いのテーマ」をどう設定していくか、また、どんなストーリーラインの中で誰と誰がどんなギミックを身にまとって闘うかといった筋書き (=アングル) が満足に書けないでいる。一方、K-1やPRIDEは、勝負にこだわるという意味でプロレスよりもスポーツライクな興業であるため、本来的には演劇的要素がなくても成立するのだが、これを中継する番組の側がノンフィクションのアングルを付加することにより、一般視聴者の興味や関心を巧みに喚起してきた。2003年大晦日の日テレ「猪木祭り」特番の惨敗とフジ「男祭り」特番の大健闘は、そうしたアングル提示の善し悪しがそのまま視聴率の差となって表れたものだと考えられる。
著者
山内 淳
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
no.29, pp.57-66, 1999

本論はフランスを中心として存在する黒い聖母子像の起源を、古代オリエントやケルトの女神たちとの比較の中で考察しようとするものである。今回はその前半部分である。
著者
池田 博
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.A5-A23, 2000-07-15

映画の表現構造の原理は事実と主題との狭間を縫い歩くことから始まったとも言えるが、未だ嘗て事実そのままのドキュメンタリも劇映画もあり得なかった。筆者自身の興味も物語として表現されたものと実世界との相違に興味があったが、マルセーユまで行ってエドモン・ダンテスが幽閉された物語、つまり日本では「巌窟王」と訳されたデュマの「モンテクリスト伯」に描かれたシャトーディフの岩窟を見たときの、フィクションとそのモデルとの違いが更にその思いを強くしたのだった。この小論も如何にしてフィクションは成立するかという原理のためのアプローチの一つである。
著者
青木 敬士
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.A31-A36, 2007

「Web2.0」の時代は、ユーザの参加と情報の共有によって実現する「アクティブな生きた情報網」の実現によって打ち立てられた。しかし同じ環境を享受しながら、日本におけるコミュニケーション形態は、場の空気を読んだ馴れ合いがずっと主流であり続けている。その原因はどこにあるのか?この第一章では、対話を消滅させ、並行する「独白」同士の共感を浮かび上がらせる作風で支持を得た、新海誠のアニメーション作品を採り上げて、日本の若者が抱えているコミュニケーションの問題に迫る。
著者
波多野 哲朗
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.5-14, 2005

日系キューバ移民については、その存在にたいする注目度が極めて低く、研究者の数も極めて少ない。これは日系キューバ移民のほとんどが、日本から直接キューバに向かった移民ではなくて、それまでは他国で働いていて、1920年代の砂糖産業全盛期に再移住した人たちだからである。したがってその全体的な把握がむずかしい上に、移民としての流動性も極めて高い。とくに1929年の恐慌で砂糖ブームが終ると、人びとはさまざまな仕事に離散して、相互の関係が稀薄になってしまう。すなわちキューバ移民は、日系としてのアイデンティティが弱く、独自のコミュニティを形成することがなかった。しかしこのことが、移民研究一般ではとかくマイナス的な評価をうける。しかし本論では、日系キューバ移民の現地文化への溶解度をかえって高く評価し、歴史の闇に埋没する離散者たち、ディアスポラの存在に照明をあてる。
著者
小林 直弥
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.15-27, 2005

日本の芸能、とりわけ歌舞伎における舞踊作品の中に、「ちょぼくれ」なる節を駆使した芸態がある。この「ちょぼくれ」とは、江戸時代における乞食坊主「願人坊主」と、それから派生した大道の雑芸より出たもので、大坂では「ちょんがれ」と呼ばれ、その後「浪花節」や「浪曲」の根源をなすものでもある。歌舞伎舞踊においては、特に門付芸として存在した「阿保蛇羅経読み」や「まかしょ」など、大道の雑芸人を描いたものや、「ちょぼくれ」の軽快な節回しを駆使した『偲儡師』や『喜撰』、『吉原雀』といった曲が現存し、現代にまでも当時の風情を伝えている。また、各地の民俗芸能として伝承されたものもある。本研究は、江戸期において大流行し、その後多くの芸能に影響を与えた「ちょぼくれ」を題材に、流行性と芸能における関係作用の研究の一つとして、まとめたものである。
著者
藤原 成一
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.67-81, 2004-07-30

日本の住空間は「締」「縁」「間」「奥」「離」の五つの基本原理によって形成されてきた。これら五つのキーワードは空間構成の原理であるばかりでなく、文芸や芸術・芸能にあっても重要な思考枠であり、かつ作法・方法でありつづけてきた。日本人の発想、表現方法はこの五つの原理で明快に解明しうる、という仮説の提起である。本稿はそのうち「奥」という概念をとりあげ、奥とか奥行きという感性や思考がいかに深く日本人にしみ込んでいるかを、主として住空間の面から実証しようとするものである。イエにおけるクチからオクヘの構造、社寺にみる下-中-上という奥行き構成、村落や都市におけるオモテからオクヘの空間原理など、一貫するのは奥志向であった。その感性と思考はものの見方、生活のしかたから文化全般にまで通底しており、奥の思想は日本文化の基礎であった。奥を大事とする考えや感性に日本美学の本質と独創があった。
著者
上原 清
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.29-47, 2005

「NHKスペシャル」<以下"Nスペ"と略す>は、1976年4月にはじまった「NHK特集」<以下"N特"と略す>の後を受け、1989年4月にスタートした。「N特」は当初、週1回でスタートしたが、週2本でも出来ると判断し、78年4月(月・金曜)の週2本となった。84年4月から(日・月・金曜)の週3本となる。「N特」の企画はNHKの中ならば誰れでも参加でき、番組制作スタッフはテーマに即したピックアップ方式で参画できた。80年代後半になって"花鳥風月"ばかりが眼につくようになるとの批判が目立ちはじめてくる。NHKとはいえ、週3本も"スペシャル"番組を作ることはむずかしかったといえる。「N特」は13年間で1,378本放送された。「Nスペ」は「N特」放送年数を越え今年2005年で17年目を迎える。04年3月までに1,643本を数える放送を行なってきた。ここでは過去2000年〜03年度の「Nスペ」がいかなる制作母体で作られてきたかをさぐってみたい。
著者
青木 敬士
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
no.41, pp.93-103, 2005

細密画の技術が極限まで上がって写真と見分けがつかなくなった時、逆に細密画はその「リアルさ」という価値を失ってしまう。それはカメラという「装置で写し取ることができる」別種のリアリティに変容してしまうからだ。そのようなパラダイムシフトは、ネットワーク上の表現にも起こりつつある。コンピュータの高速度・大容量化が実現しつつあったマトリックス的ヴァーチャル・リアリティとは異質の、掲示板上に書き込まれる普通のテキストから生まれた『電車男』というストーリーが、真の意味でのリアリティを具現化してしまったのだ。パラダイムシフト前後を象徴する一九九八年のアニメ『serial experiments lain』と、二〇〇四年にネットから生まれた小説『電車男』をとりあげ、リアルを支えるものは何なのかを探る。
著者
松村 悦博
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.71-77, 2005

これまでの分析結果から,技術水準が高い選手達は,素振り練習時や掛かり稽古時において,ある一定レベルの心拍数値を保って練習したり,対戦したりしていた。これらのことを踏まえ,更に研究を進めるために,教士(7段)・6段・5段・初段の選手達に素振り練習や掛かり稽古,そして,紅白試合をしてもらいその時の心拍数を測定した。その結果,前回報告した時とほぼ同様に,素振り練習時に競技水準が高い選手は,ある一定レベルの数値を保って流れるような推移を示していた。そして,掛かり稽古時においても教士や5段の選手達は,常にある一定レベルの数値を保って対戦していることが確認できた。
著者
上倉 泉
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.23-29, 2003-03-15
著者
開發 孝次郎
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.53-68, 2003-07-30
著者
川西 弘子
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.99-104, 2003-03-15

Louisa May Alcott wrote Little Women in 1868 (part1) and 1869 (part2) and adopted John Bunyan's The Pilgrim's Progress as its framework. This study focusses on the influence of The Pilgrim's Progress on Louisa May Alcott and Little Women. Conclusions are as follows. 1) Louisa May Alcott was familiar with The Pilgrim's Progress from her early childhood because it was her father's favorite work. 2) Louisa May Alcott often referred to The Pilgrim's Progress in Little Women and stressed the moral points in The Pilgrim's Progress rather than the theological ones.
著者
藤原 成一
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.A77-A92, 2005

私たちの生存の場は「締(しめ)」「縁(えん)」「間(ま)」「奥」「離」という五つの基本原理によって形成されてきた。これら五つのキーワードは空間構成の原理であるだけでなく、文芸や芸術・芸能にあっても重要な思想であり、かつ作法・方法でありつづけてきた。日本人の発想、表現方法の根底にあるのはこの五つの原理である、という仮説の提起である。本稿はそのうち「間」をとりあげる。空間・時間・世間・人間というように、「間」は私たちの生きる場を根拠づけるものであるだけでなく、日本文化では、とくに芸術・芸能の面で、また人と人との間など、生き方においても、決定的な意味をもちつづけてきた。芸術から建築まで、人や世間、神仏とのつき合いから死生観まで、一貫する「間」の思想と演出方法を見つめ直し、日本文化の本質を再確認することによって、「間」の新しい創出を挑発する。
著者
鳥山 正晴
出版者
日本大学
雑誌
日本大学芸術学部紀要 (ISSN:03855910)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.15-28, 2004-07-30

一九八一年十一月五日、部屋のドアに「死者を起こすには強くノックすること」とメモを張り付け自殺したジャン・ユスターシュ。彼はジャン=リュック・ゴダールをして、<最後のヌーヴェル・ヴァーグ> と言わしめた映画監督であった。その鮮烈な死までの十八年間に彼が撮り続けた映画は、苦悩と実験に満ちあふれている。彼の映画に対する姿勢とはどのようなものだったのか? 彼の映画の目的とは何だったのか? 彼が残した映画から、その目的を中心に、映画表現と映画作家の関係を探っていく。