著者
岩井 経男
出版者
日本西洋古典学会
雑誌
西洋古典學研究 (ISSN:04479114)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.58-70, 1985-03-29

E. T.サノレモンの『共和政期ローマの植民市建設』は,共和政ローマが,いつ,どこに,どんな目的で植民市を建設していったかを詳細に検討し概観した,この分野ではほとんど唯一の貫重な労作である.彼はそこで,ローマ植民市建設の第一義的目的は,イタリア支配とローマ防衛の戦略のため,と主張している.そして,前133年に始まるグラックスの改革になってはしめて性格を変え,経済的社会的意図の下に建設されることになった,と言う.一般に,ローマの植民市建設は軍事的意義とといこ社会経済的側面もあわせもつと理解されるが,軍事面を一貫して強調する彼の説は極端と思われ,その結果,グラックス以前の植民の社会政栄的考察が欠落し,グラックスが突然出現することになろう.しかし,ウェーバーが『ローマ農業史』で行っている問題設定が示すように,またサルモン自身認めるように,ローマの植民政策は植民市建設deductio coloniaeと,都市建設をともなわない個人的土地分配adsignatio viritimからなっていた.伝える史料が少ないこともあり,個人的土地分配は本格的に論じられていない.そこで以下においては,ローマの固有領域の飛躍的拡大をもたらしたウェイイの併合からグラックスの改革前までの植民政策を,主として社会政策的観点から,個人的土地分配政策を含んで再構成し,検討してみることにする.方法としては,我々が今問題としている時期を便宜的に前268年(ラテン植民市アリーミヌムAriminum建設)を境に二つに分け,前期と後期を対比させて述べることにしたい.というのは,後に述べることになるが,筆者は前三世紀前半を境としてローマの植民政策が大きく転換すると考えるからである.

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