著者
鬼塚 史朗
出版者
日本物理教育学会
雑誌
物理教育 (ISSN:03856992)
巻号頁・発行日
vol.43, no.3, pp.317-324, 1995

科学には,ギリシア時代から中世にいたる2000年の空白がある。ギリシア時代に確立したアリストテレスの自然観は,その後キリスト教の教義と結びついてキリスト教的自然観を形成していった。これを2000年にわたって継承したのがスコラ学者である。16世紀に入るとコペルニクスやガリレオらによって近代科学の夜明けが告げられた。しかしキリスト教ローマ教会は,この鶏鳴を必死にはばもうとした。天動説と地動説,キリスト教的自然観と近代的自然観,これらの間には,し烈な論争が展開された。論争はやがて宗教裁判で争われ,その結果はすべて教会側の勝利に終わった。そこでの有罪はときに死をも意味し,火刑をまぬがれた者も社会的には完全に葬られた。だが,これらのことを高校物理の教科書が詳述することはない。したがってガリレオ裁判の結果には,高校生は一様に疑問を持つ。地動説を支持することは,なぜ極刑に値するほどの悪事なのか。ローマ教会はなぜかくも執拗に老ガリレオを糾弾しなければならなかったのか。本稿では,これを科学と宗教間の葛藤ととらえ,ガリレオとシンプリチオの対話にその意味をさぐってみる。

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