- 著者
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河野 基樹
- 出版者
- 埼玉学園大学
- 雑誌
- 埼玉学園大学紀要 人間学部篇 (ISSN:13470515)
- 巻号頁・発行日
- no.6, pp.214-199, 2006-12
北海道の文学は、大地への畏怖が表現されたネイティブの口承文学に提唱され、下っては、日本古典の<歌枕>としてその名が親炙されるなど、既に長い歴史を刻んでいるが、近代に至っても、『北海道文学全集』に集大成された数々の作品に見るように、その豊穣は明らかである。 この北海道の地にあって、近代の黎明期から早くも通商外交上の役割を担い、外国に向けて穿たれた数少ない文化の窓ともなったのが、道南の港町・函館の存在である。国際港としての開明的な性格から、進取の気風溢れる文学揺籃の地であったが、他方では、戊辰戦争終結の土地柄から、ここを舞台とするさまざまな歴史文学が生み出されている。 幕末・維新史はこれまで、官許の<正史>がその史観を規定してきた。したがって、それ以外の近代日本史学の企ては、在野の歴史家はもとより、文学者によっても構想・実践されてきた。箱館共和国政府についての政体理解、共和国政府総裁・榎本武揚についての人物評価、五稜郭攻防の帰趨をめぐり、これまで書かれてきたたくさんの小説や戯曲は、文学的フィクションを一旦通過した日本近代史再解釈の試みといえよう。 当該論では、子母澤寛「行きゆきて峠あり」、久保栄「五稜郭血書」、安部公房「榎本武揚」を事例に、作者各々の歴史観、作品それぞれの歴史解釈をその相違、さらには、相違の理由を明らかにする。