太田鳴雪 (@zasetsushirazu)

投稿一覧(最新100件)

明治33年8月23日、建築家・山口半六が死去。幕末の松江出身で、明治期にフランス留学。手掛けた建築物に、熊本五高(ラフカディオ・ハーン、夏目漱石、秋月悌次郎らが教師を務めた)の校舎などがある。堀内達夫「都市と実業教育」(『人文研究… https://t.co/R1rt7kfBNr
明治32年8月19日、丸山作楽が死去(異説あり)。島原藩出身で、明治2年に外務大丞として樺太の領有権についてロシアと交渉。三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)曰く、明治政府の参議に就任する噂もあったぐらい… https://t.co/KS3l9QEMWb
奈良勝司「社会文化史」(『日本研究』57、2018年)は、奈良勝司『明治維新と世界認識体系』(有志舎)、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)、笠谷和比古『近世武家社会の政治構造』(吉川弘文館)、渡辺尚志『近世百姓の底力… https://t.co/o0GtPGl1xQ
慶応4年6月27日(1868年8月15日)、英学者・嵯峨根良吉が死去。幕末の宮津藩出身で、薩摩藩の開成所に雇用された。竹内力雄「山本覚馬覚え書(5)「管見」を中心に」(『同志社談叢』34)は、慶応3年に、赤松小三郎と同一内容の政体… https://t.co/QCHscfvKUC
慶応元年6月24日(1865年8月15日)、喜多岡勇平が死去。幕末の福岡藩士で、黒田長溥に信任され、長州征伐や五卿移転問題の解決に奔走した。梶原良則「長州出兵をめぐる政治情況」(『史淵』129)は、喜多岡の周旋が薩長和解の端緒にな… https://t.co/o2UzY0AH9S
大島明秀「十九世紀国学者における志筑忠雄訳『鎖国論』の受容と平田国学」(『日本文藝研究』57-1)は、平田篤胤以降の国学者が志筑忠雄の『鎖国論』を「西洋人ケンペルによる日本讃美論」として読み解き、その後の国内で日本の優秀さを説く古… https://t.co/7ufMqRgHzK
大正10年8月11日、前田正名が死去。薩摩藩出身で、大蔵省や農務省で活躍。多久島澄子「前田正名の「上州出張記憶書」と「卑見」」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13)は、幕末の長崎で始まった大隈重信との関係を軸に、前… https://t.co/uW420Wg4WK
安政2年6月28日(1855年8月10日)、中島棕隠が死去。綿本誠「中島棕隠の『鴨東四時雑詠(鴨東竹枝)』をめぐる一考察」(『21世紀アジア学会紀要』3)曰く、「日本近世の漢詩人の中で最も著作の多い詩人」。足利三代木像梟首事件に関… https://t.co/9azAuIvqA2
西沢淳男「旗本子女の婚姻について」(『地域政策研究』19-4、2017年)は、旗本の家の婚姻過程を分析。その際、代官を務めた竹垣直道の幕末の日記を素材とする。西沢氏には、『代官の日常生活』(角川ソフィア文庫)、『幕領陣屋と代官支配… https://t.co/as6wUKBIVn
文久2年7月12日(1862年8月7日)、大橋訥庵が死去。田中有美「坂下門外の変以前の大橋訥庵と宇都宮藩」(『立命館言語文化研究』23-3)は、坂下門外の変の首謀者で、過激な攘夷論者として知られる大橋が、討幕は志向せず、あくまで幕… https://t.co/bX7wJGz36M
昭和2年7月30日、市川文吉が死去。慶応元年に幕府が派遣したロシア留学生で、明治6年に帰国。その後、再渡航して榎本武揚の樺太・千島交換条約交渉を通訳。宮永孝「幕末ロシア留学生市川文吉に関する一史料」(『社会労働研究』39-4)は、… https://t.co/oTYWfZRW2w
三浦壮「明治期における華族資本の形成と工業化投資」(『歴史と経済』57-2、2015年)は、「華族の株式の投資資金調達に関する実証成果は確認できていない」と指摘。その上で、旧岩国藩主の吉川家を分析。明治の吉川家は、株式投資と土地投… https://t.co/RG848GHGng
竹ヶ原康佑「長州処分問題をめぐる仙台藩の動向」(『駿台史学』159、2017年)は、元治元年〜慶応期の仙台藩を分析。西国情勢の探索を通じて、中下級藩士層の中に長州藩への同情的意見が目立ってきたことを指摘。また、単独での行動よりも外… https://t.co/OAqzSz9800
大正10年7月25日、佐藤進が死去。戊辰戦争で治療に従事した医師で、日本人初のベルリン大学卒業生。酒井シヅ「順天堂三代目堂主・佐藤進 (1845-1921), ドイツ留学から帰国まで」(『順天堂醫事雑誌』59-2)曰く、「明治,大… https://t.co/Ry4auAIcKX
明治15年7月23日、医師・佐藤尚中が死去。佐倉順天堂創始者・佐藤泰然の養子で、順天堂二代目堂主。また、明治期の東京で順天堂医院(後の順天堂大学)を開いた。小川鼎三「佐藤尚中伝 (3)」(『順天堂医学』18-3、1972年)は、幕… https://t.co/eQD3lxXAPu
野村啓介「フランス第二帝制下の対日外交政策」(『国際文化研究科論集』23、2015年)は、幕末の日本に対するフランス外交は、通訳体制の不備(自前で通訳を養成できずオランダ人を雇用したり、幕臣・塩田三郎に依存)が問題で、英国とのスタ… https://t.co/InEArovPel
明治22年7月19日、杉田玄端が死去。蕃書調所教授、外国奉行支配翻訳御用頭取などを歴任。池田哲郎「江戸時代のオランダ系「地理」」(『福島大学学芸学部論集』12-1、1961年)は、杉田が翻訳した『地学正宗』を、「幕末において比較的… https://t.co/IDcHrR9k98
明治2年6月6日(1869年7月14日)、鵜殿鳩翁(長鋭)が死去。幕臣で、日米和親条約交渉に携わり、文久3年に浪士組取扱。永井尚志は、「人材登庸を重んし、職掌を辱めす」と評した(河内八郎「伊達宗城とその周辺(続)」『茨城大学人文学… https://t.co/Xm5slYzUve
明治7年7月12日、伊達慶邦が死去。幕末の仙台藩主で、東国最大の国持大名。戊辰戦争で奥羽越列藩同盟の盟主。綿抜豊昭「伊達慶邦一座の七種連歌をめぐって」(『中央大学文学部紀要 言語・文学・文化』119、2017年)は、藩祖の伊達政宗… https://t.co/4lKvXaygaN
慶応4年5月22日(1868年7月11日)、益満休之助が死去。江戸の撹乱工作を主導した。奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(三)」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50)は、江戸の薩摩藩邸焼き討ち事件で逮捕され、勝海… https://t.co/0SxH1qXlf7
昭和35年7月2日、杉敏介が死去。明治5年の山口生まれの教育者で、教え子に和辻哲郎、谷崎潤一郎らがいる。夏目漱石『我輩は猫である』の津木ピン助のモデル。杉の講演録『長井雅楽周旋に関する世論に就いて』(温知会、1936年)が、国会図… https://t.co/WRvV4mihP1
明治2年5月18日(1869年6月27日)、萱野権兵衛が死去。幕末の会津藩家老で、戊辰戦争の責任者として自刃した。寺田芳徳「会津藩留学生郡 長正と豊津藩 (旧小倉藩) の英学」(『英学史研究』25)は、萱野の切腹は、少年だった息子… https://t.co/Ya1HiABse8
文久2年5月25日(1862年6月22日)、佐賀藩士・中野方蔵が死去。老中・安藤信正が襲撃された坂下門外の変への関与を疑われ、獄死。重松優「青年大木喬任と佐賀勤王党」(『社学研論集』11)曰く、「佐賀藩では、中野は数少ない勤王運動… https://t.co/m9S3v6d5Le
奈倉哲三「史料蒐集の醍醐味-戊辰戦争期の江戸民衆意識解明を目指して-」(『跡見学園女子大学人文学フォーラム』15、2017年)は、慶応4年閏4月に大村益次郎が江戸府民の「民心朝廷離叛」を把握したことや、民心掌握に天皇の東幸が有効と… https://t.co/E10G0QpKVx
菱沼一憲「桐生彦部家の足利将軍家旧臣活動」(『国立歴史民俗博物館研究報告』182)曰く、百姓の彦部家は、先祖が足利将軍家に仕えたという由緒に基づく活動を行っていた。それは、幕末期に「幕府支配体制の相対化という意味で、草莽運動と質的… https://t.co/S3Obru3UKd
明治39年6月17日、矢野二郎が死去。文久3年、横浜鎖港談判使節に随行した幕臣。明治期、森有礼の推薦で駐米代理公使を務め、森が開設した商法講習所(一橋大学の起源)の初代所長に就任。小泉順也「東京高等商業学校と黒田清輝」(『言語社会… https://t.co/ptwQeVjbNp
ウルズラ・フラッヘ(杉原早紀 訳)「ドイツ語圏の日本研究から見た神仏分離」(『国立歴史民俗博物館研究報告』148、2008年)によれば、ドイツでは宗教改革時代に偶像破壊があったため、明治日本の廃仏毀釈に類似性を感じて関心を持つ研究… https://t.co/p4V81vLYTf
小川功「巨大米国系テーマパークの本邦初進出と地域融合-浦安市民の視点での30数年前の回顧-」(『跡見学園女子大学マネジメント学部紀要』26、2018年)は、東京ディズニーランドの誘致に金融人として関与し、浦安市民でもあった筆者によ… https://t.co/7MZKCI6Y9D
安政5年4月23日(1858年6月4日)、彦根藩主・井伊直弼が大老に就任した。井上勲「大老 井伊直弼」(『学習院史学』35、1997年)は、「大老に期待された役割とは、将軍代替りにともなって発生が予測される危機を管理することである… https://t.co/QmXm04byUO
明治6年6月3日、南貞助(高杉晋作の従弟かつ義弟)と英国人ライザ・ピットマンの結婚の届が、外務省に送付された。日本政府が許可した最初の国際結婚と言われる。小山騰「明治前期国際結婚の研究」(『近代日本研究』11)、同『国際結婚第一号… https://t.co/76tSX6jfbi
廣岡守穂「詩とは何か-幕末の漢詩と明治の新体詩から考える-」(『中央大学政策文化総合研究所年報』21、2018年)曰く、「詩は行動する者たちによって書かれ、心をつたえあい思想を共有する媒体として作用した」。特に、幕末期に至るまで読… https://t.co/PtY5VRgO2S
ファーナンダ・ペローン「目に見えないネットワーク」(『近代日本研究』34、2017年)曰く、幕末〜明治初期に米国留学した日本人の多くは、ラトガース大学に入った。例えば、横井左平太、横井大平、畠山義成、松村淳蔵、吉田清成。基本的に英… https://t.co/bKEZ1mdx9q
平成28年5月24日、杉谷昭が死去。佐賀城本丸歴史館の初代館長で、著書に『江藤新平』(吉川弘文館)、『鍋島閑叟』(中公新書)、『鍋島直正』(佐賀城本丸歴史館)など。下記は、杉谷氏の論文「明治初年における府・藩・県三治制について」(… https://t.co/l4fAZg2fch
明治5年4月16日(1872年5月22日)、村上範致が死去。幕末の田原藩士で、渡辺崋山の薫陶を受けた。砲術家で、幕府の講武所にも出仕。下記リンクから、鵜飼尚代・佐久間永子「村上範致と著述古記録に関する基礎研究」(『名古屋外国語大学… https://t.co/AIEkIkljAm

11 0 0 0 OA 平田神学の遺産

明治20年5月19日、矢野玄道が死去。幕末維新期の著名な平田派国学者で、千人以上の門人がいたらしい。また、間接的な影響力という点で、三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)が、大隈重信・副島種臣らを指導した枝… https://t.co/irRbd8mWjK
吉岡誠也「慶応四年の長崎における佐賀藩」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13、2018年)曰く、慶応4年の長崎における大隈重信らの活動は、新政府中枢に食い込みたい佐賀藩と、開港地を安定化させるため佐賀藩を取り込みた… https://t.co/12O4hD0mIo
大正9年5月14日、山辺丈夫が死去。津和野藩出身で、幕末期に大国隆正らが教授を務めた藩校・養老館で学んだ。同郷の森鴎外と交流。紡績業の発展に尽力。井上琢智「山辺丈夫滞英時代(1879)の英文・日本語日記」(『経済学論究』69-3)… https://t.co/55yO4DahLp
大島明子「一八七三(明治六)年のシビリアンコントロール-征韓論政変における軍と政治-」(『史学雑誌』117-7)は、初期太政官制で長州出身者が軍事官僚として選ばれた理由を、幕末期の敗戦や脱退騒動の経験などから、地域や階級の利害から… https://t.co/00cuAD9y2C
明治22年5月12日、塩田三郎が死去。幕末の幕臣で、英語やフランス語を学び、通訳として池田長発の横浜鎖港談判使節に随行。明治期には、外務卿・井上馨の下で条約改正交渉に従事した。石原千里「塩田三郎とその旧蔵洋書をめぐって」(『英学史… https://t.co/QW6eyg10uK
大正4年5月11日、古荘嘉門が死去。幕末の肥後藩出身で、井上毅と同門。明治初期に河上彦斎と共に反政府の運動に関与。野口真広「台湾総督府内務部長古荘嘉門について」(『社学研論集』4)曰く、明治20年代の対外硬運動を担った国権党初代総… https://t.co/tyJSmrnjIh
吉田忠「柴田収蔵の蘭学修業」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』12、2017年)は、佐渡出身で、幕末の蕃書調所に所属した地理学者・柴田収蔵の日記を分析。柴田が入門した蘭方医・伊東玄朴の塾の、嘉永3年と安政3年の様子を… https://t.co/sWsoQKAljf
明治17年5月9日、奥平壱岐(正衡、十学、中金正衡)が死去。幕末の中津藩家老で、福沢諭吉の『福翁自伝』で「我儘」などと言われている人。だが、河北展生「福澤諭吉の蘭学修行と奥平十学(壱岐)」(『近代日本研究』9)は、実際の奥平は福沢… https://t.co/mRbWcqSzzu
明治38年5月9日、小野義真が死去。岩村通俊・林有造・岩村高俊の従兄弟。三菱財閥の発展に貢献した。岩崎弥之助・井上勝と共に小岩井農場を創設。井上琢智「小野梓を支えた土佐の人びと」(『早稲田大学史記要』45)は、小野梓を支えた人物の… https://t.co/wyC4dk3IZN
岩淵令治「明治・大正期における「江戸」の商品化」(『国立歴史民俗博物館研究報告』197、2016年)は、伝統の創出という観点から近代の「江戸」の発見を分析。旧幕臣復権に尽力した戸川残花は元禄会を結成し、福地源一郎や本多晋(彰義隊の… https://t.co/rhdV71g0Vi
真辺将之「近代日本における動物と人間」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』60-4、2015年)は、近世から近代、そして現代に至る過程で複雑化してきた人間と動物の関係性を、鯨・犬・馬を素材に分析。例えば犬に関しては、近世までは食用… https://t.co/5BPuQNDShP
井上泰至「文禄・慶長の役を記憶する-「復古」/「維新」の前提としての武家説話-」(『日本文学』59-10、2010年)は、同氏の著書『秀吉の対外戦争』(笠間書院、2015年)第9章の元論文。幕末期に洋学者や幕府の外交担当者を含めて… https://t.co/KaPsEkOxsB
明治41年4月24日、津田仙が死去。津田梅子の父。幕末期、外国奉行通弁として福沢諭吉らと共に渡米。中村正直、新島襄と並ぶ、キリスト教界の三傑。日本初の通信販売を実施。並松信久「明治期における津田仙の啓蒙活動」(『京都産業大学論集… https://t.co/SyeVFtFclr
明治32年4月20日、遠藤允信(文七郎)が死去。幕末の仙台藩重臣で、政争に敗れて閉門。竹ヶ原康佑「文久期における仙台藩内政争の争点と「割拠」策への展開」(『駿台史学』162)が詳細。戊辰戦争の戦後処理を担当し、仙台藩の降伏を批判す… https://t.co/vksVID0vLx
岩田みゆき「戸張伝右衛門『慶応日記帳』にみる御料兵の実態について-慶応四年四月脱走前の動向-」(『青山史学』36、2018年)は、幕領で御料兵として徴発された戸張伝右衛門の日記を分析。戊辰戦争で会津まで赴いて新政府軍と戦った人物で… https://t.co/6P2JDpZ1nx
昭和9年4月12日、田島応親(田島金太郎)が死去。幕末の幕臣で、横浜仏語伝習所に入り、戊辰戦争の際には通訳として箱館まで赴き、ブリュネら榎本武揚に協力したフランス人を手引き。澤 護「箱館戦争に荷担した10人のフランス人」(『千葉敬… https://t.co/JupKyFGvze
明治17年4月12日、関口開が死去。幕末の加賀藩出身で、西洋数学を独学で修得。明治6年に出版した『新撰数学』は、22万部のベストセラー。初期の東大の数学科卒業生には、関口の教え子が多い。高瀬正仁「関口開と石川県加賀の数学」(『数学… https://t.co/hTd2yTSzOh
大正5年4月11日、横山隆興が死去。加賀藩家老の家に生まれ、甥の横山隆平(甥の方が年上)と共に尾小屋銅山を経営。松村敏「明治前期,旧加賀藩家老横山家の金融業経営と鉱山業への転換」(『商経論叢』53-1・2)曰く、基本文献の渡辺霞亭… https://t.co/4IaHDPlRUG
昭和20年4月10日、文倉平次郎が死去。幕末期に太平洋を横断した咸臨丸に関する調査を行い、昭和13年に『幕末軍艦咸臨丸』を著した。中公文庫の上下巻などの形で何度か復刊された。『史学』17-2(1938年)所収の會田倉吉の書評は、文… https://t.co/89xUleLt3H
井上勲「日本 近代 一(1977年の歴史学界 回顧と展望)」(『史学雑誌』87-5)は、慶応義塾図書館編『木村摂津守喜毅日記』、周布公平監修『周布政之助伝』や、石井孝『明治初期の国際関係』、田中彰『岩倉使節団』、柴原拓自『世界史の… https://t.co/JTlCeGWeVn
明治39年4月8日、長岡護美(雲海)が死去。熊本藩主・細川韶邦の弟で、幕末政局で「肥後の牛若」と称されたらしい。明治期にオランダ公使などを歴任。東京地学協会の設立主唱者の1人。石田龍次郎「『東京地学協会報告』(明治一二-三〇年)… https://t.co/nkNeC6y99S
明治29年4月5日、林広守が死去。天保期に11歳で朝廷に出仕した雅楽奏者で、紙屋信義「国歌「君が代」音楽成立に関する一考察」(『東海学院大学紀要』11、2017年)曰く、「近代以後の雅楽の大半は彼の系統に属する」。雅楽と西洋音楽の… https://t.co/c0bNZaX5Rm
明治25年4月3日、松森胤保が死去。幕末の松山藩(庄内藩の支藩)家老で、江戸の薩摩藩邸焼討事件や戊辰戦争で藩兵を指揮。梶沼彩子「松森胤保『止戈小議』考」(『東北文化研究室紀要』50)曰く、「松森」は藩主から賜わった「松守」(松山を… https://t.co/a8ax9JsqNZ
前田結城「明石市立文化博物館所蔵 黒田家文書「慶応四戊辰年日記」」(『リンク』9、2017年)は、明石藩の黒田久六による、元号が慶応から明治に変わる前後の日記を紹介。明治元年11月11日の部分には北越戦争関連の記述があり、例えば「… https://t.co/nWqmBmhtzK
柏原宏紀「長州五傑と明治維新-「大阪と実学」に注目して-」(『法学研究』90-12、2017年)は、伊藤博文・井上馨・山尾庸三・井上勝・遠藤謹助の長州ファイブの概要を紹介。柏原氏は、『明治の技術官僚-近代日本をつくった長州五傑-』… https://t.co/k0sGeVaH1K
元治2年2月28日(1865年3月25日)、西川升吉が死去。幕末の赤穂藩出身で、文久2年に家老の森主税および藩儒の村上真輔を暗殺(文久事件)。土佐藩の吉田東洋暗殺を参考にしたとする説がある。福永弘之「もう一つの「忠臣蔵」(I)」(… https://t.co/9fBGaBQdnW
昭和4年3月22日、井上良馨が死去。明治8年の江華島事件で、軍艦・雲揚の艦長を務めていた。高橋秀直「江華条約と明治政府」(『京都大学文学部研究紀要』37、1998年)は、江華島事件の諸問題を詳細に分析。井上の報告書に記載された内容… https://t.co/bd4OI7NCai
明治36年3月19日、松本荘一郎が死去。鉄道庁長官や鉄道作業局長官などを歴任し、鉄道敷設に尽力した官僚で、松本烝治の父。瀬戸口龍一「松本荘一郎「亜行日記」」(『専修大学史紀要』2、2010年)は、明治3年に米国留学した際の日記を紹… https://t.co/bbKyoxpBUl
本庄栄治郎「幕末の上海貿易」(『經濟論叢』46-5、1938年)は、経済史研究の先駆者による戦前の論文。文久期に幕府が上海に派遣した千歳丸と健順丸による貿易について、幕府自らが出貿易を試みた事例として重要で、海外見聞や大洋航海の経… https://t.co/lqeYxK3a7H
昭和60年3月7日、森銑三が死去。『森銑三著作集』が「正」と「続」の合計で30冊ある。高木浩明「資料紹介 森銑三刈谷日記・上(大正五年六月一七日~一二月三〇日)」(『書物・出版と社会変容』21、2018年)は、幕末の国学者・村上忠… https://t.co/343sEtAXZX
長谷川昇「尾張藩草莽隊始末攷」(『東海学園大学紀要』創刊号、1965年)は、明治の愛知県における自由民権運動研究の過程で、壬申戸籍に「元草莽隊」と記録された者の存在に着目。維新期、尾張藩の磅石薄隊や集義隊を分析。長谷川氏には『博徒… https://t.co/FgPFSomYMy
明治42年3月3日、野辺地尚義が死去。盛岡藩出身で、伊藤博文らに英語を教えたという。明治期に紅葉館(跡地は東京タワー)を経営。孫に、ピアニスト・野辺地勝久(瓜丸)がいる。佐野仁美「日本におけるアルフレッド・コルトー受容」(『表現文… https://t.co/2QlIPiv4AT
昭和9年3月1日、長沢鼎が死去。幕末の薩摩藩英国留学生の最年少メンバー。帰国せず、カリフォルニアでブドウ王になった。森孝晴「長沢鼎の手紙の下書きとそこに込められた思いと精神」(『国際文化学部論集』13-1、2012年)は、留学生仲… https://t.co/w5N7CdzNuW
明治33年2月26日、品川弥二郎が死去。長州藩出身で、慶応2〜3年、京都の薩摩藩邸内に長く滞在し、薩長提携の象徴のような役割を担った。齋藤伸郎「品川弥二郎 明治十四年懐中日記」(『獨協学園資料センター研究年報』8・9)曰く、明治1… https://t.co/YChGfocV7D
昭和6年2月24日、久米邦武が死去。日本の歴史学の先駆者で、大隈重信の親友。杉谷昭「和魂漢才から和魂洋才へ」(『純心人文研究』12)は、久米が岩倉使節団の報告書『米欧回覧実記』執筆のため玉虫左太夫(万延元年遣米使節に参加)の『航米… https://t.co/nGY07o6pVV
須賀博樹「因州鳥取藩と大坂両替商-文久三年~慶応元年の大名貸-」(『経済史研究』21、2018年)は、幕末の鳥取藩主・池田慶徳による国事周旋と京都警衛に関して、その財政状況を分析。鳥取藩が、慶徳の兄・徳川慶篤が藩主を務める水戸藩に… https://t.co/N1pngmLjem
明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、幕長戦争で長州藩と交戦。小倉城の落城後も抗戦を主張し、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、駐米公使などを歴任。片岡正彦「明治18年の淀川洪水と北河内」(『京都歴史災害研究』… https://t.co/11ZMoAhIr7
明治21年2月10日、松浦武四郎が死去。何度も蝦夷地探検を行い、幕末期には蝦夷地通として有名だった。北海道の名付け親でもある。三浦泰之「松浦武四郎研究の現状と課題」(『北海学園大学人文論集』65、2018年)は、松浦が置かれた時代… https://t.co/RXOQrlTwtP
柳澤京子「長州戦争と労働者」(『お茶の水女子大学比較日本学教育研究センター研究年報』13、2017年)は、幕末の長州戦争(長州征伐、幕長戦争)において、いわゆる諸隊に参加した賃銀労働者集団を分析。諸隊の内部や周辺には、「稼ぎ」を求… https://t.co/pBcRyoISil
大正11年2月8日、樺山資紀が死去。幕末の薩摩藩出身で、薩英戦争や戊辰戦争に従軍。西南戦争で熊本鎮台参謀長として、谷干城と共に熊本城に籠城した。海軍大臣、内務大臣などを歴任。齋藤伸郎「明治十四年 樺山資紀日記」(『国士舘史学』22… https://t.co/3O8IanuI5I
明治18年2月5日、塚本明毅が死去。幕末の幕臣で、矢田堀鴻・田辺太一と共に、「昌平黌の三才子」と称された(安藤洋美「明治数学史の基礎工事」『桃山学院大学人間科学』19)。長崎海軍伝習所で学んだ後、幕府海軍の一員として活躍。明治政府… https://t.co/CK3I3nxJLu
明治8年2月3日、熊谷直孝が死去。京都の商人(鳩居堂当主、香具屋久右衛門)で、幕末期には長州藩の活動に親和的な立場だった。戊辰戦争の際には新政府に千両を献上し、ほかの有力商人にも新政府への献金を促した。小林丈広「明治維新期の「市長… https://t.co/PUcJAexICi
明治6年1月29日、小幡甚三郎が死去。福沢諭吉と同じ中津藩出身で、西澤直子「小幡甚三郎のアメリカ留学」(『近代日本研究』14)曰く、「初期慶應義塾の一翼を担った人物」で、「福澤の片腕」。英語が得意で、『英文熟語集』などを編纂。幕府… https://t.co/yVstE4Y15d
明治23年1月23日、新島襄が死去。幕末期に米国に密航した。高久嶺之介「新島襄と京都府政の人々」(『同志社談叢』36、2016年)は、新島が同志社を設立するために行った「大学設立募金運動」についての講演録。京都府知事・北垣国道の積… https://t.co/piHK6PIIeM
慶応3年12月26日(1868年1月20日)、上山藩士・金子与三郎が死去。薩摩藩邸焼討事件で負った傷が死因。清河八郎暗殺に関与した疑惑がある。長南伸治「近代における旧上山藩士金子清邦像形成に関する一考察」(『国士舘史学』21)は、… https://t.co/4POMCgwjI0
慶応3年12月25日(1868年1月19日)、三田の薩摩藩邸焼き討ち事件があった。奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(三)」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50、2015年)は、諸史料から事件の実態解明を試み、益満… https://t.co/dFqCC8DSLA
明治32年1月19日、勝海舟が死去。金澤裕之「咸臨丸米国派遣の軍事史的意義」(『近代日本研究』26)は、海舟の目指した海軍像がサンフランシスコで見た米国海軍で、そのイメージは木村芥舟も共通だったとする。金澤氏の著書『幕府海軍の興亡… https://t.co/9uqs02VzmG
大正12年1月18日、織田完之が死去。幕末期、天誅組総裁・松本奎堂に師事した。明治期に内務省、次いで農商務省に出仕し、農政に携わった。國雄行「内務省期の農書編纂と織田完之」(『人文学報』505)は、「近世農書の発掘、刊行に貢献した… https://t.co/uoODyxH3N3
1898年1月14日、作家・数学者のルイス・キャロルが死去。金子史彦「「不思議の国のアリス」のチェシャ猫と「黒猫」の黒猫の比較研究」(『信州大学教育学部研究論集』11、2017年)は、キャロルが生み出したチェシャ猫と、エドガー・ア… https://t.co/r2i3pJq7pe
明治19年1月11日、小野梓が死去。大隈重信の腹心として、立憲改進党創設などに参加。大日方純夫「早稲田大学歴史館における小野梓の位置」(『早稲田大学史記要』49、2018年)は、小野が「教養をもった人によって構成される国家・社会を… https://t.co/0QqCcGbScy
ベルテッリ ジュリオ アントニオ「明治政府の樹立と駐日イタリア公使・領事の外交活動について」(『文化交渉における画期と創造』3)曰く、慶応3年に来日した駐日イタリア公使は、フランス公使ロッシュが諸外国の外交団から孤立していると見て… https://t.co/JqB0naGjyq
明治33年1月5日、秋月悌次郎(秋月韋軒)が死去。幕末の会津藩士で、文久3年8月18日の政変で重要な役割を果たした。中西達治「秋月悌次郎の公用局復帰」(『金城学院大学論集 人文科学編』15-1、2018年)は、慶応2年に勤務してい… https://t.co/ILgDKG6RtP
明治29年1月4日、伊江朝直(伊江王子、尚建)が死去。琉球の政治家で、明治5年に維新政府慶賀使として上京し、琉球国王を琉球藩王とする勅語を受理。川畑恵「琉球国から琉球藩へ」(『沖縄文化研究』34)曰く、天皇への拝謁は、「明治国家の… https://t.co/uzbmUjoZOg
昭和7年12月28日、尾崎英子(セオドラ )が死去。尾崎三良(幕末期に三条実美の従者だった、明治の法制官僚)の娘で、政治家・尾崎行雄の妻。10代後半までを英国で過ごした。日本のお伽話を英訳。長岡祥三「尾崎行雄夫人セオドーラの半生」… https://t.co/MqpwFYkbcc
明治16年12月28日、嶺田楓江が死去。幕末の田辺藩士。嘉永2年にアヘン戦争を題材にした『海外新話』を著したが、海外事情を書いた内容が幕府に問題視されて投獄された。奥田尚「嶺田楓江『海外新話』の一部分の紹介」(『アジア観光学年報』… https://t.co/8RX4HeMcWR
大正5年12月26日、石橋政方が死去。オランダ通詞で、幕末期に英語も習得。明治期には外務省に出仕した。丸山健一郎「阿部櫟齋(1867慶応3年)『絵入英語箋階梯』について」(『同志社日本語研究』21)は、石橋が文久元年に著した『英語… https://t.co/FIQzOB7keO
大林隆司「小笠原諸島における最初のセミの記録はいつか?」(『小笠原研究年報』38、2014年)は、幕末期に外国奉行・水野忠徳が小笠原諸島の回収を推進した際、父島に滞在した本草学者の阿部櫟斎の日記が、小笠原における蝉の記録の初出とす… https://t.co/nAsTFCIUYR
下記リンクは、安藤徳器・大井征訳『英米仏蘭聯合艦隊幕末海戦記』(平凡社、1930年)の書評。原著者のアルフレッド・ルサンは幕末期に来日し、下関での長州藩との戦いに参加した。戦後の別の訳に、樋口裕一訳『フランス士官の下関海戦記』(新… https://t.co/WUjtxpzlgp
明治17年12月21日、百武兼行が死去。幕末の佐賀藩出身で、藩主・鍋島直大の側近を務めた。明治13年に直大がイタリア公使となった際も一緒にローマへ赴任するなど、その関係は生涯続いた。洋画家としても活躍。中村幸子「百武兼行研究」(『… https://t.co/puBCR2kEQT
安政4年11月6日(1857年12月21日)、岩瀬忠震が横浜開港を主張する意見書を書いた。長崎から江戸に戻る途中、江戸でのハリスの演説内容を知って執筆。岩瀬は横浜開港の恩人と見なされている(阿部安成「直弼/象山/忠震(2)-競争す… https://t.co/7WpZWuWa10
元治元年11月18日(1864年12月16日)、第1次長州征伐の総督・徳川慶勝が、自刃した長州藩の3家老(福原越後、国司信濃、益田右衛門介)の、首実検を行った。そこに至る過程は、町田明広「第一次長州征伐における薩摩藩」(『神田外語… https://t.co/wprxdMXw1y
鵜飼政志「近現代二 幕末・維新(日本)(2003年の歴史学界 回顧と展望)」(『史学雑誌』113-5)は、ペリー来航150年の年の研究を紹介・批評。松浦玲『新選組』(岩波新書)、三谷博『ペリー来航』(吉川弘文館)、吉田俊純『水戸学… https://t.co/PmMJQhGFZS
明治34年12月13日、中江兆民が死去。幕末の土佐藩出身で、長崎で坂本龍馬と知り合ったらしい。幕末期の駐日フランス公使レオン・ロッシュの通訳を務めたこともある。村上興匡「中江兆民の死と葬儀」(『東京大学宗教学年報』19)などによれ… https://t.co/GEvPA4HADs
嘉永元年11月8日(1848年12月3日)、坪井信道が死去。蘭方医で、門下に緒方洪庵や黒川良安(佐久間象山に蘭学を教えた)がいた。村田清風の依頼などにより、長州毛利家に仕えた。森川潤「萩藩医坪井信道」(『広島修大論集』51-2、2… https://t.co/MzLm0wxa2D
明治14年12月2日、榊原芳野が死去。文部省に出仕し、教科書を編纂した国学者。収入の多くを書籍購入に使う蔵書家だったが、明治6年の火事で灰燼と帰したらしい。高木まさき「榊原芳野伝覚書き-明治初期国語教科書編纂者の研究-」(『人文科… https://t.co/Fs9vs7qais
大正5年11月29日、薄井龍之が死去。幕末期に頼三樹三郎に師事し、水戸藩士と交流。天狗党の乱に参加した。野中勝利「自叙伝『薄井龍之小傳』を中心とした薄井龍之の輪郭」(『飯田市歴史研究所年報』4、2006年)は、明治期の開拓使や山形… https://t.co/OkZPRbvbnk

お気に入り一覧(最新100件)

33 0 0 0 OA 寛政重脩諸家譜

@lalan1858 @zasetsushirazu 岩瀬内記家は忠震が養子に入った岩瀬市兵衛家の本家筋にあたります。 https://t.co/0zvGAMgymU
@kirinosakujin @zasetsushirazu 元々はそうですね。今は総合出版社歴研として独立してやっているみたいです。こちらの号に掲載しているものですね。 https://t.co/PfJ4ldEXWO
拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)が既にダウンロード可能となっていました(^^)https://t.co/A65OnLMHFg メチャ大部で恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。

116 0 0 0 OA 官報

年賀状に質問を書いて送るの禁止~(笑) 当アカウントは個別の質問にはお答えしておりません。以下、独り言です。 明治期の外交官及領事官官制(勅令第257号。明治23年10月21日)でしたら、ここに載っていました。… https://t.co/y3ykSzpTok
鶴岡明美「描かれた幕末の小笠原 : 「小笠原島真景図」をはじめとする諸本の成立試論」『お茶の水女子大学人文科学研究』12(2016.3) https://t.co/buUgQlMRJQ PDFあり。
【資料】CiNiiに、西谷正氏の論文「邪馬台国最新事情」(石油技術協会誌75 2010/07/01)がpdfで公開されています。これまでの論争と最新事情が良くまとまってます https://t.co/k7Aur04jrx
https://t.co/kuvGq1oQ7l 渡辺崋山と田原藩の海防をめぐる一試論(承前) : 崋山の海防観について 「幕末名古屋藩の海防と藩主義勝」や「新潟奉行川村修就の海防体制の確立過程について 」も気になるな。
神田千里「大友宗麟の改宗 : その実態と背景」『東洋大学文学部紀要. 史学科篇』(40), 71-110, 2014 PDFあり。 https://t.co/7kqzAdnnXr

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日本学術会議のオープンデータ: 提言の俯瞰的可視化(小山田 耕二) https://t.co/s90JyYcVKS
J-STAGE Articles - 川崎寿彦著『鏡のマニエリスム-ルネッサンスの想像力の側面』, 研究社出版, 昭和53年, 227pp., \980 https://t.co/RgDaGkQSNy
RT @J_geiste: 早川氏が紹介してるこれ、書き出しからしてもうお腹いっぱいですな。 厚生研究会編『国民皆労 : 戦時下の労務動員』 https://t.co/ca1DD1xu9h https://t.co/8qMc4cRJ7H
RT @zasetsushirazu: 明治33年8月23日、建築家・山口半六が死去。幕末の松江出身で、明治期にフランス留学。手掛けた建築物に、熊本五高(ラフカディオ・ハーン、夏目漱石、秋月悌次郎らが教師を務めた)の校舎などがある。堀内達夫「都市と実業教育」(『人文研究』54)…
RT @zasetsushirazu: 明治33年8月23日、建築家・山口半六が死去。幕末の松江出身で、明治期にフランス留学。手掛けた建築物に、熊本五高(ラフカディオ・ハーン、夏目漱石、秋月悌次郎らが教師を務めた)の校舎などがある。堀内達夫「都市と実業教育」(『人文研究』54)…
RT @shiga_archives: 昨年7月、袁甲幸様に「三新法体制における府県「公権」の形成」(『史学雑誌』第127編第7号)で、本県の歴史的文書をご利用いただきました。本稿では、明治期の新聞記事の草稿を用いて、新庁舎の宣伝のために記事を書かせようとする、県庁の意向を明ら…
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RT @nekonoizumi: これの成果がついにまとまった。 KAKEN 近現代日本の民間精神療法に関する宗教史的考究 身体と社会の観点から (KAKENHI-PROJECT-24520075) https://t.co/PyQU8UpEpV
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RT @nekotausagi: @UY1Rve5Vqv41sLb 天王寺公園から野宿者が排除されたのが87年で公園が有料化されたのが90年です。つまり92年生まれの高山市議の生まれる前です。ですから「ブルーシートの時代は私はまだ幼かった」は誤りです 『大阪市天王寺公園の管理…
RT @zasetsushirazu: 明治32年8月19日、丸山作楽が死去(異説あり)。島原藩出身で、明治2年に外務大丞として樺太の領有権についてロシアと交渉。三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)曰く、明治政府の参議に就任する噂もあったぐらい、平田国…
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RT @khargush1969: 紺谷由紀(2016)「ローマ法における去勢:ユスティニアヌス一世の法典編纂事業をめぐって」『史学雑誌』125(6): 1-36. https://t.co/2E7O9OS6cY これはイスラーム法の去勢観(辻大地さんの論文にあり)と比較すると…
RT @khargush1969: 和田廣(1993)「ビザンツ史研究のデシデラータ: 宦官」『オリエント』36(1): 149-150. https://t.co/bYq7Im4wy2 短報だがビザンツ帝国国家・社会における宦官の位置付け・重要性や宦官に関する史料について知る…
RT @khargush1969: 和田廣(2004)「宦官—資格不要の職業:「闇の去勢」禁止令をめぐって」『地中海研究所紀要』2: 77-91. https://t.co/g5yPjzliHE 禁止令が出されるほど身分(自由人/奴隷、庶民/貴族)を問わない去勢の広がりを生んだ…
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RT @kyslog: ヒートアイランドについては、涼しい海風が内陸を冷やすのを湾岸の高層ビル群がブロックしているという研究が増えてる印象。 https://t.co/Lj82swBqpQ https://t.co/uhZRFCxNaN https://t.co/Do3bpAN…
RT @shiga_archives: エドワード8世が訪れた多景島には、大正15年(1926)に「誓の御柱」という記念碑が建立されています。県警察部長を務めた水上七郎が発案したもので、五箇条の御誓文の各文が刻まれています。詳しい建設経緯は、昨年西田彰一氏が本県の歴史的文書等を…
RT @zasetsushirazu: 奈良勝司「社会文化史」(『日本研究』57、2018年)は、奈良勝司『明治維新と世界認識体系』(有志舎)、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)、笠谷和比古『近世武家社会の政治構造』(吉川弘文館)、渡辺尚志『近世百姓の底力』(敬文…
https://t.co/jgGZB1sNhd 石川彦太郎(1902)「小学校用言文一致教範」。 「各地の小学教員は、如何にして此の東京語を調べるか、これは実に六ヶ敷いことで、一々東京へ出て調査しさへすれば、夫れでよい様なものの、事実然う云ふわけにも行かぬ、
RT @arakencloud: NHK EテレのサイエンスZERO再放送で雲野郎も出てたっぽい.エアロゾルが雲や降水に及ぼす影響について,初回放送当時に出たばかりの論文に書いた数値シミュレーションの結果を見せながら話をしていたと思います.#雲を愛する技術 https://t.…
RT @zasetsushirazu: 奈良勝司「社会文化史」(『日本研究』57、2018年)は、奈良勝司『明治維新と世界認識体系』(有志舎)、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)、笠谷和比古『近世武家社会の政治構造』(吉川弘文館)、渡辺尚志『近世百姓の底力』(敬文…
中生さんは『世界』2000年5月号に「<証言>オロチョン族をアヘン漬けにした日本軍:「満州国」少数民族宣撫工作の裏面」を寄稿しているようなので、いずれ取り寄せて読んでみたい。なお同著者の論文「植民地大学の人類学者:泉靖一論」にも、… https://t.co/ukVzoOtJIC
RT @hayato626: @ponpy14 @C4Dbeginner @yumidesu_4649 影響あるのは流入後数日で、そうでない日は東京湾の水は意外に綺麗です。だからこそ、あそこで競技するなら、必至に合流式下水道を無くすよう頑張らねばならなかったのに…。 http…

19 19 19 0 OA 労務統計

RT @t_wak: 数字を拾いながら思ったのだが、昭和戦前期の生活に関して、この資料を活用した研究ってあるのだろうか。どのくらいの身分で給料をいくらもらっている鉄道員が、何畳で家賃いくらの家に住んでいるというデータなのだが。 『労務統計. 昭和7年10月10日現在 第2輯 家…
RT @Ms_Kisyo_GEO: 鉄道唱歌の本名が「地理教育鉄道唱歌」だったことを今日知りました。不覚。 https://t.co/Ndkd6Lg6e2

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日本学術会議のオープンデータ: 提言の俯瞰的可視化(小山田 耕二) https://t.co/s90JyYcVKS
J-STAGE Articles - 川崎寿彦著『鏡のマニエリスム-ルネッサンスの想像力の側面』, 研究社出版, 昭和53年, 227pp., \980 https://t.co/RgDaGkQSNy
RT @illcommonz: 実家では母のおつかいで、車を運転することがあるので、「あおり運転」にまきこまれないようにする、という観点でいうと、この調査研究が参考になった。 矢武陽子「日本におけるあおり運転の事例調査」 「国際交通安全学会誌」2019年43巻3号 [PDF]…
RT @zasetsushirazu: 明治33年8月23日、建築家・山口半六が死去。幕末の松江出身で、明治期にフランス留学。手掛けた建築物に、熊本五高(ラフカディオ・ハーン、夏目漱石、秋月悌次郎らが教師を務めた)の校舎などがある。堀内達夫「都市と実業教育」(『人文研究』54)…
RT @zasetsushirazu: 明治33年8月23日、建築家・山口半六が死去。幕末の松江出身で、明治期にフランス留学。手掛けた建築物に、熊本五高(ラフカディオ・ハーン、夏目漱石、秋月悌次郎らが教師を務めた)の校舎などがある。堀内達夫「都市と実業教育」(『人文研究』54)…
RT @shiga_archives: 昨年7月、袁甲幸様に「三新法体制における府県「公権」の形成」(『史学雑誌』第127編第7号)で、本県の歴史的文書をご利用いただきました。本稿では、明治期の新聞記事の草稿を用いて、新庁舎の宣伝のために記事を書かせようとする、県庁の意向を明ら…
RT @nekonoizumi: これの成果がついにまとまった。 KAKEN 近現代日本の民間精神療法に関する宗教史的考究 身体と社会の観点から (KAKENHI-PROJECT-24520075) https://t.co/PyQU8UpEpV
RT @zasetsushirazu: 明治32年8月19日、丸山作楽が死去(異説あり)。島原藩出身で、明治2年に外務大丞として樺太の領有権についてロシアと交渉。三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)曰く、明治政府の参議に就任する噂もあったぐらい、平田国…
RT @zasetsushirazu: 明治32年8月19日、丸山作楽が死去(異説あり)。島原藩出身で、明治2年に外務大丞として樺太の領有権についてロシアと交渉。三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)曰く、明治政府の参議に就任する噂もあったぐらい、平田国…
RT @zasetsushirazu: 明治32年8月19日、丸山作楽が死去(異説あり)。島原藩出身で、明治2年に外務大丞として樺太の領有権についてロシアと交渉。三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)曰く、明治政府の参議に就任する噂もあったぐらい、平田国…
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https://t.co/jgGZB1sNhd 石川彦太郎(1902)「小学校用言文一致教範」。 「各地の小学教員は、如何にして此の東京語を調べるか、これは実に六ヶ敷いことで、一々東京へ出て調査しさへすれば、夫れでよい様なものの、事実然う云ふわけにも行かぬ、
RT @arakencloud: NHK EテレのサイエンスZERO再放送で雲野郎も出てたっぽい.エアロゾルが雲や降水に及ぼす影響について,初回放送当時に出たばかりの論文に書いた数値シミュレーションの結果を見せながら話をしていたと思います.#雲を愛する技術 https://t.…
RT @arakencloud: NHK EテレのサイエンスZERO再放送で雲野郎も出てたっぽい.エアロゾルが雲や降水に及ぼす影響について,初回放送当時に出たばかりの論文に書いた数値シミュレーションの結果を見せながら話をしていたと思います.#雲を愛する技術 https://t.…
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