太田鳴雪 (@zasetsushirazu)

投稿一覧(最新100件)

文化4年9月19日(1807年10月20日)、蘭学者の山村才助が死去。新井白石の著作を山村が改訂した『訂正増訳采覧異言』について、石川勞吉「日本人が初めて見たポリネシア人」(『国立民族学博物館調査報告』59)は、日本人の著作の中で… https://t.co/LsoD2b09Su
明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈… https://t.co/QHPfk9eKCn
明治28年10月16日、石河確太郎(石河正竜)が死去。明治の紡績技術者で、幕末期には薩摩藩に招聘されて蒸気船建造や開成所での講義を担当するなど、重用された。堀江保蔵「近代日本の先駆的企業家」(『経済論叢』84-3、1959年)曰く… https://t.co/mGYGI3I9Ns
明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中… https://t.co/wZ4Z5UC6lD
山本太「幕末期,水害と闘うある村落指導者に関する覚書」(『京都産業大学総合学術研究所所報』7、2012年)は、長岡藩の支配下にあった越後西蒲原郡中郷屋村と庄屋の笛木家が、どのように自然災害と向き合っていたか分析。元治元年と慶応元年… https://t.co/G27cJsywWL
大賀郁夫「「御用日記」にみる幕末の宮崎」(『宮崎公立大学人文学部紀要』20-1)は、延岡藩の庄屋・湯地栄四郎の日記を分析。薩英戦争の風聞や、延岡藩も参加した第2次長州征伐の話題、暴風雨の災害対策と同時に干ばつ対策のための雨乞い祈祷… https://t.co/dum9YPtj5u
明治17年10月12日、川路高子が死去。幕末の幕臣・川路聖謨の妻で、慶応4年に夫が自殺した後も明治の世を生きた。揖斐高ほか「国立国会図書館蔵『川路高子日記』-翻刻と解題および人名索引-」(『成蹊人文研究』19)は、夫が奈良奉行を務… https://t.co/6KtnV0tj8D
明治12年10月11日、市川清流が死去。幕末の文久遣欧使節団(正使は竹内保徳)に、松平康直(神奈川奉行兼外国奉行で、使節の副使だった)の従者として随行。早野喜久江「「市川清流建白書」の一考察」(『二松学舎大学論集』62)は、明治期… https://t.co/uwI6w3O8KU
安政6年9月14日(1859年10月9日)、梅田雲浜が死去。安政大獄で最初に逮捕され、獄死。中島嘉文「角田家本梅田雲浜安政大獄吟味関係資料について」(『福井県文書館研究紀要』13)は、雲浜の取り調べ調書を分析し、「尊攘運動の理論的… https://t.co/MrpiZxn7Nd
山中康行「日本図書館史における断絶と連続」(『人間文化研究』9)は、日本の図書館の時代区分において、明治維新を境に江戸時代の「文庫」と明治以後の「図書館」で断絶するという見解に対して、連続性があったことを指摘しつつ、明治初期の「書… https://t.co/EDu5BTy5io
文化5年8月17日(1808年10月6日)、長崎奉行・松平康英が死去。英国船フェートン号がオランダ国旗を掲げて長崎湾に侵入した事件の責任で、自刃した。長崎警備の問題について、梶原良則「寛政〜文化期の長崎警備とフェートン号事件」(『… https://t.co/7LHTvr85J5
明治3年9月8日(1870年10月2日)、青木研蔵が死去。長州藩の蘭方医で、藩内で初めて種痘を実施。兄・青木周弼の養子となった。森川潤「青木周蔵の渡独前の修学歴(3)萩城下における蘭学の修業時代」(『広島修大論集』54-1)曰く、… https://t.co/b22c3tIN7g
井上勲「幕末政治社会の形成」(『学習院大学史料館紀要』9)は、ペリー来航の際の、200家以上の大名家の意見書を分析。対外方針を単純拒絶、即時拒絶、折衝拒絶、時限許容など細分化。例えば折衝拒絶の中にも、すぐ打ち払うものと、攻撃された… https://t.co/TfKkTmibdI
明治39年9月28日、佐々友房が死去。幕末の熊本藩出身で、西南戦争で西郷軍に参加して投獄された。上村直己「佐々友房と独逸学」(『熊本学園大学論集 総合科学』20-2)曰く、「勤王・国権を一大主義とする紫溟会を有志と共に結成。天皇主… https://t.co/znazivMEyb
明治18年9月27日、都築温(都築荘蔵)が死去。慶応3年10月、大政奉還の趣旨が二条城で諸藩重臣に説明された際、宇和島藩代表として出席。将軍・徳川慶喜にも謁見。大政奉還が勅許されたことを帰国して報告(三好昌文「幕末期宇和島藩の動向… https://t.co/a9217rVV44
明治26年9月26日、光妙寺三郎(光田三郎)が死去。幕末の長州藩出身で、西園寺公望や中江兆民とはパリの留学仲間。留学中、岩倉使節団で渡欧した木戸孝允を度々訪問。「決闘は文明の花なり」と論じた(手塚豊「光妙寺三郎の決闘是認論及び「決… https://t.co/Sbpu5HhfUk
明治9年9月23日、安井息軒が死去。芳野金陵・塩谷宕陰と共に文久三博士と称された儒学者で、弟子に谷干城・品川弥二郎・陸奥宗光・世良修蔵・井上毅など。佐々木雄一「陸奥宗光の思想形成」(『法学会雑誌』59-1、2018年)は、幕末期に… https://t.co/CLGgkKUyF5
明治2年8月13日(1869年9月18日)、土肥典膳が死去。岡山藩重臣で、文久2年に京都で国事周旋を開始。中川和明「平田塾と地方国学の展開」(『書物・出版と社会変容』11)曰く、「岡山藩の幕末維新史を語るうえでたいへん重要な人物」… https://t.co/QNZGKoWETi
昭和54年9月18日、木村毅が死去。『明治天皇』、『日米文学交流史の研究』など、文化史、伝記、小説など200冊を超える著作がある文筆家。藤井哲「木村毅と英文学」(『福岡大学人文論叢』48-4)曰く、「学界の権威に向かって在野から歯… https://t.co/DpgxoGDd8J
大正7年9月17日、本野一郎が死去。幕末の佐賀に生まれ、明治・大正の外交官として働いた。寺内正毅内閣の外務大臣を務めた。バールィシェフ・エドワルド「ロシア革命とシベリア出兵構想の形成-本野一郎の外交政策と米国-」(『ロシア史研究』… https://t.co/zGXbffVyWW
大正9年9月12日、国際法学者の高橋作衛が死去。第2次大隈重信内閣の法制局長官。日清戦争に法律顧問として従軍し、日露戦争の前年に桂太郎首相に向けて対露強硬論を主張した「七博士意見書」に参加。前原淳史「「七博士事件」の再検討」(『社… https://t.co/ZVEZaQd93k
平成5年9月8日、歴史家の榎本守恵が死去。著書に『北海道の歴史』(北海道新聞社)、『侍たちの北海道開拓』(同)、『近代僻地教育の研究』(同成社)がある。下記は榎本による、桑原真人『近代北海道史研究序説』(北海道大学図書刊行会)の書… https://t.co/HdR1vRn9kT
安政2年7月26日(1855年9月7日)、井戸弘道が死去。幕末の幕臣で、嘉永6年のペリー来航の際に浦賀奉行。後年、永井尚志は、学識はあるが、「決断之乏敷は、其短なる所」と評した。河内八郎「伊達宗城とその周辺(続)」(『茨城大学人文… https://t.co/A6p6N7VUiZ
明治40年9月6日、名村泰蔵が死去。幕末のオランダ通詞で、英語・フランス語・ドイツ語も習得し、慶応3年にパリ万博に赴く徳川昭武に随行。明治期には司法官僚の道を歩み、ボアソナード招聘に尽力した。石原千里「名村五八郎と名村泰蔵」(『英… https://t.co/dTLKNNMmBj
明治26年9月1日、細川護久が死去。明治3年に熊本藩知事に就任して、弟・長岡護美と共に熊本藩の藩政改革を推進した。その際、横井小楠の門下生たちを多数登用した。三澤純「熊本藩明治三年藩政改革の再検討」(『文学部論叢』109、熊本大学… https://t.co/0ZNqZ8w8ih
享和元年7月23日(1801年8月31日)、長久保赤水が死去。『大日本史』地理志の編纂に参加した地図製作者。周振鶴・鶴間和幸「長久保赤水と中国歴史地図の編纂」(『五浦論叢』1、1993年)曰く、「日本の地図史上見のがすことのできな… https://t.co/ttxBVVpv3i
天保12年7月14日(1841年8月30日)、林述斎が死去。松平定信に嘱望されて林家を嗣いだことは、林家の最大の画期とされる(小野将「近世後期の林家と朝幕関係」『史学雑誌』102-6)。朝鮮通信使との窓口役も務めた。幕末外交で活躍… https://t.co/x5JpIXP6Ch

10 0 0 0 IR 林研海の生涯

明治15年8月30日、医師・林研海が死去。幕末の長崎でポンペに学んだ後、榎本武揚や沢太郎左衛門らと同じ船に乗ってオランダ留学。帰国後の明治期に、静岡病院長、陸軍軍医総監などを歴任。高橋慎司「林研海の生涯」(『早稲田大学大学院教育学… https://t.co/DG93tqnjpH
昭和58年8月28日、英文学者・帆足図南次が死去。広瀬淡窓・三浦梅園と並び称された儒学者・帆足万里の子孫で、主要著書に『帆足万里』(吉川弘文館、1966年)がある。また、日本史関連の論文に、「変革期の知識人としての陸奥宗光」(『英… https://t.co/NVzyovGJTe
明治32年8月26日、市川兼恭が死去。幕末の幕臣で、洋学者。蕃書調所や開成所で教授を務め、明治の陸軍にも所属した。加藤弘之と共にドイツ語学習の先駆者とされ、荒木康彦「幕末期の「独逸学」と『官版 獨逸單語篇』」(『渾沌』7、2010… https://t.co/1WMy2QTgDC
昭和30年8月25日、北沢楽天が死去。日本の風刺漫画の先駆者とされ、福沢諭吉の『時事新報』誌上で時事漫画を手掛けた。宮田航平「北沢楽天とは誰か」(『信州大学附属図書館研究』S-2、2019年)は、手塚治虫への影響も指摘。さいたま市… https://t.co/PUMx4JpNSs
明治33年8月23日、建築家・山口半六が死去。幕末の松江出身で、明治期にフランス留学。手掛けた建築物に、熊本五高(ラフカディオ・ハーン、夏目漱石、秋月悌次郎らが教師を務めた)の校舎などがある。堀内達夫「都市と実業教育」(『人文研究… https://t.co/R1rt7kfBNr
明治32年8月19日、丸山作楽が死去(異説あり)。島原藩出身で、明治2年に外務大丞として樺太の領有権についてロシアと交渉。三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)曰く、明治政府の参議に就任する噂もあったぐらい… https://t.co/KS3l9QEMWb
奈良勝司「社会文化史」(『日本研究』57、2018年)は、奈良勝司『明治維新と世界認識体系』(有志舎)、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)、笠谷和比古『近世武家社会の政治構造』(吉川弘文館)、渡辺尚志『近世百姓の底力… https://t.co/o0GtPGl1xQ
慶応4年6月27日(1868年8月15日)、英学者・嵯峨根良吉が死去。幕末の宮津藩出身で、薩摩藩の開成所に雇用された。竹内力雄「山本覚馬覚え書(5)「管見」を中心に」(『同志社談叢』34)は、慶応3年に、赤松小三郎と同一内容の政体… https://t.co/QCHscfvKUC
慶応元年6月24日(1865年8月15日)、喜多岡勇平が死去。幕末の福岡藩士で、黒田長溥に信任され、長州征伐や五卿移転問題の解決に奔走した。梶原良則「長州出兵をめぐる政治情況」(『史淵』129)は、喜多岡の周旋が薩長和解の端緒にな… https://t.co/o2UzY0AH9S
大島明秀「十九世紀国学者における志筑忠雄訳『鎖国論』の受容と平田国学」(『日本文藝研究』57-1)は、平田篤胤以降の国学者が志筑忠雄の『鎖国論』を「西洋人ケンペルによる日本讃美論」として読み解き、その後の国内で日本の優秀さを説く古… https://t.co/7ufMqRgHzK
大正10年8月11日、前田正名が死去。薩摩藩出身で、大蔵省や農務省で活躍。多久島澄子「前田正名の「上州出張記憶書」と「卑見」」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13)は、幕末の長崎で始まった大隈重信との関係を軸に、前… https://t.co/uW420Wg4WK
安政2年6月28日(1855年8月10日)、中島棕隠が死去。綿本誠「中島棕隠の『鴨東四時雑詠(鴨東竹枝)』をめぐる一考察」(『21世紀アジア学会紀要』3)曰く、「日本近世の漢詩人の中で最も著作の多い詩人」。足利三代木像梟首事件に関… https://t.co/9azAuIvqA2
西沢淳男「旗本子女の婚姻について」(『地域政策研究』19-4、2017年)は、旗本の家の婚姻過程を分析。その際、代官を務めた竹垣直道の幕末の日記を素材とする。西沢氏には、『代官の日常生活』(角川ソフィア文庫)、『幕領陣屋と代官支配… https://t.co/as6wUKBIVn
文久2年7月12日(1862年8月7日)、大橋訥庵が死去。田中有美「坂下門外の変以前の大橋訥庵と宇都宮藩」(『立命館言語文化研究』23-3)は、坂下門外の変の首謀者で、過激な攘夷論者として知られる大橋が、討幕は志向せず、あくまで幕… https://t.co/bX7wJGz36M
昭和2年7月30日、市川文吉が死去。慶応元年に幕府が派遣したロシア留学生で、明治6年に帰国。その後、再渡航して榎本武揚の樺太・千島交換条約交渉を通訳。宮永孝「幕末ロシア留学生市川文吉に関する一史料」(『社会労働研究』39-4)は、… https://t.co/oTYWfZRW2w
三浦壮「明治期における華族資本の形成と工業化投資」(『歴史と経済』57-2、2015年)は、「華族の株式の投資資金調達に関する実証成果は確認できていない」と指摘。その上で、旧岩国藩主の吉川家を分析。明治の吉川家は、株式投資と土地投… https://t.co/RG848GHGng
竹ヶ原康佑「長州処分問題をめぐる仙台藩の動向」(『駿台史学』159、2017年)は、元治元年〜慶応期の仙台藩を分析。西国情勢の探索を通じて、中下級藩士層の中に長州藩への同情的意見が目立ってきたことを指摘。また、単独での行動よりも外… https://t.co/OAqzSz9800
大正10年7月25日、佐藤進が死去。戊辰戦争で治療に従事した医師で、日本人初のベルリン大学卒業生。酒井シヅ「順天堂三代目堂主・佐藤進 (1845-1921), ドイツ留学から帰国まで」(『順天堂醫事雑誌』59-2)曰く、「明治,大… https://t.co/Ry4auAIcKX
明治15年7月23日、医師・佐藤尚中が死去。佐倉順天堂創始者・佐藤泰然の養子で、順天堂二代目堂主。また、明治期の東京で順天堂医院(後の順天堂大学)を開いた。小川鼎三「佐藤尚中伝 (3)」(『順天堂医学』18-3、1972年)は、幕… https://t.co/eQD3lxXAPu
野村啓介「フランス第二帝制下の対日外交政策」(『国際文化研究科論集』23、2015年)は、幕末の日本に対するフランス外交は、通訳体制の不備(自前で通訳を養成できずオランダ人を雇用したり、幕臣・塩田三郎に依存)が問題で、英国とのスタ… https://t.co/InEArovPel
明治22年7月19日、杉田玄端が死去。蕃書調所教授、外国奉行支配翻訳御用頭取などを歴任。池田哲郎「江戸時代のオランダ系「地理」」(『福島大学学芸学部論集』12-1、1961年)は、杉田が翻訳した『地学正宗』を、「幕末において比較的… https://t.co/IDcHrR9k98
明治2年6月6日(1869年7月14日)、鵜殿鳩翁(長鋭)が死去。幕臣で、日米和親条約交渉に携わり、文久3年に浪士組取扱。永井尚志は、「人材登庸を重んし、職掌を辱めす」と評した(河内八郎「伊達宗城とその周辺(続)」『茨城大学人文学… https://t.co/Xm5slYzUve
明治7年7月12日、伊達慶邦が死去。幕末の仙台藩主で、東国最大の国持大名。戊辰戦争で奥羽越列藩同盟の盟主。綿抜豊昭「伊達慶邦一座の七種連歌をめぐって」(『中央大学文学部紀要 言語・文学・文化』119、2017年)は、藩祖の伊達政宗… https://t.co/4lKvXaygaN
慶応4年5月22日(1868年7月11日)、益満休之助が死去。江戸の撹乱工作を主導した。奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(三)」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50)は、江戸の薩摩藩邸焼き討ち事件で逮捕され、勝海… https://t.co/0SxH1qXlf7
昭和35年7月2日、杉敏介が死去。明治5年の山口生まれの教育者で、教え子に和辻哲郎、谷崎潤一郎らがいる。夏目漱石『我輩は猫である』の津木ピン助のモデル。杉の講演録『長井雅楽周旋に関する世論に就いて』(温知会、1936年)が、国会図… https://t.co/WRvV4mihP1
明治2年5月18日(1869年6月27日)、萱野権兵衛が死去。幕末の会津藩家老で、戊辰戦争の責任者として自刃した。寺田芳徳「会津藩留学生郡 長正と豊津藩 (旧小倉藩) の英学」(『英学史研究』25)は、萱野の切腹は、少年だった息子… https://t.co/Ya1HiABse8
文久2年5月25日(1862年6月22日)、佐賀藩士・中野方蔵が死去。老中・安藤信正が襲撃された坂下門外の変への関与を疑われ、獄死。重松優「青年大木喬任と佐賀勤王党」(『社学研論集』11)曰く、「佐賀藩では、中野は数少ない勤王運動… https://t.co/m9S3v6d5Le
奈倉哲三「史料蒐集の醍醐味-戊辰戦争期の江戸民衆意識解明を目指して-」(『跡見学園女子大学人文学フォーラム』15、2017年)は、慶応4年閏4月に大村益次郎が江戸府民の「民心朝廷離叛」を把握したことや、民心掌握に天皇の東幸が有効と… https://t.co/E10G0QpKVx
菱沼一憲「桐生彦部家の足利将軍家旧臣活動」(『国立歴史民俗博物館研究報告』182)曰く、百姓の彦部家は、先祖が足利将軍家に仕えたという由緒に基づく活動を行っていた。それは、幕末期に「幕府支配体制の相対化という意味で、草莽運動と質的… https://t.co/S3Obru3UKd
明治39年6月17日、矢野二郎が死去。文久3年、横浜鎖港談判使節に随行した幕臣。明治期、森有礼の推薦で駐米代理公使を務め、森が開設した商法講習所(一橋大学の起源)の初代所長に就任。小泉順也「東京高等商業学校と黒田清輝」(『言語社会… https://t.co/ptwQeVjbNp
ウルズラ・フラッヘ(杉原早紀 訳)「ドイツ語圏の日本研究から見た神仏分離」(『国立歴史民俗博物館研究報告』148、2008年)によれば、ドイツでは宗教改革時代に偶像破壊があったため、明治日本の廃仏毀釈に類似性を感じて関心を持つ研究… https://t.co/p4V81vLYTf
小川功「巨大米国系テーマパークの本邦初進出と地域融合-浦安市民の視点での30数年前の回顧-」(『跡見学園女子大学マネジメント学部紀要』26、2018年)は、東京ディズニーランドの誘致に金融人として関与し、浦安市民でもあった筆者によ… https://t.co/7MZKCI6Y9D
安政5年4月23日(1858年6月4日)、彦根藩主・井伊直弼が大老に就任した。井上勲「大老 井伊直弼」(『学習院史学』35、1997年)は、「大老に期待された役割とは、将軍代替りにともなって発生が予測される危機を管理することである… https://t.co/QmXm04byUO
明治6年6月3日、南貞助(高杉晋作の従弟かつ義弟)と英国人ライザ・ピットマンの結婚の届が、外務省に送付された。日本政府が許可した最初の国際結婚と言われる。小山騰「明治前期国際結婚の研究」(『近代日本研究』11)、同『国際結婚第一号… https://t.co/76tSX6jfbi
廣岡守穂「詩とは何か-幕末の漢詩と明治の新体詩から考える-」(『中央大学政策文化総合研究所年報』21、2018年)曰く、「詩は行動する者たちによって書かれ、心をつたえあい思想を共有する媒体として作用した」。特に、幕末期に至るまで読… https://t.co/PtY5VRgO2S
ファーナンダ・ペローン「目に見えないネットワーク」(『近代日本研究』34、2017年)曰く、幕末〜明治初期に米国留学した日本人の多くは、ラトガース大学に入った。例えば、横井左平太、横井大平、畠山義成、松村淳蔵、吉田清成。基本的に英… https://t.co/bKEZ1mdx9q
平成28年5月24日、杉谷昭が死去。佐賀城本丸歴史館の初代館長で、著書に『江藤新平』(吉川弘文館)、『鍋島閑叟』(中公新書)、『鍋島直正』(佐賀城本丸歴史館)など。下記は、杉谷氏の論文「明治初年における府・藩・県三治制について」(… https://t.co/l4fAZg2fch
明治5年4月16日(1872年5月22日)、村上範致が死去。幕末の田原藩士で、渡辺崋山の薫陶を受けた。砲術家で、幕府の講武所にも出仕。下記リンクから、鵜飼尚代・佐久間永子「村上範致と著述古記録に関する基礎研究」(『名古屋外国語大学… https://t.co/AIEkIkljAm

12 0 0 0 OA 平田神学の遺産

明治20年5月19日、矢野玄道が死去。幕末維新期の著名な平田派国学者で、千人以上の門人がいたらしい。また、間接的な影響力という点で、三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)が、大隈重信・副島種臣らを指導した枝… https://t.co/irRbd8mWjK
吉岡誠也「慶応四年の長崎における佐賀藩」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13、2018年)曰く、慶応4年の長崎における大隈重信らの活動は、新政府中枢に食い込みたい佐賀藩と、開港地を安定化させるため佐賀藩を取り込みた… https://t.co/12O4hD0mIo
大正9年5月14日、山辺丈夫が死去。津和野藩出身で、幕末期に大国隆正らが教授を務めた藩校・養老館で学んだ。同郷の森鴎外と交流。紡績業の発展に尽力。井上琢智「山辺丈夫滞英時代(1879)の英文・日本語日記」(『経済学論究』69-3)… https://t.co/55yO4DahLp
大島明子「一八七三(明治六)年のシビリアンコントロール-征韓論政変における軍と政治-」(『史学雑誌』117-7)は、初期太政官制で長州出身者が軍事官僚として選ばれた理由を、幕末期の敗戦や脱退騒動の経験などから、地域や階級の利害から… https://t.co/00cuAD9y2C
明治22年5月12日、塩田三郎が死去。幕末の幕臣で、英語やフランス語を学び、通訳として池田長発の横浜鎖港談判使節に随行。明治期には、外務卿・井上馨の下で条約改正交渉に従事した。石原千里「塩田三郎とその旧蔵洋書をめぐって」(『英学史… https://t.co/QW6eyg10uK
大正4年5月11日、古荘嘉門が死去。幕末の肥後藩出身で、井上毅と同門。明治初期に河上彦斎と共に反政府の運動に関与。野口真広「台湾総督府内務部長古荘嘉門について」(『社学研論集』4)曰く、明治20年代の対外硬運動を担った国権党初代総… https://t.co/tyJSmrnjIh
吉田忠「柴田収蔵の蘭学修業」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』12、2017年)は、佐渡出身で、幕末の蕃書調所に所属した地理学者・柴田収蔵の日記を分析。柴田が入門した蘭方医・伊東玄朴の塾の、嘉永3年と安政3年の様子を… https://t.co/sWsoQKAljf
明治17年5月9日、奥平壱岐(正衡、十学、中金正衡)が死去。幕末の中津藩家老で、福沢諭吉の『福翁自伝』で「我儘」などと言われている人。だが、河北展生「福澤諭吉の蘭学修行と奥平十学(壱岐)」(『近代日本研究』9)は、実際の奥平は福沢… https://t.co/mRbWcqSzzu
明治38年5月9日、小野義真が死去。岩村通俊・林有造・岩村高俊の従兄弟。三菱財閥の発展に貢献した。岩崎弥之助・井上勝と共に小岩井農場を創設。井上琢智「小野梓を支えた土佐の人びと」(『早稲田大学史記要』45)は、小野梓を支えた人物の… https://t.co/wyC4dk3IZN
岩淵令治「明治・大正期における「江戸」の商品化」(『国立歴史民俗博物館研究報告』197、2016年)は、伝統の創出という観点から近代の「江戸」の発見を分析。旧幕臣復権に尽力した戸川残花は元禄会を結成し、福地源一郎や本多晋(彰義隊の… https://t.co/rhdV71g0Vi
真辺将之「近代日本における動物と人間」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』60-4、2015年)は、近世から近代、そして現代に至る過程で複雑化してきた人間と動物の関係性を、鯨・犬・馬を素材に分析。例えば犬に関しては、近世までは食用… https://t.co/5BPuQNDShP
井上泰至「文禄・慶長の役を記憶する-「復古」/「維新」の前提としての武家説話-」(『日本文学』59-10、2010年)は、同氏の著書『秀吉の対外戦争』(笠間書院、2015年)第9章の元論文。幕末期に洋学者や幕府の外交担当者を含めて… https://t.co/KaPsEkOxsB
明治41年4月24日、津田仙が死去。津田梅子の父。幕末期、外国奉行通弁として福沢諭吉らと共に渡米。中村正直、新島襄と並ぶ、キリスト教界の三傑。日本初の通信販売を実施。並松信久「明治期における津田仙の啓蒙活動」(『京都産業大学論集… https://t.co/SyeVFtFclr
明治32年4月20日、遠藤允信(文七郎)が死去。幕末の仙台藩重臣で、政争に敗れて閉門。竹ヶ原康佑「文久期における仙台藩内政争の争点と「割拠」策への展開」(『駿台史学』162)が詳細。戊辰戦争の戦後処理を担当し、仙台藩の降伏を批判す… https://t.co/vksVID0vLx
岩田みゆき「戸張伝右衛門『慶応日記帳』にみる御料兵の実態について-慶応四年四月脱走前の動向-」(『青山史学』36、2018年)は、幕領で御料兵として徴発された戸張伝右衛門の日記を分析。戊辰戦争で会津まで赴いて新政府軍と戦った人物で… https://t.co/6P2JDpZ1nx
昭和9年4月12日、田島応親(田島金太郎)が死去。幕末の幕臣で、横浜仏語伝習所に入り、戊辰戦争の際には通訳として箱館まで赴き、ブリュネら榎本武揚に協力したフランス人を手引き。澤 護「箱館戦争に荷担した10人のフランス人」(『千葉敬… https://t.co/JupKyFGvze
明治17年4月12日、関口開が死去。幕末の加賀藩出身で、西洋数学を独学で修得。明治6年に出版した『新撰数学』は、22万部のベストセラー。初期の東大の数学科卒業生には、関口の教え子が多い。高瀬正仁「関口開と石川県加賀の数学」(『数学… https://t.co/hTd2yTSzOh
大正5年4月11日、横山隆興が死去。加賀藩家老の家に生まれ、甥の横山隆平(甥の方が年上)と共に尾小屋銅山を経営。松村敏「明治前期,旧加賀藩家老横山家の金融業経営と鉱山業への転換」(『商経論叢』53-1・2)曰く、基本文献の渡辺霞亭… https://t.co/4IaHDPlRUG
昭和20年4月10日、文倉平次郎が死去。幕末期に太平洋を横断した咸臨丸に関する調査を行い、昭和13年に『幕末軍艦咸臨丸』を著した。中公文庫の上下巻などの形で何度か復刊された。『史学』17-2(1938年)所収の會田倉吉の書評は、文… https://t.co/89xUleLt3H
井上勲「日本 近代 一(1977年の歴史学界 回顧と展望)」(『史学雑誌』87-5)は、慶応義塾図書館編『木村摂津守喜毅日記』、周布公平監修『周布政之助伝』や、石井孝『明治初期の国際関係』、田中彰『岩倉使節団』、柴原拓自『世界史の… https://t.co/JTlCeGWeVn
明治39年4月8日、長岡護美(雲海)が死去。熊本藩主・細川韶邦の弟で、幕末政局で「肥後の牛若」と称されたらしい。明治期にオランダ公使などを歴任。東京地学協会の設立主唱者の1人。石田龍次郎「『東京地学協会報告』(明治一二-三〇年)… https://t.co/nkNeC6y99S
明治29年4月5日、林広守が死去。天保期に11歳で朝廷に出仕した雅楽奏者で、紙屋信義「国歌「君が代」音楽成立に関する一考察」(『東海学院大学紀要』11、2017年)曰く、「近代以後の雅楽の大半は彼の系統に属する」。雅楽と西洋音楽の… https://t.co/c0bNZaX5Rm
明治25年4月3日、松森胤保が死去。幕末の松山藩(庄内藩の支藩)家老で、江戸の薩摩藩邸焼討事件や戊辰戦争で藩兵を指揮。梶沼彩子「松森胤保『止戈小議』考」(『東北文化研究室紀要』50)曰く、「松森」は藩主から賜わった「松守」(松山を… https://t.co/a8ax9JsqNZ
前田結城「明石市立文化博物館所蔵 黒田家文書「慶応四戊辰年日記」」(『リンク』9、2017年)は、明石藩の黒田久六による、元号が慶応から明治に変わる前後の日記を紹介。明治元年11月11日の部分には北越戦争関連の記述があり、例えば「… https://t.co/nWqmBmhtzK
柏原宏紀「長州五傑と明治維新-「大阪と実学」に注目して-」(『法学研究』90-12、2017年)は、伊藤博文・井上馨・山尾庸三・井上勝・遠藤謹助の長州ファイブの概要を紹介。柏原氏は、『明治の技術官僚-近代日本をつくった長州五傑-』… https://t.co/k0sGeVaH1K
元治2年2月28日(1865年3月25日)、西川升吉が死去。幕末の赤穂藩出身で、文久2年に家老の森主税および藩儒の村上真輔を暗殺(文久事件)。土佐藩の吉田東洋暗殺を参考にしたとする説がある。福永弘之「もう一つの「忠臣蔵」(I)」(… https://t.co/9fBGaBQdnW
昭和4年3月22日、井上良馨が死去。明治8年の江華島事件で、軍艦・雲揚の艦長を務めていた。高橋秀直「江華条約と明治政府」(『京都大学文学部研究紀要』37、1998年)は、江華島事件の諸問題を詳細に分析。井上の報告書に記載された内容… https://t.co/bd4OI7NCai
明治36年3月19日、松本荘一郎が死去。鉄道庁長官や鉄道作業局長官などを歴任し、鉄道敷設に尽力した官僚で、松本烝治の父。瀬戸口龍一「松本荘一郎「亜行日記」」(『専修大学史紀要』2、2010年)は、明治3年に米国留学した際の日記を紹… https://t.co/bbKyoxpBUl
本庄栄治郎「幕末の上海貿易」(『經濟論叢』46-5、1938年)は、経済史研究の先駆者による戦前の論文。文久期に幕府が上海に派遣した千歳丸と健順丸による貿易について、幕府自らが出貿易を試みた事例として重要で、海外見聞や大洋航海の経… https://t.co/lqeYxK3a7H
昭和60年3月7日、森銑三が死去。『森銑三著作集』が「正」と「続」の合計で30冊ある。高木浩明「資料紹介 森銑三刈谷日記・上(大正五年六月一七日~一二月三〇日)」(『書物・出版と社会変容』21、2018年)は、幕末の国学者・村上忠… https://t.co/343sEtAXZX
長谷川昇「尾張藩草莽隊始末攷」(『東海学園大学紀要』創刊号、1965年)は、明治の愛知県における自由民権運動研究の過程で、壬申戸籍に「元草莽隊」と記録された者の存在に着目。維新期、尾張藩の磅石薄隊や集義隊を分析。長谷川氏には『博徒… https://t.co/FgPFSomYMy
明治42年3月3日、野辺地尚義が死去。盛岡藩出身で、伊藤博文らに英語を教えたという。明治期に紅葉館(跡地は東京タワー)を経営。孫に、ピアニスト・野辺地勝久(瓜丸)がいる。佐野仁美「日本におけるアルフレッド・コルトー受容」(『表現文… https://t.co/2QlIPiv4AT
昭和9年3月1日、長沢鼎が死去。幕末の薩摩藩英国留学生の最年少メンバー。帰国せず、カリフォルニアでブドウ王になった。森孝晴「長沢鼎の手紙の下書きとそこに込められた思いと精神」(『国際文化学部論集』13-1、2012年)は、留学生仲… https://t.co/w5N7CdzNuW
明治33年2月26日、品川弥二郎が死去。長州藩出身で、慶応2〜3年、京都の薩摩藩邸内に長く滞在し、薩長提携の象徴のような役割を担った。齋藤伸郎「品川弥二郎 明治十四年懐中日記」(『獨協学園資料センター研究年報』8・9)曰く、明治1… https://t.co/YChGfocV7D
昭和6年2月24日、久米邦武が死去。日本の歴史学の先駆者で、大隈重信の親友。杉谷昭「和魂漢才から和魂洋才へ」(『純心人文研究』12)は、久米が岩倉使節団の報告書『米欧回覧実記』執筆のため玉虫左太夫(万延元年遣米使節に参加)の『航米… https://t.co/nGY07o6pVV

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拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)が既にダウンロード可能となっていました(^^)https://t.co/A65OnLMHFg メチャ大部で恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。

116 0 0 0 OA 官報

年賀状に質問を書いて送るの禁止~(笑) 当アカウントは個別の質問にはお答えしておりません。以下、独り言です。 明治期の外交官及領事官官制(勅令第257号。明治23年10月21日)でしたら、ここに載っていました。… https://t.co/y3ykSzpTok
【資料】CiNiiに、西谷正氏の論文「邪馬台国最新事情」(石油技術協会誌75 2010/07/01)がpdfで公開されています。これまでの論争と最新事情が良くまとまってます https://t.co/k7Aur04jrx
神田千里「大友宗麟の改宗 : その実態と背景」『東洋大学文学部紀要. 史学科篇』(40), 71-110, 2014 PDFあり。 https://t.co/7kqzAdnnXr

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RT @khargush1969: RT:天皇即位式が明治期に創られたものだということが昨日改めて周知されたけど。。。その考察の手がかりとなるホブズボーム「創られた伝統」論を近代日本に援用した本格的研究がこの論集なのね。 https://t.co/ciAFOgILYZ 研究の経…
RT @khargush1969: RT:天皇即位式が明治期に創られたものだということが昨日改めて周知されたけど。。。その考察の手がかりとなるホブズボーム「創られた伝統」論を近代日本に援用した本格的研究がこの論集なのね。 https://t.co/ciAFOgILYZ 研究の経…
RT @Toyoshi_Toyoshi: ちなみに、『史学雑誌』のアーカイブ検索はこちらが便利https://t.co/imPnAiBkSf 『東洋史研究』はこちらで検索https://t.co/XKXXUzELgM 『史林』のバックナンバーはこちらで検索 https://t.…
RT @Toyoshi_Toyoshi: ちなみに、『史学雑誌』のアーカイブ検索はこちらが便利https://t.co/imPnAiBkSf 『東洋史研究』はこちらで検索https://t.co/XKXXUzELgM 『史林』のバックナンバーはこちらで検索 https://t.…
RT @Toyoshi_Toyoshi: ちなみに、『史学雑誌』のアーカイブ検索はこちらが便利https://t.co/imPnAiBkSf 『東洋史研究』はこちらで検索https://t.co/XKXXUzELgM 『史林』のバックナンバーはこちらで検索 https://t.…
RT @t_wak: 「萬歳」も、読みは「バンザイ」と最初から決まっていたわけではなく、「バンゼイ」や「マンザイ」を試した末に「バンザイ」になったという。 ↓帝大「萬歳」につき、参考にしたものの本 https://t.co/iolKRutEAJ
RT @g9e1o7: 「人文地理 第44巻第3号(1992)『学界展望(1991年1月~12月)』」において「徳仁親王『18世紀テムズ川における輸送船舶及び輸送業者について』(地学雑誌100-1)」が紹介されています https://t.co/bF22nOmoI3(学界展望)…
RT @g9e1o7: 「人文地理 第44巻第3号(1992)『学界展望(1991年1月~12月)』」において「徳仁親王『18世紀テムズ川における輸送船舶及び輸送業者について』(地学雑誌100-1)」が紹介されています https://t.co/bF22nOmoI3(学界展望)…
RT @t_wak: 「萬歳」も、読みは「バンザイ」と最初から決まっていたわけではなく、「バンゼイ」や「マンザイ」を試した末に「バンザイ」になったという。 ↓帝大「萬歳」につき、参考にしたものの本 https://t.co/iolKRutEAJ
あと、これとか。 https://t.co/MDnoDrUcgr 喜田貞吉「形式の上では、京都は依然として帝都であり、天皇の御即位や、大嘗祭の御儀式は、必ずここで御挙行相成るべく御規定になつて居るのである」。

1 1 1 1 OA 大礼眼目

https://t.co/IezT1PGolS 昭和初頭に三浦周行が(京都は)「永久に古帝都としての光栄を失はないことが出来たばかりか、ある意味においては、今なほ帝都の延長であるかの感を起こさせるに至つた」て書いてたんが思い出される。
RT @BungakuReportRS: 斎藤 英喜 -  『日本書紀』注釈史と天皇即位儀礼 : 『釈日本紀』「真床追衾」条をめぐって https://t.co/HlyAMPbvKT
RT @BungakuReportRS: 佐藤 桂一 -  「第一次・第二次声優ブーム」(1960年代・1970~1980年代)を通して見る声優業の進化と分化 -現代日本における声優の歴史(2)- https://t.co/6ReQ1ryld7
RT @BungakuReportRS: 斎藤 英喜 -  『日本書紀』注釈史と天皇即位儀礼 : 『釈日本紀』「真床追衾」条をめぐって https://t.co/HlyAMPbvKT
佐藤 桂一 -  「第一次・第二次声優ブーム」(1960年代・1970~1980年代)を通して見る声優業の進化と分化 -現代日本における声優の歴史(2)- https://t.co/kOxvUtQok6
RT @zasetsushirazu: 文化4年9月19日(1807年10月20日)、蘭学者の山村才助が死去。新井白石の著作を山村が改訂した『訂正増訳采覧異言』について、石川勞吉「日本人が初めて見たポリネシア人」(『国立民族学博物館調査報告』59)は、日本人の著作の中でオセアニ…
RT @tcv2catnap: CiNii 論文 -  甲斐守護武田信玄晴信の中伊那・下伊那支配 https://t.co/O7ovmEiooa #CiNii 武田氏過酷な税負担あったーーーーーww
RT @zasetsushirazu: 文化4年9月19日(1807年10月20日)、蘭学者の山村才助が死去。新井白石の著作を山村が改訂した『訂正増訳采覧異言』について、石川勞吉「日本人が初めて見たポリネシア人」(『国立民族学博物館調査報告』59)は、日本人の著作の中でオセアニ…
RT @zasetsushirazu: 文化4年9月19日(1807年10月20日)、蘭学者の山村才助が死去。新井白石の著作を山村が改訂した『訂正増訳采覧異言』について、石川勞吉「日本人が初めて見たポリネシア人」(『国立民族学博物館調査報告』59)は、日本人の著作の中でオセアニ…

5 5 5 0 OA 皇国農民の道

今日行った京都の梁山泊に、農村更生協会編『皇国農民の道』(石黒忠篤と加藤完治の講演筆記を収録、朝日新聞社、昭和16年)が安く並んでいたがダブリが怖くて買わなかった。あぶないところだった。:国会図書館デジタルコレクション https://t.co/JMKvcFSKXq
RT @T_urade1987: @nagisanoyuki 今思い出したんですがこの本ご存じですか? 福井の人物を調べておられる方なら使えるんじゃないかと思います。 https://t.co/jr2HxGLarQ
@nagisanoyuki 今思い出したんですがこの本ご存じですか? 福井の人物を調べておられる方なら使えるんじゃないかと思います。 https://t.co/jr2HxGLarQ
PDFあり。 ⇒三浦 周 「戦時下における伝道学と標準語―中野隆元を中心として―」 『佛教文化学会紀要』26号 (2017) https://t.co/8DUtSZDtcN
PDFあり。 ⇒今井 秀和 「地獄と妖怪 ―近世の妖怪画における地獄絵図像の摂取と変容―」 『佛教文化学会紀要』26号 (2017) https://t.co/zwTM4oHbLU
PDFあり。 ⇒岡﨑滋樹 「「畜産」から再考する戦前日本のアジア資源調査 : 農林省・台湾馬事調査(一九三四年五月)を中心に」 『日本研究』第59集 (2019/10) https://t.co/zYhmOA7AeF
PDFあり。 ⇒宮武慶之 「江戸の道具商・本惣 : 了我、了芸の活動に注目して」 『日本研究』第59集 (2019/10) https://t.co/UT5vfbKkpW

3 2 2 0 OA 日本杏林要覧

@09Kumano 『日本杏林要覧』を確認すると安政元年生まれとあるので本人ではないでしょうね。ただ長州藩領だと尾崎姓の医者はこの人ぐらいです。徳山藩領にはいますが。 https://t.co/plnS7by7Kf
RT @T_urade1987: @09Kumano それは気になりますね。木戸の日記から明治初年までは存命だったことが分かり明治十五年の『内務省免許全国医師薬舗産婆一覧』を当たってみました。すると山口県に「尾崎文菴」という医者の存在が確認出来ます。改名したのか息子なのかと言っ…
@09Kumano それは気になりますね。木戸の日記から明治初年までは存命だったことが分かり明治十五年の『内務省免許全国医師薬舗産婆一覧』を当たってみました。すると山口県に「尾崎文菴」という医者の存在が確認出来ます。改名したのか息… https://t.co/OoRf4Z8G9x
RT @jdaeyun: @cochonrouge ちょっと古いけど新宿区では路上生活者結核検診の罹患率出してました。これだと医療従事者の方が危険だと思います…。 https://t.co/yEoXvskwNt 台東区は結核患者が多いらしいけど内訳出てないので、後日保健所にデー…
@wani_shima 日本列島の広域で見えたオーロラとしては明和7年(1770)7月の例が有名 https://t.co/6bF6eO2obu https://t.co/AwyTxnPoyw… https://t.co/15Hmg4wb36
村田 浩一 -  動物園の歴史的背景としての学術研究 ~極東の片隅で何を継承し,何を興し,そして何を発信すべきか?~ https://t.co/ZilTs5jouf
RT @nekonoizumi: 濱野千尋「現代ドイツにおける種を超えた恋愛とセックス」 『日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2018』 https://t.co/01TxjFgBey
RT @nekonoizumi: 濱野千尋「異種との性行為はどのように批判されるか?:ドイツにおける動物性愛者たちへの調査事例をもとに」 『日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2017』 https://t.co/OOaOWIQ8Wk
RT @nekonoizumi: 濱野千尋「現代ドイツにおける動物性愛者の動物観」 『ヒトと動物の関係学会誌』(50), 2018-07  https://t.co/cP6hXVFYsn
RT @zasetsushirazu: 明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈された経…
RT @zasetsushirazu: 明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈された経…
RT @zasetsushirazu: 明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈された経…
RT @zasetsushirazu: 明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈された経…
RT @zasetsushirazu: 明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈された経…
RT @zasetsushirazu: 明治28年10月16日、石河確太郎(石河正竜)が死去。明治の紡績技術者で、幕末期には薩摩藩に招聘されて蒸気船建造や開成所での講義を担当するなど、重用された。堀江保蔵「近代日本の先駆的企業家」(『経済論叢』84-3、1959年)曰く、「紡績…
RT @zasetsushirazu: 明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中嶋恒康の…
RT @zasetsushirazu: 明治28年10月16日、石河確太郎(石河正竜)が死去。明治の紡績技術者で、幕末期には薩摩藩に招聘されて蒸気船建造や開成所での講義を担当するなど、重用された。堀江保蔵「近代日本の先駆的企業家」(『経済論叢』84-3、1959年)曰く、「紡績…
RT @zasetsushirazu: 明治28年10月16日、石河確太郎(石河正竜)が死去。明治の紡績技術者で、幕末期には薩摩藩に招聘されて蒸気船建造や開成所での講義を担当するなど、重用された。堀江保蔵「近代日本の先駆的企業家」(『経済論叢』84-3、1959年)曰く、「紡績…
RT @zasetsushirazu: 明治28年10月16日、石河確太郎(石河正竜)が死去。明治の紡績技術者で、幕末期には薩摩藩に招聘されて蒸気船建造や開成所での講義を担当するなど、重用された。堀江保蔵「近代日本の先駆的企業家」(『経済論叢』84-3、1959年)曰く、「紡績…
RT @haneko_tweet: なんか公開されとった。面白い。 忍者の食生活と栄養評価:名古屋経済大学機関リポジトリ https://t.co/EMaK10WFQ1
RT @zasetsushirazu: 明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中嶋恒康の…

13 13 13 0 OA 謡曲:鞍馬天狗(一)

れきおんHPでは、源義経の伝承を題材にした謡曲の音源『謡曲:鞍馬天狗(一)』を紹介しています。大天狗が幼い義経に漢の張良の故事を語る場面が、東京音楽学校邦楽科の生徒によって演じられています。#ndldigital… https://t.co/3x2QzZpTfB
RT @zasetsushirazu: 明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中嶋恒康の…

13 4 3 2 OA 科学史と科学者

RT @isnki: 科学史と科学者 —— 林知己夫氏公開インタビュー —— / 高橋 正樹 編 https://t.co/vsUlRBAJVX
RT @zasetsushirazu: 山本太「幕末期,水害と闘うある村落指導者に関する覚書」(『京都産業大学総合学術研究所所報』7、2012年)は、長岡藩の支配下にあった越後西蒲原郡中郷屋村と庄屋の笛木家が、どのように自然災害と向き合っていたか分析。元治元年と慶応元年、水害に…
RT @zasetsushirazu: 明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中嶋恒康の…

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RT @Toyoshi_Toyoshi: ちなみに、『史学雑誌』のアーカイブ検索はこちらが便利https://t.co/imPnAiBkSf 『東洋史研究』はこちらで検索https://t.co/XKXXUzELgM 『史林』のバックナンバーはこちらで検索 https://t.…
RT @Toyoshi_Toyoshi: ちなみに、『史学雑誌』のアーカイブ検索はこちらが便利https://t.co/imPnAiBkSf 『東洋史研究』はこちらで検索https://t.co/XKXXUzELgM 『史林』のバックナンバーはこちらで検索 https://t.…
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RT @g9e1o7: 「人文地理 第44巻第3号(1992)『学界展望(1991年1月~12月)』」において「徳仁親王『18世紀テムズ川における輸送船舶及び輸送業者について』(地学雑誌100-1)」が紹介されています https://t.co/bF22nOmoI3(学界展望)…
RT @g9e1o7: 「人文地理 第44巻第3号(1992)『学界展望(1991年1月~12月)』」において「徳仁親王『18世紀テムズ川における輸送船舶及び輸送業者について』(地学雑誌100-1)」が紹介されています https://t.co/bF22nOmoI3(学界展望)…
あと、これとか。 https://t.co/MDnoDrUcgr 喜田貞吉「形式の上では、京都は依然として帝都であり、天皇の御即位や、大嘗祭の御儀式は、必ずここで御挙行相成るべく御規定になつて居るのである」。

1 1 1 1 OA 大礼眼目

https://t.co/IezT1PGolS 昭和初頭に三浦周行が(京都は)「永久に古帝都としての光栄を失はないことが出来たばかりか、ある意味においては、今なほ帝都の延長であるかの感を起こさせるに至つた」て書いてたんが思い出される。

2 2 2 0 近来年代記

RT @minzokunokai1: 「近来年代記」はまだ国立国会図書館のデジタルでは公開されてないんだねえ。尼崎の残念さんや、長州屋敷跡の残念柳や、ええじゃないかについて記述されている幕末の町人史料なんだけど。あと、物価がよくわかる。 https://t.co/1L8izro…
RT @BungakuReportRS: 斎藤 英喜 -  『日本書紀』注釈史と天皇即位儀礼 : 『釈日本紀』「真床追衾」条をめぐって https://t.co/HlyAMPbvKT
佐藤 桂一 -  「第一次・第二次声優ブーム」(1960年代・1970~1980年代)を通して見る声優業の進化と分化 -現代日本における声優の歴史(2)- https://t.co/kOxvUtQok6
RT @zasetsushirazu: 文化4年9月19日(1807年10月20日)、蘭学者の山村才助が死去。新井白石の著作を山村が改訂した『訂正増訳采覧異言』について、石川勞吉「日本人が初めて見たポリネシア人」(『国立民族学博物館調査報告』59)は、日本人の著作の中でオセアニ…
RT @rkscinii: CiNii 論文 -  中世里内裏陣中の構造と空間的性質について : 公家社会の意識と「宮中」の治安 https://t.co/Wb20ZrAwbn #CiNii

4 1 1 0 OA 遣米使日記

万延元年遣米使節団の道中は村垣淡路守範正が「遣米使日記」にて面白可笑しく紹介しています。個人的には、この日記の一節で「中には髪黒く目も黒い、あれはアジアの人種だろうか?」と世界の人種を認識していた事に驚きました。その頃、日本では井… https://t.co/qnPcwHE6uJ
RT @zasetsushirazu: 文化4年9月19日(1807年10月20日)、蘭学者の山村才助が死去。新井白石の著作を山村が改訂した『訂正増訳采覧異言』について、石川勞吉「日本人が初めて見たポリネシア人」(『国立民族学博物館調査報告』59)は、日本人の著作の中でオセアニ…
RT @zasetsushirazu: 文化4年9月19日(1807年10月20日)、蘭学者の山村才助が死去。新井白石の著作を山村が改訂した『訂正増訳采覧異言』について、石川勞吉「日本人が初めて見たポリネシア人」(『国立民族学博物館調査報告』59)は、日本人の著作の中でオセアニ…
RT @T_urade1987: @nagisanoyuki 今思い出したんですがこの本ご存じですか? 福井の人物を調べておられる方なら使えるんじゃないかと思います。 https://t.co/jr2HxGLarQ
@nagisanoyuki 今思い出したんですがこの本ご存じですか? 福井の人物を調べておられる方なら使えるんじゃないかと思います。 https://t.co/jr2HxGLarQ

3 2 2 0 OA 日本杏林要覧

RT @T_urade1987: @09Kumano 『日本杏林要覧』を確認すると安政元年生まれとあるので本人ではないでしょうね。ただ長州藩領だと尾崎姓の医者はこの人ぐらいです。徳山藩領にはいますが。 https://t.co/plnS7by7Kf
RT @T_urade1987: @09Kumano それは気になりますね。木戸の日記から明治初年までは存命だったことが分かり明治十五年の『内務省免許全国医師薬舗産婆一覧』を当たってみました。すると山口県に「尾崎文菴」という医者の存在が確認出来ます。改名したのか息子なのかと言っ…
RT @yakumoizuru: @roolAWoq1OvFZHa 左の画像は柳川春三『洋算用法』(1870)で「平方根」という語が出ているページ。右は堀達之助編纂『改正増補英和対訳袖珍辞書』(1867)の附録ページです。後者については上垣渉「幕末・明治初期の英和辞書における数…

3 2 2 0 OA 日本杏林要覧

@09Kumano 『日本杏林要覧』を確認すると安政元年生まれとあるので本人ではないでしょうね。ただ長州藩領だと尾崎姓の医者はこの人ぐらいです。徳山藩領にはいますが。 https://t.co/plnS7by7Kf
RT @T_urade1987: @09Kumano それは気になりますね。木戸の日記から明治初年までは存命だったことが分かり明治十五年の『内務省免許全国医師薬舗産婆一覧』を当たってみました。すると山口県に「尾崎文菴」という医者の存在が確認出来ます。改名したのか息子なのかと言っ…
@09Kumano それは気になりますね。木戸の日記から明治初年までは存命だったことが分かり明治十五年の『内務省免許全国医師薬舗産婆一覧』を当たってみました。すると山口県に「尾崎文菴」という医者の存在が確認出来ます。改名したのか息… https://t.co/OoRf4Z8G9x
村田 浩一 -  動物園の歴史的背景としての学術研究 ~極東の片隅で何を継承し,何を興し,そして何を発信すべきか?~ https://t.co/ZilTs5jouf
RT @zasetsushirazu: 明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈された経…
RT @zasetsushirazu: 明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈された経…
RT @zasetsushirazu: 明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈された経…
RT @zasetsushirazu: 明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈された経…
RT @zasetsushirazu: 明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈された経…
RT @zasetsushirazu: 明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈された経…
RT @zasetsushirazu: 明治28年10月16日、石河確太郎(石河正竜)が死去。明治の紡績技術者で、幕末期には薩摩藩に招聘されて蒸気船建造や開成所での講義を担当するなど、重用された。堀江保蔵「近代日本の先駆的企業家」(『経済論叢』84-3、1959年)曰く、「紡績…
RT @zasetsushirazu: 明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中嶋恒康の…
RT @zasetsushirazu: 明治28年10月16日、石河確太郎(石河正竜)が死去。明治の紡績技術者で、幕末期には薩摩藩に招聘されて蒸気船建造や開成所での講義を担当するなど、重用された。堀江保蔵「近代日本の先駆的企業家」(『経済論叢』84-3、1959年)曰く、「紡績…
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RT @zasetsushirazu: 明治28年10月16日、石河確太郎(石河正竜)が死去。明治の紡績技術者で、幕末期には薩摩藩に招聘されて蒸気船建造や開成所での講義を担当するなど、重用された。堀江保蔵「近代日本の先駆的企業家」(『経済論叢』84-3、1959年)曰く、「紡績…
RT @zasetsushirazu: 明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中嶋恒康の…
RT @zasetsushirazu: 明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中嶋恒康の…
RT @zasetsushirazu: 明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中嶋恒康の…
RT @zasetsushirazu: 山本太「幕末期,水害と闘うある村落指導者に関する覚書」(『京都産業大学総合学術研究所所報』7、2012年)は、長岡藩の支配下にあった越後西蒲原郡中郷屋村と庄屋の笛木家が、どのように自然災害と向き合っていたか分析。元治元年と慶応元年、水害に…
RT @zasetsushirazu: 明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中嶋恒康の…