太田鳴雪 (@zasetsushirazu)

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京浜歴史科学研究会編『近代京浜社会の形成』(岩田書院、2004年)。 神谷大介「弘化・嘉永期における幕府砲術稽古場と江戸湾防備の展開」、奥田晴樹「梵鐘の海防供出」、鈴木由子「和親条約締結直後のアメリカ船への対処」などを収録。 下記は上山和雄氏による書評(PDF)。 https://t.co/xmVLLU3Xxh
大正9年10月5日、末松謙澄が死去。伊藤博文の娘婿で、第3次伊藤内閣の逓信大臣、第4次伊藤内閣の内務大臣などを歴任。『防長回天史』全12巻を編纂。源氏物語の英訳でも知られる。神山彰「森鷗外のなかの依田学海と末松謙澄」(『文芸研究』138)は、末松の演劇改良論を紹介。 https://t.co/FSCOxphazx
明治40年10月4日、佐田白茅が死去。幕末の久留米藩出身で、真木和泉の影響を受けた。明治3年に朝鮮へ派遣された。沈箕載「版籍奉還前後の朝鮮政策と外務省(佐田)調査団の朝鮮派遣」(『史林』79-6)曰く、佐田の調査報告は後の明治政府における対朝鮮政策の根幹をなした。 https://t.co/HGSxm382SS
明治4年8月19日(1871年10月3日)、広如(大谷光沢)が死去。幕末の西本願寺の僧で、長州藩や月性との結びつきが強かった。上野大輔「幕末期長州藩における民衆動員と真宗」(『史林』93-3)曰く、広如が法主の時期に「勤王の立場が明確化され」、朝廷や新政府に献金。 https://t.co/epYE9XctKu
奥中康人「岩倉使節団が見聞した西洋音楽」(『待兼山論叢』33、1999年)は、明治政府が国家プロジェクトとして西洋音楽を教育に導入したことで、人為的に西洋音楽が日本に普及したと指摘し、その意味で岩倉使節団の西洋音楽体験を重視する。 https://t.co/98cIxpbapJ
大正13年9月27日、今村有隣が死去。幕末の加賀藩出身で、明治の代表的なフランス語教育者。フランス政府から教育功労勲章を贈られた。加藤詔士「武理惠『仏語入門』(明治7)」(『愛知大学教職課程研究年報』2)は、明治初期に今村が翻訳したフランス語学習書を紹介する。 https://t.co/1CuKRk5IXz
明治6年9月27日、沢宣嘉が死去。文久3年8月18日政変の際の「七卿落ち」の公家の1人で、生野の変に参加した。吉岡誠也「慶応四年の長崎における佐賀藩」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13)曰く、大隈重信を新政府の徴士参与に推挙した。外務卿などを歴任。 https://t.co/FCiMiYm2NR
明治9年9月23日、儒学者・安井息軒が死去。私塾・三計塾の門人には、陸奥宗光・品川弥二郎・谷干城・雲井龍雄・世良修蔵・井上毅などがいた。古賀勝次郎「安井息軒の生涯」(『早稲田社会科学総合研究』8-2)によれば、藤田東湖を通じて徳川斉昭に攘夷に関する意見書も提出。 https://t.co/lwuXCrKCNo
大正9年9月23日、赤松則良が死去。幕末期に咸臨丸で渡米した1人で、榎本武揚らと共にオランダ留学。明治期に横須賀造船所所長などを務めた。樋口雄彦「旧幕臣洋学系知識人の茶園開拓」(『国立歴史民俗博物館研究報告』108)は、「個人の生活を重視するドライな意識」を指摘。 https://t.co/utK0fZASo2
昭和54年(1979年)9月18日、木村毅が死去。『明治天皇』、『文明開化』などの著作がある。濱口裕介「榎本武揚「共和国」言説に関する一考察」(『札幌大学女子短期大学部紀要』65)は、箱館戦争の際の榎本武揚の政権を、木村が「共和国」と呼ぶことに執着した点を分析。 https://t.co/Z5j7Jk8x7d
明治2年8月13日(1869年9月18日)、土肥典膳が死去。幕末期岡山の尊王攘夷運動を担った人物で、文久2年に岡山藩の周旋方に就任。近藤萌美「幕末維新期地方国学者の人的ネットワーク」(『岡山県立記録資料館紀要』10 )は、土肥に仕えた小山敬容の日記を紹介(下記リンク)。 https://t.co/XKsW3V7anh
大正7年9月17日、本野一郎が死去。寺内正毅内閣の外務大臣で、ロシア革命の際にシベリア出兵を強く主張した。文久2年生まれで、父は緒方洪庵やフルベッキに師事した佐賀藩士・本野盛亨。七戸克彦「現行民法典を創った人びと(11)」(『法学セミナー』55-3)などを参照。 https://t.co/DKCc5AjOna
能川泰治「幕末維新期における政治・社会の変動と大阪城」(『金沢大学歴史言語文化学系論集 史学・考古学篇』12、2020年)は、幕末期に来日した外交官が、見学対象として大阪城に興味を持っていた事実を紹介。オールコックなど、豊臣秀吉ゆかりの城と知っていた者もいた。 https://t.co/lobJnXEhlH
明治17年9月15日、安達清風が死去。幕末の鳥取藩出身で、京都留守居を務めた。桜田門外の変に参加した関鉄之介が逃亡中、頼って来た。横山俊一郎『泊園書院の明治維新』(清文同)第4章の元論文「安達清風の学術交流と開拓事業」(『関西大学東西学術研究所紀要』48)を参照。 https://t.co/9I7P4u0OGn
井上勝也「山本覚馬と妹八重」(『新島研究』105、2014年)は、幕末の会津藩士・山本覚馬が、17歳年下の妹である八重にどのような影響を与えたのか、そして八重はどのような人生を歩んだのか、江戸時代の会津の歴史や教育制度の概略と共に語ったエッセイ。 https://t.co/VhZM803HxR
呉永台「幕末期肥後における〈藩是〉確立とその意味」(『年報地域文化研究』23、2020年)は、文久2年4月、藩是を決定した肥後藩政府には「徳川恩顧の大名としての自己認識があった」と指摘し、藩是の確立を要求した肥後勤王家とは、将軍家への距離感に違いがあったとする。 https://t.co/RlbIB3pMu0
伊藤真梨子「語基「特」を含む漢語の幕末・近代における拡大」(『人文』17、2019年)は、現代では頻繁に使われる「特」を含む二字漢語が、幕末〜明治10年前後に増加したとする。例えば「特権」の初出は福沢諭吉の『西洋事情』、「特派」は西周訳の『万国公法』とのこと。 https://t.co/QzIWBBYyQK
昭和14年9月7日、渡辺蒿蔵(天野清三郎)が死去。吉田松陰の松下村塾門下生の中で、最後の生き残り。幕末期の海外留学で得た造船技術を活かして活躍した。牛見真博「近代造船の先駆者・渡辺蒿蔵(上)」(『大島商船高等専門学校紀要』51)は、海外留学前の前半生を分析。 https://t.co/UblEN0xYgO
上田長生「維新期陵墓政策の特質と展開」(『待兼山論叢 史学篇』42)は、幕末期に創出された陵墓が、近代天皇制の形成と共にどのように管理されたのか、神仏分離の内実を含めて分析。上田氏の著書『幕末維新期の陵墓と社会』(思文閣出版、2012年)第1部第4章に結実。 https://t.co/UBwoYsJ6Oq
文久2年8月13日(1862年9月6日)、成島司直が死去。将軍・徳川家慶の信任を得た儒学者で、『徳川実紀』を編纂した。家慶の日光参詣に随従した際の日記『晃山扈従私記』がある。成島柳北の祖父。具島美佐子「成島柳北研究」(筑波大学博士論文、2017年)が、司直に多く言及。 https://t.co/PDWQYa67kL
長屋隆幸「尾張藩海防史料「赤心秘書」についての紹介・翻刻」(『愛知大学綜合郷土研究所紀要』64、2019年)は、伊藤直之進藤景(大垣藩出身で尾張藩に仕官した)が、尾張藩の重臣に宛てた上書を紹介したもの。異国船漂着に際して陸戦の備えも必要であることなどを論じた。 https://t.co/iDFXtbkGzy
平成23年(2011年)8月31日、歴史家の遠山茂樹が死去。主要著作の『明治維新』(岩波書店、1951年)は、今は岩波文庫に入っている。勝田政治「大久保利通とビスマルク」(『国士舘大学文学部人文学会紀要』38)曰く、「講座派の立場から戦後の明治維新史研究をリード」した。 https://t.co/kMJMC2SAkw
慶応3年7月29日(1867年8月28日)、中岡慎太郎らが土佐藩の白川邸に入った(現在の京都大学北部構内)。陸援隊の屯所とされる。笹川尚紀「土佐藩白川邸・尾張藩吉田邸にまつわる覚書」(『京都大学構内遺跡調査研究年報 2016年度』、2018年)は、白川邸の沿革などを分析。 https://t.co/yc9PEH3vaJ
大正10年8月27日、渡辺千秋が死去。幕末の高島藩出身で、鹿児島県知事(県令)を長く務めた。前田亮介「初期議会期の北海道改革構想」(『史学雑誌』118-4、2009年)は、明治14年政変後の北海道改革で、北海道庁長官として当事者となった渡辺と内務大臣・品川弥二郎に着目。 https://t.co/8SF88UcQKh
明治31年8月27日、島田篁村(島田重礼)が死去。幕末期に昌平黌の助教などを務めた漢学者で、明治期に東京大学教授。古賀勝次郎「安井息軒を継ぐ人々(三)」(『早稲田社会科学総合研究』11-1)曰く、「江戸時代の儒学の伝統を、明治以後の我が国の漢学へ橋渡しをした」。 https://t.co/llHNvlxxoV
1929年8月26日、アーネスト・サトウが死去。幕末・明治の日本で通訳や公使として活躍した英国人で、神道や国学を研究するぐらい日本語が堪能。兪三善「日本語の教材としてのアーネスト・サトウ『会話篇』」(『實踐國文學』96)は、サトウの著作を日本語の教材として分析。 https://t.co/VyVcgPjg0f
明治25年8月25日、中路延年(中路権右衛門)が死去。佐野静代「近衛家別邸「御花畑」の成立とその政治史上の役割」(『人文学』205、2020年)曰く、「幕末の尾張藩と薩摩藩を直接仲介した人物」で、「尾張藩の世論を王政復古に導くのに大きな役割を果たしたとされている」。 https://t.co/pAJttOjkZN
明治33年8月23日、黒田清隆が死去。第2代の内閣総理大臣。小松京「山川健次郎の留学に関する一考察」(『青山史学』37)は、北海道開拓に携わった黒田について、「榎本武揚の助命嘆願を行ったことも含め、黒田の行動はすべて対ロシアを睨んだ行動と解釈すべき」と指摘。 https://t.co/m9xJpx9T8L
高橋未来「「鎮撫」する西郷像から見る西南戦争錦絵」(『史苑』77-11、2016年)は、西南戦争に関する『鹿児嶋新聞』という戦報錦絵シリーズを分析。当初は「西郷隆盛の行動における「説諭」の部分を拡大解釈して、勇ましく「鎮撫」にあたる姿」を描いたと指摘。 https://t.co/x9sQZJo5Mw
明治35年8月18日、西村茂樹が死去。幕末の佐倉藩出身の啓蒙思想家。西川泰夫「千葉県郷土史:近現代史の一断面:幕末から開明期における佐倉藩士と洋学「西国の心学、心理学」との接点」(『放送大学研究年報』26)は、「心理学」という日本語誕生のヒントとして西村を分析。 https://t.co/IhcioV2GOi
塚越俊志「幕末の条約について」(『弘前大学国史研究』141、2016年)は、岩下哲典編『江戸時代 来日外国人人名辞典』(東京堂出版、2011年)に掲載した文章を改稿したもので、幕末期に幕府が諸外国と結んだ条約を解説。「幕末期条約内容比較(条項別)」という表も掲載。 https://t.co/iBlWTtRz7V
明治15年8月9日、大島友之允が死去。幕末の対馬藩士で、木戸孝允と親しかった。沈箕載「幕末期の幕府の朝鮮政策と機構の変化」(『史林』77-2)によれば、朝鮮進出(征韓)を主張し、対馬藩への財政援助を幕府に要求する運動に積極的で、幕閣に働きかけを行った。 https://t.co/i7A1xGyx34
明治29年8月5日、宮崎元立(宮崎蘇庵)が死去。小白藩医の家に生まれ、大村益次郎や伊東玄朴に師事した。日本で最初に市販された英和辞書『英和対訳袖珍辞書』の校訂者。三好彰「宮崎元立と英学」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』5、2011年)参照。 https://t.co/UQ5ijea0gS
上田純子「萩藩文久改革期の政治組織-政事堂の創設と両職制の改編-」(『史学雑誌』109-11、2000年)は、いわゆる長州藩の本藩である萩藩の文久改革期を分析。それによれば、文久期の藩権力中枢は、「自藩士に限らず「有志」を優遇」し、言路洞開や人材登用を推進した。 https://t.co/7f9iQ9RlY0
平成24年(2012年)8月3日、哲学者の上山春平が死去。その研究対象は歴史や文化など多方面に及び、『明治維新の分析視点』(講談社)などの著作もある。山口輝臣「哲学者による維新」(『史淵』152)は、上山による遠山茂樹や井上清といった維新史家への批判を紹介。 https://t.co/XHyBaj3OQf
遠藤由紀子「会津藩家老山川家の明治期以降の足跡」(『女性文化研究所紀要』45、2018年)は、山川浩、山川健次郎、大山巌に嫁いだ捨松をはじめ、彼らが全部で7人の兄弟姉妹だったことを紹介。その中でも有名とは言い難いミワに焦点を当て、婚家の桜井家の記録を分析。 https://t.co/NDWXjm2a90
平成28年(2016年)7月27日、歴史家の安岡昭男が死去。主要著書に『幕末維新の領土と外交』(清文堂出版)、『副島種臣』(吉川弘文館)、『陸奥宗光』(清水書院)など。「安岡昭男先生を送る」(『法政史学』50)に、年譜と著作目録あり。学生時代の指導教授は藤井甚太郎。 https://t.co/Qad0g2MOKb
森本峰子「江戸時代の古地図に見るオーストラリア」(『英米文化』30)曰く、「鎖国の世の日本人にとって海外の国々は生涯決して訪れることのない、幻の世界であった」。その時代の地図における豪州の描き方について、地図製作者を仏教系、朱子学系、蘭学系に分類して分析。 https://t.co/HQlfPVJxoa
池田勇太「元田永孚における開国論への転換」(『異文化研究』11、2017年)は、「攘夷は和親との対で和戦の問題、開国は鎖国との対で国交・貿易の問題」と整理し、鎖国体制下での和親や開国を見据えた破約攘夷論などの外交態度があったことを前提に、幕末期の元田永孚を分析。 https://t.co/NGFaGJQ1my
間瀬久美子「近世後期の朝廷と幕府の災害祈禱」(『千葉経済論叢』61、2019年)によれば、幕末の京都朝廷が行う祈祷は攘夷問題が大半となり、一方で幕府は地震災害に関連する祈祷を推進。内憂外患で権威を喪失した幕府は、祈祷の発令で権威の回復を企図したものと指摘。 https://t.co/dy0xpIFwf0
安政3年6月20日(1856年7月21日)、天文方の渋川景佑が死去。天文方・高橋景保の弟。天保暦を作成。湯浅吉美「2033年の旧暦問題について」(『埼玉学園大学紀要 人間学部篇』14)曰く、天保暦は「天保15年(=弘化元年、1844)から明治5年(1872)まで用いられた」。 https://t.co/VAI40tRNVU
弘化3年閏5月27日(1846年7月20日)、米国使節のビッドルが浦賀に来航。7年後のペリーと同じ東インド艦隊司令長官で、当時の衝撃は決して小さくない。上松俊弘「ビッドル来航と海防問題」(『史林』85-1)曰く、「ビッドル来航が本格的な海防議論を生起した」。 https://t.co/hXcW6FiakQ
樋口雄彦「旧幕府陸軍の解体と静岡藩沼津兵学校の成立」(『国立歴史民俗博物館研究報告』121)は、明治初年の静岡藩が設立した沼津兵学校が、幕末の幕府による軍制改革の到達点でありながらも、切り捨てざるを得なかったものも多い点を論じ、非軍事面の先進性などを指摘。 https://t.co/IffcU3LL41
佐藤麻里「将軍の死と「自粛」する江戸社会」(『学校教育学研究論集』24、2011年)は、江戸時代後期の将軍死去による鳴物停止などをめぐる「自粛」と「強制」の問題を分析。特に、商売停止は町奉行の命令ではなく、町名主の「申合わせ」から始まった「自粛」だったとする。 https://t.co/CIzzLPddCe
明治31年7月5日、神田孝平が死去。幕末期に幕府の蕃書調所および開成所で教授職などを務めた。奈倉哲三「もう一つの戊辰戦争」(『国立歴史民俗博物館研究報告』157、2010年)は、慶応4年4月の『中外新聞』第12号に掲載の神田による論説「日本国当今急務五カ条の事」を紹介。 https://t.co/ciEqNG3wM6
大正13年7月4日、下橋敬長が死去。幕末の一条家に仕えた。平凡社東洋文庫が復刻した『幕末の宮廷』の著者として知られ、同書は江戸時代の京都朝廷や天皇の研究に活用されている。武田勝藏「幕末の宮廷(下橋敬長翁述)」(『史学』2-3、1923年)は、その書評。 https://t.co/LnhmYSJTAA

6 0 0 0 OA 佐賀藩海軍史

昭和23年(1948年)7月2日、秀島成忠が死去。慶応元年生まれの海軍軍人(海軍少将)で、台湾総督府参謀長などを務めた後、『佐賀藩海軍史』(知新会)、『佐賀藩銃砲沿革史』(肥前史談会)を著した。両書ともに原書房が復刻。下記は、国会図書館デジコレの『佐賀藩海軍史』。 https://t.co/Vs1PZYPlxn
宮地哉恵子「幕末期における海外情報の受容過程」(『参考書誌研究』39、1991年)は、「蛮社の獄」直前〜ペリー来航直後の時期について、蘭書の輸入と受容を分析。アヘン戦争以降、「世界についてのより正確な知識」が希求されたと言う。下記リンクから論文PDFを閲覧可能。 https://t.co/B1nn9uStC7
昭和51年(1976年)6月30日、鎌田永吉が死去。国文学研究資料館の教授を務めた歴史家で、秋田の幕末維新史などを研究。死後、『幕藩体制と維新変革』(鎌田永吉遺稿集刊行会)が刊行された。遺稿「近世史料の分類」(『史料館研究紀要』9)は、講習会の講義案草稿の活字化。 https://t.co/QmQwXC25li
文久元年5月22日(1861年6月29日)、森田岡太郎(森田清行)が死去。万延元年遣米使節団に勘定方として随行した幕臣で、三浦太郎「"書籍館"の誕生」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』38)曰く、「書籍館」という言葉を最初に使い始めた(「図書館」という言葉の誕生前)。 https://t.co/ZKWL77vSXE
明治5年5月24日(1872年6月29日)、土肥大作が死去。丸亀藩出身の尊攘派志士としての活動を経て、丸亀藩権大参事に就任。中山光勝「明治4年・丸亀県土肥大作襲撃事件関係資料(1)」(『身延山大学仏教学部紀要』2)は、家禄削減をめぐる問題で起きた襲撃事件の資料を紹介。 https://t.co/agsgOvj62t
明治42年6月27日、靖国神社境内の能楽堂で、防長史談会の創立大会が開催され、中原邦平と村田峰次郎が講演。広田暢久「毛利家編纂事業史 其の三」(『山口県文書館研究紀要』3)は、その創立の背景に末松謙澄の『防長回天史』への対抗があったとする。下記は論文へのリンク。 https://t.co/Vn7oNA5pkR
文政5年5月7日(1822年6月25日)、亜欧堂田善が死去。江戸時代を代表する洋画家で、ゴジラやウルトラマンを生み出した特撮の神様・円谷英二の祖先。坂本篤史「亜欧堂田善の銅版画についての一考察」(『美術史論集』16)は、「ピョートル大帝」などの作品を分析。 https://t.co/fO2la2xIRL
文久2年5月25日(1862年6月22日)、佐賀藩士の中野方蔵が死去。大橋訥庵との交流によって坂下門外の変への関与を疑われ、獄死。星原大輔「江藤新平の明治維新」(『ソシオサイエンス』12)曰く、江藤新平は中野の死をきっかけに脱藩し、その際に木戸孝允らとの人脈を得た。 https://t.co/3GQxaPE8pZ
平成16年(2004年)6月19日、歴史家の沼田哲が死去。元田永孚研究の第一人者で、上田浩史「元田永孚の思想形成と儒教的教学思想」(『教育科学セミナリー』49)は、沼田の著書『元田永孚と明治国家』(吉川弘文館)を、「元田思想の全貌解明を追求された意欲的労作」と呼ぶ。 https://t.co/nGh28SivxU
大正10年6月19日、鍋島直大が死去。幕末の肥前佐賀藩主で、鍋島閑叟の子。明治13年にイタリア公使として海外赴任。谷口眞子「読み替えられた「葉隠」」(『早稲田大学高等研究所紀要』9)は、中村郁一という人が、直大を通じて葉隠を天皇に献納しようとしたことに言及。 https://t.co/2ZRO7XM7yd
川内有子「1860年代における西洋人の「忠臣蔵」へのまなざし」(『アート・リサーチ』20、2020年)によれば、赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件が西洋人に初めて言及されたのは1820年だが、注目されるようになったのは幕末期以降。その様相を、英国公使オールコックを中心に分析。 https://t.co/G72X4Euxxt
明治44年6月15日、大鳥圭介が死去。幕末の幕臣で、戊辰戦争・箱館戦争で新政府軍に抗戦。学習院の院長、清国公使などを歴任。長佐古美奈子「大鳥圭介関係史料について」(『学習院大学史料館紀要』18)は、大鳥の関係史料が孫の大鳥蘭三郎から寄贈された経緯などを紹介。 https://t.co/SOcRXqsrk5
明治14年6月14日、向坂兌が死去。塩澤全司・高橋昭「勝沼精藏先生の嘆息-杉浦重剛撰文「向阪兌之墓」-」(『山梨医科大学紀要』17)によれば、「明治維新に活躍した日本の法曹界の偉人」。明治9年に正木退蔵の引率で英国留学、法廷弁護士の資格を得てヨーロッパ各地で活躍。 https://t.co/RRkI5Y65dc
大正4年6月14日、鍋島直彬が死去。幕末の肥前鹿島藩主で、佐賀藩主・鍋島閑叟の甥。明治12年に初代沖縄県令に就任。高橋央「大隈重信と鍋島直彬」(『早稲田大学史記要』46)は、維新前から交流があった大隈重信の第一次内閣期に貴族院議員として協力関係にあったことを紹介。 https://t.co/3MQRHT3m2d
大正8年6月12日、井上友一が死去。地方行政を担う内務官僚として活躍し、内務省神社局長、明治神宮造営局長、東京府知事などを歴任。福祉行政にも尽力。木下順「もうひとりの井上友一」(『経済学雑誌』115-3、2015年)は、事績や思想の全体像が明らかにされていないと指摘。 https://t.co/6YVe9zlpAp
京浜歴史科学研究会編『近代京浜社会の形成』(岩田書院)。 神谷大介「弘化・嘉永期における幕府砲術稽古場と江戸湾防備の展開」、奥田晴樹「梵鐘の海防供出」、鈴木由子「和親条約締結直後のアメリカ船への対処」など。 下記PDFは『社会経済史学』72-3の上山和雄氏の書評。 https://t.co/xmVLLU3Xxh
Le Roux Brendan「フランス人宣教師メルメ・カションの「日本のヒエラルヒーに関する研究」」(『言語文化研究』31-2、2012年)は、幕末維新期の日本で活動したメルメ・カションが箱館で書いたと思われる史料を、和訳して紹介。竹内保徳と思われる人物などが出る。 https://t.co/YNaPCepzSd
阿部裕樹「鳥取藩軍・新国隊をめぐる諸問題-創立者・岸本辰雄の周辺-」(『明治大学史資料センター報告』35、2013年)は、明治大学の創立者・岸本辰雄が所属していた組織で、慶応4年3月に京都で結成された新国隊を分析。新国隊を「鳥取藩の重要な実戦部隊」とする。 https://t.co/FzaagLl1jL
塩崎智「1870年に実施された米国国勢調査」(『人文・自然・人間科学研究』41、拓殖大学、2019年)は、幕末維新期に米国留学した日本人(例えば、日銀総裁となった富田鉄之助など)について、米国の国勢調査から分析。彼らが下宿した家の家主などを含め、生活の実態を分析。 https://t.co/RV371REpfA

8 0 0 0 IR 橘耕斎伝

明治18年5月31日、橘耕斎が死去。幕末期にロシア使節プチャーチンが来日した際、密出国してロシア政府に仕えた。福沢諭吉が参加した文久遣欧使節団など、日本使節がロシアを訪問した際には、影で接待を取り仕切った。中村喜和「橘耕斎伝」(『一橋論叢』63-4)などを参照。 https://t.co/xMHaRRS2WD
松井洋子「江戸時代の日本とオランダ」(『日本学士院紀要』27)曰く、17世紀のオランダ商館長は、オランダ総督を「七州の代表者が構成する最高権力体の一員であり、単独では戦争を始めたり同盟を結んだりすることはできない」と説明したが、幕閣は恐らく理解不能だった。 https://t.co/aZ1rhYqjfp
樋口雄彦「資料紹介 韮山県から慶應義塾への派遣学生」(『近代日本研究』34、2017年)によれば、明治初年の韮山代官江川家の当主は江川英武だが、幼少のため実務は柏木忠俊が担った。その柏木が推進したのが、県民の東京などへの遊学、中でも慶應義塾への留学だったという。 https://t.co/7trm2zex3O
彬子女王「女性皇族の衣装の変移について」(『京都産業大学日本文化研究所紀要』24、2019年)は、お雇い外国人たちが「ヨーロッパ宮廷では古来の衣装を用いる向きがある」として女性皇族の洋装化に否定的な一方で、伊藤博文らが形からの西洋化を試みたのだろうと推測。 https://t.co/H5L4XTZYvy
別所興一「書評 羽賀祥二・名古屋市蓬左文庫編著『名古屋と明治維新』(風媒社)、秦達之著『尾張藩草莽隊 戊辰戦争と尾張藩の明治維新』(風媒社)」(『愛知県史研究』24、2020年)は、明治維新150年として2018年に風媒社から刊行された2冊の書籍の書評。 https://t.co/Nu4JMosO20
明治35年5月25日、宗重正(宗義達)が死去。幕末の対馬藩主で、孝明天皇の加茂社行幸と岩清水行幸に随従。明治初期まで対朝鮮外交を担当した。鈴木文「明治初期日朝関係と詩文応酬」(『史観』160、2009年)は、明治8年に朝鮮修信使が来日した際の、宗重正による饗応に言及。 https://t.co/VX8FwjHB73
明治42年5月24日、松平太郎が死去。箱館戦争の蝦夷島政権で、入札によって副総裁に選ばれた。濱口裕介「榎本武揚「共和国」言説に関する一考察」(『札幌大学女子短期大学部紀要』65)は、榎本らを共和国と呼ぶ根拠の1つが入札の実施とするが、実態は共和国と呼べないと指摘。 https://t.co/Z5j7Jk8x7d
中川邦昭「知恩院・京都写真発祥の地-堀内信重の業績-」(『日本写真学会誌』67-2)は、慶応元年の堀与兵衛が京都における写真撮影の先駆者だという説を疑問視し、『越前藩幕末維新公用日記』(福井県郷土誌懇談会)の口絵写真などを手がかりに堀内信重の方が先とする。 https://t.co/fSOI62qJq9
明治40年5月13日、金井之恭(金井金洞)が死去。慶応3年に挙兵を計画して投獄された。明治期に元老院議官などを歴任。著名な書家で、柳田さやか「明治期の竜池会・日本美術協会における書の位置」(『書学書道史研究』25)は、金井らが創設した六書協会の「美術」志向を分析。 https://t.co/NqH9HYIDpC
明治38年5月9日、小野義真が死去。幕末の土佐藩出身で、岩崎弥之助・井上勝と共に小岩井農場を創設した(3人の頭文字から命名)。井上琢智「小野義真と日本鉄道株式会社」(『経済学論究』63-3)曰く、「日本における運輸事業の近代化の初期の段階で大きな役割を演じた」。 https://t.co/mGIauJ8x82
明治32年5月8日、村田氏寿が死去。幕末の越前福井藩士で、『続再夢紀事』の編纂者。勝海舟が神戸に私塾を開く資金の援助を松平春嶽に求める際、門弟の坂本龍馬に託したのが、村田宛の書簡だった。吉田健「文久三年の龍馬と福井藩」(『福井県文書館研究紀要』8)参照。 https://t.co/UOawCo1JaQ
明治36年5月8日、奥愛次郎が死去。坂井達朗「二人の福澤門下生と彼等が創った学校」(『近代日本研究』4)によれば、著名人に揮毫を求め、それを換金する手法で学校設立の資金を集めた。著名人とは、品川弥二郎、伊藤博文、西郷従道、樺山資紀、榎本武揚、横山大観など。 https://t.co/oKYJiTwTdj
平成8年(1996年)5月6日、石井孝が死去。1957年刊行で1966年に増訂版が出た著書『明治維新の国際的環境』(吉川弘文館)について、池田敬正の書評(『史林』42-2、1959年)曰く、「後学のわれわれにとっては、全くかけがえのない贈物であると感謝しなければならない」。 https://t.co/AfV1PadsQK
1889年5月2日、ペルス・ライケンが死去。長崎海軍伝習所で勝海舟や五代友厚らを指導し、後にオランダの海軍大臣などに就任。杉本つとむ「幕末の洋学事情」(『早稲田大学図書館紀要』41)曰く、長崎海軍伝習所は「近代教育の形成のうえから、欠かすことのできない」機関。 https://t.co/w3TEC3AodR
明治14年5月2日、藤沢次謙が死去。幕末の幕臣で、慶応4年に勝海舟が陸軍総裁に就任した際、副総裁に就任。菊地久「維新の変革と幕臣の系譜(6)」(『北大法学論集』32-3)は、「幕政改革推進もしくは賛同の有司層」から明治政府に出仕した旧幕臣として紹介。 https://t.co/3aq5CZjJmA
上野大輔「幕末期長州藩における民衆動員と真宗」(『史林』93-3、2010年)によれば、村田清風は海防のために宗教も利用しようと考え、長州藩内の真宗僧侶たちもキリスト教や排仏論への対抗から要請に応じた。月性の門下・大洲鉄然の僧兵隊結成の動きなどを分析。 https://t.co/epYE9WUSSW
れいのるず秋葉かつえ「自称詞の歴史社会言語学的研究―「拙者」から「僕」へ―」(『ことば』39)は、「僕」が日本語に定着していく過程を分析。幕末の吉田松陰は「僕」を最初に使った人ではないが、「「僕」を多用し、「僕」を広げた人」だと指摘。渡辺華山の事例などを紹介。 https://t.co/Vqbx2DlZ6a
明治22年4月26日、狩野派の絵師・河鍋暁斎が死去。藤實久美子「河鍋洞郁(暁斎)『絵本鷹かゝみ』の史料学的考察」(『鷹・鷹場・環境研究』3、2019年)は、明治12年に出版された『絵本鷹かゝみ』が、文久2年には準備されていたことを紹介し、幕末の出版統制との関係に言及。 https://t.co/ATUGPRIp8e
明治43年4月26日、木梨精一郎が死去。幕末の長州藩出身で、戊辰戦争で各地を転戦。真栄平房昭「琉球処分と軍隊・歴代宝案のゆくえ」(『沖縄史料編集紀要』41)は、戊辰戦争で「江戸城接収」を担った木梨が、琉球処分においても「首里城接収」の役目を期待されたと指摘。 https://t.co/HwZhMHb4bs
有泉和子「フヴォストフ・ダヴィドフ事件と日本の見方」(『ロシア語ロシア文学研究』36)は、文化年間に起きた、レザノフの来航事件やゴロヴニン事件と並ぶ、日露関係の重要事件(蝦夷地周辺が攻撃された事件)を分析。3つの出来事が複雑に絡み合った実態を明らかにする。 https://t.co/oz0cWo1J4U
久住真也「「日本史」授業における考える習慣について」(『教職課程センター紀要』1)は、明治維新の始期と終期の考え方を巡り、「学説史においては,明治維新と言った場合,幕末を含むのが常識」だが、教科書の記述では「幕末と明治維新は別れている印象」があると言う。 https://t.co/ktba2foAkS
明治24年4月22日、吉井友実が死去。幕末の薩摩藩士で、西郷隆盛や大久保利通が京都不在の際に代役を果たすこともあった。坂本龍馬とも親しかった。中川未来「雑誌『国光』の創刊と吉井友実」(『愛媛大学法文学部論集 人文学編』46)は、帝国議会開設の頃の吉井の史料を紹介。 https://t.co/SG54BVPKtF
昭和43年(1968年)4月21日、『ウルトラセブン』第29話「ひとりぼっちの地球人」が放送された。プロテ星人が登場。学習院大学が撮影に使われた回で、天皇陛下が徳仁親王時代に、講演「目白キャンパスの思い出」(『学習院大学史料館紀要』16、2010年)の中で言及している。 https://t.co/pdTHWsbOYX
明治6年4月19日、司法卿・江藤新平、文部卿・大木喬任、左院議長・後藤象二郎が明治政府の参議に任命された。高橋秀直「征韓論政変の政治過程」(『史林』76-5)曰く、この人事に基づく改革は大蔵大輔・井上馨の期待を裏切り、井上と腹心・渋沢栄一の辞表提出に繋がる。 https://t.co/IhaUxVJ2AB
明治2年3月7日(1869年4月18日)、公議所が開設された。三村昌司「公議人の変遷について」(『東京未来大学研究紀要』7)曰く、「各藩の代表が一堂に会し、法律制定権が制度化されるなど、日本における近代的議会の嚆矢ともいえる」議事機関だった。後に、集議院に改称。 https://t.co/ep8behV2Z9
工藤憲一郎「藩屏概念の具現化をめぐる相剋-寺田屋事件の思想的一断面-」(『國士舘大學政経論叢』27-1)は、島津久光の率兵上京に関して、久光と有馬新七らの間で基本目標はほぼ同じだったが、軍事力行使に対する考えに隔たりがあったと指摘。 https://t.co/LxBEW9cFjv
土佐博文「佐倉順天堂門人とその広がり」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116、2004年)は、数千人の門人がいたとされる佐倉順天堂(蘭医・佐藤泰然が開いた)について、慶応元年閏5月の門人帳から、門人たちの事績を紹介。明治期に軍医となった西友輔らの関連史料も紹介。 https://t.co/xCZeOthyRO
熟美保子「近世後期における境界領域の特徴」(『経済史研究』11、2007年)は、日本と異国が接触する「境界領域」である近世長崎について、唐人屋敷をめぐる問題を分析。それは、外交問題であると同時に「うまく統治・阻止できないという点では幕府の内政問題」でもあった。 https://t.co/2LD60WRayp
坂西友秀「鎖国前後における日本人の西洋人観・黒人観の心理」(『埼玉大学紀要 教育学部 教育科学』51-2)は、近世の長崎出島には黒人奴隷もいたが、黒人を遊女屋に手引きした者が処罰された事例などから、日本人側に黒人を「人間以下」と見なす意識があったと指摘。 https://t.co/8GGksVT1fp
明治20年4月15日、伊地知貞馨(伊地知壮之丞、堀次郎、堀仲左衛門)が死去。幕末の薩摩藩出身で、島津久光の側近として重きをなした時期がある。薄培林「近代日中知識人の異なる琉球問題認識」(『関西大学東西学術研究所紀要』47)は、琉球処分に関わった伊地知に言及。 https://t.co/b1Q6imZ0Ds
明治11年4月8日、川村修就が死去。初代新潟奉行、堺奉行、大坂町奉行、長崎奉行などを歴任。菅良樹「嘉永・安政期の大坂町奉行川村修就」(『日本研究』46)は、川村が「西洋流砲術に精通していたこと」を強調し、ロシア使節プチャーチンの大坂来航への対応などを分析。 https://t.co/Wtgfcec9GE
1990年代以後の幕末維新史の実証研究に寄与した史料集の1つとして、小野正雄・稲垣敏子解読『杉浦梅潭 目付日記』と『杉浦梅潭 箱館奉行日記』を挙げることができる。どちらも1991年刊行。下記は、『史学雑誌』101-3(1992年)に掲載された、井上勝生氏による新刊紹介。 https://t.co/dm8YOEH6Lf
元治元年2月28日(1864年4月4日)、多田海庵(多田弥太郎)が死去。但馬出石藩出身の儒学者で、生野の変に参加した。横山俊一郎「多田海庵の海防意識」(『東アジア文化交渉研究』7、2014年)があり、同氏の著書『泊園書院の明治維新』(清文堂出版、2018年)に再録。 https://t.co/uKYuz599nX
1865年4月2日、リチャード・コブデンが死去。英国の政治家で、熊谷次郎「『書簡集』にみるコブデンの急進的自由主義(上)」(『桃山学院大学経済経営論集』60-4、2019年)曰く、薩英戦争で鹿児島の市街を砲撃した点について「恐ろしい残虐行為」と批判する演説を行った。 https://t.co/PUw4RS6dB3
明治12年4月1日、大原重徳が死去。文久2年に、勅使として島津久光を伴って江戸に赴き、幕政改革を要求した公家。外池昇「和宮降嫁と文久の修陵」(『人間文化研究』1)は、大原と一橋慶喜・松平春嶽の会談での、仁孝天皇17回忌のための和宮上洛問題と文久の修陵の話題を分析。 https://t.co/0gcv5clKe5

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拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)が既にダウンロード可能となっていました(^^)https://t.co/A65OnLMHFg メチャ大部で恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。

116 0 0 0 OA 官報

年賀状に質問を書いて送るの禁止~(笑) 当アカウントは個別の質問にはお答えしておりません。以下、独り言です。 明治期の外交官及領事官官制(勅令第257号。明治23年10月21日)でしたら、ここに載っていました。https://t.co/u0CfQnjROw (国立国会図書館) https://t.co/BWNV5lfFlK
神田千里「大友宗麟の改宗 : その実態と背景」『東洋大学文学部紀要. 史学科篇』(40), 71-110, 2014 PDFあり。 https://t.co/7kqzAdnnXr

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メモ: 藤原正教「歴史教育における主体的認識について」(社会科教育研究 (5), 1955-04) https://t.co/lbyojLC4Oe 藤原正教「歴史教育における経験の問題」(大分県地方史 (3), 41-46, 1954-12) https://t.co/2vQM2WpG0r
RT @BungakuReportRS: 立法調査資料『調査と情報-ISSUE BRIEF-』No.1116「新型コロナウイルス感染症と学生支援―主要国の状況と取組―」(PDF:500KB) https://t.co/6OW0b2WXKz
立法調査資料『調査と情報-ISSUE BRIEF-』No.1116「新型コロナウイルス感染症と学生支援―主要国の状況と取組―」(PDF:500KB) https://t.co/J01WUpPUl3
RT @bowwowolf: さて小室重弘の本や当時の中外日報を手がかりに、仏舎利が来日後、いかなるゴタゴタを経て名古屋の日暹寺(現在の覚王山日泰寺)に奉安されたかを論じたのが佐野方郁「明治期の仏骨奉迎・奉安事業と覚王山日暹寺の創建 」である。かなり面白い。笑ってはいかんが抱腹…
RT @bowwowolf: 自由民権家でジャーナリスト、衆議院議員の小室重弘(号は屈山)が『釈尊御遺形伝来史』(1903)なる本を出していた。タイから仏陀の真舎利が日本に贈られた顛末を記録したもので、とにかくモメたことと、仏教界ではなく外交官の稲垣満次郎が主導していたことがわ…
RT @BungakuReportRS: 葛綿 正一 - 木曽義仲と享楽 : 平家物語試論 https://t.co/UZf2OcKO3v
立法調査資料『 #調査と情報-ISSUE BRIEF-』No.1117「主要国における中小企業向け給付金―コロナショックへの対応―」(PDF:529KB)を掲載しました https://t.co/h1222GpBEt
立法調査資料『 #調査と情報-ISSUE BRIEF-』No.1116「新型コロナウイルス感染症と学生支援―主要国の状況と取組―」(PDF:500KB)を掲載しました https://t.co/6336j6UHiI
これ確かにわたくしは卒論段階で読んでおくべき論文でしたね /1879年コレラと地方衛生政策の転換--愛知県を事例として https://t.co/JdfIaefFVk

1 1 1 0 OA 年録

@shidacita64 紀伊守の養子なので宗孝でした。消しておきます。どちらも内匠の弟なので勘違いでした。 https://t.co/NTPgkzjxOo

12 12 12 0 IR 源実朝の「晩年」

RT @quiriu_pino: #こんな論文がありました pdf公開。少し前のですが、把握してなかった… 三田 武繁「源実朝の「晩年」」 東海大学紀要. 文学部 (108), 2018-03-30 https://t.co/VrItd672et
RT @muku069: CiNii 論文 -  近世初頭の都市における町人地の形態と内部構造 : 堺環濠都市の改造に見る中世都市から近世都市への変容 (元禄『堺大絵図』に示された堺の都市構造に関する総合的研究) https://t.co/EsqaT5il7Y
RT @muku069: CiNii 論文 -  茨木市大岩平松尾所在の石切場跡 https://t.co/PeiPV0Qa65
これデビュー論文なんですが、中村武生で検索したら引っかかれへんのですわ。なぜなら名前が誤っているから。サイニーにこれ訂正依頼でけへんのですか。「京都惣曲輪「御土居」跡の推定」 https://t.co/U2OO1BIgIG
RT @kotofanatic: 奥州藤原氏の人体的特徴についてご興味ある向きに https://t.co/XjfVzY1Mqz

2 2 2 0 OA 東京市史稿

芳賀敬太郎、永倉と同年ぐらいと思われていましたが、想像以上に年を食っていたかも知れません。こちらで四谷内藤宿に屋敷替えされているのですが、弘化元年です。「諸向地面取調書」を見ると「芳賀禄之助」が四谷内藤宿にいます。これ口書の「六之助」のことですよね。 https://t.co/SnBlBvdFpc
RT @t_wak: 農機具のマル公がわかるのもさりながら、巻末の図鑑(というより図入り広告っぽいけれど)もなかなか。1943年の農機具がわかるぞい。 『農機具公定価格便覧 附・農機具図鑑』 https://t.co/UWWm4Am9n3
RT @ariga_prdgmmkr: デジタルアーカイブ学会にて、公開準備中の電子展示システムについて報告しました。歴博の橋本さん @yuta1984 との共著で、予稿がこちらで読めます。|IIIFを利用した科学者資料の電子展示システムの試験開発:「矢田部良吉デジタルアーカ…
RT @tcv2catnap: 「日本における地政学思想の展開:戦前地政学に見る萌芽と危険性」佐藤, 健(北大法学研究科ジュニア・リサーチ・ジャーナル, 11, 109-139) https://t.co/nsxhUW7oyR はい、ネタ元。国家従属する地政学。
RT @tcv2catnap: 「日本における地政学思想の展開:戦前地政学に見る萌芽と危険性」佐藤, 健(北大法学研究科ジュニア・リサーチ・ジャーナル, 11, 109-139) https://t.co/nsxhUW7oyR はい、ネタ元。国家従属する地政学。
RT @tcv2catnap: CiNii 論文 -  現代地政学への批判的アプローチ:―マルチスケールの視角と地政言説の分析― https://t.co/UuRIJ3bc6N #CiNii 実は特定の時間と空間の文脈から描き出されていることや、多様で複雑な現実を特定の視点か…
RT @washou3956: メモ。『中世菊池一族関連遺跡群確認調査概要報告書:「菊之城跡」「守山城跡及び内裏尾」「隈府城下遺跡」』(菊池市文化財調査報告第10集、菊池市教育委員会、2020年3月)https://t.co/uTvu11e78j #こんな論文が出ていたようです
RT @tcv2catnap: CiNii 論文 -  現代地政学への批判的アプローチ:―マルチスケールの視角と地政言説の分析― https://t.co/UuRIJ3bc6N #CiNii 実は特定の時間と空間の文脈から描き出されていることや、多様で複雑な現実を特定の視点か…
RT @zasetsushirazu: 小泉雅弘「史料紹介 駿州赤心隊富士亦八郎の「口書」」(『駒澤史学』69)は、戊辰戦争期に東征大総督・有栖川宮熾仁親王に随従した赤心隊(慶応4年結成)の、隊長を務めた富士亦八郎が、明治2年に旧幕臣殺害事件を起こした際の供述書を紹介。 htt…
勉強になった。「研究活動に対する客観的かつ定量的な評価指標」清水 毅志 https://t.co/PqOXDNRQj2
RT @fake__nws: https://t.co/oJwYhCzsg8 インド映画や香港映画を通してナイジェリアに伝わった忍者観はナイジェリア映画においてイスラム文化や現地の精霊文化などを取り入れさらに進化したのである――みたいな話(「五遁」の要素がナイジェリアの伝統宗教…
RT @bonnjour: @amanamourspain わ”、この本読みたい! ところでこれ、図版も入って興味深い資料です(ページ中にPDFへのリンク)=> https://t.co/VMmgVccgwh 「プルースト『失われた時を求めて』 : モードから見る三人のヒロイン…

9 9 9 0 OA 維新史蹟図説

RT @T_urade1987: 『維新史蹟図説』より平野国臣遺影。全く見たことがありませんでした。本物なんでしょうか。 https://t.co/DcPTEgq9xn

9 9 9 0 OA 維新史蹟図説

RT @T_urade1987: 『維新史蹟図説』より平野国臣遺影。全く見たことがありませんでした。本物なんでしょうか。 https://t.co/DcPTEgq9xn
研究論文「面白い話が本当に面白い話になるために必要なこと」『社会言語科学』第23巻第1号 https://t.co/CcnVOvmUWf
RT @PirateUni_HEL: #イギリスの文学ワイルド しかしながら『オシァン』は大ヒットし、ヨーロッパ中で読まれ、スコットランドやアイルランドの人たちにとっては神話への興味と愛国心をかきたてる作品として読まれていました。これについては担当教員が今年の春に出した論文をご…

9 9 9 0 OA 維新史蹟図説

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9 9 9 0 OA 維新史蹟図説

『維新史蹟図説』より平野国臣遺影。全く見たことがありませんでした。本物なんでしょうか。 https://t.co/DcPTEgq9xn
@KentaroOnizuka 論文の出典に関してはこちらを参照 https://t.co/vF3XzALS2y https://t.co/K2VEDng6Ve 中華民国領土地図の画像は13ページ目です

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1 1 1 0 OA 年録

@shidacita64 紀伊守の養子なので宗孝でした。消しておきます。どちらも内匠の弟なので勘違いでした。 https://t.co/NTPgkzjxOo
RT @muku069: CiNii 論文 -  近世初頭の都市における町人地の形態と内部構造 : 堺環濠都市の改造に見る中世都市から近世都市への変容 (元禄『堺大絵図』に示された堺の都市構造に関する総合的研究) https://t.co/EsqaT5il7Y
RT @muku069: CiNii 論文 -  茨木市大岩平松尾所在の石切場跡 https://t.co/PeiPV0Qa65
RT @busyo3: これデビュー論文なんですが、中村武生で検索したら引っかかれへんのですわ。なぜなら名前が誤っているから。サイニーにこれ訂正依頼でけへんのですか。「京都惣曲輪「御土居」跡の推定」 https://t.co/U2OO1BIgIG
これデビュー論文なんですが、中村武生で検索したら引っかかれへんのですわ。なぜなら名前が誤っているから。サイニーにこれ訂正依頼でけへんのですか。「京都惣曲輪「御土居」跡の推定」 https://t.co/U2OO1BIgIG
RT @kotofanatic: 奥州藤原氏の人体的特徴についてご興味ある向きに https://t.co/XjfVzY1Mqz

2 2 2 0 OA 東京市史稿

芳賀敬太郎、永倉と同年ぐらいと思われていましたが、想像以上に年を食っていたかも知れません。こちらで四谷内藤宿に屋敷替えされているのですが、弘化元年です。「諸向地面取調書」を見ると「芳賀禄之助」が四谷内藤宿にいます。これ口書の「六之助」のことですよね。 https://t.co/SnBlBvdFpc

9 4 4 0 OA 宗二之記

RT @merontomikan: https://t.co/UPu9QiKiFn 17コマ目です https://t.co/4sXsbiRXn4

35 33 24 0 OA 埼玉県写真帖

RT @ktgis: 大正元年『埼玉県写真帖』の川越の写真。どこから撮ったのか気になるが、わからない。右奥が時の鐘だと思う。中央の倉庫風の二棟の建物も不明。 国会図書館デジタルコレクション https://t.co/pVAKyW9wvE https://t.co/hT0j9SO…
RT @zasetsushirazu: 小泉雅弘「史料紹介 駿州赤心隊富士亦八郎の「口書」」(『駒澤史学』69)は、戊辰戦争期に東征大総督・有栖川宮熾仁親王に随従した赤心隊(慶応4年結成)の、隊長を務めた富士亦八郎が、明治2年に旧幕臣殺害事件を起こした際の供述書を紹介。 htt…
RT @fake__nws: https://t.co/oJwYhCzsg8 インド映画や香港映画を通してナイジェリアに伝わった忍者観はナイジェリア映画においてイスラム文化や現地の精霊文化などを取り入れさらに進化したのである――みたいな話(「五遁」の要素がナイジェリアの伝統宗教…
RT @bonnjour: @amanamourspain わ”、この本読みたい! ところでこれ、図版も入って興味深い資料です(ページ中にPDFへのリンク)=> https://t.co/VMmgVccgwh 「プルースト『失われた時を求めて』 : モードから見る三人のヒロイン…

9 9 9 0 OA 維新史蹟図説

RT @T_urade1987: 『維新史蹟図説』より平野国臣遺影。全く見たことがありませんでした。本物なんでしょうか。 https://t.co/DcPTEgq9xn

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