太田鳴雪 (@zasetsushirazu)

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平成18年(2006年)1月22日、高橋秀直が死去。大著『日清戦争への道』(東京創元社)の著者。井上勝生氏は、高橋氏の幕末研究をまとめた遺稿集『幕末維新の政治と天皇』(吉川弘文館)の書評(『史林』91-2)で、「比肩することができない、大きな業績をあげた著者」と呼ぶ。 https://t.co/7cyckFO5zs
昭和47年(1972年)1月21日、『帰ってきたウルトラマン』第41話「バルタン星人Jrの復讐」が放送。花岡敬太郎「「帰ってきたウルトラマン」制作過程から読み解く1970年代の変容の兆し」(『明治大学大学院文学研究論集』49)は、郷秀樹と坂田次郎との関係性を中心に言及。 https://t.co/Kkj6NYIMnH
明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人物」の1人として分析。 https://t.co/94lpM0o3v7
宮永孝「近世における西洋人の日本人観」(『社会志林』66-3、2019年)は、16〜20世期の長いスパンで、「外国人の眼に写った日本および日本人のすがた、その国民性について歴史的に概括する」。シーボルト、オールコック、オイレンブルクなど様々な事例を紹介する。 https://t.co/58mHV9YY3X
明治27年1月8日、月形潔が死去。幕末の志士として知られる月形洗蔵の従兄弟で、北海道樺戸郡月形町の町名の由来。樺戸集治監の初代典獄時代、看守の剣術指南役として永倉新八を採用(吉田悦志「作家・子母澤寛誕生の風土-幕府軍敗残兵3人と厚田村-」『創価教育』11)。 https://t.co/47PEBTQpmD
明治33年1月8日、浅野氏祐が死去。幕末期に神奈川奉行、外国奉行、陸軍奉行などを歴任。小笠原長行の率兵上京に加担した。岩瀬忠震は、文久遣欧使節団に浅野を加えるべきと考えていたらしい(河北展生ほか「木村喜毅(芥舟)宛岩瀬忠震書簡」『近代日本研究』5、1988年)。 https://t.co/TeZDVRWhKd
明治33年1月5日、秋月悌次郎が死去。幕末の会津藩出身で、文久3年8月18日政変の立役者の1人。明治期に熊本で教師となり、同僚の小泉八雲から敬愛された。中西達治「会津藩降伏と秋月悌次郎」(『金城学院大学論集 人文科学編』16-1)は、戊辰戦争の会津藩降伏の時期を分析。 https://t.co/P4r2WqcGQY
明治45年1月4日、東久世通禧が死去。文久3年8月18日政変の際の、「七卿落ち」の公家の1人。明治期に外国事務総督、北海道開拓使長官、侍従長、貴族院副議長などを歴任。廣田吉崇「明治前期の「貴紳の茶の湯」」(『日本研究』45、2012年)は、東久世の日記を分析素材とする。 https://t.co/1kkKgGGdm6
文化7年12月4日(1810年12月29日)、森島中良(桂川甫粲)が死去。『紅毛雑話』・『万国新話』・『琉球談』などの著作がある。岡田袈裟男「森島中良の見た海彼の文化」(『国文学研究』151、2007年)曰く、「海禁の時代の日本人としては希に見る異文化の了解者であった」。 https://t.co/RBebIU7D0h
『青森県史 資料編 近世6 幕末維新期の北奥』の、工藤威氏による書評(『弘前大学国史研究』139、2015年)。県域が、旧盛岡藩、八戸藩、弘前藩にまたがっているがゆえの掲載資料を選択する苦心に言及。工藤氏は、『奥羽列藩同盟の基礎的研究』(岩田書院、2002年)の著者。 https://t.co/k5j4v4XMLM
明治25年12月20日、幕末の宇和島藩主だった伊達宗城が死去。明治期にも日清修好条規を調印するなど活躍したが、三好昌文「幕末期宇和島藩の動向(13)」(『松山大学論集』12-6)曰く、宗城の解任で宇和島出身の政府官僚の多くが帰郷し、藩閥は形成されなかった。 https://t.co/ErSjmJSIEO
明治20年12月18日、矢田堀鴻(矢田堀景蔵)が死去(死去日は異説あり)。幕府の軍艦操練所教授方頭取や海軍総裁などを歴任。安藤洋美「明治数学史の基礎工事」(『桃山学院大学人間科学』19、2000年)は、甥の荒井郁之助、甲賀源吾、新島襄などが矢田堀の教えを受けたとする。 https://t.co/fKkNDAF2yA
大正13年12月8日、戸川残花(戸川安宅)が死去。雑誌『旧幕府』を主催し、『幕末小史』などを著した。岩淵令治「明治・大正期における「江戸」の商品化」(『国立歴史民俗博物館研究報告』197)曰く、「旧幕臣の復権運動に力を注いだ旧幕臣」。日本女子大学の創立者でもある。 https://t.co/rlRR8VsgAi
明治26年12月5日、松平容保が死去。幕末期、京都守護職を務めた。中西達治「孝明天皇の松平容保宛て宸翰」(『金城学院大学論集 人文科学編』16-2、2020年)は、孝明天皇が容保に与えた宸翰を明治天皇が把握していたかもしれないという、白石烈氏の近年の見解などを考察。 https://t.co/HLGKVvJKbb
明治22年11月29日、井田譲が死去。幕末の大垣藩出身で、西南戦争の際に陸軍卿代理を務め、フランス公使などを歴任。松居宏枝「ローレンツ・フォン・シュタインをめぐる在欧外交官の動静」(『お茶の水史学』54)曰く、シュタインの日本招聘を外務卿・井上馨に働きかけた。 https://t.co/YLUfV6ItD2
明治11年11月29日、柏木忠俊が死去。幕末期は江川英龍に仕えて伊豆七島の巡視に随行したほか、長崎でオランダ人に造船技術や航海術を学ぶ機会を得た。明治期には足柄県知事などを歴任。金原左門「福澤諭吉と柏木忠俊」(『近代日本研究』9)は、福沢諭吉に受けた影響を分析。 https://t.co/VMzLGR28QD
『アーカイブズ学研究』19(2013年)に掲載の、宮間純一氏による、箱石大編『戊辰戦争の史料学』(勉誠出版、2013年)の書評。複数の執筆者による多彩な切り口の論考が収録されたことを評価している。なお、宮間氏には著書『戊辰内乱期の社会』(思文閣出版、2015年)がある。 https://t.co/cSPe3nETHg
天明5年10月26日(1785年11月27日)、細川重賢が死去。肥後熊本藩主で、磯田道史「藩政改革の伝播-熊本藩宝暦改革と水戸藩寛政改革-」(『日本研究』40、2009年)曰く、重賢の時代の改革は幕府や諸藩に衝撃を与え、その改革を政策モデルと見做す考え方が幕末まで継続した。 https://t.co/L8ryvThW1x
昭和15年11月24日、最後の元老・西園寺公望が死去。十河和貴「元老西園寺公望と「憲政の常道」」(『立命館 史資料センター紀要』3、2020年)が分析の主軸に据えた中川小十郎(公望の秘書)は、公望が戊辰戦争で山陰道鎮撫総督として配下に迎えた丹波の郷士・中川家の出身。 https://t.co/hXKwiuqbP6
元治元年10月24日(1864年11月23日)、徳川慶勝(第1次長州征伐の総督)が西郷隆盛に意見を諮問した。町田明広「第一次長州征伐における薩摩藩」(『神田外語大学日本研究所紀要』8)曰く、慶勝は西郷を信頼し、西郷は「事実上の総督府の参謀」として遇されるようになった。 https://t.co/xUZx0nyPvK
大正2年11月22日、徳川慶喜が死去。大庭邦彦「幕末政局と徳川慶喜」(『国学院大学研究開発推進機構紀要』7)曰く、慶喜は有能だが、「逆境の中で頑張ることはしない。あえて泥をかぶっても逆境を挽回しようと粘らない」点が特徴で、その点が西郷隆盛や大久保利通と異なる。 https://t.co/rHqA2LFuBF
文政元年10月21日(1818年11月19日)、司馬江漢が死去。日本で初めて銅版画を制作。地動説を紹介するなど西洋に関心があり、近藤秀実「司馬江漢の面白さ」(『早稲田大学図書館紀要』41、1995年)曰く、「面白がって西洋を取り上げ、人々の興味を惹き、啓蒙の役割を担った」。 https://t.co/Gipx8JMk7m
呉永台「幕末政治と諸藩連合」(『アジア地域文化研究』16)は、幕末の諸藩間の外交を分析。文久3年の肥後藩政府は、「長州を中心とする尊攘急進派が朝命を楯に取って諸藩に「連衡」を持ち掛けている中,それに対抗するため,九州諸藩の「合従」を図ることにした」と指摘。 https://t.co/CFIRiujSfl
明治政府の参議・外務卿の寺島宗則。島津斉彬に重用され、幕府の蕃書調所に出仕し、幕府の文久遣欧使節に参加し、薩摩藩英国留学生の一員として渡英した際に英国政府との外交交渉を担い、大久保利通とも親しかった男。結構好きなので、もう少し人気が出てほしい。 https://t.co/yojiPdroL3 #CiNii
昭和5年11月17日、松平康荘が死去。幕末の越前福井藩主だった松平茂昭の子で、農学者。熊澤恵里子「他国修行-福井藩教育改革の軌跡-」(『福井県文書館研究紀要』9)は、康荘が海外留学先で農学を学んだ理由に、松平春嶽と親しかった福沢諭吉の助言があった可能性に言及。 https://t.co/efdPb5gvmH
明治7年11月16日、明六社の例会において、福沢諭吉が台湾征討についての演説、西周が外国人の内地旅行についての演説を行った。日本初の演説とされる(飯田鼎「自由民権思想における福沢諭吉と加藤弘之」『三田学会雑誌』95-3)。スピーチを演説と翻訳したのも福沢。 https://t.co/lWZe4OdIrB
元治元年10月14日(1864年11月13日)、南里有隣が死去。佐賀藩出身の国学者。前田勉「南里有隣『神理十要』におけるキリスト教の影響」(『愛知教育大学研究報告 人文・社会科学』57)は、平田篤胤以降の国学にキリスト教の影響があるとする議論を受けて、有隣の思想を分析。 https://t.co/fxpesYdv2B
田中悟「戦後会津における「観光史学」の軌跡」(『国際協力論集』17-1、2009年)は、同氏の著書『会津という神話』(ミネルヴァ書房、2010年)第5章の元になった論文。会津における「戊辰戦争の語り」や観光資源としての白虎隊などを巡って、郷土史家・宮崎十三八を分析。 https://t.co/a3PLMA2gXw
慶応3年10月3日(1867年10月29日)、土佐藩が大政奉還を建白。井上勲「大政奉還運動の展開過程」(『学習院大学文学部研究年報』20)曰く、徳川慶喜は土佐藩論に、幕府から離反しつつある勢力を議院制に組み込み、「幕府もしくは徳川氏の政治統合力を回復する展望」を見た。 https://t.co/PaFHpL84v2
明治24年10月28日、幕末の対馬藩家老だった樋口鉄四郎が死去。明治元年、対馬藩が、日本の王政復古を朝鮮に通告するよう新政府から命じられた際、朝鮮に派遣された。牧野雅司「維新期の書契問題と朝鮮の対応」(『待兼山論叢』44、2010年)は、朝鮮側の対応を分析。 https://t.co/vsbxRnBZE9
1900年10月27日、ウィリアム・アンダーソンが死去。お雇い外国人として働いた際に蒐集した絵画が、大英博物館にある。皇族で美術史研究者の彬子女王による「ウィリアム・アンダーソン・コレクション再考」(『お茶の水女子大学比較日本学研究センター研究年報』4)を参照。 https://t.co/D8QpbAF6eq
文久3年9月14日(1863年10月26日)、小笠原棟敬(小笠原敬次郎、小笠原敬斎)が死去。安志藩主の子に生まれ、江戸で安積艮斎・佐藤一斎・大橋訥庵らに師事。兄が小倉藩主に就任した際、その政治顧問に就任。福田殖「小笠原敬斎略伝」(『中国哲学論集』9、1983年)参照。 https://t.co/sljATXUQIf
町田明広「長州藩処分問題と薩摩藩」(『神田外語大学日本研究所紀要』11、2019年)によれば、長州再征をめぐる薩摩藩の抗幕姿勢を気にかける幕閣に対して、中根雪江の意見に見られる越前藩の方針は薩摩藩に友好的で、薩摩藩と会津藩の確執が国政混乱の原因とするものだった。 https://t.co/DXrUyOs3WI
ツー ティモシー ユンフイ「黒船に乗ってきた中国人」(『国際学研究』9-1、2020年)曰く、幕末のペリー艦隊に雇用された中国人がいたことを皮切りに、「19世紀後半を通して来日中国人の数はほかのどの国をも凌いでいる」。近代日本の原点における中国人の重要性を分析。 https://t.co/XTS2bUE2Al
明治39年10月22日、楠田英世(楠田知才)が死去。佐賀藩出身で、大隈重信らと同じく義祭同盟に参加。戊辰戦争で会津征討総督・仁和寺宮嘉彰親王の副参謀。吉岡誠也「慶応四年の長崎における佐賀藩」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13)が、その動向に言及。 https://t.co/FCiMiYm2NR
京浜歴史科学研究会編『近代京浜社会の形成』(岩田書院、2004年)。 神谷大介「弘化・嘉永期における幕府砲術稽古場と江戸湾防備の展開」、奥田晴樹「梵鐘の海防供出」、鈴木由子「和親条約締結直後のアメリカ船への対処」などを収録。 下記は上山和雄氏による書評(PDF)。 https://t.co/xmVLLU3Xxh
大正9年10月5日、末松謙澄が死去。伊藤博文の娘婿で、第3次伊藤内閣の逓信大臣、第4次伊藤内閣の内務大臣などを歴任。『防長回天史』全12巻を編纂。源氏物語の英訳でも知られる。神山彰「森鷗外のなかの依田学海と末松謙澄」(『文芸研究』138)は、末松の演劇改良論を紹介。 https://t.co/FSCOxphazx
明治40年10月4日、佐田白茅が死去。幕末の久留米藩出身で、真木和泉の影響を受けた。明治3年に朝鮮へ派遣された。沈箕載「版籍奉還前後の朝鮮政策と外務省(佐田)調査団の朝鮮派遣」(『史林』79-6)曰く、佐田の調査報告は後の明治政府における対朝鮮政策の根幹をなした。 https://t.co/HGSxm382SS
明治4年8月19日(1871年10月3日)、広如(大谷光沢)が死去。幕末の西本願寺の僧で、長州藩や月性との結びつきが強かった。上野大輔「幕末期長州藩における民衆動員と真宗」(『史林』93-3)曰く、広如が法主の時期に「勤王の立場が明確化され」、朝廷や新政府に献金。 https://t.co/epYE9XctKu
奥中康人「岩倉使節団が見聞した西洋音楽」(『待兼山論叢』33、1999年)は、明治政府が国家プロジェクトとして西洋音楽を教育に導入したことで、人為的に西洋音楽が日本に普及したと指摘し、その意味で岩倉使節団の西洋音楽体験を重視する。 https://t.co/98cIxpbapJ
大正13年9月27日、今村有隣が死去。幕末の加賀藩出身で、明治の代表的なフランス語教育者。フランス政府から教育功労勲章を贈られた。加藤詔士「武理惠『仏語入門』(明治7)」(『愛知大学教職課程研究年報』2)は、明治初期に今村が翻訳したフランス語学習書を紹介する。 https://t.co/1CuKRk5IXz
明治6年9月27日、沢宣嘉が死去。文久3年8月18日政変の際の「七卿落ち」の公家の1人で、生野の変に参加した。吉岡誠也「慶応四年の長崎における佐賀藩」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13)曰く、大隈重信を新政府の徴士参与に推挙した。外務卿などを歴任。 https://t.co/FCiMiYm2NR
明治9年9月23日、儒学者・安井息軒が死去。私塾・三計塾の門人には、陸奥宗光・品川弥二郎・谷干城・雲井龍雄・世良修蔵・井上毅などがいた。古賀勝次郎「安井息軒の生涯」(『早稲田社会科学総合研究』8-2)によれば、藤田東湖を通じて徳川斉昭に攘夷に関する意見書も提出。 https://t.co/lwuXCrKCNo
大正9年9月23日、赤松則良が死去。幕末期に咸臨丸で渡米した1人で、榎本武揚らと共にオランダ留学。明治期に横須賀造船所所長などを務めた。樋口雄彦「旧幕臣洋学系知識人の茶園開拓」(『国立歴史民俗博物館研究報告』108)は、「個人の生活を重視するドライな意識」を指摘。 https://t.co/utK0fZASo2
昭和54年(1979年)9月18日、木村毅が死去。『明治天皇』、『文明開化』などの著作がある。濱口裕介「榎本武揚「共和国」言説に関する一考察」(『札幌大学女子短期大学部紀要』65)は、箱館戦争の際の榎本武揚の政権を、木村が「共和国」と呼ぶことに執着した点を分析。 https://t.co/Z5j7Jk8x7d
明治2年8月13日(1869年9月18日)、土肥典膳が死去。幕末期岡山の尊王攘夷運動を担った人物で、文久2年に岡山藩の周旋方に就任。近藤萌美「幕末維新期地方国学者の人的ネットワーク」(『岡山県立記録資料館紀要』10 )は、土肥に仕えた小山敬容の日記を紹介(下記リンク)。 https://t.co/XKsW3V7anh
大正7年9月17日、本野一郎が死去。寺内正毅内閣の外務大臣で、ロシア革命の際にシベリア出兵を強く主張した。文久2年生まれで、父は緒方洪庵やフルベッキに師事した佐賀藩士・本野盛亨。七戸克彦「現行民法典を創った人びと(11)」(『法学セミナー』55-3)などを参照。 https://t.co/DKCc5AjOna
能川泰治「幕末維新期における政治・社会の変動と大阪城」(『金沢大学歴史言語文化学系論集 史学・考古学篇』12、2020年)は、幕末期に来日した外交官が、見学対象として大阪城に興味を持っていた事実を紹介。オールコックなど、豊臣秀吉ゆかりの城と知っていた者もいた。 https://t.co/lobJnXEhlH
明治17年9月15日、安達清風が死去。幕末の鳥取藩出身で、京都留守居を務めた。桜田門外の変に参加した関鉄之介が逃亡中、頼って来た。横山俊一郎『泊園書院の明治維新』(清文同)第4章の元論文「安達清風の学術交流と開拓事業」(『関西大学東西学術研究所紀要』48)を参照。 https://t.co/9I7P4u0OGn
井上勝也「山本覚馬と妹八重」(『新島研究』105、2014年)は、幕末の会津藩士・山本覚馬が、17歳年下の妹である八重にどのような影響を与えたのか、そして八重はどのような人生を歩んだのか、江戸時代の会津の歴史や教育制度の概略と共に語ったエッセイ。 https://t.co/VhZM803HxR
呉永台「幕末期肥後における〈藩是〉確立とその意味」(『年報地域文化研究』23、2020年)は、文久2年4月、藩是を決定した肥後藩政府には「徳川恩顧の大名としての自己認識があった」と指摘し、藩是の確立を要求した肥後勤王家とは、将軍家への距離感に違いがあったとする。 https://t.co/RlbIB3pMu0
伊藤真梨子「語基「特」を含む漢語の幕末・近代における拡大」(『人文』17、2019年)は、現代では頻繁に使われる「特」を含む二字漢語が、幕末〜明治10年前後に増加したとする。例えば「特権」の初出は福沢諭吉の『西洋事情』、「特派」は西周訳の『万国公法』とのこと。 https://t.co/QzIWBBYyQK
昭和14年9月7日、渡辺蒿蔵(天野清三郎)が死去。吉田松陰の松下村塾門下生の中で、最後の生き残り。幕末期の海外留学で得た造船技術を活かして活躍した。牛見真博「近代造船の先駆者・渡辺蒿蔵(上)」(『大島商船高等専門学校紀要』51)は、海外留学前の前半生を分析。 https://t.co/UblEN0xYgO
上田長生「維新期陵墓政策の特質と展開」(『待兼山論叢 史学篇』42)は、幕末期に創出された陵墓が、近代天皇制の形成と共にどのように管理されたのか、神仏分離の内実を含めて分析。上田氏の著書『幕末維新期の陵墓と社会』(思文閣出版、2012年)第1部第4章に結実。 https://t.co/UBwoYsJ6Oq
文久2年8月13日(1862年9月6日)、成島司直が死去。将軍・徳川家慶の信任を得た儒学者で、『徳川実紀』を編纂した。家慶の日光参詣に随従した際の日記『晃山扈従私記』がある。成島柳北の祖父。具島美佐子「成島柳北研究」(筑波大学博士論文、2017年)が、司直に多く言及。 https://t.co/PDWQYa67kL
長屋隆幸「尾張藩海防史料「赤心秘書」についての紹介・翻刻」(『愛知大学綜合郷土研究所紀要』64、2019年)は、伊藤直之進藤景(大垣藩出身で尾張藩に仕官した)が、尾張藩の重臣に宛てた上書を紹介したもの。異国船漂着に際して陸戦の備えも必要であることなどを論じた。 https://t.co/iDFXtbkGzy
平成23年(2011年)8月31日、歴史家の遠山茂樹が死去。主要著作の『明治維新』(岩波書店、1951年)は、今は岩波文庫に入っている。勝田政治「大久保利通とビスマルク」(『国士舘大学文学部人文学会紀要』38)曰く、「講座派の立場から戦後の明治維新史研究をリード」した。 https://t.co/kMJMC2SAkw
慶応3年7月29日(1867年8月28日)、中岡慎太郎らが土佐藩の白川邸に入った(現在の京都大学北部構内)。陸援隊の屯所とされる。笹川尚紀「土佐藩白川邸・尾張藩吉田邸にまつわる覚書」(『京都大学構内遺跡調査研究年報 2016年度』、2018年)は、白川邸の沿革などを分析。 https://t.co/yc9PEH3vaJ
大正10年8月27日、渡辺千秋が死去。幕末の高島藩出身で、鹿児島県知事(県令)を長く務めた。前田亮介「初期議会期の北海道改革構想」(『史学雑誌』118-4、2009年)は、明治14年政変後の北海道改革で、北海道庁長官として当事者となった渡辺と内務大臣・品川弥二郎に着目。 https://t.co/8SF88UcQKh
明治31年8月27日、島田篁村(島田重礼)が死去。幕末期に昌平黌の助教などを務めた漢学者で、明治期に東京大学教授。古賀勝次郎「安井息軒を継ぐ人々(三)」(『早稲田社会科学総合研究』11-1)曰く、「江戸時代の儒学の伝統を、明治以後の我が国の漢学へ橋渡しをした」。 https://t.co/llHNvlxxoV
1929年8月26日、アーネスト・サトウが死去。幕末・明治の日本で通訳や公使として活躍した英国人で、神道や国学を研究するぐらい日本語が堪能。兪三善「日本語の教材としてのアーネスト・サトウ『会話篇』」(『實踐國文學』96)は、サトウの著作を日本語の教材として分析。 https://t.co/VyVcgPjg0f
明治25年8月25日、中路延年(中路権右衛門)が死去。佐野静代「近衛家別邸「御花畑」の成立とその政治史上の役割」(『人文学』205、2020年)曰く、「幕末の尾張藩と薩摩藩を直接仲介した人物」で、「尾張藩の世論を王政復古に導くのに大きな役割を果たしたとされている」。 https://t.co/pAJttOjkZN
明治33年8月23日、黒田清隆が死去。第2代の内閣総理大臣。小松京「山川健次郎の留学に関する一考察」(『青山史学』37)は、北海道開拓に携わった黒田について、「榎本武揚の助命嘆願を行ったことも含め、黒田の行動はすべて対ロシアを睨んだ行動と解釈すべき」と指摘。 https://t.co/m9xJpx9T8L
高橋未来「「鎮撫」する西郷像から見る西南戦争錦絵」(『史苑』77-11、2016年)は、西南戦争に関する『鹿児嶋新聞』という戦報錦絵シリーズを分析。当初は「西郷隆盛の行動における「説諭」の部分を拡大解釈して、勇ましく「鎮撫」にあたる姿」を描いたと指摘。 https://t.co/x9sQZJo5Mw
明治35年8月18日、西村茂樹が死去。幕末の佐倉藩出身の啓蒙思想家。西川泰夫「千葉県郷土史:近現代史の一断面:幕末から開明期における佐倉藩士と洋学「西国の心学、心理学」との接点」(『放送大学研究年報』26)は、「心理学」という日本語誕生のヒントとして西村を分析。 https://t.co/IhcioV2GOi
塚越俊志「幕末の条約について」(『弘前大学国史研究』141、2016年)は、岩下哲典編『江戸時代 来日外国人人名辞典』(東京堂出版、2011年)に掲載した文章を改稿したもので、幕末期に幕府が諸外国と結んだ条約を解説。「幕末期条約内容比較(条項別)」という表も掲載。 https://t.co/iBlWTtRz7V
明治15年8月9日、大島友之允が死去。幕末の対馬藩士で、木戸孝允と親しかった。沈箕載「幕末期の幕府の朝鮮政策と機構の変化」(『史林』77-2)によれば、朝鮮進出(征韓)を主張し、対馬藩への財政援助を幕府に要求する運動に積極的で、幕閣に働きかけを行った。 https://t.co/i7A1xGyx34
明治29年8月5日、宮崎元立(宮崎蘇庵)が死去。小白藩医の家に生まれ、大村益次郎や伊東玄朴に師事した。日本で最初に市販された英和辞書『英和対訳袖珍辞書』の校訂者。三好彰「宮崎元立と英学」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』5、2011年)参照。 https://t.co/UQ5ijea0gS
上田純子「萩藩文久改革期の政治組織-政事堂の創設と両職制の改編-」(『史学雑誌』109-11、2000年)は、いわゆる長州藩の本藩である萩藩の文久改革期を分析。それによれば、文久期の藩権力中枢は、「自藩士に限らず「有志」を優遇」し、言路洞開や人材登用を推進した。 https://t.co/7f9iQ9RlY0
平成24年(2012年)8月3日、哲学者の上山春平が死去。その研究対象は歴史や文化など多方面に及び、『明治維新の分析視点』(講談社)などの著作もある。山口輝臣「哲学者による維新」(『史淵』152)は、上山による遠山茂樹や井上清といった維新史家への批判を紹介。 https://t.co/XHyBaj3OQf
遠藤由紀子「会津藩家老山川家の明治期以降の足跡」(『女性文化研究所紀要』45、2018年)は、山川浩、山川健次郎、大山巌に嫁いだ捨松をはじめ、彼らが全部で7人の兄弟姉妹だったことを紹介。その中でも有名とは言い難いミワに焦点を当て、婚家の桜井家の記録を分析。 https://t.co/NDWXjm2a90
平成28年(2016年)7月27日、歴史家の安岡昭男が死去。主要著書に『幕末維新の領土と外交』(清文堂出版)、『副島種臣』(吉川弘文館)、『陸奥宗光』(清水書院)など。「安岡昭男先生を送る」(『法政史学』50)に、年譜と著作目録あり。学生時代の指導教授は藤井甚太郎。 https://t.co/Qad0g2MOKb
森本峰子「江戸時代の古地図に見るオーストラリア」(『英米文化』30)曰く、「鎖国の世の日本人にとって海外の国々は生涯決して訪れることのない、幻の世界であった」。その時代の地図における豪州の描き方について、地図製作者を仏教系、朱子学系、蘭学系に分類して分析。 https://t.co/HQlfPVJxoa
池田勇太「元田永孚における開国論への転換」(『異文化研究』11、2017年)は、「攘夷は和親との対で和戦の問題、開国は鎖国との対で国交・貿易の問題」と整理し、鎖国体制下での和親や開国を見据えた破約攘夷論などの外交態度があったことを前提に、幕末期の元田永孚を分析。 https://t.co/NGFaGJQ1my
間瀬久美子「近世後期の朝廷と幕府の災害祈禱」(『千葉経済論叢』61、2019年)によれば、幕末の京都朝廷が行う祈祷は攘夷問題が大半となり、一方で幕府は地震災害に関連する祈祷を推進。内憂外患で権威を喪失した幕府は、祈祷の発令で権威の回復を企図したものと指摘。 https://t.co/dy0xpIFwf0
安政3年6月20日(1856年7月21日)、天文方の渋川景佑が死去。天文方・高橋景保の弟。天保暦を作成。湯浅吉美「2033年の旧暦問題について」(『埼玉学園大学紀要 人間学部篇』14)曰く、天保暦は「天保15年(=弘化元年、1844)から明治5年(1872)まで用いられた」。 https://t.co/VAI40tRNVU
弘化3年閏5月27日(1846年7月20日)、米国使節のビッドルが浦賀に来航。7年後のペリーと同じ東インド艦隊司令長官で、当時の衝撃は決して小さくない。上松俊弘「ビッドル来航と海防問題」(『史林』85-1)曰く、「ビッドル来航が本格的な海防議論を生起した」。 https://t.co/hXcW6FiakQ
樋口雄彦「旧幕府陸軍の解体と静岡藩沼津兵学校の成立」(『国立歴史民俗博物館研究報告』121)は、明治初年の静岡藩が設立した沼津兵学校が、幕末の幕府による軍制改革の到達点でありながらも、切り捨てざるを得なかったものも多い点を論じ、非軍事面の先進性などを指摘。 https://t.co/IffcU3LL41
佐藤麻里「将軍の死と「自粛」する江戸社会」(『学校教育学研究論集』24、2011年)は、江戸時代後期の将軍死去による鳴物停止などをめぐる「自粛」と「強制」の問題を分析。特に、商売停止は町奉行の命令ではなく、町名主の「申合わせ」から始まった「自粛」だったとする。 https://t.co/CIzzLPddCe
明治31年7月5日、神田孝平が死去。幕末期に幕府の蕃書調所および開成所で教授職などを務めた。奈倉哲三「もう一つの戊辰戦争」(『国立歴史民俗博物館研究報告』157、2010年)は、慶応4年4月の『中外新聞』第12号に掲載の神田による論説「日本国当今急務五カ条の事」を紹介。 https://t.co/ciEqNG3wM6
大正13年7月4日、下橋敬長が死去。幕末の一条家に仕えた。平凡社東洋文庫が復刻した『幕末の宮廷』の著者として知られ、同書は江戸時代の京都朝廷や天皇の研究に活用されている。武田勝藏「幕末の宮廷(下橋敬長翁述)」(『史学』2-3、1923年)は、その書評。 https://t.co/LnhmYSJTAA

6 0 0 0 OA 佐賀藩海軍史

昭和23年(1948年)7月2日、秀島成忠が死去。慶応元年生まれの海軍軍人(海軍少将)で、台湾総督府参謀長などを務めた後、『佐賀藩海軍史』(知新会)、『佐賀藩銃砲沿革史』(肥前史談会)を著した。両書ともに原書房が復刻。下記は、国会図書館デジコレの『佐賀藩海軍史』。 https://t.co/Vs1PZYPlxn
宮地哉恵子「幕末期における海外情報の受容過程」(『参考書誌研究』39、1991年)は、「蛮社の獄」直前〜ペリー来航直後の時期について、蘭書の輸入と受容を分析。アヘン戦争以降、「世界についてのより正確な知識」が希求されたと言う。下記リンクから論文PDFを閲覧可能。 https://t.co/B1nn9uStC7
昭和51年(1976年)6月30日、鎌田永吉が死去。国文学研究資料館の教授を務めた歴史家で、秋田の幕末維新史などを研究。死後、『幕藩体制と維新変革』(鎌田永吉遺稿集刊行会)が刊行された。遺稿「近世史料の分類」(『史料館研究紀要』9)は、講習会の講義案草稿の活字化。 https://t.co/QmQwXC25li
文久元年5月22日(1861年6月29日)、森田岡太郎(森田清行)が死去。万延元年遣米使節団に勘定方として随行した幕臣で、三浦太郎「"書籍館"の誕生」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』38)曰く、「書籍館」という言葉を最初に使い始めた(「図書館」という言葉の誕生前)。 https://t.co/ZKWL77vSXE
明治5年5月24日(1872年6月29日)、土肥大作が死去。丸亀藩出身の尊攘派志士としての活動を経て、丸亀藩権大参事に就任。中山光勝「明治4年・丸亀県土肥大作襲撃事件関係資料(1)」(『身延山大学仏教学部紀要』2)は、家禄削減をめぐる問題で起きた襲撃事件の資料を紹介。 https://t.co/agsgOvj62t
明治42年6月27日、靖国神社境内の能楽堂で、防長史談会の創立大会が開催され、中原邦平と村田峰次郎が講演。広田暢久「毛利家編纂事業史 其の三」(『山口県文書館研究紀要』3)は、その創立の背景に末松謙澄の『防長回天史』への対抗があったとする。下記は論文へのリンク。 https://t.co/Vn7oNA5pkR
文政5年5月7日(1822年6月25日)、亜欧堂田善が死去。江戸時代を代表する洋画家で、ゴジラやウルトラマンを生み出した特撮の神様・円谷英二の祖先。坂本篤史「亜欧堂田善の銅版画についての一考察」(『美術史論集』16)は、「ピョートル大帝」などの作品を分析。 https://t.co/fO2la2xIRL
文久2年5月25日(1862年6月22日)、佐賀藩士の中野方蔵が死去。大橋訥庵との交流によって坂下門外の変への関与を疑われ、獄死。星原大輔「江藤新平の明治維新」(『ソシオサイエンス』12)曰く、江藤新平は中野の死をきっかけに脱藩し、その際に木戸孝允らとの人脈を得た。 https://t.co/3GQxaPE8pZ
平成16年(2004年)6月19日、歴史家の沼田哲が死去。元田永孚研究の第一人者で、上田浩史「元田永孚の思想形成と儒教的教学思想」(『教育科学セミナリー』49)は、沼田の著書『元田永孚と明治国家』(吉川弘文館)を、「元田思想の全貌解明を追求された意欲的労作」と呼ぶ。 https://t.co/nGh28SivxU
大正10年6月19日、鍋島直大が死去。幕末の肥前佐賀藩主で、鍋島閑叟の子。明治13年にイタリア公使として海外赴任。谷口眞子「読み替えられた「葉隠」」(『早稲田大学高等研究所紀要』9)は、中村郁一という人が、直大を通じて葉隠を天皇に献納しようとしたことに言及。 https://t.co/2ZRO7XM7yd
川内有子「1860年代における西洋人の「忠臣蔵」へのまなざし」(『アート・リサーチ』20、2020年)によれば、赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件が西洋人に初めて言及されたのは1820年だが、注目されるようになったのは幕末期以降。その様相を、英国公使オールコックを中心に分析。 https://t.co/G72X4Euxxt
明治44年6月15日、大鳥圭介が死去。幕末の幕臣で、戊辰戦争・箱館戦争で新政府軍に抗戦。学習院の院長、清国公使などを歴任。長佐古美奈子「大鳥圭介関係史料について」(『学習院大学史料館紀要』18)は、大鳥の関係史料が孫の大鳥蘭三郎から寄贈された経緯などを紹介。 https://t.co/SOcRXqsrk5
明治14年6月14日、向坂兌が死去。塩澤全司・高橋昭「勝沼精藏先生の嘆息-杉浦重剛撰文「向阪兌之墓」-」(『山梨医科大学紀要』17)によれば、「明治維新に活躍した日本の法曹界の偉人」。明治9年に正木退蔵の引率で英国留学、法廷弁護士の資格を得てヨーロッパ各地で活躍。 https://t.co/RRkI5Y65dc
大正4年6月14日、鍋島直彬が死去。幕末の肥前鹿島藩主で、佐賀藩主・鍋島閑叟の甥。明治12年に初代沖縄県令に就任。高橋央「大隈重信と鍋島直彬」(『早稲田大学史記要』46)は、維新前から交流があった大隈重信の第一次内閣期に貴族院議員として協力関係にあったことを紹介。 https://t.co/3MQRHT3m2d
大正8年6月12日、井上友一が死去。地方行政を担う内務官僚として活躍し、内務省神社局長、明治神宮造営局長、東京府知事などを歴任。福祉行政にも尽力。木下順「もうひとりの井上友一」(『経済学雑誌』115-3、2015年)は、事績や思想の全体像が明らかにされていないと指摘。 https://t.co/6YVe9zlpAp
京浜歴史科学研究会編『近代京浜社会の形成』(岩田書院)。 神谷大介「弘化・嘉永期における幕府砲術稽古場と江戸湾防備の展開」、奥田晴樹「梵鐘の海防供出」、鈴木由子「和親条約締結直後のアメリカ船への対処」など。 下記PDFは『社会経済史学』72-3の上山和雄氏の書評。 https://t.co/xmVLLU3Xxh
Le Roux Brendan「フランス人宣教師メルメ・カションの「日本のヒエラルヒーに関する研究」」(『言語文化研究』31-2、2012年)は、幕末維新期の日本で活動したメルメ・カションが箱館で書いたと思われる史料を、和訳して紹介。竹内保徳と思われる人物などが出る。 https://t.co/YNaPCepzSd
阿部裕樹「鳥取藩軍・新国隊をめぐる諸問題-創立者・岸本辰雄の周辺-」(『明治大学史資料センター報告』35、2013年)は、明治大学の創立者・岸本辰雄が所属していた組織で、慶応4年3月に京都で結成された新国隊を分析。新国隊を「鳥取藩の重要な実戦部隊」とする。 https://t.co/FzaagLl1jL
塩崎智「1870年に実施された米国国勢調査」(『人文・自然・人間科学研究』41、拓殖大学、2019年)は、幕末維新期に米国留学した日本人(例えば、日銀総裁となった富田鉄之助など)について、米国の国勢調査から分析。彼らが下宿した家の家主などを含め、生活の実態を分析。 https://t.co/RV371REpfA

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拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)が既にダウンロード可能となっていました(^^)https://t.co/A65OnLMHFg メチャ大部で恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。

116 0 0 0 OA 官報

年賀状に質問を書いて送るの禁止~(笑) 当アカウントは個別の質問にはお答えしておりません。以下、独り言です。 明治期の外交官及領事官官制(勅令第257号。明治23年10月21日)でしたら、ここに載っていました。https://t.co/u0CfQnjROw (国立国会図書館) https://t.co/BWNV5lfFlK
神田千里「大友宗麟の改宗 : その実態と背景」『東洋大学文学部紀要. 史学科篇』(40), 71-110, 2014 PDFあり。 https://t.co/7kqzAdnnXr

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学術論文はこれくらいですね 。 タピオカで地域も「映ば える」のか? -愛媛県松山市中心部の大街道・銀天街商店街に関する大学生による手描き地図の変化を手がかりに- https://t.co/OMbuvSSBT3 タピオカブームにおける台湾茶飲料店の立地展開:ー2013〜2019年の東京都区部ー https://t.co/JEJUwYu6ab
学術論文はこれくらいですね 。 タピオカで地域も「映ば える」のか? -愛媛県松山市中心部の大街道・銀天街商店街に関する大学生による手描き地図の変化を手がかりに- https://t.co/OMbuvSSBT3 タピオカブームにおける台湾茶飲料店の立地展開:ー2013〜2019年の東京都区部ー https://t.co/JEJUwYu6ab

663 95 49 28 OA 植民地統治論

RT @ekesete1: 忘れてる人が多いが、日本は植民地支配した側 泉哲「植民地統治論」1924年 日本の植民地 一、朝鮮 二、台湾 三、南洋委任統治地カロリン、ペリウ、マリアン、マーシャール群島、 四、関東租借地 五、南樺太 https://t.co/kajzKOxA…
RT @zasetsushirazu: 平成18年(2006年)1月22日、高橋秀直が死去。大著『日清戦争への道』(東京創元社)の著者。井上勝生氏は、高橋氏の幕末研究をまとめた遺稿集『幕末維新の政治と天皇』(吉川弘文館)の書評(『史林』91-2)で、「比肩することができない、大…
RT @shinkai35: これを主に参照しました。 https://t.co/FVQyGwaIUC
コーヒーで胃痛になるのはカフェインに耐性がないわけではない。お茶や紅茶と圧倒的に違うのはクロロゲン酸が多量に含まれていて、カフェインとクロロゲン酸を同時に取ることで胃粘膜に影響を与え、人により胃酸過多を起こす。https://t.co/iUQ2syxWrV
RT @zasetsushirazu: 平成18年(2006年)1月22日、高橋秀直が死去。大著『日清戦争への道』(東京創元社)の著者。井上勝生氏は、高橋氏の幕末研究をまとめた遺稿集『幕末維新の政治と天皇』(吉川弘文館)の書評(『史林』91-2)で、「比肩することができない、大…
同じく安東量子さんによる書評→ 安克昌『心の傷を癒すということ』&中井久夫『災害がほんとうに襲った時』https://t.co/9x2EqaMP3B 安東さんの論文「エートス(実用的放射線防護文化)の構築にむけて」→ https://t.co/FVI3lie1MK
立法調査資料『レファレンス』No.840 新型コロナウイルス感染拡大のエンタテインメント分野への影響と支援 https://t.co/viEBQqwayG
立法調査資料『レファレンス』No.840 新型コロナウイルス感染症と日本経済―家計及び企業部門への影響と政策対応― (PDF: 1133KB) https://t.co/tYRKPVNtbc
RT @FanTaiyo: 「岐阜羽島駅は大野伴睦の政治駅」説をいまだに主張する方は「岐阜だと大回りすぎるにしても、せめて大垣を通るべきだったのに羽島になったのはやはり伴睦が。。。」と言いがちだったりするが、名神高速道路だと大垣市内で40cmも地盤沈下しているのでやっぱりしんど…
RT @zasetsushirazu: 平成18年(2006年)1月22日、高橋秀直が死去。大著『日清戦争への道』(東京創元社)の著者。井上勝生氏は、高橋氏の幕末研究をまとめた遺稿集『幕末維新の政治と天皇』(吉川弘文館)の書評(『史林』91-2)で、「比肩することができない、大…
https://t.co/K5CrFg7RhN 藪田貫(1995)「[講演記録] 都市が変わるとき」。 「とくに20世紀に入っての変貌は、同時代人をして<江戸>ばかりか、<明治>の大阪をも、回想の世界に置いた。「古きよき大阪」である。それはおもに、江戸時代の後期から明治30年代にかけての大阪の姿である」。
RT @zasetsushirazu: 平成18年(2006年)1月22日、高橋秀直が死去。大著『日清戦争への道』(東京創元社)の著者。井上勝生氏は、高橋氏の幕末研究をまとめた遺稿集『幕末維新の政治と天皇』(吉川弘文館)の書評(『史林』91-2)で、「比肩することができない、大…
RT @zasetsushirazu: 平成18年(2006年)1月22日、高橋秀直が死去。大著『日清戦争への道』(東京創元社)の著者。井上勝生氏は、高橋氏の幕末研究をまとめた遺稿集『幕末維新の政治と天皇』(吉川弘文館)の書評(『史林』91-2)で、「比肩することができない、大…

11 1 1 0 OA 生きている歴史

@monaco1853 この本に江藤さんに関する回想が載っています✨ https://t.co/wC2AEO2a2W
RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…
RT @zasetsushirazu: 昭和47年(1972年)1月21日、『帰ってきたウルトラマン』第41話「バルタン星人Jrの復讐」が放送。花岡敬太郎「「帰ってきたウルトラマン」制作過程から読み解く1970年代の変容の兆し」(『明治大学大学院文学研究論集』49)は、郷秀樹と…
RT @zasetsushirazu: 昭和47年(1972年)1月21日、『帰ってきたウルトラマン』第41話「バルタン星人Jrの復讐」が放送。花岡敬太郎「「帰ってきたウルトラマン」制作過程から読み解く1970年代の変容の兆し」(『明治大学大学院文学研究論集』49)は、郷秀樹と…
RT @NDLJP_en: Find your favorite #ChildrensBook at the NDL Digital Collections! You can enjoy a wonderful picnic like in this book. https:/…
RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…
RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…
RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…
RT @quiriu_pino: #こんな論文が出ていたようです 山野 龍太郎「野与党大蔵氏の一族分業」埼玉史談 64(3), 13-21, 2019-01 https://t.co/6asA61mX3F
RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…
RT @konamih: 比嘉照夫氏の言説は科学とはまったく縁のないオカルトです。「波動の作物生理学」という「論文」を見れば一目瞭然です。 https://t.co/C13fvW4XMQ .@breathingpower さんの「EM菌開発者・比嘉照夫先生のお人柄」https:…
RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…
RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…
RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…

27 20 20 0 OA 名流情話

RT @rekishiclub: モルガンはお雪と結婚する前に、婚約破棄された経験があるようです。 その際、今でいうところの慰安旅行に出たところ、日本でお雪と恋に落ちたみたいですね。 真偽はさておき、泉斜汀『名流情話』(蜻蛉館、1917)にモルガンとお雪のエピソードが載っていま…
RT @ryusukematsuo: 趙星銀「戦後日本の世代論――1950年代を中心に」明治学院大学『国際学研究』57号,49-68頁,2020年10月 https://t.co/QI3lQXgbwy
立法調査資料『#調査と情報-ISSUE BRIEF-』No.1129「災害廃棄物対策をめぐる現状と課題」(PDF:459KB)を掲載しました https://t.co/UvtfnWJsWO
参考文献 薔薇十字とユートピア : 作者としてのJ. V. アンドレーエ 著者: シュルーター, 智子 誌名: 基督教学 https://t.co/4L4u3kMTxU 抄録の要約 ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ 『化学の結婚』と『クリスティアノポリス』という二つの作品によってその名を後世に残している。
RT @kanayVc: 今日誕生日の坂田昌一(1911―70)の無限階層論は、彼なりのマルクス主義理解に基づいてのものでもありました。どういうこと? と思われた方は是非以下の拙稿をご覧ください。 https://t.co/oDt7UaiCNm  >RT
RT @hayakawa2600: 数ヶ月前に知った、熊本県下の市町村における「家督相続復活決議」運動についての論文。これ日本国憲法第24条を改正して家督相続の復活を求めるもので、1973年から1975年まで続いたというのでびっくり:「熊本県における家督相続復活決議と農家相続」…

フォロワー(625ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)

RT @kmkr_01: 岡本喜八『日本のいちばん長い日』の天皇表象を読む――音響と配役を手掛りに 羽鳥 隆英 https://t.co/ocW352hl3h 一寸面白い論考。 「山河燃ゆ」の天皇の描写は『日本のいちばん長い日』(1967年版)を踏襲している。
@kous37 その講筵から広まったので、まだ若い学問ですが、近世史とかあるいは逆にグローバルヒストリー系とかでやる人はいる印象はありますけどね。https://t.co/kwl2rB92YC
論文ありました・・・ https://t.co/K7N4ZucK6f https://t.co/tcis2X8QCu
RT @KMYM_photosho89: https://t.co/r9tS3qGxMQ 祭りの存続は地域の社会的つながりの維持にとって大事なこと(小並感)
RT @LsKannsi: 北京におけるベトナム使節と朝鮮使節の交流 ― 15 世紀から 18 世紀を中心に― https://t.co/ROpR9ClnQR
【拙稿紹介 3番目】 こんな論文を書いてきました。 「スタディスキルセミナーにおけるLMSを利用した授業実践と展望」 → https://t.co/kFh0HyNFyl
【拙稿紹介 2番目】 こんな論文を書いてきました。 「ライティング科目におけるLMSを活用したアクティブ・ラーニングの試み」 → https://t.co/LYMRWWXBYz
RT @zasetsushirazu: 平成18年(2006年)1月22日、高橋秀直が死去。大著『日清戦争への道』(東京創元社)の著者。井上勝生氏は、高橋氏の幕末研究をまとめた遺稿集『幕末維新の政治と天皇』(吉川弘文館)の書評(『史林』91-2)で、「比肩することができない、大…
RT @zasetsushirazu: 平成18年(2006年)1月22日、高橋秀直が死去。大著『日清戦争への道』(東京創元社)の著者。井上勝生氏は、高橋氏の幕末研究をまとめた遺稿集『幕末維新の政治と天皇』(吉川弘文館)の書評(『史林』91-2)で、「比肩することができない、大…

23 12 12 0 OA 戦争史概観

RT @DlKtKXJ1hq5dbgC: @May_Roma 陸軍大学校で教鞭をとっていた四手井綱正陸軍中将が書いた「戦争史概観」ナカナカ分かりやすく、おススメ本! ただで読める! https://t.co/hibTB0MCuy

1392 29 27 1 OA 殖民地要覧

RT @demauyo_tadaimo: お兄ちゃんは「韓国併合は植民地支配とは違う!」と言うけど当時の日本政府は堂々と公文書で朝鮮を植民地呼ばわりしてたよ。今さら改竄は無理よ? https://t.co/twR4TDKqTr https://t.co/yQy5eEleE0 h…
【拙稿紹介 3番目】 こんな論文を書いてきました。 「スタディスキルセミナーにおけるLMSを利用した授業実践と展望」 → https://t.co/kFh0HyNFyl
【拙稿紹介 1番目】 こんな論文を書いてきました。 「LMSとラーニング・コミュニティ : ライティング科目での授業実践にもとづくCMC研究からのアプローチ」→ https://t.co/Y2s5d3sUS7
立法調査資料『レファレンス』No.840 新型コロナウイルス感染拡大のエンタテインメント分野への影響と支援 https://t.co/viEBQqwayG
立法調査資料『レファレンス』No.840 新型コロナウイルス感染症と日本経済―家計及び企業部門への影響と政策対応― (PDF: 1133KB) https://t.co/tYRKPVNtbc
RT @zasetsushirazu: 平成18年(2006年)1月22日、高橋秀直が死去。大著『日清戦争への道』(東京創元社)の著者。井上勝生氏は、高橋氏の幕末研究をまとめた遺稿集『幕末維新の政治と天皇』(吉川弘文館)の書評(『史林』91-2)で、「比肩することができない、大…
https://t.co/K5CrFg7RhN 藪田貫(1995)「[講演記録] 都市が変わるとき」。 「とくに20世紀に入っての変貌は、同時代人をして<江戸>ばかりか、<明治>の大阪をも、回想の世界に置いた。「古きよき大阪」である。それはおもに、江戸時代の後期から明治30年代にかけての大阪の姿である」。
RT @zasetsushirazu: 平成18年(2006年)1月22日、高橋秀直が死去。大著『日清戦争への道』(東京創元社)の著者。井上勝生氏は、高橋氏の幕末研究をまとめた遺稿集『幕末維新の政治と天皇』(吉川弘文館)の書評(『史林』91-2)で、「比肩することができない、大…

11 1 1 0 OA 生きている歴史

@monaco1853 この本に江藤さんに関する回想が載っています✨ https://t.co/wC2AEO2a2W
RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…
RT @zasetsushirazu: 昭和47年(1972年)1月21日、『帰ってきたウルトラマン』第41話「バルタン星人Jrの復讐」が放送。花岡敬太郎「「帰ってきたウルトラマン」制作過程から読み解く1970年代の変容の兆し」(『明治大学大学院文学研究論集』49)は、郷秀樹と…
RT @zasetsushirazu: 昭和47年(1972年)1月21日、『帰ってきたウルトラマン』第41話「バルタン星人Jrの復讐」が放送。花岡敬太郎「「帰ってきたウルトラマン」制作過程から読み解く1970年代の変容の兆し」(『明治大学大学院文学研究論集』49)は、郷秀樹と…
RT @shigekzishihara: 入眠時心像ですね.なぜこれが見えるのかメカニズムについては,未だよくわかっていないと思います.人によって様々で研究が難しいのですが,論文は 嵩原・田中・岩城 (2018) 入眠時心像を用いた入眠過程における感情効果に関する心理生理学的研…
【拙稿紹介 3番目】 こんな論文を書いてきました。 「スタディスキルセミナーにおけるLMSを利用した授業実践と展望」 → https://t.co/kFh0HyNFyl
【拙稿紹介 2番目】 こんな論文を書いてきました。 「ライティング科目におけるLMSを活用したアクティブ・ラーニングの試み」 → https://t.co/LYMRWWXBYz
RT @NDLJP_en: Find your favorite #ChildrensBook at the NDL Digital Collections! You can enjoy a wonderful picnic like in this book. https:/…
RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…
RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…
RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…
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RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…
RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…
RT @zasetsushirazu: 明治43年1月20日、清水卯三郎が死去。慶応3年のパリ万博に、唯一の日本人商人として出品。薩英戦争後に五代友厚と寺島宗則を匿った。白山映子「清水卯三郎の政治観」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』49)は、「海外からの啓蒙思想を移入した人…
【拙稿紹介 3番目】 こんな論文を書いてきました。 「スタディスキルセミナーにおけるLMSを利用した授業実践と展望」 → https://t.co/kFh0HyNFyl
【拙稿紹介 2番目】 こんな論文を書いてきました。 「ライティング科目におけるLMSを活用したアクティブ・ラーニングの試み」 → https://t.co/LYMRWWXBYz
【拙稿紹介 1番目】 こんな論文を書いてきました。 「LMSとラーニング・コミュニティ : ライティング科目での授業実践にもとづくCMC研究からのアプローチ」→ https://t.co/Y2s5d3sUS7
RT @dellganov: CiNii 論文 - 公共図書館とマンガ : ありふれた図書館資料として収集・提供するために (特集 マンガという体験、図書館という環境) -- (実践の現場から) https://t.co/EVsuK14rLp #CiNii

27 20 20 0 OA 名流情話

RT @rekishiclub: モルガンはお雪と結婚する前に、婚約破棄された経験があるようです。 その際、今でいうところの慰安旅行に出たところ、日本でお雪と恋に落ちたみたいですね。 真偽はさておき、泉斜汀『名流情話』(蜻蛉館、1917)にモルガンとお雪のエピソードが載っていま…
家康が直接織田家に人質に送られたかどうか、というのが話題になっているので、とりあえず出典論文置いておくなどします ネットで読めるものなので、とりあえず読んだ方が早い 村岡幹生「織田信秀岡崎攻落考証」(『中京大学文学会論叢』1号 2015年) https://t.co/fGkkftd1vV
参考文献 薔薇十字とユートピア : 作者としてのJ. V. アンドレーエ 著者: シュルーター, 智子 誌名: 基督教学 https://t.co/4L4u3kMTxU 抄録の要約 ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ 『化学の結婚』と『クリスティアノポリス』という二つの作品によってその名を後世に残している。
【拙稿紹介 2番目】 こんな論文を書いてきました。 「ライティング科目におけるLMSを活用したアクティブ・ラーニングの試み」 → https://t.co/LYMRWWXBYz
【拙稿紹介 1番目】 こんな論文を書いてきました。 「LMSとラーニング・コミュニティ : ライティング科目での授業実践にもとづくCMC研究からのアプローチ」→ https://t.co/Y2s5d3sUS7
【拙稿紹介 3番目】 こんな論文を書いてきました。 「スタディスキルセミナーにおけるLMSを利用した授業実践と展望」 → https://t.co/kFh0Hz5gWV
【拙稿紹介 2番目】 こんな論文を書いてきました。 「ライティング科目におけるLMSを活用したアクティブ・ラーニングの試み」 → https://t.co/LYMRWWG171

7 1 1 0 OA 文明源流叢書

RT @kasuga391: @mon_emon 文政10年に刊行された『気海観瀾』(1827年)では「越列吉的爾(エレキテル)」の名で静電気が説明されてます。 https://t.co/KUrrSgGiAY 「その性質(=電子)はあらゆる物体に含まれており、普段はバランスが取…