太田鳴雪 (@zasetsushirazu)

投稿一覧(最新100件)

塚越俊志「幕末の条約について」(『弘前大学国史研究』141、2016年)は、岩下哲典編『江戸時代 来日外国人人名辞典』(東京堂出版、2011年)に掲載した文章を改稿したもので、幕末期に幕府が諸外国と結んだ条約を解説。「幕末期条約内容比較(条項別)」という表も掲載。 https://t.co/iBlWTtRz7V
明治15年8月9日、大島友之允が死去。幕末の対馬藩士で、木戸孝允と親しかった。沈箕載「幕末期の幕府の朝鮮政策と機構の変化」(『史林』77-2)によれば、朝鮮進出(征韓)を主張し、対馬藩への財政援助を幕府に要求する運動に積極的で、幕閣に働きかけを行った。 https://t.co/i7A1xGyx34
明治29年8月5日、宮崎元立(宮崎蘇庵)が死去。小白藩医の家に生まれ、大村益次郎や伊東玄朴に師事した。日本で最初に市販された英和辞書『英和対訳袖珍辞書』の校訂者。三好彰「宮崎元立と英学」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』5、2011年)参照。 https://t.co/UQ5ijea0gS
上田純子「萩藩文久改革期の政治組織-政事堂の創設と両職制の改編-」(『史学雑誌』109-11、2000年)は、いわゆる長州藩の本藩である萩藩の文久改革期を分析。それによれば、文久期の藩権力中枢は、「自藩士に限らず「有志」を優遇」し、言路洞開や人材登用を推進した。 https://t.co/7f9iQ9RlY0
平成24年(2012年)8月3日、哲学者の上山春平が死去。その研究対象は歴史や文化など多方面に及び、『明治維新の分析視点』(講談社)などの著作もある。山口輝臣「哲学者による維新」(『史淵』152)は、上山による遠山茂樹や井上清といった維新史家への批判を紹介。 https://t.co/XHyBaj3OQf
遠藤由紀子「会津藩家老山川家の明治期以降の足跡」(『女性文化研究所紀要』45、2018年)は、山川浩、山川健次郎、大山巌に嫁いだ捨松をはじめ、彼らが全部で7人の兄弟姉妹だったことを紹介。その中でも有名とは言い難いミワに焦点を当て、婚家の桜井家の記録を分析。 https://t.co/NDWXjm2a90
平成28年(2016年)7月27日、歴史家の安岡昭男が死去。主要著書に『幕末維新の領土と外交』(清文堂出版)、『副島種臣』(吉川弘文館)、『陸奥宗光』(清水書院)など。「安岡昭男先生を送る」(『法政史学』50)に、年譜と著作目録あり。学生時代の指導教授は藤井甚太郎。 https://t.co/Qad0g2MOKb
森本峰子「江戸時代の古地図に見るオーストラリア」(『英米文化』30)曰く、「鎖国の世の日本人にとって海外の国々は生涯決して訪れることのない、幻の世界であった」。その時代の地図における豪州の描き方について、地図製作者を仏教系、朱子学系、蘭学系に分類して分析。 https://t.co/HQlfPVJxoa
池田勇太「元田永孚における開国論への転換」(『異文化研究』11、2017年)は、「攘夷は和親との対で和戦の問題、開国は鎖国との対で国交・貿易の問題」と整理し、鎖国体制下での和親や開国を見据えた破約攘夷論などの外交態度があったことを前提に、幕末期の元田永孚を分析。 https://t.co/NGFaGJQ1my
間瀬久美子「近世後期の朝廷と幕府の災害祈禱」(『千葉経済論叢』61、2019年)によれば、幕末の京都朝廷が行う祈祷は攘夷問題が大半となり、一方で幕府は地震災害に関連する祈祷を推進。内憂外患で権威を喪失した幕府は、祈祷の発令で権威の回復を企図したものと指摘。 https://t.co/dy0xpIFwf0
安政3年6月20日(1856年7月21日)、天文方の渋川景佑が死去。天文方・高橋景保の弟。天保暦を作成。湯浅吉美「2033年の旧暦問題について」(『埼玉学園大学紀要 人間学部篇』14)曰く、天保暦は「天保15年(=弘化元年、1844)から明治5年(1872)まで用いられた」。 https://t.co/VAI40tRNVU
弘化3年閏5月27日(1846年7月20日)、米国使節のビッドルが浦賀に来航。7年後のペリーと同じ東インド艦隊司令長官で、当時の衝撃は決して小さくない。上松俊弘「ビッドル来航と海防問題」(『史林』85-1)曰く、「ビッドル来航が本格的な海防議論を生起した」。 https://t.co/hXcW6FiakQ
樋口雄彦「旧幕府陸軍の解体と静岡藩沼津兵学校の成立」(『国立歴史民俗博物館研究報告』121)は、明治初年の静岡藩が設立した沼津兵学校が、幕末の幕府による軍制改革の到達点でありながらも、切り捨てざるを得なかったものも多い点を論じ、非軍事面の先進性などを指摘。 https://t.co/IffcU3LL41
佐藤麻里「将軍の死と「自粛」する江戸社会」(『学校教育学研究論集』24、2011年)は、江戸時代後期の将軍死去による鳴物停止などをめぐる「自粛」と「強制」の問題を分析。特に、商売停止は町奉行の命令ではなく、町名主の「申合わせ」から始まった「自粛」だったとする。 https://t.co/CIzzLPddCe
明治31年7月5日、神田孝平が死去。幕末期に幕府の蕃書調所および開成所で教授職などを務めた。奈倉哲三「もう一つの戊辰戦争」(『国立歴史民俗博物館研究報告』157、2010年)は、慶応4年4月の『中外新聞』第12号に掲載の神田による論説「日本国当今急務五カ条の事」を紹介。 https://t.co/ciEqNG3wM6
大正13年7月4日、下橋敬長が死去。幕末の一条家に仕えた。平凡社東洋文庫が復刻した『幕末の宮廷』の著者として知られ、同書は江戸時代の京都朝廷や天皇の研究に活用されている。武田勝藏「幕末の宮廷(下橋敬長翁述)」(『史学』2-3、1923年)は、その書評。 https://t.co/LnhmYSJTAA

6 0 0 0 OA 佐賀藩海軍史

昭和23年(1948年)7月2日、秀島成忠が死去。慶応元年生まれの海軍軍人(海軍少将)で、台湾総督府参謀長などを務めた後、『佐賀藩海軍史』(知新会)、『佐賀藩銃砲沿革史』(肥前史談会)を著した。両書ともに原書房が復刻。下記は、国会図書館デジコレの『佐賀藩海軍史』。 https://t.co/Vs1PZYPlxn
宮地哉恵子「幕末期における海外情報の受容過程」(『参考書誌研究』39、1991年)は、「蛮社の獄」直前〜ペリー来航直後の時期について、蘭書の輸入と受容を分析。アヘン戦争以降、「世界についてのより正確な知識」が希求されたと言う。下記リンクから論文PDFを閲覧可能。 https://t.co/B1nn9uStC7
昭和51年(1976年)6月30日、鎌田永吉が死去。国文学研究資料館の教授を務めた歴史家で、秋田の幕末維新史などを研究。死後、『幕藩体制と維新変革』(鎌田永吉遺稿集刊行会)が刊行された。遺稿「近世史料の分類」(『史料館研究紀要』9)は、講習会の講義案草稿の活字化。 https://t.co/QmQwXC25li
文久元年5月22日(1861年6月29日)、森田岡太郎(森田清行)が死去。万延元年遣米使節団に勘定方として随行した幕臣で、三浦太郎「"書籍館"の誕生」(『東京大学大学院教育学研究科紀要』38)曰く、「書籍館」という言葉を最初に使い始めた(「図書館」という言葉の誕生前)。 https://t.co/ZKWL77vSXE
明治5年5月24日(1872年6月29日)、土肥大作が死去。丸亀藩出身の尊攘派志士としての活動を経て、丸亀藩権大参事に就任。中山光勝「明治4年・丸亀県土肥大作襲撃事件関係資料(1)」(『身延山大学仏教学部紀要』2)は、家禄削減をめぐる問題で起きた襲撃事件の資料を紹介。 https://t.co/agsgOvj62t
明治42年6月27日、靖国神社境内の能楽堂で、防長史談会の創立大会が開催され、中原邦平と村田峰次郎が講演。広田暢久「毛利家編纂事業史 其の三」(『山口県文書館研究紀要』3)は、その創立の背景に末松謙澄の『防長回天史』への対抗があったとする。下記は論文へのリンク。 https://t.co/Vn7oNA5pkR
文政5年5月7日(1822年6月25日)、亜欧堂田善が死去。江戸時代を代表する洋画家で、ゴジラやウルトラマンを生み出した特撮の神様・円谷英二の祖先。坂本篤史「亜欧堂田善の銅版画についての一考察」(『美術史論集』16)は、「ピョートル大帝」などの作品を分析。 https://t.co/fO2la2xIRL
文久2年5月25日(1862年6月22日)、佐賀藩士の中野方蔵が死去。大橋訥庵との交流によって坂下門外の変への関与を疑われ、獄死。星原大輔「江藤新平の明治維新」(『ソシオサイエンス』12)曰く、江藤新平は中野の死をきっかけに脱藩し、その際に木戸孝允らとの人脈を得た。 https://t.co/3GQxaPE8pZ
平成16年(2004年)6月19日、歴史家の沼田哲が死去。元田永孚研究の第一人者で、上田浩史「元田永孚の思想形成と儒教的教学思想」(『教育科学セミナリー』49)は、沼田の著書『元田永孚と明治国家』(吉川弘文館)を、「元田思想の全貌解明を追求された意欲的労作」と呼ぶ。 https://t.co/nGh28SivxU
大正10年6月19日、鍋島直大が死去。幕末の肥前佐賀藩主で、鍋島閑叟の子。明治13年にイタリア公使として海外赴任。谷口眞子「読み替えられた「葉隠」」(『早稲田大学高等研究所紀要』9)は、中村郁一という人が、直大を通じて葉隠を天皇に献納しようとしたことに言及。 https://t.co/2ZRO7XM7yd
川内有子「1860年代における西洋人の「忠臣蔵」へのまなざし」(『アート・リサーチ』20、2020年)によれば、赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件が西洋人に初めて言及されたのは1820年だが、注目されるようになったのは幕末期以降。その様相を、英国公使オールコックを中心に分析。 https://t.co/G72X4Euxxt
明治44年6月15日、大鳥圭介が死去。幕末の幕臣で、戊辰戦争・箱館戦争で新政府軍に抗戦。学習院の院長、清国公使などを歴任。長佐古美奈子「大鳥圭介関係史料について」(『学習院大学史料館紀要』18)は、大鳥の関係史料が孫の大鳥蘭三郎から寄贈された経緯などを紹介。 https://t.co/SOcRXqsrk5
明治14年6月14日、向坂兌が死去。塩澤全司・高橋昭「勝沼精藏先生の嘆息-杉浦重剛撰文「向阪兌之墓」-」(『山梨医科大学紀要』17)によれば、「明治維新に活躍した日本の法曹界の偉人」。明治9年に正木退蔵の引率で英国留学、法廷弁護士の資格を得てヨーロッパ各地で活躍。 https://t.co/RRkI5Y65dc
大正4年6月14日、鍋島直彬が死去。幕末の肥前鹿島藩主で、佐賀藩主・鍋島閑叟の甥。明治12年に初代沖縄県令に就任。高橋央「大隈重信と鍋島直彬」(『早稲田大学史記要』46)は、維新前から交流があった大隈重信の第一次内閣期に貴族院議員として協力関係にあったことを紹介。 https://t.co/3MQRHT3m2d
大正8年6月12日、井上友一が死去。地方行政を担う内務官僚として活躍し、内務省神社局長、明治神宮造営局長、東京府知事などを歴任。福祉行政にも尽力。木下順「もうひとりの井上友一」(『経済学雑誌』115-3、2015年)は、事績や思想の全体像が明らかにされていないと指摘。 https://t.co/6YVe9zlpAp
京浜歴史科学研究会編『近代京浜社会の形成』(岩田書院)。 神谷大介「弘化・嘉永期における幕府砲術稽古場と江戸湾防備の展開」、奥田晴樹「梵鐘の海防供出」、鈴木由子「和親条約締結直後のアメリカ船への対処」など。 下記PDFは『社会経済史学』72-3の上山和雄氏の書評。 https://t.co/xmVLLU3Xxh
Le Roux Brendan「フランス人宣教師メルメ・カションの「日本のヒエラルヒーに関する研究」」(『言語文化研究』31-2、2012年)は、幕末維新期の日本で活動したメルメ・カションが箱館で書いたと思われる史料を、和訳して紹介。竹内保徳と思われる人物などが出る。 https://t.co/YNaPCepzSd
阿部裕樹「鳥取藩軍・新国隊をめぐる諸問題-創立者・岸本辰雄の周辺-」(『明治大学史資料センター報告』35、2013年)は、明治大学の創立者・岸本辰雄が所属していた組織で、慶応4年3月に京都で結成された新国隊を分析。新国隊を「鳥取藩の重要な実戦部隊」とする。 https://t.co/FzaagLl1jL
塩崎智「1870年に実施された米国国勢調査」(『人文・自然・人間科学研究』41、拓殖大学、2019年)は、幕末維新期に米国留学した日本人(例えば、日銀総裁となった富田鉄之助など)について、米国の国勢調査から分析。彼らが下宿した家の家主などを含め、生活の実態を分析。 https://t.co/RV371REpfA

8 0 0 0 IR 橘耕斎伝

明治18年5月31日、橘耕斎が死去。幕末期にロシア使節プチャーチンが来日した際、密出国してロシア政府に仕えた。福沢諭吉が参加した文久遣欧使節団など、日本使節がロシアを訪問した際には、影で接待を取り仕切った。中村喜和「橘耕斎伝」(『一橋論叢』63-4)などを参照。 https://t.co/xMHaRRS2WD
松井洋子「江戸時代の日本とオランダ」(『日本学士院紀要』27)曰く、17世紀のオランダ商館長は、オランダ総督を「七州の代表者が構成する最高権力体の一員であり、単独では戦争を始めたり同盟を結んだりすることはできない」と説明したが、幕閣は恐らく理解不能だった。 https://t.co/aZ1rhYqjfp
樋口雄彦「資料紹介 韮山県から慶應義塾への派遣学生」(『近代日本研究』34、2017年)によれば、明治初年の韮山代官江川家の当主は江川英武だが、幼少のため実務は柏木忠俊が担った。その柏木が推進したのが、県民の東京などへの遊学、中でも慶應義塾への留学だったという。 https://t.co/7trm2zex3O
彬子女王「女性皇族の衣装の変移について」(『京都産業大学日本文化研究所紀要』24、2019年)は、お雇い外国人たちが「ヨーロッパ宮廷では古来の衣装を用いる向きがある」として女性皇族の洋装化に否定的な一方で、伊藤博文らが形からの西洋化を試みたのだろうと推測。 https://t.co/H5L4XTZYvy
別所興一「書評 羽賀祥二・名古屋市蓬左文庫編著『名古屋と明治維新』(風媒社)、秦達之著『尾張藩草莽隊 戊辰戦争と尾張藩の明治維新』(風媒社)」(『愛知県史研究』24、2020年)は、明治維新150年として2018年に風媒社から刊行された2冊の書籍の書評。 https://t.co/Nu4JMosO20
明治35年5月25日、宗重正(宗義達)が死去。幕末の対馬藩主で、孝明天皇の加茂社行幸と岩清水行幸に随従。明治初期まで対朝鮮外交を担当した。鈴木文「明治初期日朝関係と詩文応酬」(『史観』160、2009年)は、明治8年に朝鮮修信使が来日した際の、宗重正による饗応に言及。 https://t.co/VX8FwjHB73
明治42年5月24日、松平太郎が死去。箱館戦争の蝦夷島政権で、入札によって副総裁に選ばれた。濱口裕介「榎本武揚「共和国」言説に関する一考察」(『札幌大学女子短期大学部紀要』65)は、榎本らを共和国と呼ぶ根拠の1つが入札の実施とするが、実態は共和国と呼べないと指摘。 https://t.co/Z5j7Jk8x7d
中川邦昭「知恩院・京都写真発祥の地-堀内信重の業績-」(『日本写真学会誌』67-2)は、慶応元年の堀与兵衛が京都における写真撮影の先駆者だという説を疑問視し、『越前藩幕末維新公用日記』(福井県郷土誌懇談会)の口絵写真などを手がかりに堀内信重の方が先とする。 https://t.co/fSOI62qJq9
明治40年5月13日、金井之恭(金井金洞)が死去。慶応3年に挙兵を計画して投獄された。明治期に元老院議官などを歴任。著名な書家で、柳田さやか「明治期の竜池会・日本美術協会における書の位置」(『書学書道史研究』25)は、金井らが創設した六書協会の「美術」志向を分析。 https://t.co/NqH9HYIDpC
明治38年5月9日、小野義真が死去。幕末の土佐藩出身で、岩崎弥之助・井上勝と共に小岩井農場を創設した(3人の頭文字から命名)。井上琢智「小野義真と日本鉄道株式会社」(『経済学論究』63-3)曰く、「日本における運輸事業の近代化の初期の段階で大きな役割を演じた」。 https://t.co/mGIauJ8x82
明治32年5月8日、村田氏寿が死去。幕末の越前福井藩士で、『続再夢紀事』の編纂者。勝海舟が神戸に私塾を開く資金の援助を松平春嶽に求める際、門弟の坂本龍馬に託したのが、村田宛の書簡だった。吉田健「文久三年の龍馬と福井藩」(『福井県文書館研究紀要』8)参照。 https://t.co/UOawCo1JaQ
明治36年5月8日、奥愛次郎が死去。坂井達朗「二人の福澤門下生と彼等が創った学校」(『近代日本研究』4)によれば、著名人に揮毫を求め、それを換金する手法で学校設立の資金を集めた。著名人とは、品川弥二郎、伊藤博文、西郷従道、樺山資紀、榎本武揚、横山大観など。 https://t.co/oKYJiTwTdj
平成8年(1996年)5月6日、石井孝が死去。1957年刊行で1966年に増訂版が出た著書『明治維新の国際的環境』(吉川弘文館)について、池田敬正の書評(『史林』42-2、1959年)曰く、「後学のわれわれにとっては、全くかけがえのない贈物であると感謝しなければならない」。 https://t.co/AfV1PadsQK
1889年5月2日、ペルス・ライケンが死去。長崎海軍伝習所で勝海舟や五代友厚らを指導し、後にオランダの海軍大臣などに就任。杉本つとむ「幕末の洋学事情」(『早稲田大学図書館紀要』41)曰く、長崎海軍伝習所は「近代教育の形成のうえから、欠かすことのできない」機関。 https://t.co/w3TEC3AodR
明治14年5月2日、藤沢次謙が死去。幕末の幕臣で、慶応4年に勝海舟が陸軍総裁に就任した際、副総裁に就任。菊地久「維新の変革と幕臣の系譜(6)」(『北大法学論集』32-3)は、「幕政改革推進もしくは賛同の有司層」から明治政府に出仕した旧幕臣として紹介。 https://t.co/3aq5CZjJmA
上野大輔「幕末期長州藩における民衆動員と真宗」(『史林』93-3、2010年)によれば、村田清風は海防のために宗教も利用しようと考え、長州藩内の真宗僧侶たちもキリスト教や排仏論への対抗から要請に応じた。月性の門下・大洲鉄然の僧兵隊結成の動きなどを分析。 https://t.co/epYE9WUSSW
れいのるず秋葉かつえ「自称詞の歴史社会言語学的研究―「拙者」から「僕」へ―」(『ことば』39)は、「僕」が日本語に定着していく過程を分析。幕末の吉田松陰は「僕」を最初に使った人ではないが、「「僕」を多用し、「僕」を広げた人」だと指摘。渡辺華山の事例などを紹介。 https://t.co/Vqbx2DlZ6a
明治22年4月26日、狩野派の絵師・河鍋暁斎が死去。藤實久美子「河鍋洞郁(暁斎)『絵本鷹かゝみ』の史料学的考察」(『鷹・鷹場・環境研究』3、2019年)は、明治12年に出版された『絵本鷹かゝみ』が、文久2年には準備されていたことを紹介し、幕末の出版統制との関係に言及。 https://t.co/ATUGPRIp8e
明治43年4月26日、木梨精一郎が死去。幕末の長州藩出身で、戊辰戦争で各地を転戦。真栄平房昭「琉球処分と軍隊・歴代宝案のゆくえ」(『沖縄史料編集紀要』41)は、戊辰戦争で「江戸城接収」を担った木梨が、琉球処分においても「首里城接収」の役目を期待されたと指摘。 https://t.co/HwZhMHb4bs
有泉和子「フヴォストフ・ダヴィドフ事件と日本の見方」(『ロシア語ロシア文学研究』36)は、文化年間に起きた、レザノフの来航事件やゴロヴニン事件と並ぶ、日露関係の重要事件(蝦夷地周辺が攻撃された事件)を分析。3つの出来事が複雑に絡み合った実態を明らかにする。 https://t.co/oz0cWo1J4U
久住真也「「日本史」授業における考える習慣について」(『教職課程センター紀要』1)は、明治維新の始期と終期の考え方を巡り、「学説史においては,明治維新と言った場合,幕末を含むのが常識」だが、教科書の記述では「幕末と明治維新は別れている印象」があると言う。 https://t.co/ktba2foAkS
明治24年4月22日、吉井友実が死去。幕末の薩摩藩士で、西郷隆盛や大久保利通が京都不在の際に代役を果たすこともあった。坂本龍馬とも親しかった。中川未来「雑誌『国光』の創刊と吉井友実」(『愛媛大学法文学部論集 人文学編』46)は、帝国議会開設の頃の吉井の史料を紹介。 https://t.co/SG54BVPKtF
昭和43年(1968年)4月21日、『ウルトラセブン』第29話「ひとりぼっちの地球人」が放送された。プロテ星人が登場。学習院大学が撮影に使われた回で、天皇陛下が徳仁親王時代に、講演「目白キャンパスの思い出」(『学習院大学史料館紀要』16、2010年)の中で言及している。 https://t.co/pdTHWsbOYX
明治6年4月19日、司法卿・江藤新平、文部卿・大木喬任、左院議長・後藤象二郎が明治政府の参議に任命された。高橋秀直「征韓論政変の政治過程」(『史林』76-5)曰く、この人事に基づく改革は大蔵大輔・井上馨の期待を裏切り、井上と腹心・渋沢栄一の辞表提出に繋がる。 https://t.co/IhaUxVJ2AB
明治2年3月7日(1869年4月18日)、公議所が開設された。三村昌司「公議人の変遷について」(『東京未来大学研究紀要』7)曰く、「各藩の代表が一堂に会し、法律制定権が制度化されるなど、日本における近代的議会の嚆矢ともいえる」議事機関だった。後に、集議院に改称。 https://t.co/ep8behV2Z9
工藤憲一郎「藩屏概念の具現化をめぐる相剋-寺田屋事件の思想的一断面-」(『國士舘大學政経論叢』27-1)は、島津久光の率兵上京に関して、久光と有馬新七らの間で基本目標はほぼ同じだったが、軍事力行使に対する考えに隔たりがあったと指摘。 https://t.co/LxBEW9cFjv
土佐博文「佐倉順天堂門人とその広がり」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116、2004年)は、数千人の門人がいたとされる佐倉順天堂(蘭医・佐藤泰然が開いた)について、慶応元年閏5月の門人帳から、門人たちの事績を紹介。明治期に軍医となった西友輔らの関連史料も紹介。 https://t.co/xCZeOthyRO
熟美保子「近世後期における境界領域の特徴」(『経済史研究』11、2007年)は、日本と異国が接触する「境界領域」である近世長崎について、唐人屋敷をめぐる問題を分析。それは、外交問題であると同時に「うまく統治・阻止できないという点では幕府の内政問題」でもあった。 https://t.co/2LD60WRayp
坂西友秀「鎖国前後における日本人の西洋人観・黒人観の心理」(『埼玉大学紀要 教育学部 教育科学』51-2)は、近世の長崎出島には黒人奴隷もいたが、黒人を遊女屋に手引きした者が処罰された事例などから、日本人側に黒人を「人間以下」と見なす意識があったと指摘。 https://t.co/8GGksVT1fp
明治20年4月15日、伊地知貞馨(伊地知壮之丞、堀次郎、堀仲左衛門)が死去。幕末の薩摩藩出身で、島津久光の側近として重きをなした時期がある。薄培林「近代日中知識人の異なる琉球問題認識」(『関西大学東西学術研究所紀要』47)は、琉球処分に関わった伊地知に言及。 https://t.co/b1Q6imZ0Ds
明治11年4月8日、川村修就が死去。初代新潟奉行、堺奉行、大坂町奉行、長崎奉行などを歴任。菅良樹「嘉永・安政期の大坂町奉行川村修就」(『日本研究』46)は、川村が「西洋流砲術に精通していたこと」を強調し、ロシア使節プチャーチンの大坂来航への対応などを分析。 https://t.co/Wtgfcec9GE
1990年代以後の幕末維新史の実証研究に寄与した史料集の1つとして、小野正雄・稲垣敏子解読『杉浦梅潭 目付日記』と『杉浦梅潭 箱館奉行日記』を挙げることができる。どちらも1991年刊行。下記は、『史学雑誌』101-3(1992年)に掲載された、井上勝生氏による新刊紹介。 https://t.co/dm8YOEH6Lf
元治元年2月28日(1864年4月4日)、多田海庵(多田弥太郎)が死去。但馬出石藩出身の儒学者で、生野の変に参加した。横山俊一郎「多田海庵の海防意識」(『東アジア文化交渉研究』7、2014年)があり、同氏の著書『泊園書院の明治維新』(清文堂出版、2018年)に再録。 https://t.co/uKYuz599nX
1865年4月2日、リチャード・コブデンが死去。英国の政治家で、熊谷次郎「『書簡集』にみるコブデンの急進的自由主義(上)」(『桃山学院大学経済経営論集』60-4、2019年)曰く、薩英戦争で鹿児島の市街を砲撃した点について「恐ろしい残虐行為」と批判する演説を行った。 https://t.co/PUw4RS6dB3
明治12年4月1日、大原重徳が死去。文久2年に、勅使として島津久光を伴って江戸に赴き、幕政改革を要求した公家。外池昇「和宮降嫁と文久の修陵」(『人間文化研究』1)は、大原と一橋慶喜・松平春嶽の会談での、仁孝天皇17回忌のための和宮上洛問題と文久の修陵の話題を分析。 https://t.co/0gcv5clKe5
高木不二「黎明期の日本人米国留学生」(『近代日本研究』34、2017年)は、幕末維新期に米国留学した横井左平太と津田静一を紹介した講演録。前者は横井小楠の養子で、勝海舟と何礼之に師事。後者は「アジア・ヨーロッパ・アメリカによる世界三分鼎立化構想」を抱いたらしい。 https://t.co/1hgf8Vcqh7
天保2年2月18日(1831年3月31日)、オーストラリアの捕鯨船レディロウエナ号が蝦夷地に来航。2週間ほど滞在し、松前藩士と若干の銃撃戦もあった。村上雄一「オーストラリアの捕鯨船と日本」(『行政社会論集』11-4)曰く、船長ボーン・ラッセルは将軍と天皇を混同していた。 https://t.co/u5mNBDL9GZ
大正12年3月26日、加藤恒忠(加藤拓川)が死去。幕末の伊予松山藩出身で、甥に正岡子規がいる。『坂の上の雲』の主人公・秋山好古と同郷で、親友。外交官としてベルギー公使などを歴任。正岡明・今村暢好「加藤拓川資料集」(『松山大学論集』30巻5-1号)の年譜が詳細。 https://t.co/MR4Hr4E3Z6
大正10年3月26日、沖野忠雄が死去。幕末の豊岡藩出身の土木技術者で、治水港湾工事の始祖と呼ばれる。松浦茂樹「沖野忠雄と明治改修」(『水利科学』 40-6)曰く、「事業の有利な進捗のためには法規一点張りの議論に耳を貸さず,内務省のローマ法皇と異名が付けられ」た。 https://t.co/KXiDJjz8J3
安政7年3月3日(1860年3月24日)、井伊直弼が桜田門外の変で死去。幕末の彦根藩主で、安政の大獄を断行した幕府の大老。廣木尚「大隈重信にとっての歴史認識」(『早稲田大学史記要』50)は、井伊直弼の銅像除幕式に維新の元勲クラスで大隈重信だけが出席したことなどを紹介。 https://t.co/jCZydfWO0Q
明治18年3月23日、亀井茲監が死去。幕末の津和野藩主で、明治初年の神祇行政を担った。岩谷泰之「森鴎外と仏教」(『大正大学大学院研究論集』42)は、亀井家典医の家に生まれた森鴎外について、その思想形成上の茲監の影響を、茲監が仏教を排除した点に着目しつつ分析。 https://t.co/5n9FZJgKpD
大島明子「明治初期太政官制における政軍関係」(『紀尾井史学』11、1991年)曰く、「留守政府の時期が日本陸軍の形成にとって特に重要な意義をもつ時期であった」。その理由の1つとして、「陸軍と正院ないし内閣との関係が模索され,後の政軍関係の基礎となった」点を指摘。 https://t.co/ZbVTnxALrQ
松尾晋一「アヘン戦争情報と幕府対外政策」(『東アジア評論』11、2019年)によれば、老中・水野忠邦は長崎から入ってきたアヘン戦争情報のみに依拠して条件反射的に対応を行い、対馬などを経由して届いた情報が活用されなかった。また、幕閣内で情報の秘匿が行われたと指摘。 https://t.co/UsUwrLYxlJ
1849年3月17日、オランダ国王ウィレム2世が死去。1844年、開国勧告の親書を幕府に送った。ただし、松方冬子「オランダ国王ウィレム二世の親書再考」(『史学雑誌』114-9、2005年)によれば、オランダの本音は「他国の介入を排除し、対日貿易独占を維持したい」考えだった。 https://t.co/lgo60Gmdus
明治12年3月11日、司馬凌海が死去。佐渡出身の医師で、幕末期に松本良順の助手を務めた。ドイツ語辞典の『和洋独逸辞典』を編纂。池田哲郎「本邦におけるドイツ学の創始について」(『福島大学学芸学部論集』14-2、1963年)曰く、「幕末から明治にかけてドイツ語界の奇才」。 https://t.co/xktlnaZsp5
明治20年3月7日、黒田長溥が死去。薩摩藩主・島津重豪の子で、幕末の筑前福岡藩主。蘭癖と呼ばれた大名の1人。慶応元年に加藤司書や月形洗蔵らを弾圧した「乙丑の獄」について、西尾陽太郎「黒田長溥と筑前勤王派」(『史淵』98、1967年)をネット上で読むことができる。 https://t.co/fYc8wN3o4w
松井洋子「長崎出島と異国女性-「外国婦人の入国禁止」再考-」(『史学雑誌』118-2、2009年)曰く、外国人が女性を連れて近世の長崎に来航するのは禁止されていたと思われがちだが、実際は明確に禁止されていた期間は1817年〜幕末の1857年(安政4年)の40年間に過ぎない。 https://t.co/iwdIAC1L3C
天保7年1月18日(1836年3月5日)、石川忠房が死去。文政期の幕臣の中で、中川忠英・遠山景晋と共に三傑と呼ばれる。ロシア使節ラクスマンの応接を担当し、大黒屋光太夫を引き取った。多仁照廣「石川忠房と江戸幕府教化政策」(『敦賀論叢』14)は、勘定奉行や目付時代を分析。 https://t.co/s3AZaTwjjZ
森谷秀亮「王政復古の大号令について」(『駒澤大学文学部研究紀要』26、1968年)は、慶応3年の王政復古について武家政治のみならず、摂政・関白の廃絶を宣言した意義を強調。森谷氏は、日本史籍協会叢書『伊達宗城在京日記』(東京大学出版会)の解題などを担当した研究者。 https://t.co/FVerejI5rk
昭和9年3月1日、長沢鼎が死去。幕末の薩摩藩が英国に派遣した留学生(サツマ・スチューデント)の1人で、さらに渡米してブドウ王になった。森孝晴「長沢鼎のワイナリーの発展と帰国と家族の誕生」(『国際文化学部論集』19-1、鹿児島国際大学)曰く、日本人初の米国移民。 https://t.co/SF1wAJW2Vs
昭和12年2月28日、上真行が死去。チェロなど西洋の楽器を習得し、東京音楽学校の教授などを歴任した雅楽家。塚原康子「明治30年の宮内省式部職雅楽部」(『東京藝術大学音楽学部紀要』31)曰く、井上馨外相による鹿鳴館時代には、「舞踏
明治4年1月9日(1871年2月27日)、広沢真臣が死去(暗殺)。慶応期に木戸孝允と共に長州藩政府の中核を担い、慶応3年には京都で討幕の密勅を受け取った。明治政府で参議などを務めた。笠原英彦「広沢参議横死事件と安藤則命」(『法学研究』63-4)は、暗殺事件の捜査を分析。 https://t.co/XCToPjhpGU
明治33年2月26日、品川弥二郎が死去。討幕の密勅の受領に関わった。末木孝典「明治二十五年・選挙干渉事件と立憲政治」(『近代日本研究』32)曰く、第1次松方正義内閣の内相時代の選挙干渉で、「選挙に成果を出す責任と治安を維持する責任との間で板挟みになっていた」。 https://t.co/23IZSvl7p3
平成24年2月26日、歴史家の芳賀登が死去。著書に『幕末志士の生活』(雄山閣)、『幕末国学の研究』(教育出版センター)、『偽官軍と明治維新政権』(同)などがある。下記は、芳賀による高木俊輔『明治維新草莽運動史』(勁草書房)の書評(『社会経済史学』41-1)。 https://t.co/AFhkpXBfG2
明治4年1月7日(1871年2月25日)、北浦定政が死去。古尾谷知浩「北浦定政「平城宮大内裏鋪地図解」」(『名古屋大学人文学研究論集』1、2018年)によれば、幕末の国学者で、フィールドワーク及び文献史料の調査によって平城京など、天皇陵や都城などに関して研究した。 https://t.co/Je67aON691
板垣哲夫「維新後における大久保利通の政治上の人間関係」(『史学雑誌』86-11、1977年)は、慶応3年10月〜明治10年3月、大久保がどんな人物と接触していたか、日記を分析。大久保の政府内での地位上昇に伴い、薩長土肥以外の出身者が中堅官僚として結び付きを強めたと指摘。 https://t.co/dXsq9H1KlB
明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、第2次長州征伐で小倉城が落城した際、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、米国公使などを歴任。銭国紅「洋上の対話」(『日本研究』15)は、明治3年に英国留学した建野と、清国人・張徳彝との船中での対話を紹介。 https://t.co/HF64LWbedA
昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲載された沼田哲氏の書評。 https://t.co/eBL1WHsjgN
大正5年2月9日、加藤弘之が死去。田中浩「福沢諭吉と加藤弘之」(『一橋論叢』100-2、1988年)は、福沢諭吉と共に「明治啓蒙期を代表するスーパースター」と呼ぶ。佐久間象山に師事し、幕府の蕃書調所や開成所に出仕した、ドイツ語学の先駆者。立憲思想の紹介者でもある。 https://t.co/yNzrHqeMiN
生田美智子「19世紀初頭の日露外交 : 高田屋嘉兵衛拿捕・拉致事件を通してみる-国後・函館の日露交渉-」(『言語文化研究』37、2011年)によれば、ゴロヴニンを松前で引き渡して以降、漂流民送還が蝦夷地で行われるなど、対外関係を扱う場所=長崎という体制が崩れた。 https://t.co/nrPAG6hBjS
明治12年2月6日、並河寒泉が死去。幕末期の懐徳堂教授で、プチャーチンの乗るロシア船が大坂湾に来た際、幕命で漢文による交渉を担当。ロシア船が退去したことを、自らの学力による攘夷の実践と捉えた。矢羽野隆男「並河寒泉の政治思想と幕府観」(『中国研究集刊』50)参照。 https://t.co/cRH7JYsk28
大正9年2月4日、須藤南翠が死去。幕末の宇和島藩出身で、新聞小説で人気を博した。明治21年に発表した『殺人犯』は、日本における探偵小説の先駆とされている。畑実「小新聞記者の政治論」(『駒沢国文』36)は、自由民権運動との関係から南翠を論じる。 https://t.co/F7qLf1sDvd
明治29年2月2日、川田甕江が死去。古賀謹堂、藤森弘庵、大橋訥庵、安井息軒らとの交流で学問を深めた漢学者。山田方谷の推薦で、備中松山藩主・板倉勝静に仕えた。古賀勝次郎「安井息軒の門生たち(2)」(『早稲田社会科学総合研究』10-3)は、川田と重野成斎を対比して紹介。 https://t.co/7aqj1e3WFb
明治38年1月31日、副島種臣が死去。幕末の佐賀藩出身で、兄の枝吉神陽が主宰した義祭同盟に参加した。明治期に外務卿、内務大臣などを歴任。池田勇太「史料紹介 「政体」」(『史学雑誌』125-2、2016年)は、政体書の草稿と思われる史料を分析し、副島が書いたものと推測。 https://t.co/GPw3q1YWlF
弘化3年12月13日(1847年1月29日)、箕作省吾が死去。『坤輿図識』などを編纂し、世界各地の地理や歴史を紹介した。吉田松陰などに影響を与えたとされる。辻田右左男「箕作省吾「坤輿図識」」(『奈良大学紀要』2)は、「地理学のために生き,地理学のために死んだ」とする。 https://t.co/yCWaEmxjwp

お気に入り一覧(最新100件)

拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)が既にダウンロード可能となっていました(^^)https://t.co/A65OnLMHFg メチャ大部で恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。

116 0 0 0 OA 官報

年賀状に質問を書いて送るの禁止~(笑) 当アカウントは個別の質問にはお答えしておりません。以下、独り言です。 明治期の外交官及領事官官制(勅令第257号。明治23年10月21日)でしたら、ここに載っていました。https://t.co/u0CfQnjROw (国立国会図書館) https://t.co/BWNV5lfFlK
神田千里「大友宗麟の改宗 : その実態と背景」『東洋大学文学部紀要. 史学科篇』(40), 71-110, 2014 PDFあり。 https://t.co/7kqzAdnnXr

フォロー(436ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)

RT @nihon_kenkyusya: 「博士課程修了者の大学教員ポスト採用率」という資料をみつけたのだけど、これは茶柱たつ確率より低い https://t.co/XG77sCe8XX https://t.co/DNJB3SedB0
RT @okapia_feb01: プレートテクトニスの受容が1976年ぐらいになったのは事実だけど、地向斜の理論は1941年に提唱されて戦後は提唱者に反発があって…というところが記事中では雑にまとめられてる。 #今日の論文 『日本におけるプレート造山論の歴史と日本列島の新しい…
RT @zasetsushirazu: 塚越俊志「幕末の条約について」(『弘前大学国史研究』141、2016年)は、岩下哲典編『江戸時代 来日外国人人名辞典』(東京堂出版、2011年)に掲載した文章を改稿したもので、幕末期に幕府が諸外国と結んだ条約を解説。「幕末期条約内容比較(…
@tottekurebeepri 1980年代の日本だとペプシのシェアはコークに及ばなかったんだそうで https://t.co/dwRWiMnktU
RT @nihon_kenkyusya: 「博士課程修了者の大学教員ポスト採用率」という資料をみつけたのだけど、これは茶柱たつ確率より低い https://t.co/XG77sCe8XX https://t.co/DNJB3SedB0
RT @zasetsushirazu: 塚越俊志「幕末の条約について」(『弘前大学国史研究』141、2016年)は、岩下哲典編『江戸時代 来日外国人人名辞典』(東京堂出版、2011年)に掲載した文章を改稿したもので、幕末期に幕府が諸外国と結んだ条約を解説。「幕末期条約内容比較(…
RT @zasetsushirazu: 塚越俊志「幕末の条約について」(『弘前大学国史研究』141、2016年)は、岩下哲典編『江戸時代 来日外国人人名辞典』(東京堂出版、2011年)に掲載した文章を改稿したもので、幕末期に幕府が諸外国と結んだ条約を解説。「幕末期条約内容比較(…
RT @digitalarchivej: 「デジタルアーカイブ学会誌」 2020年第1号 [書評・新刊紹介] 『ネット文化資源の読み方・作り方 図書館・自治体・研究者必携ガイド』. 淺野 隆夫 https://t.co/1q9XwawL4g
RT @zasetsushirazu: 明治15年8月9日、大島友之允が死去。幕末の対馬藩士で、木戸孝允と親しかった。沈箕載「幕末期の幕府の朝鮮政策と機構の変化」(『史林』77-2)によれば、朝鮮進出(征韓)を主張し、対馬藩への財政援助を幕府に要求する運動に積極的で、幕閣に働き…
RT @zasetsushirazu: 明治15年8月9日、大島友之允が死去。幕末の対馬藩士で、木戸孝允と親しかった。沈箕載「幕末期の幕府の朝鮮政策と機構の変化」(『史林』77-2)によれば、朝鮮進出(征韓)を主張し、対馬藩への財政援助を幕府に要求する運動に積極的で、幕閣に働き…
RT @zasetsushirazu: 明治15年8月9日、大島友之允が死去。幕末の対馬藩士で、木戸孝允と親しかった。沈箕載「幕末期の幕府の朝鮮政策と機構の変化」(『史林』77-2)によれば、朝鮮進出(征韓)を主張し、対馬藩への財政援助を幕府に要求する運動に積極的で、幕閣に働き…
RT @ekesete1: 戦前は台湾朝鮮などを植民地と呼んでいた。 また欧米も「統治」をした> 伊東敬「英国の植民地統治方式」1942年 目次:二 英統治策の實相 目次:四 英國の直轄領統治について 目次:五 三準自治領の英統治について https://t.co/BLZ…
RT @ekesete1: 戦前は台湾朝鮮などを植民地と呼んでいた。 また欧米も「統治」をした> 伊東敬「英国の植民地統治方式」1942年 目次:二 英統治策の實相 目次:四 英國の直轄領統治について 目次:五 三準自治領の英統治について https://t.co/BLZ…
明治12年には「よしだ東洋を平清盛に擬し、日ごと酒池肉林に溺れる適役として、ついには正義派の主人公(オリキャラ)にかたきを討たれるというストーリー」の小説が大阪で出版されたそうです
RT @mk95_hoc: ちなみに,少なくとも戦前(1931年)に東京市から発行された『婦人職業戦線の展望』では,事務員は知能的業務,タイピストは技術的業務と分類されています. 国会図書館のデジタルコレクションから読めます. https://t.co/ERv1UbylfP
RT @mk95_hoc: ちなみに,少なくとも戦前(1931年)に東京市から発行された『婦人職業戦線の展望』では,事務員は知能的業務,タイピストは技術的業務と分類されています. 国会図書館のデジタルコレクションから読めます. https://t.co/ERv1UbylfP
RT @AnatomyGiraffe: カバの「赤い汗」に含まれる色素を単離し、その機能を探る論文。図が良い。 汗には赤い色素とオレンジの色素が含まれ、どちらも紫外線を吸収する”日焼け止め”のような機能をもつとのこと。赤い色素には抗菌作用もあり、傷口を膿みにくくする役割も果たし…
ちなみに、PDFで読めるものと言えば、 『日本釀造協會雜誌』の1923年の号に載った、密造者の側から密造酒捜査について書いた 塗説山人「酒類密造者懺悔談」 という小文もある。 https://t.co/jJm5YdlLaL
災害廃棄物対策をめぐる動き―制度整備の現状と今後の課題―『 #調査と情報 -ISSUE BRIEF-』948号, 2017.03.14. https://t.co/neW10g4jV3 #NDL調査局今月のトピック #水害 #豪雨 #極端気象 #異常気象 #大雨特別警報
近年の水害の状況と水防法『 #調査と情報 -ISSUE BRIEF-』946号, 2017.03.07. https://t.co/K8LLrks1mF #NDL調査局今月のトピック #水害 #豪雨 #極端気象 #異常気象 #大雨特別警報
災害対策法制の変遷と災害廃棄物への対応『極端気象の予測と防災 科学技術に関する調査プロジェクト2018報告書』, 2019. https://t.co/pjTHdRVV5Z #NDL調査局今月のトピック #水害 #豪雨 #極端気象 #異常気象 #大雨特別警報
平成30年7月豪雨被害への支援等―財政・税制・金融面の取組―『 #調査と情報 -ISSUE BRIEF-』1018号, 2018.10.18. https://t.co/d0fXpUSraW #NDL調査局今月のトピック #水害 #豪雨 #極端気象 #異常気象 #大雨特別警報
豪雨に関する防災情報と住民避難『極端気象の予測と防災 科学技術に関する調査プロジェクト2018報告書』, 2019. https://t.co/9sSn5wAIwB #NDL調査局今月のトピック #水害 #豪雨 #極端気象 #異常気象 #大雨特別警報
極端気象と防災―自然とどう向き合うか―『極端気象の予測と防災 科学技術に関する調査プロジェクト2018報告書』, 2019. https://t.co/2xKcy1PVTT #NDL調査局今月のトピック #水害 #豪雨 #極端気象 #異常気象 #大雨特別警報
防災教育の実質化に向けた課題『極端気象の予測と防災 科学技術に関する調査プロジェクト2018報告書』, 2019. https://t.co/DqDwb0Wifa #NDL調査局今月のトピック #水害 #豪雨 #極端気象 #異常気象 #大雨特別警報
極端気象と観測・予測技術『極端気象の予測と防災 科学技術に関する調査プロジェクト2018報告書』, 2019. https://t.co/tNpOvTIOVH #NDL調査局今月のトピック #水害 #豪雨 #極端気象 #異常気象 #大雨特別警報
極端気象と地球温暖化『極端気象の予測と防災 科学技術に関する調査プロジェクト2018報告書』, 2019. https://t.co/3ew2ecExJW #NDL調査局今月のトピック #水害 #豪雨 #極端気象 #異常気象 #大雨特別警報
高規格堤防整備の現状と課題『 #レファレンス 』2020.04. https://t.co/zFfQt2vS8w #NDL調査局今月のトピック #水害 #豪雨 #極端気象 #異常気象 #大雨特別警報
https://t.co/5W4oExWUaF 王鼎(2020)「清末における湖北省の軍事留学生 : 成城学校・陸軍士官学校を手がかりとして」。
RT @baritsu: というような事が「戦前期日本のデザイン界における第一次世界大戦ポスターの受容と影響2」に出てた https://t.co/DqptKhVDz1
RT @zasetsushirazu: 明治29年8月5日、宮崎元立(宮崎蘇庵)が死去。小白藩医の家に生まれ、大村益次郎や伊東玄朴に師事した。日本で最初に市販された英和辞書『英和対訳袖珍辞書』の校訂者。三好彰「宮崎元立と英学」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』5、…
RT @BungakuReportRS: リード マルティーヌ 翻訳=高岡 尚子 - 文学における女性の歴史について考える:フランスの場合 https://t.co/iaps5sVHsv
RT @BungakuReportRS: 髙橋 正人 - 「文学国語」におけるマンガ教材の開発に関する研究 : 永島慎二『漫画家残酷物語』及び『黄色い涙』をめぐって https://t.co/LUKsPcqFVk
RT @BungakuReportRS: 牧 千夏 - 文壇を横目でにらむ 宮沢賢治の農民芸術論と農民文学論争 https://t.co/jD9ijqQLJZ
RT @zasetsushirazu: 明治29年8月5日、宮崎元立(宮崎蘇庵)が死去。小白藩医の家に生まれ、大村益次郎や伊東玄朴に師事した。日本で最初に市販された英和辞書『英和対訳袖珍辞書』の校訂者。三好彰「宮崎元立と英学」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』5、…
牧 千夏 -  文壇を横目でにらむ 宮沢賢治の農民芸術論と農民文学論争 https://t.co/V0Igv5KAFt
RT @zasetsushirazu: 上田純子「萩藩文久改革期の政治組織-政事堂の創設と両職制の改編-」(『史学雑誌』109-11、2000年)は、いわゆる長州藩の本藩である萩藩の文久改革期を分析。それによれば、文久期の藩権力中枢は、「自藩士に限らず「有志」を優遇」し、言路洞…
RT @tcv2catnap: ウソつき常習官庁だからね。 「公害病否定の社会学的考察--カドミウム腎症を事例に」渡辺伸一(奈良教育大学紀要 人文・社会科学 56(1), 115-125, 2007-10) https://t.co/yie4Cq2GsG

フォロワー(583ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)

RT @zasetsushirazu: 藤野保『近世国家解体過程の研究-幕藩制と明治維新-』前編と後編(どちらも吉川弘文館)という研究書がある。合計で1500ページを超える大著で、近世全般を見通す。下記リンクから、家近良樹氏による、幕末維新期を中心とする書評を読める。 htt…
RT @zasetsushirazu: 塚越俊志「幕末の条約について」(『弘前大学国史研究』141、2016年)は、岩下哲典編『江戸時代 来日外国人人名辞典』(東京堂出版、2011年)に掲載した文章を改稿したもので、幕末期に幕府が諸外国と結んだ条約を解説。「幕末期条約内容比較(…

2 1 1 1 OA 土方伯

国立国会図書館のデジタルコレクションでみたところ、2点ありましたね。 ①菴原鉚次郎, 木村知治 著『土方伯』(https://t.co/26cpeFqbh4) ②… 続きは質問箱へ #Peing #質問箱 https://t.co/WU6oWWEN2T
RT @uakira2: 小秋元氏の「科学研究費補助金(挑戦的萌芽研究)報告書 朝鮮活字版研究の最前線」は、私家版として2018年に刊行された https://t.co/OcTdugbyuw というのだけれど、身近な図書館でアクセスできないものだろうか……。
RT @zasetsushirazu: 塚越俊志「幕末の条約について」(『弘前大学国史研究』141、2016年)は、岩下哲典編『江戸時代 来日外国人人名辞典』(東京堂出版、2011年)に掲載した文章を改稿したもので、幕末期に幕府が諸外国と結んだ条約を解説。「幕末期条約内容比較(…
RT @zasetsushirazu: 塚越俊志「幕末の条約について」(『弘前大学国史研究』141、2016年)は、岩下哲典編『江戸時代 来日外国人人名辞典』(東京堂出版、2011年)に掲載した文章を改稿したもので、幕末期に幕府が諸外国と結んだ条約を解説。「幕末期条約内容比較(…
RT @zasetsushirazu: 塚越俊志「幕末の条約について」(『弘前大学国史研究』141、2016年)は、岩下哲典編『江戸時代 来日外国人人名辞典』(東京堂出版、2011年)に掲載した文章を改稿したもので、幕末期に幕府が諸外国と結んだ条約を解説。「幕末期条約内容比較(…
RT @digitalarchivej: 「デジタルアーカイブ学会誌」 2020年第1号 [書評・新刊紹介] 『ネット文化資源の読み方・作り方 図書館・自治体・研究者必携ガイド』. 淺野 隆夫 https://t.co/1q9XwawL4g
RT @zasetsushirazu: 明治15年8月9日、大島友之允が死去。幕末の対馬藩士で、木戸孝允と親しかった。沈箕載「幕末期の幕府の朝鮮政策と機構の変化」(『史林』77-2)によれば、朝鮮進出(征韓)を主張し、対馬藩への財政援助を幕府に要求する運動に積極的で、幕閣に働き…
RT @zasetsushirazu: 明治15年8月9日、大島友之允が死去。幕末の対馬藩士で、木戸孝允と親しかった。沈箕載「幕末期の幕府の朝鮮政策と機構の変化」(『史林』77-2)によれば、朝鮮進出(征韓)を主張し、対馬藩への財政援助を幕府に要求する運動に積極的で、幕閣に働き…
RT @zasetsushirazu: 明治15年8月9日、大島友之允が死去。幕末の対馬藩士で、木戸孝允と親しかった。沈箕載「幕末期の幕府の朝鮮政策と機構の変化」(『史林』77-2)によれば、朝鮮進出(征韓)を主張し、対馬藩への財政援助を幕府に要求する運動に積極的で、幕閣に働き…
RT @zasetsushirazu: 明治15年8月9日、大島友之允が死去。幕末の対馬藩士で、木戸孝允と親しかった。沈箕載「幕末期の幕府の朝鮮政策と機構の変化」(『史林』77-2)によれば、朝鮮進出(征韓)を主張し、対馬藩への財政援助を幕府に要求する運動に積極的で、幕閣に働き…
RT @zasetsushirazu: 明治15年8月9日、大島友之允が死去。幕末の対馬藩士で、木戸孝允と親しかった。沈箕載「幕末期の幕府の朝鮮政策と機構の変化」(『史林』77-2)によれば、朝鮮進出(征韓)を主張し、対馬藩への財政援助を幕府に要求する運動に積極的で、幕閣に働き…
RT @zasetsushirazu: 明治15年8月9日、大島友之允が死去。幕末の対馬藩士で、木戸孝允と親しかった。沈箕載「幕末期の幕府の朝鮮政策と機構の変化」(『史林』77-2)によれば、朝鮮進出(征韓)を主張し、対馬藩への財政援助を幕府に要求する運動に積極的で、幕閣に働き…
明治12年には「よしだ東洋を平清盛に擬し、日ごと酒池肉林に溺れる適役として、ついには正義派の主人公(オリキャラ)にかたきを討たれるというストーリー」の小説が大阪で出版されたそうです
RT @AnatomyGiraffe: カバの「赤い汗」に含まれる色素を単離し、その機能を探る論文。図が良い。 汗には赤い色素とオレンジの色素が含まれ、どちらも紫外線を吸収する”日焼け止め”のような機能をもつとのこと。赤い色素には抗菌作用もあり、傷口を膿みにくくする役割も果たし…
https://t.co/5W4oExWUaF 王鼎(2020)「清末における湖北省の軍事留学生 : 成城学校・陸軍士官学校を手がかりとして」。
RT @baritsu: というような事が「戦前期日本のデザイン界における第一次世界大戦ポスターの受容と影響2」に出てた https://t.co/DqptKhVDz1
RT @zasetsushirazu: 明治29年8月5日、宮崎元立(宮崎蘇庵)が死去。小白藩医の家に生まれ、大村益次郎や伊東玄朴に師事した。日本で最初に市販された英和辞書『英和対訳袖珍辞書』の校訂者。三好彰「宮崎元立と英学」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』5、…
RT @zasetsushirazu: 明治29年8月5日、宮崎元立(宮崎蘇庵)が死去。小白藩医の家に生まれ、大村益次郎や伊東玄朴に師事した。日本で最初に市販された英和辞書『英和対訳袖珍辞書』の校訂者。三好彰「宮崎元立と英学」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』5、…
牧 千夏 -  文壇を横目でにらむ 宮沢賢治の農民芸術論と農民文学論争 https://t.co/V0Igv5KAFt
RT @zasetsushirazu: 上田純子「萩藩文久改革期の政治組織-政事堂の創設と両職制の改編-」(『史学雑誌』109-11、2000年)は、いわゆる長州藩の本藩である萩藩の文久改革期を分析。それによれば、文久期の藩権力中枢は、「自藩士に限らず「有志」を優遇」し、言路洞…