太田鳴雪 (@zasetsushirazu)

投稿一覧(最新100件)

1990年代以後の幕末維新史の実証研究に寄与した史料集の1つとして、小野正雄・稲垣敏子解読『杉浦梅潭 目付日記』と『杉浦梅潭 箱館奉行日記』を挙げることができる。どちらも1991年刊行。下記は、『史学雑誌』101-3(1992年)… https://t.co/DcpnvnfZ2b
元治元年2月28日(1864年4月4日)、多田海庵(多田弥太郎)が死去。但馬出石藩出身の儒学者で、生野の変に参加した。横山俊一郎「多田海庵の海防意識」(『東アジア文化交渉研究』7、2014年)があり、同氏の著書『泊園書院の明治維新… https://t.co/iaT633NSVN
1865年4月2日、リチャード・コブデンが死去。英国の政治家で、熊谷次郎「『書簡集』にみるコブデンの急進的自由主義(上)」(『桃山学院大学経済経営論集』60-4、2019年)曰く、薩英戦争で鹿児島の市街を砲撃した点について「恐ろし… https://t.co/4LveS1xXmv
明治12年4月1日、大原重徳が死去。文久2年に、勅使として島津久光を伴って江戸に赴き、幕政改革を要求した公家。外池昇「和宮降嫁と文久の修陵」(『人間文化研究』1)は、大原と一橋慶喜・松平春嶽の会談での、仁孝天皇17回忌のための和宮… https://t.co/fnmA0i7QYB
高木不二「黎明期の日本人米国留学生」(『近代日本研究』34、2017年)は、幕末維新期に米国留学した横井左平太と津田静一を紹介した講演録。前者は横井小楠の養子で、勝海舟と何礼之に師事。後者は「アジア・ヨーロッパ・アメリカによる世界… https://t.co/ZrplNHQ0UG
天保2年2月18日(1831年3月31日)、オーストラリアの捕鯨船レディロウエナ号が蝦夷地に来航。2週間ほど滞在し、松前藩士と若干の銃撃戦もあった。村上雄一「オーストラリアの捕鯨船と日本」(『行政社会論集』11-4)曰く、船長ボー… https://t.co/ila2hukAAj
大正12年3月26日、加藤恒忠(加藤拓川)が死去。幕末の伊予松山藩出身で、甥に正岡子規がいる。『坂の上の雲』の主人公・秋山好古と同郷で、親友。外交官としてベルギー公使などを歴任。正岡明・今村暢好「加藤拓川資料集」(『松山大学論集』… https://t.co/RO0Lc9nhIX
大正10年3月26日、沖野忠雄が死去。幕末の豊岡藩出身の土木技術者で、治水港湾工事の始祖と呼ばれる。松浦茂樹「沖野忠雄と明治改修」(『水利科学』 40-6)曰く、「事業の有利な進捗のためには法規一点張りの議論に耳を貸さず,内務省の… https://t.co/beax3v3OIz
安政7年3月3日(1860年3月24日)、井伊直弼が桜田門外の変で死去。幕末の彦根藩主で、安政の大獄を断行した幕府の大老。廣木尚「大隈重信にとっての歴史認識」(『早稲田大学史記要』50)は、井伊直弼の銅像除幕式に維新の元勲クラスで… https://t.co/VieIEvNyBX
明治18年3月23日、亀井茲監が死去。幕末の津和野藩主で、明治初年の神祇行政を担った。岩谷泰之「森鴎外と仏教」(『大正大学大学院研究論集』42)は、亀井家典医の家に生まれた森鴎外について、その思想形成上の茲監の影響を、茲監が仏教を… https://t.co/63a7JwH94h
大島明子「明治初期太政官制における政軍関係」(『紀尾井史学』11、1991年)曰く、「留守政府の時期が日本陸軍の形成にとって特に重要な意義をもつ時期であった」。その理由の1つとして、「陸軍と正院ないし内閣との関係が模索され,後の政… https://t.co/Xd5UMO0vCW
松尾晋一「アヘン戦争情報と幕府対外政策」(『東アジア評論』11、2019年)によれば、老中・水野忠邦は長崎から入ってきたアヘン戦争情報のみに依拠して条件反射的に対応を行い、対馬などを経由して届いた情報が活用されなかった。また、幕閣… https://t.co/ga4aW5rb8t
1849年3月17日、オランダ国王ウィレム2世が死去。1844年、開国勧告の親書を幕府に送った。ただし、松方冬子「オランダ国王ウィレム二世の親書再考」(『史学雑誌』114-9、2005年)によれば、オランダの本音は「他国の介入を排… https://t.co/H871FJru2t
明治12年3月11日、司馬凌海が死去。佐渡出身の医師で、幕末期に松本良順の助手を務めた。ドイツ語辞典の『和洋独逸辞典』を編纂。池田哲郎「本邦におけるドイツ学の創始について」(『福島大学学芸学部論集』14-2、1963年)曰く、「幕… https://t.co/1LQpAzLLv0
明治20年3月7日、黒田長溥が死去。薩摩藩主・島津重豪の子で、幕末の筑前福岡藩主。蘭癖と呼ばれた大名の1人。慶応元年に加藤司書や月形洗蔵らを弾圧した「乙丑の獄」について、西尾陽太郎「黒田長溥と筑前勤王派」(『史淵』98、1967年… https://t.co/UwCbbA4x00
松井洋子「長崎出島と異国女性-「外国婦人の入国禁止」再考-」(『史学雑誌』118-2、2009年)曰く、外国人が女性を連れて近世の長崎に来航するのは禁止されていたと思われがちだが、実際は明確に禁止されていた期間は1817年〜幕末の… https://t.co/q1zsK0LFEP
天保7年1月18日(1836年3月5日)、石川忠房が死去。文政期の幕臣の中で、中川忠英・遠山景晋と共に三傑と呼ばれる。ロシア使節ラクスマンの応接を担当し、大黒屋光太夫を引き取った。多仁照廣「石川忠房と江戸幕府教化政策」(『敦賀論叢… https://t.co/yJILDeBAxK
森谷秀亮「王政復古の大号令について」(『駒澤大学文学部研究紀要』26、1968年)は、慶応3年の王政復古について武家政治のみならず、摂政・関白の廃絶を宣言した意義を強調。森谷氏は、日本史籍協会叢書『伊達宗城在京日記』(東京大学出版… https://t.co/PL6Z0At69S
昭和9年3月1日、長沢鼎が死去。幕末の薩摩藩が英国に派遣した留学生(サツマ・スチューデント)の1人で、さらに渡米してブドウ王になった。森孝晴「長沢鼎のワイナリーの発展と帰国と家族の誕生」(『国際文化学部論集』19-1、鹿児島国際大… https://t.co/fCbKXQTzP0
昭和12年2月28日、上真行が死去。チェロなど西洋の楽器を習得し、東京音楽学校の教授などを歴任した雅楽家。塚原康子「明治30年の宮内省式部職雅楽部」(『東京藝術大学音楽学部紀要』31)曰く、井上馨外相による鹿鳴館時代には、「舞踏
明治4年1月9日(1871年2月27日)、広沢真臣が死去(暗殺)。慶応期に木戸孝允と共に長州藩政府の中核を担い、慶応3年には京都で討幕の密勅を受け取った。明治政府で参議などを務めた。笠原英彦「広沢参議横死事件と安藤則命」(『法学研… https://t.co/WHkvJlPNG9
明治33年2月26日、品川弥二郎が死去。討幕の密勅の受領に関わった。末木孝典「明治二十五年・選挙干渉事件と立憲政治」(『近代日本研究』32)曰く、第1次松方正義内閣の内相時代の選挙干渉で、「選挙に成果を出す責任と治安を維持する責任… https://t.co/q1KyRgNHja
平成24年2月26日、歴史家の芳賀登が死去。著書に『幕末志士の生活』(雄山閣)、『幕末国学の研究』(教育出版センター)、『偽官軍と明治維新政権』(同)などがある。下記は、芳賀による高木俊輔『明治維新草莽運動史』(勁草書房)の書評(… https://t.co/561B9zCWAx
明治4年1月7日(1871年2月25日)、北浦定政が死去。古尾谷知浩「北浦定政「平城宮大内裏鋪地図解」」(『名古屋大学人文学研究論集』1、2018年)によれば、幕末の国学者で、フィールドワーク及び文献史料の調査によって平城京など、… https://t.co/mb2Qq183fB
板垣哲夫「維新後における大久保利通の政治上の人間関係」(『史学雑誌』86-11、1977年)は、慶応3年10月〜明治10年3月、大久保がどんな人物と接触していたか、日記を分析。大久保の政府内での地位上昇に伴い、薩長土肥以外の出身者… https://t.co/zxRRTvUDo7
明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、第2次長州征伐で小倉城が落城した際、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、米国公使などを歴任。銭国紅「洋上の対話」(『日本研究』15)は、明治3年に英国留学した建野と、清国人… https://t.co/gKVR7l9ksv
昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻… https://t.co/VvhIawCHh0
大正5年2月9日、加藤弘之が死去。田中浩「福沢諭吉と加藤弘之」(『一橋論叢』100-2、1988年)は、福沢諭吉と共に「明治啓蒙期を代表するスーパースター」と呼ぶ。佐久間象山に師事し、幕府の蕃書調所や開成所に出仕した、ドイツ語学の… https://t.co/kILaX7F2hF
生田美智子「19世紀初頭の日露外交 : 高田屋嘉兵衛拿捕・拉致事件を通してみる-国後・函館の日露交渉-」(『言語文化研究』37、2011年)によれば、ゴロヴニンを松前で引き渡して以降、漂流民送還が蝦夷地で行われるなど、対外関係を扱… https://t.co/DCk2b6LVN8
明治12年2月6日、並河寒泉が死去。幕末期の懐徳堂教授で、プチャーチンの乗るロシア船が大坂湾に来た際、幕命で漢文による交渉を担当。ロシア船が退去したことを、自らの学力による攘夷の実践と捉えた。矢羽野隆男「並河寒泉の政治思想と幕府観… https://t.co/hlrLAxoFJ2
大正9年2月4日、須藤南翠が死去。幕末の宇和島藩出身で、新聞小説で人気を博した。明治21年に発表した『殺人犯』は、日本における探偵小説の先駆とされている。畑実「小新聞記者の政治論」(『駒沢国文』36)は、自由民権運動との関係から南… https://t.co/pvcgExIjd8
明治29年2月2日、川田甕江が死去。古賀謹堂、藤森弘庵、大橋訥庵、安井息軒らとの交流で学問を深めた漢学者。山田方谷の推薦で、備中松山藩主・板倉勝静に仕えた。古賀勝次郎「安井息軒の門生たち(2)」(『早稲田社会科学総合研究』10-3… https://t.co/SAUWz9Oc2H
明治38年1月31日、副島種臣が死去。幕末の佐賀藩出身で、兄の枝吉神陽が主宰した義祭同盟に参加した。明治期に外務卿、内務大臣などを歴任。池田勇太「史料紹介 「政体」」(『史学雑誌』125-2、2016年)は、政体書の草稿と思われる… https://t.co/QlrRBqjltd
弘化3年12月13日(1847年1月29日)、箕作省吾が死去。『坤輿図識』などを編纂し、世界各地の地理や歴史を紹介した。吉田松陰などに影響を与えたとされる。辻田右左男「箕作省吾「坤輿図識」」(『奈良大学紀要』2)は、「地理学のため… https://t.co/UDbryHMhrD
明治9年1月29日、戸塚静海が死去。シーボルトに学び、将軍家の侍医を務めた初の蘭方医。薩摩藩主の島津斉興と島津斉彬に仕えた時期もあり、田村省三「薩摩藩における蘭学受容とその変遷」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116)曰く、薩摩藩… https://t.co/cLFdzNuMoV
大正15年1月28日、三浦梧楼が死去。幕末の長州藩出身で、奇兵隊に所属した。明治14年政変の際に谷干城らと共に政府批判の意見書を提出。李修京・朴仁植「朝鮮王妃殺害事件の再考」(『東京学芸大学紀要 人文社会科学系』58)は、朝鮮公使… https://t.co/tZNtuLO9fL

7 0 0 0 IR 破婚の深層

明治33年1月28日、赤松登志子が死去。森鴎外の最初の妻で、旧幕臣・赤松則良の娘。結婚披露宴には榎本武揚なども出席した。蓮沼啓介「破婚の深層」(『神戸法学雑誌』69-2、2019年)は、離婚の要因を「幕末維新の旧世代と文明開化の新… https://t.co/piFBwOaAHF
上田純子「安政五年萩藩における「会議」と政治機構」(『史学雑誌』107-6)は、「藩政改革派と称された人物の出身階層が一〇〇石前後の大組士であった事実」や、「三〇〇石以上の比較的上級家臣団が、政治的意思決定からは実質的に阻害された… https://t.co/vMCDfwuCAm
1894年1月22日、モンブラン(ベルギー貴族)が死去。五代友厚と頻繁に交流するなど薩摩藩と関係が深く、パリ万博への薩摩藩の参加に協力。一時期、明治政府からパリ総領事に任命された。文献に、宮永孝「ベルギー貴族モンブラン伯と日本人」… https://t.co/Dgpv78vIxH
三好彰「アメリカ人が見た川﨑道民-万延元年遣米使節団のアメリカ最新医療体験-」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13、2018年)は、万延元年の遣米使節団や文久遣欧使節団に随行した佐賀藩の医師・川崎道民に関して、米国… https://t.co/CHKFmu9JEq
今西一「大蔵大臣事始」(『大学進学研究』6-5、1985年)は、明治政府の財政を担当した由利公正、大隈重信、松方正義らの政策を紹介。由利の政策のその後への影響を指摘し、その切断をした「松方財政をもって日本における近代的財政制度の確… https://t.co/p3rlk2nFVi
@lalan1858 多分、人によって定義や使い方が異なると思います。 ちなみに有志舎では、有志舎の「学術書」を、次の2つに分けて刊行しているそうです。 ●「専門研究者を主な読者と考える「専門書(専門研究書)」 ●「一般社会の… https://t.co/6pqZTqFd3Z
柏原宏紀「明治零年代後半における洋行官僚に関する一考察」(『関西大学経済論集』67-4、2018年)は、洋行経験のある官僚たちが日本の近代化に果たした役割を分析。「明治10年段階では、外務、文部、工部、司法の4省において、その半数… https://t.co/dm59uly8NW
明治17年1月14日、広川晴軒が死去。田崎哲郎氏の書評「井上慶隆著『廣川晴軒伝』」(『史学雑誌』90-11、1981年)曰く、「五十八歳で江戸の箕作阮甫に入門」し、慶応2年に「熱・光・電気は本質において一つのものであるとの『三元素… https://t.co/YNo6r9hkLl
明治26年1月10日、杉田仙十郎が死去。政党政治家・杉田定一の父親で、幕末期には越前の大庄屋だった。元治元年には、敦賀で投降した天狗党の助命を嘆願した。文献に、家近良樹『ある豪農一家の近代』(講談社)がある。下記は、柳澤芙美子氏の… https://t.co/QpIOlDrk43
明治30年1月9日、関沢明清が死去。幕末の加賀藩出身で、江川英龍や大村益次郎に師事した。また、加賀藩から最初に英国留学した人物。サケの養殖技術などを学び、「水産業の父」とも呼ばれる。影山昇「関沢明清と村田保」(『放送教育開発センタ… https://t.co/xQ5HHb1gXt
王一兵「幕府天文方における蘭学の展開-蘭学の公学化を中心に-」(『文化』82、2019年)は、18世紀〜19世紀にかけて対外関係の緊張が高まる中、蘭学者たちは、海外情報の収集における蘭学の有用性を発信していくことで権力者の支持を調… https://t.co/DKUv8JbanQ
昭和6年1月2日、斯波淳六郎が死去。幕末の加賀藩家老の家に生まれた。明治17年にドイツ留学する際、同じ船には橋本長勝(橋本左内の甥)らがいたらしい。帰国後、法制局参事官などを歴任。七戸克彦「現行民法典を創った人びと(24)」(『法… https://t.co/vYOmluUKhd
宮永孝「琉球における英学発達小史」(『社会志林』59-1、2012年)曰く、 19世紀までの琉球は、主要な貿易相手が東アジアのみだったから、英語学習が発達する機会がなかった。近世後期〜幕末期に西洋の船が度々来るようになったことで、… https://t.co/yBDgC04kkY
大正14年12月27日、岡部長職が死去。最後の岸和田藩主で、明治期に東京府知事や司法大臣などの要職を歴任。岡塚章子「明治期の写真団体と華族-小川一真の事績からの考察-」(『美術研究』412)によれば、岡部は「誰もが認める写真愛好家… https://t.co/y9f8nZh5F3
宮永孝「セントヘレナの日本人」(『社会志林』60-3、2013年)曰く、ナポレオン1世が幽閉されたセントヘレナ島は日本人と浅からぬ縁がある。初めて同島を訪れた日本人は、ザビエルが連れていた者だろうとのこと。幕末期には、オランダ留学… https://t.co/q6vBbbsefE
福元啓介「近世後期における薩摩藩の財政構造とその特質」(『東京大学日本史学研究室紀要』22、2018年)は、西南雄藩としての薩摩藩についての研究蓄積はあるが、その割に藩財政に関する研究は少ないと指摘。主に、近世後期の年貢米収支を数… https://t.co/bh9Qa1MtqV
1878年12月19日、ベイヤード・テイラーが死去。嘉永6年(1853年)、浦賀に来航したペリー艦隊の一員だった旅行家・作家で、琉球や小笠原諸島にも上陸した。近藤治「ベイヤード・テイラーの見たファテプル・シークリーについて」(『鷹… https://t.co/LrGwUsT9SH
山本志乃「旅日記にみる近世末期の女性の旅」(『国立歴史民俗博物館研究報告』155)は、清河八郎の母親や松尾多勢子など、女性たちの旅行を分析。幕末期にはすでに一般化していた無手形による違法の関所抜けが、流動人口の増加や宿場への経済効… https://t.co/6C3qN9Brcx
石井耕「日本の人事政策の起源-江戸幕府後期御家人の人材登用と昇進-」(『北海学園大学学園論集』156)は、日本企業の人事政策の構成要素「学問→試験→登用」の起源が、幕末の幕府にあったと指摘。田辺太一、中村正直など昌平坂学問所の学問… https://t.co/EKrv0J2xcT
佐藤雄基「新刊紹介 松田敬之『〈華族爵位〉請願人名辞典』(吉川弘文館、二〇一五年)」(『史苑』78-2、2018年)は、松田敬之の著書『〈華族爵位〉請願人名辞典』を紹介。同書は、佐藤氏曰く、華族になれた人だけではなく、華族になれな… https://t.co/OJXGG3qSxi
明治25年12月14日、黒田麹廬が死去。膳所藩出身の洋学者で、緒方洪庵の適塾で学んだ。ペリー来航以前に、『ロビンソン・クルーソー』を『漂荒紀事』と題して翻訳した。松田清「黒田梁太郎寄贈図書について」(『静脩』27-2)は、麹廬の息… https://t.co/JtVA0EbkJs
岩田高明「「福田作太郎筆記」の「欧州探索」にみる西洋教育制度受容過程の分析」(『日本の教育史学』49、2006年)は、文久遣欧使節団に参加した福田作太郎の記録のうち、『西洋見聞集』(岩波書店)に未収録で、先行研究でも未紹介の、西洋… https://t.co/pUcYyk2hG3
明治2年10月20日(1869年11月23日)、大村益次郎襲撃犯の神代直人について、斬首が決定された。処刑が執行された正確な日付は不明。下記リンクの論文、伊藤一晴「神代直人の捕縛-大村益次郎襲撃犯に対する山口藩の対応-」(『山口県… https://t.co/P6AHf618mf
水上たかね「幕府海軍における「業前」と身分」(『史学雑誌』122-11、2013年)曰く、幕末の幕府海軍では職務に必要な能力を「業前」と呼んで重視し、人材を登用した。だが、「家」の枠組は強固で、家督相続で別の役職に就いて海軍を離れ… https://t.co/G8k6CcPipw
平成5年11月16日、三坂圭治が死去。『周防国府の研究』(マツノ書店)、『山口県の歴史』(山川出版社)などの著書があり、秋山謙藏「三坂圭治氏著「周防國府の研究」」(『社会経済史学』4-2)曰く、「毛利公爵家編纂所に在つて、防長の歴… https://t.co/Fu2rUfRDTP
明治42年11月14日、山川二葉が死去。会津藩士・山川尚江の娘で、兄弟姉妹に山川浩と健次郎、大山捨松がいる。会津藩家老の梶原平馬と結婚。東京女子高等師範学校で教育に携わった。文献に、遠藤由紀子「会津藩家老梶原平馬をめぐる女性」(『… https://t.co/swrL4Yseb7
明治2年10月6日(1869年11月9日)、土御門晴雄が死去。幕末の公家で、陰陽頭。杉岳志「幕末の陰陽頭・朝廷と彗星」(『島根県立大学松江キャンパス研究紀要』58、2019年)は、中世の頃から凶事の前兆とされた彗星が幕末に出現した… https://t.co/z3UVAxdBjK
安政6年10月6日(1859年10月31日)、三条実万(三条実美の父親)が死去。安政期の朝廷内で影響力があった。笹部昌利「幕末期公家の政治意識形成とその転回」(『仏教大学総合研究所紀要』8)曰く、息子の三条実美は実万の「体制改革意… https://t.co/FZJNfrZCoS
文化4年9月19日(1807年10月20日)、蘭学者の山村才助が死去。新井白石の著作を山村が改訂した『訂正増訳采覧異言』について、石川勞吉「日本人が初めて見たポリネシア人」(『国立民族学博物館調査報告』59)は、日本人の著作の中で… https://t.co/LsoD2b09Su
明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈… https://t.co/QHPfk9eKCn
明治28年10月16日、石河確太郎(石河正竜)が死去。明治の紡績技術者で、幕末期には薩摩藩に招聘されて蒸気船建造や開成所での講義を担当するなど、重用された。堀江保蔵「近代日本の先駆的企業家」(『経済論叢』84-3、1959年)曰く… https://t.co/mGYGI3I9Ns
明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中… https://t.co/wZ4Z5UC6lD
山本太「幕末期,水害と闘うある村落指導者に関する覚書」(『京都産業大学総合学術研究所所報』7、2012年)は、長岡藩の支配下にあった越後西蒲原郡中郷屋村と庄屋の笛木家が、どのように自然災害と向き合っていたか分析。元治元年と慶応元年… https://t.co/G27cJsywWL
大賀郁夫「「御用日記」にみる幕末の宮崎」(『宮崎公立大学人文学部紀要』20-1)は、延岡藩の庄屋・湯地栄四郎の日記を分析。薩英戦争の風聞や、延岡藩も参加した第2次長州征伐の話題、暴風雨の災害対策と同時に干ばつ対策のための雨乞い祈祷… https://t.co/dum9YPtj5u
明治17年10月12日、川路高子が死去。幕末の幕臣・川路聖謨の妻で、慶応4年に夫が自殺した後も明治の世を生きた。揖斐高ほか「国立国会図書館蔵『川路高子日記』-翻刻と解題および人名索引-」(『成蹊人文研究』19)は、夫が奈良奉行を務… https://t.co/6KtnV0tj8D
明治12年10月11日、市川清流が死去。幕末の文久遣欧使節団(正使は竹内保徳)に、松平康直(神奈川奉行兼外国奉行で、使節の副使だった)の従者として随行。早野喜久江「「市川清流建白書」の一考察」(『二松学舎大学論集』62)は、明治期… https://t.co/uwI6w3O8KU
安政6年9月14日(1859年10月9日)、梅田雲浜が死去。安政大獄で最初に逮捕され、獄死。中島嘉文「角田家本梅田雲浜安政大獄吟味関係資料について」(『福井県文書館研究紀要』13)は、雲浜の取り調べ調書を分析し、「尊攘運動の理論的… https://t.co/MrpiZxn7Nd
山中康行「日本図書館史における断絶と連続」(『人間文化研究』9)は、日本の図書館の時代区分において、明治維新を境に江戸時代の「文庫」と明治以後の「図書館」で断絶するという見解に対して、連続性があったことを指摘しつつ、明治初期の「書… https://t.co/EDu5BTy5io
文化5年8月17日(1808年10月6日)、長崎奉行・松平康英が死去。英国船フェートン号がオランダ国旗を掲げて長崎湾に侵入した事件の責任で、自刃した。長崎警備の問題について、梶原良則「寛政〜文化期の長崎警備とフェートン号事件」(『… https://t.co/7LHTvr85J5
明治3年9月8日(1870年10月2日)、青木研蔵が死去。長州藩の蘭方医で、藩内で初めて種痘を実施。兄・青木周弼の養子となった。森川潤「青木周蔵の渡独前の修学歴(3)萩城下における蘭学の修業時代」(『広島修大論集』54-1)曰く、… https://t.co/b22c3tIN7g
井上勲「幕末政治社会の形成」(『学習院大学史料館紀要』9)は、ペリー来航の際の、200家以上の大名家の意見書を分析。対外方針を単純拒絶、即時拒絶、折衝拒絶、時限許容など細分化。例えば折衝拒絶の中にも、すぐ打ち払うものと、攻撃された… https://t.co/TfKkTmibdI
明治39年9月28日、佐々友房が死去。幕末の熊本藩出身で、西南戦争で西郷軍に参加して投獄された。上村直己「佐々友房と独逸学」(『熊本学園大学論集 総合科学』20-2)曰く、「勤王・国権を一大主義とする紫溟会を有志と共に結成。天皇主… https://t.co/znazivMEyb
明治18年9月27日、都築温(都築荘蔵)が死去。慶応3年10月、大政奉還の趣旨が二条城で諸藩重臣に説明された際、宇和島藩代表として出席。将軍・徳川慶喜にも謁見。大政奉還が勅許されたことを帰国して報告(三好昌文「幕末期宇和島藩の動向… https://t.co/a9217rVV44
明治26年9月26日、光妙寺三郎(光田三郎)が死去。幕末の長州藩出身で、西園寺公望や中江兆民とはパリの留学仲間。留学中、岩倉使節団で渡欧した木戸孝允を度々訪問。「決闘は文明の花なり」と論じた(手塚豊「光妙寺三郎の決闘是認論及び「決… https://t.co/Sbpu5HhfUk
明治9年9月23日、安井息軒が死去。芳野金陵・塩谷宕陰と共に文久三博士と称された儒学者で、弟子に谷干城・品川弥二郎・陸奥宗光・世良修蔵・井上毅など。佐々木雄一「陸奥宗光の思想形成」(『法学会雑誌』59-1、2018年)は、幕末期に… https://t.co/CLGgkKUyF5
明治2年8月13日(1869年9月18日)、土肥典膳が死去。岡山藩重臣で、文久2年に京都で国事周旋を開始。中川和明「平田塾と地方国学の展開」(『書物・出版と社会変容』11)曰く、「岡山藩の幕末維新史を語るうえでたいへん重要な人物」… https://t.co/QNZGKoWETi
昭和54年9月18日、木村毅が死去。『明治天皇』、『日米文学交流史の研究』など、文化史、伝記、小説など200冊を超える著作がある文筆家。藤井哲「木村毅と英文学」(『福岡大学人文論叢』48-4)曰く、「学界の権威に向かって在野から歯… https://t.co/DpgxoGDd8J
大正7年9月17日、本野一郎が死去。幕末の佐賀に生まれ、明治・大正の外交官として働いた。寺内正毅内閣の外務大臣を務めた。バールィシェフ・エドワルド「ロシア革命とシベリア出兵構想の形成-本野一郎の外交政策と米国-」(『ロシア史研究』… https://t.co/zGXbffVyWW
大正9年9月12日、国際法学者の高橋作衛が死去。第2次大隈重信内閣の法制局長官。日清戦争に法律顧問として従軍し、日露戦争の前年に桂太郎首相に向けて対露強硬論を主張した「七博士意見書」に参加。前原淳史「「七博士事件」の再検討」(『社… https://t.co/ZVEZaQd93k
平成5年9月8日、歴史家の榎本守恵が死去。著書に『北海道の歴史』(北海道新聞社)、『侍たちの北海道開拓』(同)、『近代僻地教育の研究』(同成社)がある。下記は榎本による、桑原真人『近代北海道史研究序説』(北海道大学図書刊行会)の書… https://t.co/HdR1vRn9kT
安政2年7月26日(1855年9月7日)、井戸弘道が死去。幕末の幕臣で、嘉永6年のペリー来航の際に浦賀奉行。後年、永井尚志は、学識はあるが、「決断之乏敷は、其短なる所」と評した。河内八郎「伊達宗城とその周辺(続)」(『茨城大学人文… https://t.co/A6p6N7VUiZ
明治40年9月6日、名村泰蔵が死去。幕末のオランダ通詞で、英語・フランス語・ドイツ語も習得し、慶応3年にパリ万博に赴く徳川昭武に随行。明治期には司法官僚の道を歩み、ボアソナード招聘に尽力した。石原千里「名村五八郎と名村泰蔵」(『英… https://t.co/dTLKNNMmBj
明治26年9月1日、細川護久が死去。明治3年に熊本藩知事に就任して、弟・長岡護美と共に熊本藩の藩政改革を推進した。その際、横井小楠の門下生たちを多数登用した。三澤純「熊本藩明治三年藩政改革の再検討」(『文学部論叢』109、熊本大学… https://t.co/0ZNqZ8w8ih
享和元年7月23日(1801年8月31日)、長久保赤水が死去。『大日本史』地理志の編纂に参加した地図製作者。周振鶴・鶴間和幸「長久保赤水と中国歴史地図の編纂」(『五浦論叢』1、1993年)曰く、「日本の地図史上見のがすことのできな… https://t.co/ttxBVVpv3i
天保12年7月14日(1841年8月30日)、林述斎が死去。松平定信に嘱望されて林家を嗣いだことは、林家の最大の画期とされる(小野将「近世後期の林家と朝幕関係」『史学雑誌』102-6)。朝鮮通信使との窓口役も務めた。幕末外交で活躍… https://t.co/x5JpIXP6Ch

10 0 0 0 IR 林研海の生涯

明治15年8月30日、医師・林研海が死去。幕末の長崎でポンペに学んだ後、榎本武揚や沢太郎左衛門らと同じ船に乗ってオランダ留学。帰国後の明治期に、静岡病院長、陸軍軍医総監などを歴任。高橋慎司「林研海の生涯」(『早稲田大学大学院教育学… https://t.co/DG93tqnjpH
昭和58年8月28日、英文学者・帆足図南次が死去。広瀬淡窓・三浦梅園と並び称された儒学者・帆足万里の子孫で、主要著書に『帆足万里』(吉川弘文館、1966年)がある。また、日本史関連の論文に、「変革期の知識人としての陸奥宗光」(『英… https://t.co/NVzyovGJTe
明治32年8月26日、市川兼恭が死去。幕末の幕臣で、洋学者。蕃書調所や開成所で教授を務め、明治の陸軍にも所属した。加藤弘之と共にドイツ語学習の先駆者とされ、荒木康彦「幕末期の「独逸学」と『官版 獨逸單語篇』」(『渾沌』7、2010… https://t.co/1WMy2QTgDC
昭和30年8月25日、北沢楽天が死去。日本の風刺漫画の先駆者とされ、福沢諭吉の『時事新報』誌上で時事漫画を手掛けた。宮田航平「北沢楽天とは誰か」(『信州大学附属図書館研究』S-2、2019年)は、手塚治虫への影響も指摘。さいたま市… https://t.co/PUMx4JpNSs
明治33年8月23日、建築家・山口半六が死去。幕末の松江出身で、明治期にフランス留学。手掛けた建築物に、熊本五高(ラフカディオ・ハーン、夏目漱石、秋月悌次郎らが教師を務めた)の校舎などがある。堀内達夫「都市と実業教育」(『人文研究… https://t.co/R1rt7kfBNr
明治32年8月19日、丸山作楽が死去(異説あり)。島原藩出身で、明治2年に外務大丞として樺太の領有権についてロシアと交渉。三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)曰く、明治政府の参議に就任する噂もあったぐらい… https://t.co/KS3l9QEMWb
奈良勝司「社会文化史」(『日本研究』57、2018年)は、奈良勝司『明治維新と世界認識体系』(有志舎)、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)、笠谷和比古『近世武家社会の政治構造』(吉川弘文館)、渡辺尚志『近世百姓の底力… https://t.co/o0GtPGl1xQ
慶応4年6月27日(1868年8月15日)、英学者・嵯峨根良吉が死去。幕末の宮津藩出身で、薩摩藩の開成所に雇用された。竹内力雄「山本覚馬覚え書(5)「管見」を中心に」(『同志社談叢』34)は、慶応3年に、赤松小三郎と同一内容の政体… https://t.co/QCHscfvKUC
慶応元年6月24日(1865年8月15日)、喜多岡勇平が死去。幕末の福岡藩士で、黒田長溥に信任され、長州征伐や五卿移転問題の解決に奔走した。梶原良則「長州出兵をめぐる政治情況」(『史淵』129)は、喜多岡の周旋が薩長和解の端緒にな… https://t.co/o2UzY0AH9S

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拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)が既にダウンロード可能となっていました(^^)https://t.co/A65OnLMHFg メチャ大部で恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。

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年賀状に質問を書いて送るの禁止~(笑) 当アカウントは個別の質問にはお答えしておりません。以下、独り言です。 明治期の外交官及領事官官制(勅令第257号。明治23年10月21日)でしたら、ここに載っていました。… https://t.co/y3ykSzpTok
【資料】CiNiiに、西谷正氏の論文「邪馬台国最新事情」(石油技術協会誌75 2010/07/01)がpdfで公開されています。これまでの論争と最新事情が良くまとまってます https://t.co/k7Aur04jrx
神田千里「大友宗麟の改宗 : その実態と背景」『東洋大学文学部紀要. 史学科篇』(40), 71-110, 2014 PDFあり。 https://t.co/7kqzAdnnXr

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RT @nekonoizumi: もう一つの論文も、メールで馬部氏に対し頑なに自説を主張する人に対する丁寧な反論だった。色々な人に絡まれておられるなあ…… ⇒馬部隆弘 「中近世移行期における淀川流路の変化 : 岡・禁野・磯島周辺を対象に」 『大阪大谷大学歴史文化研究』20 20…
RT @nekonoizumi: 以前から馬部氏が「隠蔽」を行っている等、ツイッターで執拗に攻撃していた某アカウントに対する反論論文だった。自らの論文の前提や姿勢について述べつつ、攻撃の論拠を丁寧に潰していっている。 ⇒馬部隆弘 「アテルイの「首塚」と牧野阪古墳」 『志學臺考古…
RT @Naga_Kyoto: 『学会名鑑』記載の団体を統計的に分析した研究。参考になります。 埴淵 知哉・川口 慎介「日本における学術研究団体(学会)の現状」E-journal GEO 15(1), 137-155, 2020 https://t.co/7xvXmayB55…
RT @nekonoizumi: 以前から馬部氏が「隠蔽」を行っている等、ツイッターで執拗に攻撃していた某アカウントに対する反論論文だった。自らの論文の前提や姿勢について述べつつ、攻撃の論拠を丁寧に潰していっている。 ⇒馬部隆弘 「アテルイの「首塚」と牧野阪古墳」 『志學臺考古…

1 1 1 0 OA 立軒存稿

@ambujam10 漢文なので自信ありませんがご参考までに。とはいえ、春嶽公じゃなくて家臣たちが釣った可能性もありますかね……?普通に読むと春嶽公が釣ったと読めるとは思うのですが、公のヨイショのために盛ってたりして?(笑)… https://t.co/2w7X3KuU7T
RT @zasetsushirazu: 1990年代以後の幕末維新史の実証研究に寄与した史料集の1つとして、小野正雄・稲垣敏子解読『杉浦梅潭 目付日記』と『杉浦梅潭 箱館奉行日記』を挙げることができる。どちらも1991年刊行。下記は、『史学雑誌』101-3(1992年)に掲載さ…
RT @zasetsushirazu: 1990年代以後の幕末維新史の実証研究に寄与した史料集の1つとして、小野正雄・稲垣敏子解読『杉浦梅潭 目付日記』と『杉浦梅潭 箱館奉行日記』を挙げることができる。どちらも1991年刊行。下記は、『史学雑誌』101-3(1992年)に掲載さ…
RT @zasetsushirazu: 1990年代以後の幕末維新史の実証研究に寄与した史料集の1つとして、小野正雄・稲垣敏子解読『杉浦梅潭 目付日記』と『杉浦梅潭 箱館奉行日記』を挙げることができる。どちらも1991年刊行。下記は、『史学雑誌』101-3(1992年)に掲載さ…
RT @zasetsushirazu: 1990年代以後の幕末維新史の実証研究に寄与した史料集の1つとして、小野正雄・稲垣敏子解読『杉浦梅潭 目付日記』と『杉浦梅潭 箱館奉行日記』を挙げることができる。どちらも1991年刊行。下記は、『史学雑誌』101-3(1992年)に掲載さ…
自刃十九士を埋葬した吉田伊惣次が民政局から褒賞を受けたとしている点が、のちの時代と異なる。 https://t.co/jre9XKqs9s
https://t.co/PQ2yNRa9yw 近世初期の京都・大坂・伏見の関係からみた首都の多元性 研究課題 研究代表者 谷徹也 「本研究では、京都・伏見・大坂(さらには淀・名護屋、江戸・駿府)を複数の首都として捉え、それぞれの… https://t.co/wgRkrqxCwE
RT @Minemori_H: 今日公開された木場貴俊センセイの「<研究ノート>国際日本文化研究センター所蔵『諸国妖怪図巻』をめぐって : いわゆる「化物尽くし絵巻」に関する一考察」をほくほくしながら見ています。知らない妖怪がぞろぞろ出てくる!! https://t.co/6n…
RT @zasetsushirazu: 元治元年2月28日(1864年4月4日)、多田海庵(多田弥太郎)が死去。但馬出石藩出身の儒学者で、生野の変に参加した。横山俊一郎「多田海庵の海防意識」(『東アジア文化交渉研究』7、2014年)があり、同氏の著書『泊園書院の明治維新』(清文…

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昭和22年経済安定本部訓令第8号飲食営業緊急措置令の運用に関する件 https://t.co/RXnXeaZRtK

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昭和22年農林内務厚生省令第1号飲食営業緊急措置令施行規則(11コマ目左上) https://t.co/Qha5iyfEx7

1 1 1 0 OA 官報

昭和22年政令第118号飲食営業緊急措置令 https://t.co/2imqUBIcmL
アーロン フィットレル -  <研究論文>掛詞の外国語訳の方法について : 複数の掛詞・縁語を使用した二重文脈歌を中心に https://t.co/ruOrltH7Ey
CiNii 博士論文 - 王占一 - 雑誌『満蒙』における文芸とその時代 : 在満日本人の満洲観を視座にして https://t.co/URvdbzIJht
RT @NoHateTV: そのとおり。ネトウヨの多くは経済的に安定していて年齢層も社会的地位も高いというのが徳島大学の樋口直人さんの研究等によって明らかになっています
浜田 泰彦・河戸 愛実 -  『人相小鑑大全』(下)巻三―巻四 https://t.co/bp38ell9xN
CiNii 論文 -  信州大学の人文学部今昔 https://t.co/oiAWrv9bAz
<三宅晶子教授退職記念講演会シンポジウム>これからの古典教育 三宅 晶子 鈴木 彰 青山 浩之 横浜国立大学学術情報リポジトリ https://t.co/fJh97DO1xF
RT @zasetsushirazu: 1865年4月2日、リチャード・コブデンが死去。英国の政治家で、熊谷次郎「『書簡集』にみるコブデンの急進的自由主義(上)」(『桃山学院大学経済経営論集』60-4、2019年)曰く、薩英戦争で鹿児島の市街を砲撃した点について「恐ろしい残虐行…
RT @zasetsushirazu: 明治12年4月1日、大原重徳が死去。文久2年に、勅使として島津久光を伴って江戸に赴き、幕政改革を要求した公家。外池昇「和宮降嫁と文久の修陵」(『人間文化研究』1)は、大原と一橋慶喜・松平春嶽の会談での、仁孝天皇17回忌のための和宮上洛問題…
RT @zasetsushirazu: 1865年4月2日、リチャード・コブデンが死去。英国の政治家で、熊谷次郎「『書簡集』にみるコブデンの急進的自由主義(上)」(『桃山学院大学経済経営論集』60-4、2019年)曰く、薩英戦争で鹿児島の市街を砲撃した点について「恐ろしい残虐行…
RT @zasetsushirazu: 明治12年4月1日、大原重徳が死去。文久2年に、勅使として島津久光を伴って江戸に赴き、幕政改革を要求した公家。外池昇「和宮降嫁と文久の修陵」(『人間文化研究』1)は、大原と一橋慶喜・松平春嶽の会談での、仁孝天皇17回忌のための和宮上洛問題…
RT @zasetsushirazu: 明治12年4月1日、大原重徳が死去。文久2年に、勅使として島津久光を伴って江戸に赴き、幕政改革を要求した公家。外池昇「和宮降嫁と文久の修陵」(『人間文化研究』1)は、大原と一橋慶喜・松平春嶽の会談での、仁孝天皇17回忌のための和宮上洛問題…
RT @zasetsushirazu: 明治12年4月1日、大原重徳が死去。文久2年に、勅使として島津久光を伴って江戸に赴き、幕政改革を要求した公家。外池昇「和宮降嫁と文久の修陵」(『人間文化研究』1)は、大原と一橋慶喜・松平春嶽の会談での、仁孝天皇17回忌のための和宮上洛問題…
RT @dellganov: 地域別だと、図書館の指定管理については栃木県がめっちゃ多くて、これはこれで特殊なんだけど。 桑原芳哉「公立図書館における指定管理者制度導入の実態」尚絅大学研究紀要 A.人文・社会科学編 47(0), 15-27, 2015より20p https:…
5).#安積疏水と開墾 の貢献者福島県令 #安場保和 について一部掲載されている。長谷川栄子「岩倉使節団成立過程の再検討-『岩倉具視関係史料』所収の新出書簡を用いて-」(熊本学園大学論集『総合科学』19巻2号 2013年)… https://t.co/WzmXq8mtRM
RT @zasetsushirazu: 天保2年2月18日(1831年3月31日)、オーストラリアの捕鯨船レディロウエナ号が蝦夷地に来航。2週間ほど滞在し、松前藩士と若干の銃撃戦もあった。村上雄一「オーストラリアの捕鯨船と日本」(『行政社会論集』11-4)曰く、船長ボーン・ラッ…
RT @takuya1975: 「歴史総合」や「考える世界史」、ALでの史料の利用などに関心のあるすべての関係者(とくに高校教員・大学の西洋史研究者)に読んでいただきたい論文です。 西山暁義「外国史教育における複眼的史料集の可能性 : ドイツの歴史教育と近現代史の例から考える」…