太田鳴雪 (@zasetsushirazu)

投稿一覧(最新100件)

板垣哲夫「維新後における大久保利通の政治上の人間関係」(『史学雑誌』86-11、1977年)は、慶応3年10月〜明治10年3月、大久保がどんな人物と接触していたか、日記を分析。大久保の政府内での地位上昇に伴い、薩長土肥以外の出身者… https://t.co/zxRRTvUDo7
明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、第2次長州征伐で小倉城が落城した際、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、米国公使などを歴任。銭国紅「洋上の対話」(『日本研究』15)は、明治3年に英国留学した建野と、清国人… https://t.co/gKVR7l9ksv
昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻… https://t.co/VvhIawCHh0
大正5年2月9日、加藤弘之が死去。田中浩「福沢諭吉と加藤弘之」(『一橋論叢』100-2、1988年)は、福沢諭吉と共に「明治啓蒙期を代表するスーパースター」と呼ぶ。佐久間象山に師事し、幕府の蕃書調所や開成所に出仕した、ドイツ語学の… https://t.co/kILaX7F2hF
生田美智子「19世紀初頭の日露外交 : 高田屋嘉兵衛拿捕・拉致事件を通してみる-国後・函館の日露交渉-」(『言語文化研究』37、2011年)によれば、ゴロヴニンを松前で引き渡して以降、漂流民送還が蝦夷地で行われるなど、対外関係を扱… https://t.co/DCk2b6LVN8
明治12年2月6日、並河寒泉が死去。幕末期の懐徳堂教授で、プチャーチンの乗るロシア船が大坂湾に来た際、幕命で漢文による交渉を担当。ロシア船が退去したことを、自らの学力による攘夷の実践と捉えた。矢羽野隆男「並河寒泉の政治思想と幕府観… https://t.co/hlrLAxoFJ2
大正9年2月4日、須藤南翠が死去。幕末の宇和島藩出身で、新聞小説で人気を博した。明治21年に発表した『殺人犯』は、日本における探偵小説の先駆とされている。畑実「小新聞記者の政治論」(『駒沢国文』36)は、自由民権運動との関係から南… https://t.co/pvcgExIjd8
明治29年2月2日、川田甕江が死去。古賀謹堂、藤森弘庵、大橋訥庵、安井息軒らとの交流で学問を深めた漢学者。山田方谷の推薦で、備中松山藩主・板倉勝静に仕えた。古賀勝次郎「安井息軒の門生たち(2)」(『早稲田社会科学総合研究』10-3… https://t.co/SAUWz9Oc2H
明治38年1月31日、副島種臣が死去。幕末の佐賀藩出身で、兄の枝吉神陽が主宰した義祭同盟に参加した。明治期に外務卿、内務大臣などを歴任。池田勇太「史料紹介 「政体」」(『史学雑誌』125-2、2016年)は、政体書の草稿と思われる… https://t.co/QlrRBqjltd
弘化3年12月13日(1847年1月29日)、箕作省吾が死去。『坤輿図識』などを編纂し、世界各地の地理や歴史を紹介した。吉田松陰などに影響を与えたとされる。辻田右左男「箕作省吾「坤輿図識」」(『奈良大学紀要』2)は、「地理学のため… https://t.co/UDbryHMhrD
明治9年1月29日、戸塚静海が死去。シーボルトに学び、将軍家の侍医を務めた初の蘭方医。薩摩藩主の島津斉興と島津斉彬に仕えた時期もあり、田村省三「薩摩藩における蘭学受容とその変遷」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116)曰く、薩摩藩… https://t.co/cLFdzNuMoV
大正15年1月28日、三浦梧楼が死去。幕末の長州藩出身で、奇兵隊に所属した。明治14年政変の際に谷干城らと共に政府批判の意見書を提出。李修京・朴仁植「朝鮮王妃殺害事件の再考」(『東京学芸大学紀要 人文社会科学系』58)は、朝鮮公使… https://t.co/tZNtuLO9fL

7 7 0 0 IR 破婚の深層

明治33年1月28日、赤松登志子が死去。森鴎外の最初の妻で、旧幕臣・赤松則良の娘。結婚披露宴には榎本武揚なども出席した。蓮沼啓介「破婚の深層」(『神戸法学雑誌』69-2、2019年)は、離婚の要因を「幕末維新の旧世代と文明開化の新… https://t.co/piFBwOaAHF
上田純子「安政五年萩藩における「会議」と政治機構」(『史学雑誌』107-6)は、「藩政改革派と称された人物の出身階層が一〇〇石前後の大組士であった事実」や、「三〇〇石以上の比較的上級家臣団が、政治的意思決定からは実質的に阻害された… https://t.co/vMCDfwuCAm
1894年1月22日、モンブラン(ベルギー貴族)が死去。五代友厚と頻繁に交流するなど薩摩藩と関係が深く、パリ万博への薩摩藩の参加に協力。一時期、明治政府からパリ総領事に任命された。文献に、宮永孝「ベルギー貴族モンブラン伯と日本人」… https://t.co/Dgpv78vIxH
三好彰「アメリカ人が見た川﨑道民-万延元年遣米使節団のアメリカ最新医療体験-」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13、2018年)は、万延元年の遣米使節団や文久遣欧使節団に随行した佐賀藩の医師・川崎道民に関して、米国… https://t.co/CHKFmu9JEq
今西一「大蔵大臣事始」(『大学進学研究』6-5、1985年)は、明治政府の財政を担当した由利公正、大隈重信、松方正義らの政策を紹介。由利の政策のその後への影響を指摘し、その切断をした「松方財政をもって日本における近代的財政制度の確… https://t.co/p3rlk2nFVi
@lalan1858 多分、人によって定義や使い方が異なると思います。 ちなみに有志舎では、有志舎の「学術書」を、次の2つに分けて刊行しているそうです。 ●「専門研究者を主な読者と考える「専門書(専門研究書)」 ●「一般社会の… https://t.co/6pqZTqFd3Z
柏原宏紀「明治零年代後半における洋行官僚に関する一考察」(『関西大学経済論集』67-4、2018年)は、洋行経験のある官僚たちが日本の近代化に果たした役割を分析。「明治10年段階では、外務、文部、工部、司法の4省において、その半数… https://t.co/dm59uly8NW
明治17年1月14日、広川晴軒が死去。田崎哲郎氏の書評「井上慶隆著『廣川晴軒伝』」(『史学雑誌』90-11、1981年)曰く、「五十八歳で江戸の箕作阮甫に入門」し、慶応2年に「熱・光・電気は本質において一つのものであるとの『三元素… https://t.co/YNo6r9hkLl
明治26年1月10日、杉田仙十郎が死去。政党政治家・杉田定一の父親で、幕末期には越前の大庄屋だった。元治元年には、敦賀で投降した天狗党の助命を嘆願した。文献に、家近良樹『ある豪農一家の近代』(講談社)がある。下記は、柳澤芙美子氏の… https://t.co/QpIOlDrk43
明治30年1月9日、関沢明清が死去。幕末の加賀藩出身で、江川英龍や大村益次郎に師事した。また、加賀藩から最初に英国留学した人物。サケの養殖技術などを学び、「水産業の父」とも呼ばれる。影山昇「関沢明清と村田保」(『放送教育開発センタ… https://t.co/xQ5HHb1gXt
王一兵「幕府天文方における蘭学の展開-蘭学の公学化を中心に-」(『文化』82、2019年)は、18世紀〜19世紀にかけて対外関係の緊張が高まる中、蘭学者たちは、海外情報の収集における蘭学の有用性を発信していくことで権力者の支持を調… https://t.co/DKUv8JbanQ
昭和6年1月2日、斯波淳六郎が死去。幕末の加賀藩家老の家に生まれた。明治17年にドイツ留学する際、同じ船には橋本長勝(橋本左内の甥)らがいたらしい。帰国後、法制局参事官などを歴任。七戸克彦「現行民法典を創った人びと(24)」(『法… https://t.co/vYOmluUKhd
宮永孝「琉球における英学発達小史」(『社会志林』59-1、2012年)曰く、 19世紀までの琉球は、主要な貿易相手が東アジアのみだったから、英語学習が発達する機会がなかった。近世後期〜幕末期に西洋の船が度々来るようになったことで、… https://t.co/yBDgC04kkY
大正14年12月27日、岡部長職が死去。最後の岸和田藩主で、明治期に東京府知事や司法大臣などの要職を歴任。岡塚章子「明治期の写真団体と華族-小川一真の事績からの考察-」(『美術研究』412)によれば、岡部は「誰もが認める写真愛好家… https://t.co/y9f8nZh5F3
宮永孝「セントヘレナの日本人」(『社会志林』60-3、2013年)曰く、ナポレオン1世が幽閉されたセントヘレナ島は日本人と浅からぬ縁がある。初めて同島を訪れた日本人は、ザビエルが連れていた者だろうとのこと。幕末期には、オランダ留学… https://t.co/q6vBbbsefE
福元啓介「近世後期における薩摩藩の財政構造とその特質」(『東京大学日本史学研究室紀要』22、2018年)は、西南雄藩としての薩摩藩についての研究蓄積はあるが、その割に藩財政に関する研究は少ないと指摘。主に、近世後期の年貢米収支を数… https://t.co/bh9Qa1MtqV
1878年12月19日、ベイヤード・テイラーが死去。嘉永6年(1853年)、浦賀に来航したペリー艦隊の一員だった旅行家・作家で、琉球や小笠原諸島にも上陸した。近藤治「ベイヤード・テイラーの見たファテプル・シークリーについて」(『鷹… https://t.co/LrGwUsT9SH
山本志乃「旅日記にみる近世末期の女性の旅」(『国立歴史民俗博物館研究報告』155)は、清河八郎の母親や松尾多勢子など、女性たちの旅行を分析。幕末期にはすでに一般化していた無手形による違法の関所抜けが、流動人口の増加や宿場への経済効… https://t.co/6C3qN9Brcx
石井耕「日本の人事政策の起源-江戸幕府後期御家人の人材登用と昇進-」(『北海学園大学学園論集』156)は、日本企業の人事政策の構成要素「学問→試験→登用」の起源が、幕末の幕府にあったと指摘。田辺太一、中村正直など昌平坂学問所の学問… https://t.co/EKrv0J2xcT
佐藤雄基「新刊紹介 松田敬之『〈華族爵位〉請願人名辞典』(吉川弘文館、二〇一五年)」(『史苑』78-2、2018年)は、松田敬之の著書『〈華族爵位〉請願人名辞典』を紹介。同書は、佐藤氏曰く、華族になれた人だけではなく、華族になれな… https://t.co/OJXGG3qSxi
明治25年12月14日、黒田麹廬が死去。膳所藩出身の洋学者で、緒方洪庵の適塾で学んだ。ペリー来航以前に、『ロビンソン・クルーソー』を『漂荒紀事』と題して翻訳した。松田清「黒田梁太郎寄贈図書について」(『静脩』27-2)は、麹廬の息… https://t.co/JtVA0EbkJs
岩田高明「「福田作太郎筆記」の「欧州探索」にみる西洋教育制度受容過程の分析」(『日本の教育史学』49、2006年)は、文久遣欧使節団に参加した福田作太郎の記録のうち、『西洋見聞集』(岩波書店)に未収録で、先行研究でも未紹介の、西洋… https://t.co/pUcYyk2hG3
明治2年10月20日(1869年11月23日)、大村益次郎襲撃犯の神代直人について、斬首が決定された。処刑が執行された正確な日付は不明。下記リンクの論文、伊藤一晴「神代直人の捕縛-大村益次郎襲撃犯に対する山口藩の対応-」(『山口県… https://t.co/P6AHf618mf
水上たかね「幕府海軍における「業前」と身分」(『史学雑誌』122-11、2013年)曰く、幕末の幕府海軍では職務に必要な能力を「業前」と呼んで重視し、人材を登用した。だが、「家」の枠組は強固で、家督相続で別の役職に就いて海軍を離れ… https://t.co/G8k6CcPipw
平成5年11月16日、三坂圭治が死去。『周防国府の研究』(マツノ書店)、『山口県の歴史』(山川出版社)などの著書があり、秋山謙藏「三坂圭治氏著「周防國府の研究」」(『社会経済史学』4-2)曰く、「毛利公爵家編纂所に在つて、防長の歴… https://t.co/Fu2rUfRDTP
明治42年11月14日、山川二葉が死去。会津藩士・山川尚江の娘で、兄弟姉妹に山川浩と健次郎、大山捨松がいる。会津藩家老の梶原平馬と結婚。東京女子高等師範学校で教育に携わった。文献に、遠藤由紀子「会津藩家老梶原平馬をめぐる女性」(『… https://t.co/swrL4Yseb7
明治2年10月6日(1869年11月9日)、土御門晴雄が死去。幕末の公家で、陰陽頭。杉岳志「幕末の陰陽頭・朝廷と彗星」(『島根県立大学松江キャンパス研究紀要』58、2019年)は、中世の頃から凶事の前兆とされた彗星が幕末に出現した… https://t.co/z3UVAxdBjK
安政6年10月6日(1859年10月31日)、三条実万(三条実美の父親)が死去。安政期の朝廷内で影響力があった。笹部昌利「幕末期公家の政治意識形成とその転回」(『仏教大学総合研究所紀要』8)曰く、息子の三条実美は実万の「体制改革意… https://t.co/FZJNfrZCoS
文化4年9月19日(1807年10月20日)、蘭学者の山村才助が死去。新井白石の著作を山村が改訂した『訂正増訳采覧異言』について、石川勞吉「日本人が初めて見たポリネシア人」(『国立民族学博物館調査報告』59)は、日本人の著作の中で… https://t.co/LsoD2b09Su
明治36年10月17日、松平頼聰が死去。幕末の高松藩主で、鳥羽・伏見の戦いで官位剥奪の「朝敵」処分を受けた。坂田充「学習院大学所蔵 高松松平家旧蔵書の概要とその伝来経緯」(『人文』6、2007年)は、頼聰の蔵書などが華族会館に寄贈… https://t.co/QHPfk9eKCn
明治28年10月16日、石河確太郎(石河正竜)が死去。明治の紡績技術者で、幕末期には薩摩藩に招聘されて蒸気船建造や開成所での講義を担当するなど、重用された。堀江保蔵「近代日本の先駆的企業家」(『経済論叢』84-3、1959年)曰く… https://t.co/mGYGI3I9Ns
明治20年10月16日、真田喜平太(幸歓)が死去。幕末の仙台藩士で、真田信繁の子孫と言われる。高島流砲術を学んだ砲術家で、竹ヶ原康佑「嘉永期における仙台藩重臣・中嶋恒康の海防政策と砲術攻究」(『明治大学博物館研究報告』20)は、中… https://t.co/wZ4Z5UC6lD
山本太「幕末期,水害と闘うある村落指導者に関する覚書」(『京都産業大学総合学術研究所所報』7、2012年)は、長岡藩の支配下にあった越後西蒲原郡中郷屋村と庄屋の笛木家が、どのように自然災害と向き合っていたか分析。元治元年と慶応元年… https://t.co/G27cJsywWL
大賀郁夫「「御用日記」にみる幕末の宮崎」(『宮崎公立大学人文学部紀要』20-1)は、延岡藩の庄屋・湯地栄四郎の日記を分析。薩英戦争の風聞や、延岡藩も参加した第2次長州征伐の話題、暴風雨の災害対策と同時に干ばつ対策のための雨乞い祈祷… https://t.co/dum9YPtj5u
明治17年10月12日、川路高子が死去。幕末の幕臣・川路聖謨の妻で、慶応4年に夫が自殺した後も明治の世を生きた。揖斐高ほか「国立国会図書館蔵『川路高子日記』-翻刻と解題および人名索引-」(『成蹊人文研究』19)は、夫が奈良奉行を務… https://t.co/6KtnV0tj8D
明治12年10月11日、市川清流が死去。幕末の文久遣欧使節団(正使は竹内保徳)に、松平康直(神奈川奉行兼外国奉行で、使節の副使だった)の従者として随行。早野喜久江「「市川清流建白書」の一考察」(『二松学舎大学論集』62)は、明治期… https://t.co/uwI6w3O8KU
安政6年9月14日(1859年10月9日)、梅田雲浜が死去。安政大獄で最初に逮捕され、獄死。中島嘉文「角田家本梅田雲浜安政大獄吟味関係資料について」(『福井県文書館研究紀要』13)は、雲浜の取り調べ調書を分析し、「尊攘運動の理論的… https://t.co/MrpiZxn7Nd
山中康行「日本図書館史における断絶と連続」(『人間文化研究』9)は、日本の図書館の時代区分において、明治維新を境に江戸時代の「文庫」と明治以後の「図書館」で断絶するという見解に対して、連続性があったことを指摘しつつ、明治初期の「書… https://t.co/EDu5BTy5io
文化5年8月17日(1808年10月6日)、長崎奉行・松平康英が死去。英国船フェートン号がオランダ国旗を掲げて長崎湾に侵入した事件の責任で、自刃した。長崎警備の問題について、梶原良則「寛政〜文化期の長崎警備とフェートン号事件」(『… https://t.co/7LHTvr85J5
明治3年9月8日(1870年10月2日)、青木研蔵が死去。長州藩の蘭方医で、藩内で初めて種痘を実施。兄・青木周弼の養子となった。森川潤「青木周蔵の渡独前の修学歴(3)萩城下における蘭学の修業時代」(『広島修大論集』54-1)曰く、… https://t.co/b22c3tIN7g
井上勲「幕末政治社会の形成」(『学習院大学史料館紀要』9)は、ペリー来航の際の、200家以上の大名家の意見書を分析。対外方針を単純拒絶、即時拒絶、折衝拒絶、時限許容など細分化。例えば折衝拒絶の中にも、すぐ打ち払うものと、攻撃された… https://t.co/TfKkTmibdI
明治39年9月28日、佐々友房が死去。幕末の熊本藩出身で、西南戦争で西郷軍に参加して投獄された。上村直己「佐々友房と独逸学」(『熊本学園大学論集 総合科学』20-2)曰く、「勤王・国権を一大主義とする紫溟会を有志と共に結成。天皇主… https://t.co/znazivMEyb
明治18年9月27日、都築温(都築荘蔵)が死去。慶応3年10月、大政奉還の趣旨が二条城で諸藩重臣に説明された際、宇和島藩代表として出席。将軍・徳川慶喜にも謁見。大政奉還が勅許されたことを帰国して報告(三好昌文「幕末期宇和島藩の動向… https://t.co/a9217rVV44
明治26年9月26日、光妙寺三郎(光田三郎)が死去。幕末の長州藩出身で、西園寺公望や中江兆民とはパリの留学仲間。留学中、岩倉使節団で渡欧した木戸孝允を度々訪問。「決闘は文明の花なり」と論じた(手塚豊「光妙寺三郎の決闘是認論及び「決… https://t.co/Sbpu5HhfUk
明治9年9月23日、安井息軒が死去。芳野金陵・塩谷宕陰と共に文久三博士と称された儒学者で、弟子に谷干城・品川弥二郎・陸奥宗光・世良修蔵・井上毅など。佐々木雄一「陸奥宗光の思想形成」(『法学会雑誌』59-1、2018年)は、幕末期に… https://t.co/CLGgkKUyF5
明治2年8月13日(1869年9月18日)、土肥典膳が死去。岡山藩重臣で、文久2年に京都で国事周旋を開始。中川和明「平田塾と地方国学の展開」(『書物・出版と社会変容』11)曰く、「岡山藩の幕末維新史を語るうえでたいへん重要な人物」… https://t.co/QNZGKoWETi
昭和54年9月18日、木村毅が死去。『明治天皇』、『日米文学交流史の研究』など、文化史、伝記、小説など200冊を超える著作がある文筆家。藤井哲「木村毅と英文学」(『福岡大学人文論叢』48-4)曰く、「学界の権威に向かって在野から歯… https://t.co/DpgxoGDd8J
大正7年9月17日、本野一郎が死去。幕末の佐賀に生まれ、明治・大正の外交官として働いた。寺内正毅内閣の外務大臣を務めた。バールィシェフ・エドワルド「ロシア革命とシベリア出兵構想の形成-本野一郎の外交政策と米国-」(『ロシア史研究』… https://t.co/zGXbffVyWW
大正9年9月12日、国際法学者の高橋作衛が死去。第2次大隈重信内閣の法制局長官。日清戦争に法律顧問として従軍し、日露戦争の前年に桂太郎首相に向けて対露強硬論を主張した「七博士意見書」に参加。前原淳史「「七博士事件」の再検討」(『社… https://t.co/ZVEZaQd93k
平成5年9月8日、歴史家の榎本守恵が死去。著書に『北海道の歴史』(北海道新聞社)、『侍たちの北海道開拓』(同)、『近代僻地教育の研究』(同成社)がある。下記は榎本による、桑原真人『近代北海道史研究序説』(北海道大学図書刊行会)の書… https://t.co/HdR1vRn9kT
安政2年7月26日(1855年9月7日)、井戸弘道が死去。幕末の幕臣で、嘉永6年のペリー来航の際に浦賀奉行。後年、永井尚志は、学識はあるが、「決断之乏敷は、其短なる所」と評した。河内八郎「伊達宗城とその周辺(続)」(『茨城大学人文… https://t.co/A6p6N7VUiZ
明治40年9月6日、名村泰蔵が死去。幕末のオランダ通詞で、英語・フランス語・ドイツ語も習得し、慶応3年にパリ万博に赴く徳川昭武に随行。明治期には司法官僚の道を歩み、ボアソナード招聘に尽力した。石原千里「名村五八郎と名村泰蔵」(『英… https://t.co/dTLKNNMmBj
明治26年9月1日、細川護久が死去。明治3年に熊本藩知事に就任して、弟・長岡護美と共に熊本藩の藩政改革を推進した。その際、横井小楠の門下生たちを多数登用した。三澤純「熊本藩明治三年藩政改革の再検討」(『文学部論叢』109、熊本大学… https://t.co/0ZNqZ8w8ih
享和元年7月23日(1801年8月31日)、長久保赤水が死去。『大日本史』地理志の編纂に参加した地図製作者。周振鶴・鶴間和幸「長久保赤水と中国歴史地図の編纂」(『五浦論叢』1、1993年)曰く、「日本の地図史上見のがすことのできな… https://t.co/ttxBVVpv3i
天保12年7月14日(1841年8月30日)、林述斎が死去。松平定信に嘱望されて林家を嗣いだことは、林家の最大の画期とされる(小野将「近世後期の林家と朝幕関係」『史学雑誌』102-6)。朝鮮通信使との窓口役も務めた。幕末外交で活躍… https://t.co/x5JpIXP6Ch

10 0 0 0 IR 林研海の生涯

明治15年8月30日、医師・林研海が死去。幕末の長崎でポンペに学んだ後、榎本武揚や沢太郎左衛門らと同じ船に乗ってオランダ留学。帰国後の明治期に、静岡病院長、陸軍軍医総監などを歴任。高橋慎司「林研海の生涯」(『早稲田大学大学院教育学… https://t.co/DG93tqnjpH
昭和58年8月28日、英文学者・帆足図南次が死去。広瀬淡窓・三浦梅園と並び称された儒学者・帆足万里の子孫で、主要著書に『帆足万里』(吉川弘文館、1966年)がある。また、日本史関連の論文に、「変革期の知識人としての陸奥宗光」(『英… https://t.co/NVzyovGJTe
明治32年8月26日、市川兼恭が死去。幕末の幕臣で、洋学者。蕃書調所や開成所で教授を務め、明治の陸軍にも所属した。加藤弘之と共にドイツ語学習の先駆者とされ、荒木康彦「幕末期の「独逸学」と『官版 獨逸單語篇』」(『渾沌』7、2010… https://t.co/1WMy2QTgDC
昭和30年8月25日、北沢楽天が死去。日本の風刺漫画の先駆者とされ、福沢諭吉の『時事新報』誌上で時事漫画を手掛けた。宮田航平「北沢楽天とは誰か」(『信州大学附属図書館研究』S-2、2019年)は、手塚治虫への影響も指摘。さいたま市… https://t.co/PUMx4JpNSs
明治33年8月23日、建築家・山口半六が死去。幕末の松江出身で、明治期にフランス留学。手掛けた建築物に、熊本五高(ラフカディオ・ハーン、夏目漱石、秋月悌次郎らが教師を務めた)の校舎などがある。堀内達夫「都市と実業教育」(『人文研究… https://t.co/R1rt7kfBNr
明治32年8月19日、丸山作楽が死去(異説あり)。島原藩出身で、明治2年に外務大丞として樺太の領有権についてロシアと交渉。三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)曰く、明治政府の参議に就任する噂もあったぐらい… https://t.co/KS3l9QEMWb
奈良勝司「社会文化史」(『日本研究』57、2018年)は、奈良勝司『明治維新と世界認識体系』(有志舎)、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)、笠谷和比古『近世武家社会の政治構造』(吉川弘文館)、渡辺尚志『近世百姓の底力… https://t.co/o0GtPGl1xQ
慶応4年6月27日(1868年8月15日)、英学者・嵯峨根良吉が死去。幕末の宮津藩出身で、薩摩藩の開成所に雇用された。竹内力雄「山本覚馬覚え書(5)「管見」を中心に」(『同志社談叢』34)は、慶応3年に、赤松小三郎と同一内容の政体… https://t.co/QCHscfvKUC
慶応元年6月24日(1865年8月15日)、喜多岡勇平が死去。幕末の福岡藩士で、黒田長溥に信任され、長州征伐や五卿移転問題の解決に奔走した。梶原良則「長州出兵をめぐる政治情況」(『史淵』129)は、喜多岡の周旋が薩長和解の端緒にな… https://t.co/o2UzY0AH9S
大島明秀「十九世紀国学者における志筑忠雄訳『鎖国論』の受容と平田国学」(『日本文藝研究』57-1)は、平田篤胤以降の国学者が志筑忠雄の『鎖国論』を「西洋人ケンペルによる日本讃美論」として読み解き、その後の国内で日本の優秀さを説く古… https://t.co/7ufMqRgHzK
大正10年8月11日、前田正名が死去。薩摩藩出身で、大蔵省や農務省で活躍。多久島澄子「前田正名の「上州出張記憶書」と「卑見」」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13)は、幕末の長崎で始まった大隈重信との関係を軸に、前… https://t.co/uW420Wg4WK
安政2年6月28日(1855年8月10日)、中島棕隠が死去。綿本誠「中島棕隠の『鴨東四時雑詠(鴨東竹枝)』をめぐる一考察」(『21世紀アジア学会紀要』3)曰く、「日本近世の漢詩人の中で最も著作の多い詩人」。足利三代木像梟首事件に関… https://t.co/9azAuIvqA2
西沢淳男「旗本子女の婚姻について」(『地域政策研究』19-4、2017年)は、旗本の家の婚姻過程を分析。その際、代官を務めた竹垣直道の幕末の日記を素材とする。西沢氏には、『代官の日常生活』(角川ソフィア文庫)、『幕領陣屋と代官支配… https://t.co/as6wUKBIVn
文久2年7月12日(1862年8月7日)、大橋訥庵が死去。田中有美「坂下門外の変以前の大橋訥庵と宇都宮藩」(『立命館言語文化研究』23-3)は、坂下門外の変の首謀者で、過激な攘夷論者として知られる大橋が、討幕は志向せず、あくまで幕… https://t.co/bX7wJGz36M
昭和2年7月30日、市川文吉が死去。慶応元年に幕府が派遣したロシア留学生で、明治6年に帰国。その後、再渡航して榎本武揚の樺太・千島交換条約交渉を通訳。宮永孝「幕末ロシア留学生市川文吉に関する一史料」(『社会労働研究』39-4)は、… https://t.co/oTYWfZRW2w
三浦壮「明治期における華族資本の形成と工業化投資」(『歴史と経済』57-2、2015年)は、「華族の株式の投資資金調達に関する実証成果は確認できていない」と指摘。その上で、旧岩国藩主の吉川家を分析。明治の吉川家は、株式投資と土地投… https://t.co/RG848GHGng
竹ヶ原康佑「長州処分問題をめぐる仙台藩の動向」(『駿台史学』159、2017年)は、元治元年〜慶応期の仙台藩を分析。西国情勢の探索を通じて、中下級藩士層の中に長州藩への同情的意見が目立ってきたことを指摘。また、単独での行動よりも外… https://t.co/OAqzSz9800
大正10年7月25日、佐藤進が死去。戊辰戦争で治療に従事した医師で、日本人初のベルリン大学卒業生。酒井シヅ「順天堂三代目堂主・佐藤進 (1845-1921), ドイツ留学から帰国まで」(『順天堂醫事雑誌』59-2)曰く、「明治,大… https://t.co/Ry4auAIcKX
明治15年7月23日、医師・佐藤尚中が死去。佐倉順天堂創始者・佐藤泰然の養子で、順天堂二代目堂主。また、明治期の東京で順天堂医院(後の順天堂大学)を開いた。小川鼎三「佐藤尚中伝 (3)」(『順天堂医学』18-3、1972年)は、幕… https://t.co/eQD3lxXAPu
野村啓介「フランス第二帝制下の対日外交政策」(『国際文化研究科論集』23、2015年)は、幕末の日本に対するフランス外交は、通訳体制の不備(自前で通訳を養成できずオランダ人を雇用したり、幕臣・塩田三郎に依存)が問題で、英国とのスタ… https://t.co/InEArovPel
明治22年7月19日、杉田玄端が死去。蕃書調所教授、外国奉行支配翻訳御用頭取などを歴任。池田哲郎「江戸時代のオランダ系「地理」」(『福島大学学芸学部論集』12-1、1961年)は、杉田が翻訳した『地学正宗』を、「幕末において比較的… https://t.co/IDcHrR9k98
明治2年6月6日(1869年7月14日)、鵜殿鳩翁(長鋭)が死去。幕臣で、日米和親条約交渉に携わり、文久3年に浪士組取扱。永井尚志は、「人材登庸を重んし、職掌を辱めす」と評した(河内八郎「伊達宗城とその周辺(続)」『茨城大学人文学… https://t.co/Xm5slYzUve
明治7年7月12日、伊達慶邦が死去。幕末の仙台藩主で、東国最大の国持大名。戊辰戦争で奥羽越列藩同盟の盟主。綿抜豊昭「伊達慶邦一座の七種連歌をめぐって」(『中央大学文学部紀要 言語・文学・文化』119、2017年)は、藩祖の伊達政宗… https://t.co/4lKvXaygaN
慶応4年5月22日(1868年7月11日)、益満休之助が死去。江戸の撹乱工作を主導した。奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(三)」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50)は、江戸の薩摩藩邸焼き討ち事件で逮捕され、勝海… https://t.co/0SxH1qXlf7
昭和35年7月2日、杉敏介が死去。明治5年の山口生まれの教育者で、教え子に和辻哲郎、谷崎潤一郎らがいる。夏目漱石『我輩は猫である』の津木ピン助のモデル。杉の講演録『長井雅楽周旋に関する世論に就いて』(温知会、1936年)が、国会図… https://t.co/WRvV4mihP1
明治2年5月18日(1869年6月27日)、萱野権兵衛が死去。幕末の会津藩家老で、戊辰戦争の責任者として自刃した。寺田芳徳「会津藩留学生郡 長正と豊津藩 (旧小倉藩) の英学」(『英学史研究』25)は、萱野の切腹は、少年だった息子… https://t.co/Ya1HiABse8
文久2年5月25日(1862年6月22日)、佐賀藩士・中野方蔵が死去。老中・安藤信正が襲撃された坂下門外の変への関与を疑われ、獄死。重松優「青年大木喬任と佐賀勤王党」(『社学研論集』11)曰く、「佐賀藩では、中野は数少ない勤王運動… https://t.co/m9S3v6d5Le
奈倉哲三「史料蒐集の醍醐味-戊辰戦争期の江戸民衆意識解明を目指して-」(『跡見学園女子大学人文学フォーラム』15、2017年)は、慶応4年閏4月に大村益次郎が江戸府民の「民心朝廷離叛」を把握したことや、民心掌握に天皇の東幸が有効と… https://t.co/E10G0QpKVx
菱沼一憲「桐生彦部家の足利将軍家旧臣活動」(『国立歴史民俗博物館研究報告』182)曰く、百姓の彦部家は、先祖が足利将軍家に仕えたという由緒に基づく活動を行っていた。それは、幕末期に「幕府支配体制の相対化という意味で、草莽運動と質的… https://t.co/S3Obru3UKd
明治39年6月17日、矢野二郎が死去。文久3年、横浜鎖港談判使節に随行した幕臣。明治期、森有礼の推薦で駐米代理公使を務め、森が開設した商法講習所(一橋大学の起源)の初代所長に就任。小泉順也「東京高等商業学校と黒田清輝」(『言語社会… https://t.co/ptwQeVjbNp
ウルズラ・フラッヘ(杉原早紀 訳)「ドイツ語圏の日本研究から見た神仏分離」(『国立歴史民俗博物館研究報告』148、2008年)によれば、ドイツでは宗教改革時代に偶像破壊があったため、明治日本の廃仏毀釈に類似性を感じて関心を持つ研究… https://t.co/p4V81vLYTf
小川功「巨大米国系テーマパークの本邦初進出と地域融合-浦安市民の視点での30数年前の回顧-」(『跡見学園女子大学マネジメント学部紀要』26、2018年)は、東京ディズニーランドの誘致に金融人として関与し、浦安市民でもあった筆者によ… https://t.co/7MZKCI6Y9D
安政5年4月23日(1858年6月4日)、彦根藩主・井伊直弼が大老に就任した。井上勲「大老 井伊直弼」(『学習院史学』35、1997年)は、「大老に期待された役割とは、将軍代替りにともなって発生が予測される危機を管理することである… https://t.co/QmXm04byUO

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拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)が既にダウンロード可能となっていました(^^)https://t.co/A65OnLMHFg メチャ大部で恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。

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年賀状に質問を書いて送るの禁止~(笑) 当アカウントは個別の質問にはお答えしておりません。以下、独り言です。 明治期の外交官及領事官官制(勅令第257号。明治23年10月21日)でしたら、ここに載っていました。… https://t.co/y3ykSzpTok
【資料】CiNiiに、西谷正氏の論文「邪馬台国最新事情」(石油技術協会誌75 2010/07/01)がpdfで公開されています。これまでの論争と最新事情が良くまとまってます https://t.co/k7Aur04jrx
神田千里「大友宗麟の改宗 : その実態と背景」『東洋大学文学部紀要. 史学科篇』(40), 71-110, 2014 PDFあり。 https://t.co/7kqzAdnnXr

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RT @haifi2ch: CiNii 論文 -  公共空間における女性の彫像に関する一考察 https://t.co/XbWL6lKhuH #CiNii
RT @quiriu_pino: こんな論文が出てたようです 渡邉 裕美子「宇都宮泰綱の和歌活動」 和歌文学研究 (119), 28-43, 2019-12 https://t.co/T38aNPoSIw
RT @T_urade1987: 青木弥太郎の系譜について、私の中では謎の部分あったんですが、ようやく分かりました。青木八十次郎信之(秋助)→実子惣領青木金次郎→養子青木定太郎(弥太郎?)でした。屋敷は内藤新宿にあり、『御府内場末往還其外沿革図書』で変遷が分かります。 http…

15 2 2 2 OA 維新史料綱要

RT @itaru_ohyama: @darbyz80 @letrainblue811 慶応三年二月二十一日の「幕府、征夷大将軍徳川慶喜の音称『よしひさ』を布告す」 https://t.co/tIkthFsCtB これ「布告す」であって「改む」ではないところが味噌で、外国との書…
立法調査資料『レファレンス』No.829を掲載 諸外国の事例に見る付加価値税の減税等 (PDF: 1437KB) https://t.co/hpt0RGrAbv
RT @bigbird_vn: @gamayauber01 横から失礼 空調システムの設計者が書いた論文によると、DP号のキャビンでは新鮮空気量は30%とのことで、つまり残りの70%は循環させています。理由は省エネ対策。ちなみに病院とギャレーは100%新鮮空気とのこと 日本船…
RT @zasetsushirazu: 板垣哲夫「維新後における大久保利通の政治上の人間関係」(『史学雑誌』86-11、1977年)は、慶応3年10月〜明治10年3月、大久保がどんな人物と接触していたか、日記を分析。大久保の政府内での地位上昇に伴い、薩長土肥以外の出身者が中堅官…
RT @T_urade1987: 青木弥太郎の系譜について、私の中では謎の部分あったんですが、ようやく分かりました。青木八十次郎信之(秋助)→実子惣領青木金次郎→養子青木定太郎(弥太郎?)でした。屋敷は内藤新宿にあり、『御府内場末往還其外沿革図書』で変遷が分かります。 http…

6 6 6 0 OA 放送史料探訪

RT @BungakuReportRS: 放送史料探訪 『外地放送史資料・満州編』 「外地」放送史料から(4) 宮川 大介 https://t.co/cSBBVkWkyl
RT @pririn_: @CordwainersCat ダイヤモンドプリンセス号の空調は還気「本船の新鮮空気量は キャビン(30%),公室・階段室 (50%)そして病院・ギャレにつ いて は衛生 と臭気対 策のた め に100%の条件である。」 https://t.co/…
RT @wadakogorou: このような論文もあり、読んでみたい。 太田昭子「アンテナ 岩倉使節団と模擬裁判事件」(『ケース研究』 2019(1) 日本調停協会連合会 2019年) https://t.co/LPsQ55x3Mt
このような論文もあり、読んでみたい。 太田昭子「アンテナ 岩倉使節団と模擬裁判事件」(『ケース研究』 2019(1) 日本調停協会連合会 2019年) https://t.co/LPsQ55x3Mt

5 5 5 1 OA 大智度論

RT @knagasaki: 子活字版と言われているが、こっち https://t.co/mM9ttDuW2i とこっち https://t.co/5OYvk2UrVj で共通化されてる部分があるかもと思ったが刊行年が離れていることもあってか版木が異なるよう。 「国立博物館所蔵…
RT @tani6s: 『一物理学者が観た哲学』(谷村ノート)は以前と変わらずここに置いてあります:https://t.co/pcTTaFKtCU

6 6 6 0 OA 放送史料探訪

RT @BungakuReport: 放送史料探訪 『外地放送史資料・満州編』 「外地」放送史料から(4) 宮川 大介 https://t.co/iZdg5GzVl1

6 6 6 0 OA 放送史料探訪

放送史料探訪 『外地放送史資料・満州編』 「外地」放送史料から(4) 宮川 大介 https://t.co/iZdg5GzVl1
RT @zasetsushirazu: 板垣哲夫「維新後における大久保利通の政治上の人間関係」(『史学雑誌』86-11、1977年)は、慶応3年10月〜明治10年3月、大久保がどんな人物と接触していたか、日記を分析。大久保の政府内での地位上昇に伴い、薩長土肥以外の出身者が中堅官…
RT @TR_727: 「敵に母国の秘密を売る利敵行為/《売国奴》、国家転覆を目論む反国家/的な/《国賊》、徴兵拒否・敵前逃亡など指す《非国民》といった/語が、国民精神総動員/―大政翼賛会運動のなかで原義の差異を失い、国民の不満抑圧を代弁する言葉として/溶かし込まれていく」原田…
RT @BB45_Colorado: @teratamanabu 寺田さん、ダイヤモンドプリンセス号の空調が外気100%というのは嘘でした。 客室30%,共有空間50%,病院・ギャレ100%です。 もしも仮にエアロゾル感染があれば船全体がウィルスの培養槽となります。 リン…
RT @BB45_Colorado: @teratamanabu 寺田さん、ダイヤモンドプリンセス号の空調が外気100%というのは嘘でした。 客室30%,共有空間50%,病院・ギャレ100%です。 もしも仮にエアロゾル感染があれば船全体がウィルスの培養槽となります。 リン…
RT @BungakuReportRS: 久保田 昌子 -  『常陸国風土記』における土蜘蛛伝承の検討 https://t.co/SmHBTI55OK
RT @BungakuReportRS: 瀧音 能之 -  記・紀と『出雲国風土記』の相克 : 黄泉国の記載をめぐって https://t.co/QcLm5H99Eg
立法調査資料『調査と情報-ISSUE BRIEF-』No.1086「オーバーツーリズム―欧州諸国の事例と日本への示唆―」(PDF:519KB)を掲載しました https://t.co/6MDBSvuNVR
立法調査資料『調査と情報-ISSUE BRIEF-』No.1085「かんぽ生命保険の不適正募集問題」(PDF:489KB)を掲載しました https://t.co/CVGMotpVLP
こちらも勉強になりました。 小松田儀貞「「生物学的シティズンシップ」論の意義と課題」『秋田県立大学総合科学研究彙報』(14)、2013。 https://t.co/usJeXNvshf
RT @TohruGenka: 日本科学哲学会の『科学哲学』に載った論文「悲しい曲のどこが悲しいのか:音楽のなかの情動認知」がJ-STAGEで公開されました。昨年出た拙著『悲しい曲の何が悲しいのか:音楽美学と心の哲学』の元ネタのひとつです。 https://t.co/9F7Dv…
CiNii 論文 -  共同研究プロジェクト紹介 多角的アプローチによる現代日本語の動態の解明 方言意識の現在をとらえる : 「2010年全国方言意識調査」と統計分析 https://t.co/Ik1rJNMG3Q #CiNii
CiNii 論文 -  1万人調査からみた最新の方言・共通語意識 : 「2015年全国方言意識Web調査」の報告 https://t.co/VHC1e2ZbG2 #CiNii
RT @washou3956: PDF公開。竹中友里代「石清水八幡宮神人家文書にみる連歌師紹巴と細川幽斎」(『京都府立大学学術報告.人文』71、2019年12月)旧石清水八幡宮寺神人の橋本家に伝わる連歌資料を、地域の歴史に位置付ける試み。https://t.co/dkEG0lB…
RT @zasetsushirazu: 明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、第2次長州征伐で小倉城が落城した際、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、米国公使などを歴任。銭国紅「洋上の対話」(『日本研究』15)は、明治3年に英国留学した建野と、清国人・張徳彝…
RT @machi82175302: 拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月予定)。幕末期の黒田清隆を、ここまで扱った論文を知らない。https://t.co/qtxOT4vv0S
RT @zasetsushirazu: 明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、第2次長州征伐で小倉城が落城した際、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、米国公使などを歴任。銭国紅「洋上の対話」(『日本研究』15)は、明治3年に英国留学した建野と、清国人・張徳彝…
https://t.co/ISBiFYI1tX https://t.co/321R58rTee 昭和初期の『岐阜県郷土研究』(1938)でもこれについて調べてるけど、ざっくりした感じ。
https://t.co/ISBiFYI1tX https://t.co/321R58rTee 昭和初期の『岐阜県郷土研究』(1938)でもこれについて調べてるけど、ざっくりした感じ。
RT @zasetsushirazu: 明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、第2次長州征伐で小倉城が落城した際、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、米国公使などを歴任。銭国紅「洋上の対話」(『日本研究』15)は、明治3年に英国留学した建野と、清国人・張徳彝…
RT @zasetsushirazu: 明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、第2次長州征伐で小倉城が落城した際、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、米国公使などを歴任。銭国紅「洋上の対話」(『日本研究』15)は、明治3年に英国留学した建野と、清国人・張徳彝…
RT @zasetsushirazu: 明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、第2次長州征伐で小倉城が落城した際、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、米国公使などを歴任。銭国紅「洋上の対話」(『日本研究』15)は、明治3年に英国留学した建野と、清国人・張徳彝…
RT @machi82175302: 拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月予定)。幕末期の黒田清隆を、ここまで扱った論文を知らない。https://t.co/qtxOT4vv0S
拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月予定)。幕末期の黒田清隆を、ここまで扱った論文を知らない。https://t.co/qtxOT4vv0S
RT @zasetsushirazu: 昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲…
RT @zasetsushirazu: 昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲…
RT @zasetsushirazu: 昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲…
RT @zasetsushirazu: 昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲…
RT @zasetsushirazu: 昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲…
RT @zasetsushirazu: 昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲…
RT @T_urade1987: 青木弥太郎の系譜について、私の中では謎の部分あったんですが、ようやく分かりました。青木八十次郎信之(秋助)→実子惣領青木金次郎→養子青木定太郎(弥太郎?)でした。屋敷は内藤新宿にあり、『御府内場末往還其外沿革図書』で変遷が分かります。 http…
RT @MValdegamas: だが愚直に近い信念と猛烈な勉強ぶりは一種の腹芸を打たせるので、まかり間違えば世界を束にして向うに廻す非常時日本の昨今には、先ず先ずはまり役の登場人物だ。…】国民新聞社政治部編『非常時日本に躍る人々』(1932年)https://t.co/lzY…
RT @BungakuReportRS: 三舟 隆之 -  貧窮する女性たち : 『日本霊異記』の説話から https://t.co/oWbiUUiI6R
とりあえず概要を知りたい方はこちらで。マーレン・エーラス「近世大野藩における貧困と救済 」https://t.co/r37yMiebhZ #CiNii

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RT @T_urade1987: 青木弥太郎の系譜について、私の中では謎の部分あったんですが、ようやく分かりました。青木八十次郎信之(秋助)→実子惣領青木金次郎→養子青木定太郎(弥太郎?)でした。屋敷は内藤新宿にあり、『御府内場末往還其外沿革図書』で変遷が分かります。 http…

15 2 2 2 OA 維新史料綱要

RT @itaru_ohyama: @darbyz80 @letrainblue811 慶応三年二月二十一日の「幕府、征夷大将軍徳川慶喜の音称『よしひさ』を布告す」 https://t.co/tIkthFsCtB これ「布告す」であって「改む」ではないところが味噌で、外国との書…
立法調査資料『レファレンス』No.829を掲載 諸外国の事例に見る付加価値税の減税等 (PDF: 1437KB) https://t.co/hpt0RGrAbv
RT @zasetsushirazu: 板垣哲夫「維新後における大久保利通の政治上の人間関係」(『史学雑誌』86-11、1977年)は、慶応3年10月〜明治10年3月、大久保がどんな人物と接触していたか、日記を分析。大久保の政府内での地位上昇に伴い、薩長土肥以外の出身者が中堅官…
RT @T_urade1987: 青木弥太郎の系譜について、私の中では謎の部分あったんですが、ようやく分かりました。青木八十次郎信之(秋助)→実子惣領青木金次郎→養子青木定太郎(弥太郎?)でした。屋敷は内藤新宿にあり、『御府内場末往還其外沿革図書』で変遷が分かります。 http…
RT @wadakogorou: このような論文もあり、読んでみたい。 太田昭子「アンテナ 岩倉使節団と模擬裁判事件」(『ケース研究』 2019(1) 日本調停協会連合会 2019年) https://t.co/LPsQ55x3Mt
RT @wadakogorou: このような論文もあり、読んでみたい。 太田昭子「アンテナ 岩倉使節団と模擬裁判事件」(『ケース研究』 2019(1) 日本調停協会連合会 2019年) https://t.co/LPsQ55x3Mt
このような論文もあり、読んでみたい。 太田昭子「アンテナ 岩倉使節団と模擬裁判事件」(『ケース研究』 2019(1) 日本調停協会連合会 2019年) https://t.co/LPsQ55x3Mt

5 5 5 1 OA 大智度論

RT @knagasaki: 子活字版と言われているが、こっち https://t.co/mM9ttDuW2i とこっち https://t.co/5OYvk2UrVj で共通化されてる部分があるかもと思ったが刊行年が離れていることもあってか版木が異なるよう。 「国立博物館所蔵…

6 6 6 0 OA 放送史料探訪

放送史料探訪 『外地放送史資料・満州編』 「外地」放送史料から(4) 宮川 大介 https://t.co/iZdg5GzVl1
RT @zasetsushirazu: 板垣哲夫「維新後における大久保利通の政治上の人間関係」(『史学雑誌』86-11、1977年)は、慶応3年10月〜明治10年3月、大久保がどんな人物と接触していたか、日記を分析。大久保の政府内での地位上昇に伴い、薩長土肥以外の出身者が中堅官…
RT @zasetsushirazu: 板垣哲夫「維新後における大久保利通の政治上の人間関係」(『史学雑誌』86-11、1977年)は、慶応3年10月〜明治10年3月、大久保がどんな人物と接触していたか、日記を分析。大久保の政府内での地位上昇に伴い、薩長土肥以外の出身者が中堅官…
座談会 法律学の未来像 刑事訴訟法学の未来像 / 松尾浩也 ; 田宮裕 ; 井戸田侃 ; 小田中聰樹/(書斎の窓144号有斐閣1966年p1~12) が読みたくなった。 https://t.co/27P73vn8nr
RT @kitsunekon2: @mori_arch_econo 《セントラル方式の空調システムが適用されており,[中略]調整された空気がエアハンドリングユニット送風機によりダクトを経由して各室へ分配され,その一部が排気,残りが還気される2次ループにより構成されている(図2)…
RT @TohruGenka: 日本科学哲学会の『科学哲学』に載った論文「悲しい曲のどこが悲しいのか:音楽のなかの情動認知」がJ-STAGEで公開されました。昨年出た拙著『悲しい曲の何が悲しいのか:音楽美学と心の哲学』の元ネタのひとつです。 https://t.co/9F7Dv…
RT @washou3956: PDF公開。竹中友里代「石清水八幡宮神人家文書にみる連歌師紹巴と細川幽斎」(『京都府立大学学術報告.人文』71、2019年12月)旧石清水八幡宮寺神人の橋本家に伝わる連歌資料を、地域の歴史に位置付ける試み。https://t.co/dkEG0lB…
RT @zasetsushirazu: 明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、第2次長州征伐で小倉城が落城した際、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、米国公使などを歴任。銭国紅「洋上の対話」(『日本研究』15)は、明治3年に英国留学した建野と、清国人・張徳彝…
RT @machi82175302: 拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月予定)。幕末期の黒田清隆を、ここまで扱った論文を知らない。https://t.co/qtxOT4vv0S
RT @zasetsushirazu: 明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、第2次長州征伐で小倉城が落城した際、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、米国公使などを歴任。銭国紅「洋上の対話」(『日本研究』15)は、明治3年に英国留学した建野と、清国人・張徳彝…
https://t.co/ISBiFYI1tX https://t.co/321R58rTee 昭和初期の『岐阜県郷土研究』(1938)でもこれについて調べてるけど、ざっくりした感じ。
https://t.co/ISBiFYI1tX https://t.co/321R58rTee 昭和初期の『岐阜県郷土研究』(1938)でもこれについて調べてるけど、ざっくりした感じ。
RT @zasetsushirazu: 明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、第2次長州征伐で小倉城が落城した際、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、米国公使などを歴任。銭国紅「洋上の対話」(『日本研究』15)は、明治3年に英国留学した建野と、清国人・張徳彝…
RT @zasetsushirazu: 明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、第2次長州征伐で小倉城が落城した際、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、米国公使などを歴任。銭国紅「洋上の対話」(『日本研究』15)は、明治3年に英国留学した建野と、清国人・張徳彝…
RT @zasetsushirazu: 明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、第2次長州征伐で小倉城が落城した際、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、米国公使などを歴任。銭国紅「洋上の対話」(『日本研究』15)は、明治3年に英国留学した建野と、清国人・張徳彝…
RT @machi82175302: 拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月予定)。幕末期の黒田清隆を、ここまで扱った論文を知らない。https://t.co/qtxOT4vv0S
拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月予定)。幕末期の黒田清隆を、ここまで扱った論文を知らない。https://t.co/qtxOT4vv0S
RT @zasetsushirazu: 昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲…
RT @zasetsushirazu: 昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲…
RT @zasetsushirazu: 昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲…
RT @zasetsushirazu: 昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲…
RT @zasetsushirazu: 昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲…
RT @zasetsushirazu: 昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲…
RT @T_urade1987: 青木弥太郎の系譜について、私の中では謎の部分あったんですが、ようやく分かりました。青木八十次郎信之(秋助)→実子惣領青木金次郎→養子青木定太郎(弥太郎?)でした。屋敷は内藤新宿にあり、『御府内場末往還其外沿革図書』で変遷が分かります。 http…