太田鳴雪 (@zasetsushirazu)

投稿一覧(最新100件)

明治39年6月17日、矢野二郎が死去。文久3年、横浜鎖港談判使節に随行した幕臣。明治期、森有礼の推薦で駐米代理公使を務め、森が開設した商法講習所(一橋大学の起源)の初代所長に就任。小泉順也「東京高等商業学校と黒田清輝」(『言語社会… https://t.co/ptwQeVjbNp
ウルズラ・フラッヘ(杉原早紀 訳)「ドイツ語圏の日本研究から見た神仏分離」(『国立歴史民俗博物館研究報告』148、2008年)によれば、ドイツでは宗教改革時代に偶像破壊があったため、明治日本の廃仏毀釈に類似性を感じて関心を持つ研究… https://t.co/p4V81vLYTf
小川功「巨大米国系テーマパークの本邦初進出と地域融合-浦安市民の視点での30数年前の回顧-」(『跡見学園女子大学マネジメント学部紀要』26、2018年)は、東京ディズニーランドの誘致に金融人として関与し、浦安市民でもあった筆者によ… https://t.co/7MZKCI6Y9D
安政5年4月23日(1858年6月4日)、彦根藩主・井伊直弼が大老に就任した。井上勲「大老 井伊直弼」(『学習院史学』35、1997年)は、「大老に期待された役割とは、将軍代替りにともなって発生が予測される危機を管理することである… https://t.co/QmXm04byUO
明治6年6月3日、南貞助(高杉晋作の従弟かつ義弟)と英国人ライザ・ピットマンの結婚の届が、外務省に送付された。日本政府が許可した最初の国際結婚と言われる。小山騰「明治前期国際結婚の研究」(『近代日本研究』11)、同『国際結婚第一号… https://t.co/76tSX6jfbi
廣岡守穂「詩とは何か-幕末の漢詩と明治の新体詩から考える-」(『中央大学政策文化総合研究所年報』21、2018年)曰く、「詩は行動する者たちによって書かれ、心をつたえあい思想を共有する媒体として作用した」。特に、幕末期に至るまで読… https://t.co/PtY5VRgO2S
ファーナンダ・ペローン「目に見えないネットワーク」(『近代日本研究』34、2017年)曰く、幕末〜明治初期に米国留学した日本人の多くは、ラトガース大学に入った。例えば、横井左平太、横井大平、畠山義成、松村淳蔵、吉田清成。基本的に英… https://t.co/bKEZ1mdx9q
平成28年5月24日、杉谷昭が死去。佐賀城本丸歴史館の初代館長で、著書に『江藤新平』(吉川弘文館)、『鍋島閑叟』(中公新書)、『鍋島直正』(佐賀城本丸歴史館)など。下記は、杉谷氏の論文「明治初年における府・藩・県三治制について」(… https://t.co/l4fAZg2fch
明治5年4月16日(1872年5月22日)、村上範致が死去。幕末の田原藩士で、渡辺崋山の薫陶を受けた。砲術家で、幕府の講武所にも出仕。下記リンクから、鵜飼尚代・佐久間永子「村上範致と著述古記録に関する基礎研究」(『名古屋外国語大学… https://t.co/AIEkIkljAm

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明治20年5月19日、矢野玄道が死去。幕末維新期の著名な平田派国学者で、千人以上の門人がいたらしい。また、間接的な影響力という点で、三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)が、大隈重信・副島種臣らを指導した枝… https://t.co/irRbd8mWjK
吉岡誠也「慶応四年の長崎における佐賀藩」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13、2018年)曰く、慶応4年の長崎における大隈重信らの活動は、新政府中枢に食い込みたい佐賀藩と、開港地を安定化させるため佐賀藩を取り込みた… https://t.co/12O4hD0mIo
大正9年5月14日、山辺丈夫が死去。津和野藩出身で、幕末期に大国隆正らが教授を務めた藩校・養老館で学んだ。同郷の森鴎外と交流。紡績業の発展に尽力。井上琢智「山辺丈夫滞英時代(1879)の英文・日本語日記」(『経済学論究』69-3)… https://t.co/55yO4DahLp
大島明子「一八七三(明治六)年のシビリアンコントロール-征韓論政変における軍と政治-」(『史学雑誌』117-7)は、初期太政官制で長州出身者が軍事官僚として選ばれた理由を、幕末期の敗戦や脱退騒動の経験などから、地域や階級の利害から… https://t.co/00cuAD9y2C
明治22年5月12日、塩田三郎が死去。幕末の幕臣で、英語やフランス語を学び、通訳として池田長発の横浜鎖港談判使節に随行。明治期には、外務卿・井上馨の下で条約改正交渉に従事した。石原千里「塩田三郎とその旧蔵洋書をめぐって」(『英学史… https://t.co/QW6eyg10uK
大正4年5月11日、古荘嘉門が死去。幕末の肥後藩出身で、井上毅と同門。明治初期に河上彦斎と共に反政府の運動に関与。野口真広「台湾総督府内務部長古荘嘉門について」(『社学研論集』4)曰く、明治20年代の対外硬運動を担った国権党初代総… https://t.co/tyJSmrnjIh
吉田忠「柴田収蔵の蘭学修業」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』12、2017年)は、佐渡出身で、幕末の蕃書調所に所属した地理学者・柴田収蔵の日記を分析。柴田が入門した蘭方医・伊東玄朴の塾の、嘉永3年と安政3年の様子を… https://t.co/sWsoQKAljf
明治17年5月9日、奥平壱岐(正衡、十学、中金正衡)が死去。幕末の中津藩家老で、福沢諭吉の『福翁自伝』で「我儘」などと言われている人。だが、河北展生「福澤諭吉の蘭学修行と奥平十学(壱岐)」(『近代日本研究』9)は、実際の奥平は福沢… https://t.co/mRbWcqSzzu
明治38年5月9日、小野義真が死去。岩村通俊・林有造・岩村高俊の従兄弟。三菱財閥の発展に貢献した。岩崎弥之助・井上勝と共に小岩井農場を創設。井上琢智「小野梓を支えた土佐の人びと」(『早稲田大学史記要』45)は、小野梓を支えた人物の… https://t.co/wyC4dk3IZN
岩淵令治「明治・大正期における「江戸」の商品化」(『国立歴史民俗博物館研究報告』197、2016年)は、伝統の創出という観点から近代の「江戸」の発見を分析。旧幕臣復権に尽力した戸川残花は元禄会を結成し、福地源一郎や本多晋(彰義隊の… https://t.co/rhdV71g0Vi
真辺将之「近代日本における動物と人間」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』60-4、2015年)は、近世から近代、そして現代に至る過程で複雑化してきた人間と動物の関係性を、鯨・犬・馬を素材に分析。例えば犬に関しては、近世までは食用… https://t.co/5BPuQNDShP
井上泰至「文禄・慶長の役を記憶する-「復古」/「維新」の前提としての武家説話-」(『日本文学』59-10、2010年)は、同氏の著書『秀吉の対外戦争』(笠間書院、2015年)第9章の元論文。幕末期に洋学者や幕府の外交担当者を含めて… https://t.co/KaPsEkOxsB
明治41年4月24日、津田仙が死去。津田梅子の父。幕末期、外国奉行通弁として福沢諭吉らと共に渡米。中村正直、新島襄と並ぶ、キリスト教界の三傑。日本初の通信販売を実施。並松信久「明治期における津田仙の啓蒙活動」(『京都産業大学論集… https://t.co/SyeVFtFclr
明治32年4月20日、遠藤允信(文七郎)が死去。幕末の仙台藩重臣で、政争に敗れて閉門。竹ヶ原康佑「文久期における仙台藩内政争の争点と「割拠」策への展開」(『駿台史学』162)が詳細。戊辰戦争の戦後処理を担当し、仙台藩の降伏を批判す… https://t.co/vksVID0vLx
岩田みゆき「戸張伝右衛門『慶応日記帳』にみる御料兵の実態について-慶応四年四月脱走前の動向-」(『青山史学』36、2018年)は、幕領で御料兵として徴発された戸張伝右衛門の日記を分析。戊辰戦争で会津まで赴いて新政府軍と戦った人物で… https://t.co/6P2JDpZ1nx
昭和9年4月12日、田島応親(田島金太郎)が死去。幕末の幕臣で、横浜仏語伝習所に入り、戊辰戦争の際には通訳として箱館まで赴き、ブリュネら榎本武揚に協力したフランス人を手引き。澤 護「箱館戦争に荷担した10人のフランス人」(『千葉敬… https://t.co/JupKyFGvze
明治17年4月12日、関口開が死去。幕末の加賀藩出身で、西洋数学を独学で修得。明治6年に出版した『新撰数学』は、22万部のベストセラー。初期の東大の数学科卒業生には、関口の教え子が多い。高瀬正仁「関口開と石川県加賀の数学」(『数学… https://t.co/hTd2yTSzOh
大正5年4月11日、横山隆興が死去。加賀藩家老の家に生まれ、甥の横山隆平(甥の方が年上)と共に尾小屋銅山を経営。松村敏「明治前期,旧加賀藩家老横山家の金融業経営と鉱山業への転換」(『商経論叢』53-1・2)曰く、基本文献の渡辺霞亭… https://t.co/4IaHDPlRUG
昭和20年4月10日、文倉平次郎が死去。幕末期に太平洋を横断した咸臨丸に関する調査を行い、昭和13年に『幕末軍艦咸臨丸』を著した。中公文庫の上下巻などの形で何度か復刊された。『史学』17-2(1938年)所収の會田倉吉の書評は、文… https://t.co/89xUleLt3H
井上勲「日本 近代 一(1977年の歴史学界 回顧と展望)」(『史学雑誌』87-5)は、慶応義塾図書館編『木村摂津守喜毅日記』、周布公平監修『周布政之助伝』や、石井孝『明治初期の国際関係』、田中彰『岩倉使節団』、柴原拓自『世界史の… https://t.co/JTlCeGWeVn
明治39年4月8日、長岡護美(雲海)が死去。熊本藩主・細川韶邦の弟で、幕末政局で「肥後の牛若」と称されたらしい。明治期にオランダ公使などを歴任。東京地学協会の設立主唱者の1人。石田龍次郎「『東京地学協会報告』(明治一二-三〇年)… https://t.co/nkNeC6y99S
明治29年4月5日、林広守が死去。天保期に11歳で朝廷に出仕した雅楽奏者で、紙屋信義「国歌「君が代」音楽成立に関する一考察」(『東海学院大学紀要』11、2017年)曰く、「近代以後の雅楽の大半は彼の系統に属する」。雅楽と西洋音楽の… https://t.co/c0bNZaX5Rm
明治25年4月3日、松森胤保が死去。幕末の松山藩(庄内藩の支藩)家老で、江戸の薩摩藩邸焼討事件や戊辰戦争で藩兵を指揮。梶沼彩子「松森胤保『止戈小議』考」(『東北文化研究室紀要』50)曰く、「松森」は藩主から賜わった「松守」(松山を… https://t.co/a8ax9JsqNZ
前田結城「明石市立文化博物館所蔵 黒田家文書「慶応四戊辰年日記」」(『リンク』9、2017年)は、明石藩の黒田久六による、元号が慶応から明治に変わる前後の日記を紹介。明治元年11月11日の部分には北越戦争関連の記述があり、例えば「… https://t.co/nWqmBmhtzK
柏原宏紀「長州五傑と明治維新-「大阪と実学」に注目して-」(『法学研究』90-12、2017年)は、伊藤博文・井上馨・山尾庸三・井上勝・遠藤謹助の長州ファイブの概要を紹介。柏原氏は、『明治の技術官僚-近代日本をつくった長州五傑-』… https://t.co/k0sGeVaH1K
元治2年2月28日(1865年3月25日)、西川升吉が死去。幕末の赤穂藩出身で、文久2年に家老の森主税および藩儒の村上真輔を暗殺(文久事件)。土佐藩の吉田東洋暗殺を参考にしたとする説がある。福永弘之「もう一つの「忠臣蔵」(I)」(… https://t.co/9fBGaBQdnW
昭和4年3月22日、井上良馨が死去。明治8年の江華島事件で、軍艦・雲揚の艦長を務めていた。高橋秀直「江華条約と明治政府」(『京都大学文学部研究紀要』37、1998年)は、江華島事件の諸問題を詳細に分析。井上の報告書に記載された内容… https://t.co/bd4OI7NCai
明治36年3月19日、松本荘一郎が死去。鉄道庁長官や鉄道作業局長官などを歴任し、鉄道敷設に尽力した官僚で、松本烝治の父。瀬戸口龍一「松本荘一郎「亜行日記」」(『専修大学史紀要』2、2010年)は、明治3年に米国留学した際の日記を紹… https://t.co/bbKyoxpBUl
本庄栄治郎「幕末の上海貿易」(『經濟論叢』46-5、1938年)は、経済史研究の先駆者による戦前の論文。文久期に幕府が上海に派遣した千歳丸と健順丸による貿易について、幕府自らが出貿易を試みた事例として重要で、海外見聞や大洋航海の経… https://t.co/lqeYxK3a7H
昭和60年3月7日、森銑三が死去。『森銑三著作集』が「正」と「続」の合計で30冊ある。高木浩明「資料紹介 森銑三刈谷日記・上(大正五年六月一七日~一二月三〇日)」(『書物・出版と社会変容』21、2018年)は、幕末の国学者・村上忠… https://t.co/343sEtAXZX
長谷川昇「尾張藩草莽隊始末攷」(『東海学園大学紀要』創刊号、1965年)は、明治の愛知県における自由民権運動研究の過程で、壬申戸籍に「元草莽隊」と記録された者の存在に着目。維新期、尾張藩の磅石薄隊や集義隊を分析。長谷川氏には『博徒… https://t.co/FgPFSomYMy
明治42年3月3日、野辺地尚義が死去。盛岡藩出身で、伊藤博文らに英語を教えたという。明治期に紅葉館(跡地は東京タワー)を経営。孫に、ピアニスト・野辺地勝久(瓜丸)がいる。佐野仁美「日本におけるアルフレッド・コルトー受容」(『表現文… https://t.co/2QlIPiv4AT
昭和9年3月1日、長沢鼎が死去。幕末の薩摩藩英国留学生の最年少メンバー。帰国せず、カリフォルニアでブドウ王になった。森孝晴「長沢鼎の手紙の下書きとそこに込められた思いと精神」(『国際文化学部論集』13-1、2012年)は、留学生仲… https://t.co/w5N7CdzNuW
明治33年2月26日、品川弥二郎が死去。長州藩出身で、慶応2〜3年、京都の薩摩藩邸内に長く滞在し、薩長提携の象徴のような役割を担った。齋藤伸郎「品川弥二郎 明治十四年懐中日記」(『獨協学園資料センター研究年報』8・9)曰く、明治1… https://t.co/YChGfocV7D
昭和6年2月24日、久米邦武が死去。日本の歴史学の先駆者で、大隈重信の親友。杉谷昭「和魂漢才から和魂洋才へ」(『純心人文研究』12)は、久米が岩倉使節団の報告書『米欧回覧実記』執筆のため玉虫左太夫(万延元年遣米使節に参加)の『航米… https://t.co/nGY07o6pVV
須賀博樹「因州鳥取藩と大坂両替商-文久三年~慶応元年の大名貸-」(『経済史研究』21、2018年)は、幕末の鳥取藩主・池田慶徳による国事周旋と京都警衛に関して、その財政状況を分析。鳥取藩が、慶徳の兄・徳川慶篤が藩主を務める水戸藩に… https://t.co/N1pngmLjem
明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、幕長戦争で長州藩と交戦。小倉城の落城後も抗戦を主張し、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、駐米公使などを歴任。片岡正彦「明治18年の淀川洪水と北河内」(『京都歴史災害研究』… https://t.co/11ZMoAhIr7
明治21年2月10日、松浦武四郎が死去。何度も蝦夷地探検を行い、幕末期には蝦夷地通として有名だった。北海道の名付け親でもある。三浦泰之「松浦武四郎研究の現状と課題」(『北海学園大学人文論集』65、2018年)は、松浦が置かれた時代… https://t.co/RXOQrlTwtP
柳澤京子「長州戦争と労働者」(『お茶の水女子大学比較日本学教育研究センター研究年報』13、2017年)は、幕末の長州戦争(長州征伐、幕長戦争)において、いわゆる諸隊に参加した賃銀労働者集団を分析。諸隊の内部や周辺には、「稼ぎ」を求… https://t.co/pBcRyoISil
大正11年2月8日、樺山資紀が死去。幕末の薩摩藩出身で、薩英戦争や戊辰戦争に従軍。西南戦争で熊本鎮台参謀長として、谷干城と共に熊本城に籠城した。海軍大臣、内務大臣などを歴任。齋藤伸郎「明治十四年 樺山資紀日記」(『国士舘史学』22… https://t.co/3O8IanuI5I
明治18年2月5日、塚本明毅が死去。幕末の幕臣で、矢田堀鴻・田辺太一と共に、「昌平黌の三才子」と称された(安藤洋美「明治数学史の基礎工事」『桃山学院大学人間科学』19)。長崎海軍伝習所で学んだ後、幕府海軍の一員として活躍。明治政府… https://t.co/CK3I3nxJLu
明治8年2月3日、熊谷直孝が死去。京都の商人(鳩居堂当主、香具屋久右衛門)で、幕末期には長州藩の活動に親和的な立場だった。戊辰戦争の際には新政府に千両を献上し、ほかの有力商人にも新政府への献金を促した。小林丈広「明治維新期の「市長… https://t.co/PUcJAexICi
明治6年1月29日、小幡甚三郎が死去。福沢諭吉と同じ中津藩出身で、西澤直子「小幡甚三郎のアメリカ留学」(『近代日本研究』14)曰く、「初期慶應義塾の一翼を担った人物」で、「福澤の片腕」。英語が得意で、『英文熟語集』などを編纂。幕府… https://t.co/yVstE4Y15d
明治23年1月23日、新島襄が死去。幕末期に米国に密航した。高久嶺之介「新島襄と京都府政の人々」(『同志社談叢』36、2016年)は、新島が同志社を設立するために行った「大学設立募金運動」についての講演録。京都府知事・北垣国道の積… https://t.co/piHK6PIIeM
慶応3年12月26日(1868年1月20日)、上山藩士・金子与三郎が死去。薩摩藩邸焼討事件で負った傷が死因。清河八郎暗殺に関与した疑惑がある。長南伸治「近代における旧上山藩士金子清邦像形成に関する一考察」(『国士舘史学』21)は、… https://t.co/4POMCgwjI0
慶応3年12月25日(1868年1月19日)、三田の薩摩藩邸焼き討ち事件があった。奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(三)」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50、2015年)は、諸史料から事件の実態解明を試み、益満… https://t.co/dFqCC8DSLA
明治32年1月19日、勝海舟が死去。金澤裕之「咸臨丸米国派遣の軍事史的意義」(『近代日本研究』26)は、海舟の目指した海軍像がサンフランシスコで見た米国海軍で、そのイメージは木村芥舟も共通だったとする。金澤氏の著書『幕府海軍の興亡… https://t.co/9uqs02VzmG
大正12年1月18日、織田完之が死去。幕末期、天誅組総裁・松本奎堂に師事した。明治期に内務省、次いで農商務省に出仕し、農政に携わった。國雄行「内務省期の農書編纂と織田完之」(『人文学報』505)は、「近世農書の発掘、刊行に貢献した… https://t.co/uoODyxH3N3
1898年1月14日、作家・数学者のルイス・キャロルが死去。金子史彦「「不思議の国のアリス」のチェシャ猫と「黒猫」の黒猫の比較研究」(『信州大学教育学部研究論集』11、2017年)は、キャロルが生み出したチェシャ猫と、エドガー・ア… https://t.co/r2i3pJq7pe
明治19年1月11日、小野梓が死去。大隈重信の腹心として、立憲改進党創設などに参加。大日方純夫「早稲田大学歴史館における小野梓の位置」(『早稲田大学史記要』49、2018年)は、小野が「教養をもった人によって構成される国家・社会を… https://t.co/0QqCcGbScy
ベルテッリ ジュリオ アントニオ「明治政府の樹立と駐日イタリア公使・領事の外交活動について」(『文化交渉における画期と創造』3)曰く、慶応3年に来日した駐日イタリア公使は、フランス公使ロッシュが諸外国の外交団から孤立していると見て… https://t.co/JqB0naGjyq
明治33年1月5日、秋月悌次郎(秋月韋軒)が死去。幕末の会津藩士で、文久3年8月18日の政変で重要な役割を果たした。中西達治「秋月悌次郎の公用局復帰」(『金城学院大学論集 人文科学編』15-1、2018年)は、慶応2年に勤務してい… https://t.co/ILgDKG6RtP
明治29年1月4日、伊江朝直(伊江王子、尚建)が死去。琉球の政治家で、明治5年に維新政府慶賀使として上京し、琉球国王を琉球藩王とする勅語を受理。川畑恵「琉球国から琉球藩へ」(『沖縄文化研究』34)曰く、天皇への拝謁は、「明治国家の… https://t.co/uzbmUjoZOg
昭和7年12月28日、尾崎英子(セオドラ )が死去。尾崎三良(幕末期に三条実美の従者だった、明治の法制官僚)の娘で、政治家・尾崎行雄の妻。10代後半までを英国で過ごした。日本のお伽話を英訳。長岡祥三「尾崎行雄夫人セオドーラの半生」… https://t.co/MqpwFYkbcc
明治16年12月28日、嶺田楓江が死去。幕末の田辺藩士。嘉永2年にアヘン戦争を題材にした『海外新話』を著したが、海外事情を書いた内容が幕府に問題視されて投獄された。奥田尚「嶺田楓江『海外新話』の一部分の紹介」(『アジア観光学年報』… https://t.co/8RX4HeMcWR
大正5年12月26日、石橋政方が死去。オランダ通詞で、幕末期に英語も習得。明治期には外務省に出仕した。丸山健一郎「阿部櫟齋(1867慶応3年)『絵入英語箋階梯』について」(『同志社日本語研究』21)は、石橋が文久元年に著した『英語… https://t.co/FIQzOB7keO
大林隆司「小笠原諸島における最初のセミの記録はいつか?」(『小笠原研究年報』38、2014年)は、幕末期に外国奉行・水野忠徳が小笠原諸島の回収を推進した際、父島に滞在した本草学者の阿部櫟斎の日記が、小笠原における蝉の記録の初出とす… https://t.co/nAsTFCIUYR
下記リンクは、安藤徳器・大井征訳『英米仏蘭聯合艦隊幕末海戦記』(平凡社、1930年)の書評。原著者のアルフレッド・ルサンは幕末期に来日し、下関での長州藩との戦いに参加した。戦後の別の訳に、樋口裕一訳『フランス士官の下関海戦記』(新… https://t.co/WUjtxpzlgp
明治17年12月21日、百武兼行が死去。幕末の佐賀藩出身で、藩主・鍋島直大の側近を務めた。明治13年に直大がイタリア公使となった際も一緒にローマへ赴任するなど、その関係は生涯続いた。洋画家としても活躍。中村幸子「百武兼行研究」(『… https://t.co/puBCR2kEQT
安政4年11月6日(1857年12月21日)、岩瀬忠震が横浜開港を主張する意見書を書いた。長崎から江戸に戻る途中、江戸でのハリスの演説内容を知って執筆。岩瀬は横浜開港の恩人と見なされている(阿部安成「直弼/象山/忠震(2)-競争す… https://t.co/7WpZWuWa10
元治元年11月18日(1864年12月16日)、第1次長州征伐の総督・徳川慶勝が、自刃した長州藩の3家老(福原越後、国司信濃、益田右衛門介)の、首実検を行った。そこに至る過程は、町田明広「第一次長州征伐における薩摩藩」(『神田外語… https://t.co/wprxdMXw1y
鵜飼政志「近現代二 幕末・維新(日本)(2003年の歴史学界 回顧と展望)」(『史学雑誌』113-5)は、ペリー来航150年の年の研究を紹介・批評。松浦玲『新選組』(岩波新書)、三谷博『ペリー来航』(吉川弘文館)、吉田俊純『水戸学… https://t.co/PmMJQhGFZS
明治34年12月13日、中江兆民が死去。幕末の土佐藩出身で、長崎で坂本龍馬と知り合ったらしい。幕末期の駐日フランス公使レオン・ロッシュの通訳を務めたこともある。村上興匡「中江兆民の死と葬儀」(『東京大学宗教学年報』19)などによれ… https://t.co/GEvPA4HADs
嘉永元年11月8日(1848年12月3日)、坪井信道が死去。蘭方医で、門下に緒方洪庵や黒川良安(佐久間象山に蘭学を教えた)がいた。村田清風の依頼などにより、長州毛利家に仕えた。森川潤「萩藩医坪井信道」(『広島修大論集』51-2、2… https://t.co/MzLm0wxa2D
明治14年12月2日、榊原芳野が死去。文部省に出仕し、教科書を編纂した国学者。収入の多くを書籍購入に使う蔵書家だったが、明治6年の火事で灰燼と帰したらしい。高木まさき「榊原芳野伝覚書き-明治初期国語教科書編纂者の研究-」(『人文科… https://t.co/Fs9vs7qais
大正5年11月29日、薄井龍之が死去。幕末期に頼三樹三郎に師事し、水戸藩士と交流。天狗党の乱に参加した。野中勝利「自叙伝『薄井龍之小傳』を中心とした薄井龍之の輪郭」(『飯田市歴史研究所年報』4、2006年)は、明治期の開拓使や山形… https://t.co/OkZPRbvbnk
明治19年11月28日、尺振八が死去。英語が堪能で、幕府の横浜鎖港談判使節などに随行。慶応3年の渡米で、大統領にも会った。明治期に英語塾・共立学舎を設立。越石結花「『乙骨太郎乙日記』 の中の尺振八」(『英学史研究』24)は、幕臣・… https://t.co/4Q7gpYfpSI
大正15年11月28日、高平小五郎が死去。外交官として、各国公使を歴任。日露戦争後のポーツマス会議では、小村寿太郎と共に全権を務めた。下記は、松村正義「もう一人のポーツマス講和全権委員-高平小五郎・駐米公使-」(『外務省調査月報』… https://t.co/frNR6tzmSL
明治18年11月27日、小曽根乾堂が死去。坂本龍馬の活動を支援した長崎の商人で、篆刻家・書家としても著名。明治4年、勅命で御璽と国璽を刻した。神野雄二「日本印人研究-小曽根乾堂の生涯とその系譜-」(『熊本大学教育学部紀要. 人文科… https://t.co/ybiJDsCtSC
明治4年10月8日(1871年11月20日)、安藤信正(信睦)が死去。井伊直弼の横死後、久世広周と共に幕政を切り盛り。坂下門外の変で襲撃された。菊地久「維新の変革と幕臣の系譜(4)」(『北大法学論集』31-2)曰く、「外交に関して… https://t.co/rKoup3WAPz
明治21年11月18日、日向延岡藩の第7代藩主だった内藤政義(井伊直弼の弟)が死去。大賀郁夫「隠居大名の幕末・維新」(『宮崎公立大学人文学部紀要』25-1、2018年)は、譜代小藩の隠居が幕末をどのように生きていたのか、政義の元治… https://t.co/zh2fs2W2qL
明治4年9月27日(1871年11月9日)、新渡戸傳が死去。盛岡藩出身で、旧五千円札に肖像が採用されていた新渡戸稲造の祖父。盛岡藩で要職を歴任し、三本木原台地の開拓に尽力。阿部和夫「盛岡藩三本木原における用水開発事業(Ⅰ)」(『水… https://t.co/LxbddxMnqH
明治31年11月6日、佐久間貞一が死去。戊辰戦争の際に彰義隊に参加した人物で、明治期に秀英舎(大日本印刷の前身)を設立。労働問題への関心が高く、「日本のロバート・オーエン」と称される。森博「佐久間貞一の8時間労働制」(『産業医学』… https://t.co/wisZocAcE1
齋藤伸郎氏の『土方久元日記 明治十四年』は、Amazonの電子書籍で購入できる。また、同氏には、「品川弥二郎 明治十四年懐中日記」(『獨協学園資料センター研究年報』8・9、2017年)や、「佐佐木高行日記群の全貌」(『日本歴史』7… https://t.co/lixzHyZ8fg
昭和32年11月2日、徳富蘇峰(猪一郎)が死去。『近世日本国民史』全100巻など多数の著作があり、言論界で影響力を持った。大島明秀「明治二十年代における「鎖国論」の多様性」(『日本文藝研究』59・3/4)は、蘇峰が『国民之友』に発… https://t.co/BKTXOTT7F5
安政6年10月6日(1859年10月31日)、三条実万(三条実美の父親)が死去。幕末の公家社会で影響力のあった人物。佐竹朋子「三条実万の思想形成について」(『京都女子大学大学院文学研究科研究紀要 史学編』4、2005年)は、実万の… https://t.co/3z8FPnSLST
明治9年10月23日、幕末の肥後熊本藩主・細川韶邦(慶順)が死去。野村晋作「幕末期外様諸大名の上京とその役割」(『立正大学 大学院年報』31)は、文久3年の韶邦の上京と参内に至る経緯を分析。上京は朝廷の内勅に応じたもので、幕府を介… https://t.co/jeaPJgGiUM
佐藤宏之「地域の記憶を未来につなぐ-明治維新150年とNHK大河ドラマ「西郷どん」の放映によせて-」(『桐蔭法学』24-2、2018年)は、維新150年の政策が、「地域の歴史・文化遺産を観光資源化し、保存・研究・学習よりも商品とし… https://t.co/Q2d2YhC9O3
明治9年10月20日、畠山義成(杉浦弘蔵)が死去。幕末薩摩藩の英国留学生(薩摩スチューデント)の一員。明治期に、東京開成学校校長などを歴任。犬塚孝明「杉浦弘蔵ノート」(『研究年報』15、鹿児島県立短期大学地域研究所)は、明治初年の… https://t.co/ZhO6NiArOS
安政6年9月24日(1859年10月19日)、儒者・佐藤一斎が死去。林述斎(岩瀬忠震の祖父)の門人で、昌平黌の教授を務めた。表向きは朱子学を講じたが、実際は陽明学を奉じていた。下記PDFは、中村安宏「林述斎と佐藤一斎の皇統意識につ… https://t.co/cq4rc6kNHE
大正4年10月19日、渡辺重石丸が死去。幕末の中津藩出身の国学者で、平田篤胤の没後門人。福沢諭吉の親戚でもある。主要著作『固本策』は、乃木希典の愛読書だったらしい。乃木の蔵書について、大内雅人「学習院大学図書館「乃木文庫」からみる… https://t.co/yICxqtkS58
明治23年10月17日、岩倉具経が死去。岩倉具視の子で、戊辰戦争の際に東山道鎮撫副総督に就任。英語を学んだフルベッキの世話で、米国のラトガース大学に留学。その頃、「龍 小二郎」と名乗っていたらしい(加島巧「近代日本の夜明け」『長崎… https://t.co/ulb6MSiqTX
明治28年10月16日、石河確太郎(正竜)が死去。杉田成卿に蘭学を学んだ後、幕末の薩摩藩に招聘され、蒸気船の建造や開成所での講義などを担当。薩摩藩英国留学生の人選にも関与。田村省三「薩摩藩における蘭学受容とその変遷」(『国立歴史民… https://t.co/1WE9HqN7ZJ
大正11年10月15日、大井憲太郎が死去。明治18年、朝鮮の内政改革を目指した大阪事件の首謀者。寺崎修「自由民権家の出獄と公権回復」(『法学論集』50)曰く、出獄後も3年間は選挙に出馬できなかった。同氏の著書『自由民権運動の研究』… https://t.co/aEazoroC5U
今野喜和人「翻訳の倫理と倫理の翻訳」(『翻訳の文化/文化の翻訳』10別冊、2015年)は、森有礼・福沢諭吉・西周・中村正直らと共に明六社を創設した箕作麟祥が、現代においては圧倒的に知名度が低い理由として、あくまで「翻訳家」に徹した… https://t.co/nCf95R7FMM
昭和54年10月13日、歴史家・郡山良光が死去。死後、遺作の『幕末日露関係史研究』(国書刊行会、1980年)が刊行された。18世紀から日露和親条約までを分析。著者が旧ソ連に留学して蒐集した史料が紹介されている。下記は、阿部誠士氏に… https://t.co/Q1PG7HsYKR
山下太郎「維新前夜の日本におけるイギリスとフランス」(『イギリス哲学研究』12-0、2018年)は、幕末〜明治にかけて、フランス思想よりもイギリス思想の方が最終的に日本に受容されていったと言う。その経緯や理由を解説し、その際に旧幕… https://t.co/8uAKRV7P06
明治28年10月11日、国学者・小中村清矩が死去。幕末期に幕府の和学講談所の講師を務め、明治期に『古事類苑』編纂に従事。久松潜一「明治の国文学者」(『日本学士院紀要』26-3)曰く、「近世国学者から出発しながら、近代国文学者となり… https://t.co/yyYPHZUNKa
明治10年10月10日、手塚良仙(良庵)が死去。緒方洪庵の適塾で学んだ蘭医で、お玉が池種痘所を設立。幕府の歩兵屯所附医師を務めた。漫画『陽だまりの樹』に登場する、手塚治虫の曽祖父。湯川敏治「関西大学創立者手塚太郎と漫画家手塚治虫」… https://t.co/CXJwqzp4Qt
明治33年10月2日、大童信太夫が死去。幕末の仙台藩重臣で、高橋是清らの留学を支援。福沢諭吉と懇意。竹ヶ原康佑「文久期における仙台藩内政争の争点と「割拠」策への展開」(『駿台史学』162、2018年)曰く、「軍事官僚」勢力の中心。… https://t.co/mjd05zaZeE
横山百合子「「梅本記」 嘉永二年新吉原梅本屋佐吉抱遊女付け火一件史料の紹介」(『国立歴史民俗博物館研究報告』200)は、吉原の遊女による、嘉永2年の放火未遂事件の史料を紹介。横山氏は、新著『江戸東京の明治維新』(岩波新書)でも、「… https://t.co/muw2RoB76g

お気に入り一覧(最新100件)

33 0 0 0 OA 寛政重脩諸家譜

@lalan1858 @zasetsushirazu 岩瀬内記家は忠震が養子に入った岩瀬市兵衛家の本家筋にあたります。 https://t.co/0zvGAMgymU
@kirinosakujin @zasetsushirazu 元々はそうですね。今は総合出版社歴研として独立してやっているみたいです。こちらの号に掲載しているものですね。 https://t.co/PfJ4ldEXWO
拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)が既にダウンロード可能となっていました(^^)https://t.co/A65OnLMHFg メチャ大部で恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。

116 0 0 0 OA 官報

年賀状に質問を書いて送るの禁止~(笑) 当アカウントは個別の質問にはお答えしておりません。以下、独り言です。 明治期の外交官及領事官官制(勅令第257号。明治23年10月21日)でしたら、ここに載っていました。… https://t.co/y3ykSzpTok
鶴岡明美「描かれた幕末の小笠原 : 「小笠原島真景図」をはじめとする諸本の成立試論」『お茶の水女子大学人文科学研究』12(2016.3) https://t.co/buUgQlMRJQ PDFあり。
【資料】CiNiiに、西谷正氏の論文「邪馬台国最新事情」(石油技術協会誌75 2010/07/01)がpdfで公開されています。これまでの論争と最新事情が良くまとまってます https://t.co/k7Aur04jrx
https://t.co/kuvGq1oQ7l 渡辺崋山と田原藩の海防をめぐる一試論(承前) : 崋山の海防観について 「幕末名古屋藩の海防と藩主義勝」や「新潟奉行川村修就の海防体制の確立過程について 」も気になるな。
神田千里「大友宗麟の改宗 : その実態と背景」『東洋大学文学部紀要. 史学科篇』(40), 71-110, 2014 PDFあり。 https://t.co/7kqzAdnnXr

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RT @zasetsushirazu: 明治39年6月17日、矢野二郎が死去。文久3年、横浜鎖港談判使節に随行した幕臣。明治期、森有礼の推薦で駐米代理公使を務め、森が開設した商法講習所(一橋大学の起源)の初代所長に就任。小泉順也「東京高等商業学校と黒田清輝」(『言語社会』11)…
RT @zasetsushirazu: 明治39年6月17日、矢野二郎が死去。文久3年、横浜鎖港談判使節に随行した幕臣。明治期、森有礼の推薦で駐米代理公使を務め、森が開設した商法講習所(一橋大学の起源)の初代所長に就任。小泉順也「東京高等商業学校と黒田清輝」(『言語社会』11)…
RT @zasetsushirazu: 明治39年6月17日、矢野二郎が死去。文久3年、横浜鎖港談判使節に随行した幕臣。明治期、森有礼の推薦で駐米代理公使を務め、森が開設した商法講習所(一橋大学の起源)の初代所長に就任。小泉順也「東京高等商業学校と黒田清輝」(『言語社会』11)…
RT @zasetsushirazu: 明治39年6月17日、矢野二郎が死去。文久3年、横浜鎖港談判使節に随行した幕臣。明治期、森有礼の推薦で駐米代理公使を務め、森が開設した商法講習所(一橋大学の起源)の初代所長に就任。小泉順也「東京高等商業学校と黒田清輝」(『言語社会』11)…
RT @humanworld_kuri: 舞城王太郎さんの小説執筆における「推敲」を、タイプトレース(タイピング行為を時間情報と共に記録したもの)から分析し、文芸誌の〆切が与える影響を示した工藤彰さんの研究は、素材も手法も前代未聞で初めて読んだとき感動しました。こんな作家研究が…
RT @zasetsushirazu: ウルズラ・フラッヘ(杉原早紀 訳)「ドイツ語圏の日本研究から見た神仏分離」(『国立歴史民俗博物館研究報告』148、2008年)によれば、ドイツでは宗教改革時代に偶像破壊があったため、明治日本の廃仏毀釈に類似性を感じて関心を持つ研究者もいる…
RT @nekonoizumi: PDFあり。「合衆国」という訳語の起源考察。「合衆国」の初出は1844年、望厦条約の前段階のアメリカからの書簡の清朝の官僚による翻訳なのか。 ⇒高原正之 「なぜUnited States を合衆国と訳したのか? 「衆」はどこから来たのか」 『大…
RT @monogragh: 私には思いつかないタイプのタイトル。 水田洋「冨国論という酒――アダム・スミス翻訳史」(『日本學士院紀要』64(2), 2010) https://t.co/Is01AKpu6K
RT @nekonoizumi: PDFあり。「合衆国」という訳語の起源考察。「合衆国」の初出は1844年、望厦条約の前段階のアメリカからの書簡の清朝の官僚による翻訳なのか。 ⇒高原正之 「なぜUnited States を合衆国と訳したのか? 「衆」はどこから来たのか」 『大…
PDFあり。「合衆国」という訳語の起源考察。「合衆国」の初出は1844年、望厦条約の前段階のアメリカからの書簡の清朝の官僚による翻訳なのか。 ⇒高原正之 「なぜUnited States を合衆国と訳したのか? 「衆」はどこから来… https://t.co/Nn0RBnzh5T
PDFあり。 ⇒村岸純 , 佐藤裕亮 「災害資料としての『軍医学会雑誌』 ― 1896年明治三陸地震を例として ―」 『大正大学研究紀要』104 (2019-03-15) https://t.co/yw02bwv7dN
RT @BungakuReportRS: 米田 恵子 -  「水魔」:昭和一三年阪神大水害を詠んだ井上白文地・平畑静塔・堀内薫の俳句 https://t.co/Tt4r6cjVrY
RT @BungakuReportRS: 戸塚 麻子 -  日本占領下北京の俳句雑誌『春聯』について : 付・『春聯』目次(一九四二年三月、一九四四年一月-一九四五年二月) https://t.co/5QExk2ihFu
RT @BungakuReportRS: 佐藤 宗子 -  家庭における読書と「教養形成」 : 一九六〇年代偕成社・ポプラ社の少年少女向近代文学叢書を中心に https://t.co/L76pvXL1ms
RT @monogragh: 私には思いつかないタイプのタイトル。 水田洋「冨国論という酒――アダム・スミス翻訳史」(『日本學士院紀要』64(2), 2010) https://t.co/Is01AKpu6K
「データ駆動型人文学」と「人文学ビッグデータ」の展開 ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター - 人文学研究データリポジトリ https://t.co/w6zSShUQMb
RT @hayakawa2600: 西沢勇志智『炭素太功記』すごい。国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能:https://t.co/L4Po6Hiaa8
RT @Cristoforou: この論文、大変面白いですね。パンプスやミュールにより女性が被っている健康被害の調査結果が詳しく書かれています。/CiNii 論文 -  大学生の足や爪のトラブルとフットケアに関する実態調査 https://t.co/FoBO5Bpkpq
@shidacita64 ファミマネタ、私も笑いました。鮫さんのセンス最高ですよね(笑)そういえば、竹亭回顧録によると大雲院の隣の浄行寺にも泊まっていたんですかね?宗城公の在京日記で確認する必要はありますが、事前に知ってれば浄行寺… https://t.co/FQGUT1lqfG
@taka_udud 本人の書いた「薄井龍之小伝」に酷似していますね。その中で稲田氏の家臣南某を頼った云々とありますが、これは南薫風のことでしょう。同じく稲田家臣尾方長栄の伝記に関口隆吉に言われて薄井を匿ったことが記されています。 https://t.co/qzI038j1TJ
西沢勇志智『炭素太功記』すごい。国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能:https://t.co/L4Po6Hiaa8
@00srkw この次のページにありますが、「松堂」と書かれてますね。「新宮涼庭傳」によると、新宮涼庭が鯖江藩に五千両用立てたことや、詮房公が所司代の時に涼庭が招かれたことなど、2人の間に交流があったそうです。 https://t.co/1yDsPp8Xwg
RT @cosandmoss: 甲南大学機関レポジトリ 大規模な都市公園の商業化問題について : 大阪城公園を例に 谷口 るり子 著 #大阪城公園 #指定管理 の問題について発表されています >民間管理にするのであれば、少なくとも行政と管理者と住民との間の話し合いの場を設け妥…
RT @bamboo4031: なぜ「かぐや」の MLI がゴミ袋のように黒いのかを知りたいという奇特なかたは、こちらをどうぞ: https://t.co/iNF5fo3Qyu

5 5 5 0 OA 庭園をつくる

PDFあり。レオ・シュトラウス『スピノザの宗教批判』(1930)へのゲアハルト・クリューガーによる書評(1931)の翻訳。 ⇒関口佐紀訳 「ゲアハルト・クリューガー「書評 レオ・シュトラウス『その聖書研究の基盤としてのスピノザの宗… https://t.co/Z1UWv4fpSP

5 5 5 0 OA 庭園をつくる

PDFあり。 ⇒中金聡 「庭園をつくる エピクロス主義の〈逸れ〉について」 『政治哲学』第23号(2017) https://t.co/F8m2qgYZGL
https://t.co/b0v4qg86lT 山田里奈(2019)「近世後期江戸語における<行く・来る>の謙譲語」。
RT @negadaikon: みんなこれも読むんだ!CiNii 論文 -  メディア史とメディアの歴史社会学 https://t.co/mqTY9u0Po8 #CiNii
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒加藤聖文 「敗戦時における公文書焼却の再検討――機密文書と兵事関係文書――」 文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇,50(15), (2019-03-15) https://t.co/MlqwS6Q6Jz
RT @BungakuReportRS: 藤實 久美子 -  河鍋洞郁(暁斎)『絵本鷹かゝみ』の史料学的考察 : 文久2年(1862)3月の校合摺の紹介を兼ねて https://t.co/XG5ucMZ09H
PDFあり。 ⇒善養寺淳一 「吉備大臣入唐譚方術考 ―『江談抄』に見える院政期文化の一断面 ―」 大正大学大学院研究論集,(43), (2019-03-15) https://t.co/8auoRRZpfK
PDFあり。 ⇒上條駿 「献帝の礼制と皇帝権 ―董卓誅滅から許昌遷都まで―」 大正大学大学院研究論集,(43), (2019-03-15) https://t.co/hzjnhwN98R
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒加藤聖文 「敗戦時における公文書焼却の再検討――機密文書と兵事関係文書――」 文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇,50(15), (2019-03-15) https://t.co/MlqwS6Q6Jz
PDFあり。 ⇒星俊明 「江戸期における浄土宗と真宗の論争 ―論争の発端について―」 大正大学大学院研究論集,(43), (2019-03-15) https://t.co/IBsuksgmGa
PDFあり。 ⇒加藤聖文 「敗戦時における公文書焼却の再検討――機密文書と兵事関係文書――」 文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇,50(15), (2019-03-15) https://t.co/MlqwS6Q6Jz
CiNii 論文 -  開聞岳の貞観十六年(AD 874)噴火災害と当時の人の対応 https://t.co/C08thbIACP
CiNii 論文 -  [B12] IIIFとオープンデータを用いた『捃拾帖』内容検索システムの開発 https://t.co/2lLDVlZfgw
RT @Cristoforou: ちなみにこの文章は筑波のリポジトリからダウンロードできます。 https://t.co/rzPiwlAWO9

214 214 19 0 IR 纏足とハイヒール

RT @Cristoforou: 纏足とハイヒールって学術研究でも比較対象にされるレベルでメジャーな連想なんで、せいぜい筑波大学にケンカ売ってください。 https://t.co/2g3ZEKWXzZ https://t.co/U8OG2FbdJM
RT @N3502E13544: 拙稿の論点は地図リテラシーとか地理的知識の面に集中していたけど、正直甘かったかと思っている。イージスアショアのあれは、地理とか以前に基礎的な科学リテラシーとか倫理の問題で、そこまで十分に論究することができなかった。 ちなみに拙稿はこちらで見られ…
RT @quiriu_pino: 西山 克「鉄輪(かなわ)の恋 : あるいは生活雑器の歴史学」関西学院史学 (46), 37-62, 2019-03 退官した著者の論文。社会史のかをり…… https://t.co/JKUGTgGpUF
RT @N3502E13544: 拙稿の論点は地図リテラシーとか地理的知識の面に集中していたけど、正直甘かったかと思っている。イージスアショアのあれは、地理とか以前に基礎的な科学リテラシーとか倫理の問題で、そこまで十分に論究することができなかった。 ちなみに拙稿はこちらで見られ…
RT @syoyuri: 例えば、左巻健男先生「学校に、環境活動に、福島復興に、政治に、入り込んでいるEM(EM菌) 」https://t.co/iAQ3KNtr7l、天羽優子先生「マンションの管理と磁気活水器」https://t.co/8jk79h3qTa等 現在公開されてい…
RT @syoyuri: 例えば、左巻健男先生「学校に、環境活動に、福島復興に、政治に、入り込んでいるEM(EM菌) 」https://t.co/iAQ3KNtr7l、天羽優子先生「マンションの管理と磁気活水器」https://t.co/8jk79h3qTa等 現在公開されてい…
国家戦略特区の概要と論点『ISSUE BRIEF』897号, 2016.03.10. https://t.co/anJAr8mPco #NDL調査局今月のトピック #日本経済の再生 #日本経済
アベノミクスの進捗と成長戦略『ISSUE BRIEF』917号, 2016.08.03. https://t.co/PPOQ8pDl83 #NDL調査局今月のトピック #日本経済の再生 #日本経済
日本の産業立地と対日直接投資促進策―外資参入の阻害要因の検討―『レファレンス』 792号, 2017.01. https://t.co/kWMPMrXWcV #NDL調査局今月のトピック #日本経済の再生 #日本経済
MICEの振興と基盤整備『レファレンス』795号, 2017.04. https://t.co/F4NkujqwZr #NDL調査局今月のトピック #日本経済の再生 #日本経済
起業促進・ベンチャー育成における課題―労働市場柔軟化とM&A 円滑化が鍵―『レファレンス』799号, 2017.08. https://t.co/6fCb1bZiYr #NDL調査局今月のトピック #日本経済の再生 #日本経済
働き方改革と日本経済―労働参加率と労働生産性の向上―『レファレンス』801号, 2017.10. https://t.co/G4jEEsYaUo #NDL調査局今月のトピック #日本経済の再生 #日本経済
シェアリングエコノミーをめぐる論点『ISSUE BRIEF』983号, 2017.11.09. https://t.co/Axp0vZ59K3 #NDL調査局今月のトピック #日本経済の再生 #日本経済
異次元金融緩和をめぐる論点―黒田総裁下の5年間を振り返って―『レファレンス』808号, 2018.05. https://t.co/nptVnKVf5j #NDL調査局今月のトピック #日本経済の再生 #日本経済
目で見る異次元金融緩和の成果と課題『ISSUE BRIEF』1007号, 2018.05.24. https://t.co/oamLyDR517 #NDL調査局今月のトピック #日本経済の再生 #日本経済
上がらない物価の謎と金融政策の修正『ISSUE BRIEF』1023号, 2018.11.08. https://t.co/eRDYv0PpqB #NDL調査局今月のトピック #日本経済の再生 #日本経済
官民ファンドの動向と課題『レファレンス』816号, 2019.01. https://t.co/nZnMgOAjaH #NDL調査局今月のトピック #日本経済の再生 #日本経済
農林水産業へのICTの活用―政府の取組と活用に向けての課題『ISSUE BRIEF』1052号, 2019.04.02. https://t.co/eHrcC8V4RF #NDL調査局今月のトピック #日本経済の再生 #日本経済
「林業の成長産業化」政策の経緯と課題『ISSUE BRIEF』1054号, 2019.05.07. https://t.co/qEsVgi62sH #NDL調査局今月のトピック #日本経済の再生 #日本経済

3 3 2 0 OA メガFTAの動向

メガFTAの動向『ISSUE BRIEF』1057号, 2019.05.28. https://t.co/bLscKDD2km #NDL調査局今月のトピック #日本経済の再生 #日本経済

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RT @zasetsushirazu: 明治39年6月17日、矢野二郎が死去。文久3年、横浜鎖港談判使節に随行した幕臣。明治期、森有礼の推薦で駐米代理公使を務め、森が開設した商法講習所(一橋大学の起源)の初代所長に就任。小泉順也「東京高等商業学校と黒田清輝」(『言語社会』11)…
RT @zasetsushirazu: 明治39年6月17日、矢野二郎が死去。文久3年、横浜鎖港談判使節に随行した幕臣。明治期、森有礼の推薦で駐米代理公使を務め、森が開設した商法講習所(一橋大学の起源)の初代所長に就任。小泉順也「東京高等商業学校と黒田清輝」(『言語社会』11)…
RT @zasetsushirazu: 明治39年6月17日、矢野二郎が死去。文久3年、横浜鎖港談判使節に随行した幕臣。明治期、森有礼の推薦で駐米代理公使を務め、森が開設した商法講習所(一橋大学の起源)の初代所長に就任。小泉順也「東京高等商業学校と黒田清輝」(『言語社会』11)…
RT @zasetsushirazu: 明治39年6月17日、矢野二郎が死去。文久3年、横浜鎖港談判使節に随行した幕臣。明治期、森有礼の推薦で駐米代理公使を務め、森が開設した商法講習所(一橋大学の起源)の初代所長に就任。小泉順也「東京高等商業学校と黒田清輝」(『言語社会』11)…
RT @humanworld_kuri: 舞城王太郎さんの小説執筆における「推敲」を、タイプトレース(タイピング行為を時間情報と共に記録したもの)から分析し、文芸誌の〆切が与える影響を示した工藤彰さんの研究は、素材も手法も前代未聞で初めて読んだとき感動しました。こんな作家研究が…
RT @zasetsushirazu: ウルズラ・フラッヘ(杉原早紀 訳)「ドイツ語圏の日本研究から見た神仏分離」(『国立歴史民俗博物館研究報告』148、2008年)によれば、ドイツでは宗教改革時代に偶像破壊があったため、明治日本の廃仏毀釈に類似性を感じて関心を持つ研究者もいる…
RT @nekonoizumi: PDFあり。「合衆国」という訳語の起源考察。「合衆国」の初出は1844年、望厦条約の前段階のアメリカからの書簡の清朝の官僚による翻訳なのか。 ⇒高原正之 「なぜUnited States を合衆国と訳したのか? 「衆」はどこから来たのか」 『大…
RT @monogragh: 私には思いつかないタイプのタイトル。 水田洋「冨国論という酒――アダム・スミス翻訳史」(『日本學士院紀要』64(2), 2010) https://t.co/Is01AKpu6K
RT @nekonoizumi: PDFあり。「合衆国」という訳語の起源考察。「合衆国」の初出は1844年、望厦条約の前段階のアメリカからの書簡の清朝の官僚による翻訳なのか。 ⇒高原正之 「なぜUnited States を合衆国と訳したのか? 「衆」はどこから来たのか」 『大…
「データ駆動型人文学」と「人文学ビッグデータ」の展開 ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター - 人文学研究データリポジトリ https://t.co/w6zSShUQMb
RT @humanworld_kuri: 舞城王太郎さんの小説執筆における「推敲」を、タイプトレース(タイピング行為を時間情報と共に記録したもの)から分析し、文芸誌の〆切が与える影響を示した工藤彰さんの研究は、素材も手法も前代未聞で初めて読んだとき感動しました。こんな作家研究が…
@shidacita64 ファミマネタ、私も笑いました。鮫さんのセンス最高ですよね(笑)そういえば、竹亭回顧録によると大雲院の隣の浄行寺にも泊まっていたんですかね?宗城公の在京日記で確認する必要はありますが、事前に知ってれば浄行寺… https://t.co/FQGUT1lqfG
@taka_udud 本人の書いた「薄井龍之小伝」に酷似していますね。その中で稲田氏の家臣南某を頼った云々とありますが、これは南薫風のことでしょう。同じく稲田家臣尾方長栄の伝記に関口隆吉に言われて薄井を匿ったことが記されています。 https://t.co/qzI038j1TJ
@00srkw この次のページにありますが、「松堂」と書かれてますね。「新宮涼庭傳」によると、新宮涼庭が鯖江藩に五千両用立てたことや、詮房公が所司代の時に涼庭が招かれたことなど、2人の間に交流があったそうです。 https://t.co/1yDsPp8Xwg
https://t.co/b0v4qg86lT 山田里奈(2019)「近世後期江戸語における<行く・来る>の謙譲語」。
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒加藤聖文 「敗戦時における公文書焼却の再検討――機密文書と兵事関係文書――」 文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇,50(15), (2019-03-15) https://t.co/MlqwS6Q6Jz
RT @nekonoizumi: PDFあり。 ⇒加藤聖文 「敗戦時における公文書焼却の再検討――機密文書と兵事関係文書――」 文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇,50(15), (2019-03-15) https://t.co/MlqwS6Q6Jz
CiNii 論文 -  開聞岳の貞観十六年(AD 874)噴火災害と当時の人の対応 https://t.co/C08thbIACP
CiNii 論文 -  [B12] IIIFとオープンデータを用いた『捃拾帖』内容検索システムの開発 https://t.co/2lLDVlZfgw
RT @L_A_Seneca: 公立図書館の指定管理者制度導入状況:近年の動向 https://t.co/R1Tjfrj6Gu