著者
藤本 武
出版者
新潟青陵大学・新潟青陵大学短期大学部
雑誌
新潟青陵大学紀要 (ISSN:13461737)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.283-300, 2004-03-10

この論文の第一部では、一神教の「シェキナ」における「霊の内在」解釈の変遷を述べ、次にハイデッガーの存在と存在者につての存在論的解釈とドゥルーズの存在論的差異論の視点に立って、「霊の内在」を解釈し、「シェキナ」が「神の内在」ではなく「霊の内在」であることを明らかにする。更に「シェキナ」が、霊が自己の神性を無化し、民の「痛み」に共苦し、同行する思想を持つ霊と民との制度的現実的「痛み共同体」であったことを、解明する。第二部では、古代日本の「依り代」における「神霊の内在」と「依り代」の構造とが一神教の「シェキナ」に極めて類似していることを解明し、「依り代」から考察される古代日本人の「痛み」理解につぃて論及する。一神教の「痛み」が人間の根源であるとするのに対して、古代日本の「痛み」は人間の現象であるとされていることにより、人間への救済である「依り代」共同体は聖性を維持し、聖性の無限大化によって「痛み」の除去を達成しようとすることを、比較文化論的に考察する。最期に、諸宗教の絶対性ではなく、諸宗教の独自性を確立し、宗教的多元主義と諸宗教間の対話のための試みの一端であればという願いがこの論文の目的である。

言及状況

Twitter (3 users, 3 posts, 1 favorites)

CiNii 論文 -  一神教の「シェキナ」と古代日本の「依り代」における「痛み」への考察 http://t.co/IKz7xBdRtM #CiNii

収集済み URL リスト