著者
白村 直也
出版者
日本スラヴ・東欧学会
雑誌
Japanese Slavic and East European studies (ISSN:03891186)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.19-44, 2010-03-31

本稿は、帝政ロシア、及びソヴィエト政権初期のろうあ者が抱いた、コミュニケーションツールの選択をめぐる葛藤に、史資料に基づく客観的な考察を通してアプローチすることを目的としている。ろうあ者のコミュニケーションツールとして、手話(Sign Language)や口話(Oral Speech)というものがあることは、よく知られているように思う。帝政ロシア、及びソヴィエト政権初期ろうあ者が、それらをどのように捉えていたかと問うことは、この頃のろうあ者が自身の「障害」をどのように捉えていたかと問うことと密接な関連を持つ。もちろん、「社会」の中に生きるろうあ者にとっては、自身の「障害」を「社会」がどう扱うか(社会保障政策など)という外的な捉えを、(個人差こそあれ)無視することは決して容易なことではなかったに違いない。したがって本稿はそうした問いを、帝政ロシア、及びソヴィエト政権初期という史的な広い文脈に位置づけることによって理解・把握するよう努める。さまざまな対障害者社会政策の中でも、本稿が積極的に取り上げるのは、社会保障政策とろうあ教育政策である。そうした政策の中で「障害」や手話、そして口話はどのように捉えられていたのか。同時にそれら政策に対峙した(触発された)ろうあ者の「(特に手話や口話をめぐる)声」を積極的に取り上げることによって、より社会史的な分野で手話や口話の位置づけをみていく。題目に掲げるように本稿は、ソヴィエト政権初期の状況に、より多くの紙面を割く。帝政ロシア期の「成果」を踏まえ、また十月革命を経て、ソヴィエト政権初期のろうあ者は、手話や口話といったコミュニケーションツールをどのように捉えるに至ったのか。この点をうかがい知る上で本稿は、帝政ロシア期に活動の起源を持つ全ロシアろうあ者連盟(当事者社会団体、VOS:1926年に全ロシアろうあ者協会VOGに改名)を、ろうあ者の「声」を拾い上げるための「フィルター」として取り上げる。資料の面では、協会の機関紙「ろうあ者の暮らし(The Life of the Deaf)」上の記事を多用する。本稿は次の2点を今後の課題として残した。(1)本稿が主に扱う1920年代が、相対的に自由な議論が許された時期であることを思えば、その後の時期の議論とつき合わせることによって、1920年代の議論の特性を振り返る必要がある。(2)ソヴィエトに暮らした諸民族の中にもろうあ者がいたことを思えば、ろうあ者のコミュニケーションツールとしての手話や口話と、当時の言語政策との兼ね合いは非常に気になる点である。そうした点について今後考察を進めることを課題として残したい。

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