- 著者
-
Muller A. Charles
- 出版者
- 日本印度学仏教学会
- 雑誌
- 印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
- 巻号頁・発行日
- vol.59, no.3, pp.1272-1280, 2011-03-25
唯識思想における本質(bimba)および影像(pratibimba)という概念は,最初に,その一組の形で『解深密経』に登場し,奢摩他・毘婆舎那に関する教説の中に使用されている.ただ,影像が詳細に説かれるのに比して,本質についてはかなり不明瞭である.東アジアの唯識教学をみると,『成唯識論』の登場ののち,これら二概念の意味と関係が,主に窺基や他の唯識学僧の解釈を通じて,一層詳細に論じられるようになる.窺基は,冥想における役割というよりも,むしろ目覚めているときの日常意識における役割という観点から本質・影像を解釈しているが,こうした窺基の提出したもの以外に,他の学僧による詳細な解釈を殆ど見出しにくい.ただ例外的に注目に値するものとして,圓測(613-696)の『解深密経疏』にみえる本質・影像の議論をあげることができる.圓測は,『解深密経疏』における二箇所で,この一組の概念について解釈を展開する.一つは,『解深密経』の冥想に関する箇所で本質と影像との様相について論じており,もう一つは玄談にみえ,そこでは本質と影像との観点から「宗体」が分析されている.この一組の概念を用いた手法は他論師の資料にはみえず,全く新しい取り組みといえる.本論文では,まず唯識文献にみえるこれら二概念の使用法の概要について述べ,そして後半で「宗体」の分析にみえる圓測独特の学説に焦点を合わせていくこととしたい.