著者
大塚 将弘
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.737-740, 2010-03-20
著者
多田 實道
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.219-226, 2013-12-20
著者
石原 美里
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.60, no.3, pp.1138-1142, 2012

「スータ」という語はこれまで「御者」,「吟誦詩人」と訳されることが多かったが,多くのスータに関する叙述を収集・分析すると,その人物像は非常に曖昧で一貫性がなく,「御者」,「吟誦詩人」という一言では片付けられない複雑さを孕んでいる.本研究では,『マハーバーラタ』に登場するサンジャヤという王の側近であるスータが,ヴェーダ文献に見られるスータ像をある程度反映しているものと仮定して,そのスータ像の変遷を追った.このヴェーダ時代におけるスータ像は,『ヴィシュヌプラーナ』の中に収められているプリトゥ王神話におけるスータ起源譯にも反映されている.そこにおいてスータは,王のするべき行いを規定するような権力を有する王家の高官として描かれており,それを便宜的に「古型」と位置付けた.その後この「古型」は,バラモンらがスータを彼らの構想する4ヴァルナ社会に組み入れようとする際に,混合ヴァルナ身分としてのスータの裏付けとして様々に応用されたと考えられる.その一方で,スータが現実社会に存在しなくなった時代,『マハーバーラタ』の最終改編としてスータ・ウグラシュラヴァスの語りの枠が導入される.この際『マハーバーラタ』の編者らは,その語り手として「放浪の吟訥詩人」という新たなスータ像を創り上げたと推測される.その新しい語りの枠はいくつかのプラーナ文献にも採用され,その結果,放浪の吟誦詩人的スータ像と,古い伝承における王家の高官的スータ像が同文献内にも併存することになったと結論付けた.
著者
真鍋 俊照
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.75-83, 2008-12-20
著者
宮家 準
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.1124-1117, 2012-03-20
著者
山口 希世美
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.66, no.2, pp.713-716, 2018

<p>In this paper, by analyzing diaries from the Heian period, I shed light on the fact that handwritten <i>sūtra</i> transcription by women were not rare.</p><p>The <i>Kechiengyō</i> is one example of women's handwriting. One type of currently existing <i>Kechiengyō</i> is called <i>Kunōji-kyō</i>. <i>Kunōji-kyō</i> is a common name of the <i>Lotus Sūtra</i> introduced to Kunōji temple. Among the existing 25 scrolls, women's names are written on 15.</p><p>Considering these cases, the possibility that <i>Kunōji-kyō</i> was indeed handwritten by women cannot be excluded.</p>
著者
李 尚曄
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.789-786, 2021-03-25 (Released:2021-09-06)
参考文献数
4

By utilizing previous studies that have identified the biographies of the monks included in the now-lost Mingseng zhuan 名僧伝 from the Gaoseng zhuan 高僧伝, this paper analyzes the uneven distribution of social traits among the monks who were categorized as “shi” 師 and “kujie” 苦節 in the Mingseng zhuan, and proposes the possibility that Baochang’s use of the dual categories of “shi” and “kujie” in the Mingseng zhuan reflected the dualistic class structure of the early medieval Chinese saṃgha.