- 著者
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山路 明日太
- 出版者
- 日本スラヴ・東欧学会
- 雑誌
- Japanese Slavic and East European studies (ISSN:03891186)
- 巻号頁・発行日
- vol.31, pp.1-22, 2011-03-31
レールモントフ作品には馬がしばしば登場する。ただしそこでは、トルストイ『ホルストメール』のように馬の視点から事態が描写されるわけでもなければ、プーシキン「西スラヴ人の歌』のように馬が物語るわけでもない。また語り手が馬に極端な感情移入をしめすようなこともない。そうでありながらレールモントフの馬は、詩人の目からみても主人公たちの目からみても、「友」であり「同志」である。このようにレールモントフ作品の馬は、人間との関係で微妙な距離感をたもっている。そうした距離感は死と生の両面におけるひとと馬との対照的描写から考察することができる。レールモントフは人間の死の瞬間をえがくにあたり魂のうごきにことさら注目しているが、こうした描写は馬にたいしてはみられない。そのかわり馬は死にいたるまでの勇敢な働きが強調される。他方、死そのものはあっさりと述べられるだけで、死にゆく様子に注目した記述はみられない(cf,『アンナ・カレーニナ』の競馬場での馬の死、『罪と罰』のラスコーリニコフの夢における馬の撲殺場面など)。以上から、レールモントフは馬に魂があるとはかんがえていなかったと類推できる。だが死体としては人間も馬も魂のない「モノ」であり、両者は類似の扱いかたがなされる。死体はほかの動物に喰われる様子が生々しくえがかれ、自然の法則にしたがい分解されていく。そうした死体の情景描写において馬と人間は対照しうる存在となるのだ。じっさい『アズライル』冒頭では馬の死体が人間存在の死を象徴する。また「公爵令嬢メリー」では主人公が人間の死体と愛馬の死体にたいし類似の反応をしめしており、そのことによって小説の構成上ふたつのプロットが結びつけられている。生の存在としての馬は自由、幸福、故郷を象徴し、乗馬は主人公たちに喜びをもたらす。ときに馬は女性と対照され、等価で取引されることもある。そんな両者の対等関係はレールモントフ作品においてカフカス民族の社会的な生活背景をなすものとしてえがかれている。馬は女性との対照的描写によって生活背景を形づくる機能を果たしているのだ(例えば、『バストゥンジ村』のアクブラートやムラー、『現代の英雄』のカズビーチなど)。いっぽうおなじ女性と馬との等価的な比喩や交換が、当時のロシア貴族の一典型にとって行動の契機になることもある。『現代の英雄』のペチョーリンはカフカス民族の生活背景である女性と馬との等価的比較を利用し、みずからの欲望を満たしている。そこでは馬の形象が主人公の性格を形づくる機能を果たしているといえる。このように馬の表象はレールモントフ作品を読み解くための不可欠な要素となっている。