- 著者
-
阿部 善彦
- 出版者
- 日本宗教学会
- 雑誌
- 宗教研究 (ISSN:03873293)
- 巻号頁・発行日
- vol.85, no.3, pp.645-667, 2011-12-30
本稿は、エックハルトの「ドイツ語説教八六」(以下Pr.86)における「マリア」像を考察し、それとともに、エックハルト、タウラー、ゾイゼに通底する宗教的生の理解の解明を目指すものである。伝統的に、マリアは「観想的生」、マルタは「活動的生」の象徴として解釈されてきた。その中でも、Pr.86は、「マルタ」に完全性を見る独創的解釈を提示する説教として注目される。そのため、これまでのエックハルト研究においては、「マルタ」に示される宗教的生の完全性について論じられてきた。だが、「マリア」については十分に取り上げられてこなかった。本稿は、まず、(一)Pr.86で語られる「マルタとマリア」を、その解釈の基本線である「生」(leben)の観点から確認し、その上で、(二)「マリア」に固有の宗教的生の完全性が主題化される解釈伝統を説教内部に明らかにする。そして、(三)そこに示される「マリア」像とドミニコ会修道霊性との思想連関を考察し、これを踏まえて、(四)エックハルトから、タウラー、ゾイゼに通底する宗教的生の理解を明らかにすることを試みる。