著者
橋迫 瑞穂
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.88, no.3, pp.597-619, 2014-12-30

本稿は、一九八〇年代に主として少女たちの間で流行した「占い・おまじない」が、特に学校で人間関係を築くさいに生じる軋轢に対応するための手段を与えるものであったことを、少女向けの占い雑誌『マイバースデイ』を分析することによって明らかにすることを目的とする。従来、「呪術=宗教的大衆文化」のなかでも「占い・おまじない」は、少女が自身の立ち位置や周囲との人間関係を推し量りながら自己を定位する「認識のための『地図』」としての役割を担うものとして彼女らに消費されたととらえられてきた。しかし、『マイバースデイ』を詳細に分析した結果、「占い・おまじない」は、少女たちが学校生活に適応する過程に神秘的な意味を与えることで、学校を人間関係構築のための修養の場に作り変える働きを有するものであり、さらには、彼らに緩やかな共同体を形成する場を提供する働きをも担っていたことが明らかになった。
著者
谷内 悠
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.88, no.1, pp.99-121, 2014-06-30

本稿では、「なぜ宗教的なものが科学に基礎づけられることで自らを正当化しようとするのか」という問題について、分析哲学の手法を用いて考察する。その際、創造論、とりわけ自らを「科学である」とする創造科学やID論を事例として取り上げる。それらが科学性を主張するのは、公教育を巡る建前であるだけでなく、科学の優位を前提する社会通念の反映でもあり、ここに宗教と科学の間の現代的な捻れがあると読み取れるのだ。そこで筆者はまず、宗教と科学を概念図式及び言語ゲームとして捉え、個々に分析した。そしてそれらを状況に応じて選択する母体として「メタ概念図式」を措定し、さらに概念図式及び言語ゲームとメタ概念図式との間にある循環関係も考慮した「二重の概念図式理論」を提起する。それを創造論に適用することで、宗教と科学の捻れを解消するに至った。この理論は、ウィトゲンシュタイニアン・フィデイズムのような概念相対主義を乗り越える試みでもある。

41 0 0 0 OA 宗教の数理解析

著者
落合 仁司
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.79, no.3, pp.629-651, 2005-12-30

本論はキリスト教や仏教といった世界宗教を数学的に表現し解析する試みである。宗教は、その哲学的な表現である存在論あるいは形而上学と同様に、科学と同じ意味における検証可能性は持ちえないが、論理的一貫性を問うことは出来る。数学もまた検証可能性は持ちえないが論理的一貫性は問われねばならない。そこに宗教分けても存在論として哲学的に表現される宗教を数学的に表現し解析する可能性が開けて来る。本論はまず第一節において、キリスト教や仏教といった世界宗教を哲学的に表現しうる存在論を提示し、続いて第二節において、その存在論によるキリスト教と仏教の哲学的な表現を試みる。これを受け第三節において、宗教を数学的に表現しうる可能性を持つ数学である集合論の基本的な結果を整理し、最後に第四節において、その集合論による宗教の数学的な表現と解析を試みる。
著者
井上 智勝
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.1, pp.71-94, 2004-06-30

吉田家は、神祇官次官の家柄ながら、一五世紀以降幕末まで神道界に大きな勢力を振るった公家である。特に一五世紀後期に出た吉田兼倶は、家説の超然を説く吉田神道を大成し、それに基づく活動を「神祇管領長上」と称して展開した。この称号は、吉田家が、神紙伯(神祇官長官)を凌駕して自らが神道の主宰者たることを誇示するための偽称・僭称であった。しかし兼倶は、一方で旧来の制度である神祇官の復興にも協力していた。かかる吉田家の一見矛盾する行動は、白川家の家職化した伯職への就任が困難な吉田家が、律令官制を相対化しつつ、神祇官という律令官衛を代表しようとする意図の現れであった。その達成は、系図・文書の捏造による「押紙管領長上」の地位創作と、その神祇官内への位置づけによって図られた。吉田家は旧制度・秩序を否定して自家中心の神祇秩序の構築を図ったのではなく、律令制に由来する正当性を取り込むことでそれを目指したのであった。
著者
佐々木 中
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.81, no.1, pp.47-68, 2007-06-30

さまざまな宗教現象において、「享楽」と呼ぶべき何かがあると考えうる時点は少なくない。宗教の享楽とは何か。この問いに答えるための予備考察として、ジャック・ラカンの晩年に見られる「享楽の類型学」と呼びうる部分を簡潔に整理し、享楽の定義から始めて「絶対的享楽」「二つのファルス的享楽」および「対象aの剰余享楽」という、いくつかの享楽の類型を提示する。そして、それらの概念が明らかに「宗教的」なものと関係があり、宗教現象分析のための概念として使用可能であることを指摘する。また、彼が最後に提出した「大他者の享楽=女性の享楽」が、他の享楽を「超過する」ものであるばかりか、神秘家の伝統に関わるものとして、精神分析自体の「歴史的限界」を露わにすることを呈示する。
著者
佐藤 弘夫
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.86, no.2, pp.323-346, 2012-09-30

自然に関する科学的な知識を欠いていた前近代社会では、世界の他の地域と同様、列島の人々は不可避の災禍を超越的存在(カミ)の仕業と結びつけ、その出現の必然性を了解しようとした。古代社会では、自然災害はカミが人間に与えるメッセージ(崇り)と解釈された。仏教が受容され世界についての体系的な解釈が定着する中世社会になると、災害についても、その発生を治罰と救済の因果律のなかで説明しようとする傾向が強くなった。根源的存在のリアリティが衰退し、死者を彼岸の仏による救済システムに委ねることができなくなった近世では、災禍を天災として忍受する一方、不遇な死者を祖霊に上昇させるための長期にわたる儀礼や習俗が創出された。「近代化」のプロセスは、生者とカミ・死者が共存する伝統世界から後者を閉め出すとともに、特権的存在である人間を主人公とした社会の再構築にほかならなかった。東日本大震災は、そうした近代の異貌性を浮かび上がらせ、私たちの立ち位置と進路を再考させる契機となるものだった。
著者
島田 裕巳
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.293-316, 2008-09-30

近代の社会に入って、新宗教が登場して以降、そうした教団は、さまざまな角度から批判を受けてきた。この論文では、新宗教の先駆的な形態である天理教からはじめて、戦後に巨大教団に発展した創価学会、そして無差別テロを実行するまでにいたったオウム真理教をとりあげ、それぞれの教団がどのような形で批判を受けてきたのかを見ていく。天理教の場合には、神懸かりする教祖を盲信する淫祠邪教の集団として批判され、批判の主体はメディアと既成教団だった。創価学会に対しては、最初既成仏教教団が批判を展開したが、政界進出後は左翼の政治勢力からも批判を受け、言論出版妨害事件以降になると、メディアが創価学会批判の中心になった。オウム真理教に対しては、最初からメディアが批判的で、一時は好意的に扱われた時期もあった。近年では、オウム真理教の場合に見られるように、メディアが新宗教批判の主体で、そこには社会の新宗教観が反映されている。
著者
和田 有希子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.77, no.3, pp.629-653, 2003-12-30

これまで鎌倉時代の臨済禅は「兼修禅」と「純粋禅」という枠組みで捉えられるのが一般的であった。この枠組みは、「純粋禅」を、禅の清規を導入し、従来の顕密諸宗から完全に距離を取った存在と見、一方の「兼修禅」を、顕密諸宗を併習する禅として明確に区別するものであった。しかしこうした枠組みは、当該期臨済禅とは何かということや、臨済禅の中世思想世界における意義を埋没させてしまう。そこで本稿では、この枠組みを一度措き、当該期臨済禅僧の交流の実態を踏まえた上で、「兼修禅」・「純粋禅」に分類されてきた円爾弁円と蘭渓道隆による『坐禅論』の内容を比較検討した。その結果、当該期臨済禅僧には「兼修禅」「純粋禅」の区分を超えた密接な交流があったこと、また円爾・蘭渓の思想に共通性の高い構造があることを確認した。このことは、「兼修禅」「純粋禅」の区分を前提とする前に、宋代臨済禅に由来する両者の臨済禅僧としての共通性とその内実に、より着目すべきことを示唆している。
著者
青柳 かおる
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.79, no.3, pp.723-744, 2005-12-30

本稿では、ガザーリーの神秘思想における性の重要性を検証し、特に神秘主義的宇宙論と性の議論との結びつきを明らかにする。ガザーリーの禁欲主義の議論にも触れながら、食欲と性欲を比較し、さらにマッキーとイブン・アラビーの議論とも比較して、スーフィズムの思想史におけるガザーリーの性の議論の独自性を検討する。まずマッキーの神秘主義的宇宙論は断片的であり、また禁欲的に性欲を抑えていく立場である。ガザーリーは、マッキーの宇宙論を体系化し、宇宙論において人間霊魂の上昇を説き、さらに性の持つ肯定的な力を認めた。そして性に対する考え方と神秘主義的宇宙論が一体となった結果、性欲は、神秘修行を中心とする神への崇拝に励む原動力になる、という思想を理論化することができた。存在一性論を説くイブン・アラビーにおいては、神と世界の一体性と重なる男女の性的結合が重視されている。ガザーリーは、性の肯定的な力を取り入れ、自らの神秘主義的宇宙論に適合する形の修行論を展開しているのである。