著者
嶺崎 寛子
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.93, no.2, pp.191-215, 2019-09-30 (Released:2020-01-07)

本稿では、ジェンダー・オリエンタリズムという難問(アポリア)を示し、それをいかに乗り越えるかを論じている。西洋と東洋を二項対立的に捉え、西洋が東洋を他者化し、東洋に自分たちの世界にはない独特/特殊な女性差別や女性蔑視を見出し、それを「遅れている」「女性差別的である」ことの証左とするまなざしがジェンダー・オリエンタリズムである。ムスリム女性は、一貫してこのまなざしが注がれる、主要な客体の一つであった。これに抗する第三世界フェミニズムは、不均衡な権力構造や表象のポリティクスについて、丁寧に紐解いてきた。一方日本の宗教学はジェンダー・オリエンタリズムに反論しようとするあまり、結果的にそれを再生産するという罠に嵌っている。研究者としてすべきことは、構造自体を白日の下に曝し、問い自体を無化することである。多数派を巻き込みつつ、ジェンダー主流化の意義を共有し、具体的な方法論を提示することによって、この隘路を切り抜けられるのではないか。
著者
橋迫 瑞穂
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.88, no.3, pp.597-619, 2014

本稿は、一九八〇年代に主として少女たちの間で流行した「占い・おまじない」が、特に学校で人間関係を築くさいに生じる軋轢に対応するための手段を与えるものであったことを、少女向けの占い雑誌『マイバースデイ』を分析することによって明らかにすることを目的とする。従来、「呪術=宗教的大衆文化」のなかでも「占い・おまじない」は、少女が自身の立ち位置や周囲との人間関係を推し量りながら自己を定位する「認識のための『地図』」としての役割を担うものとして彼女らに消費されたととらえられてきた。しかし、『マイバースデイ』を詳細に分析した結果、「占い・おまじない」は、少女たちが学校生活に適応する過程に神秘的な意味を与えることで、学校を人間関係構築のための修養の場に作り変える働きを有するものであり、さらには、彼らに緩やかな共同体を形成する場を提供する働きをも担っていたことが明らかになった。
著者
大谷 正幸
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.95, no.1, pp.101-126, 2021 (Released:2021-09-30)

浅間社は富士信仰を行うための施設であるが、富士信仰の多様さに合わせてその形態や実際に祀る神はさまざまである。本論ではその諸相を提示し、最終的に、富士山―一次的に富士信仰を受容する大都市文化圏―二次的に受容して独自にローカルな信仰様式・習俗を創り出す文化圏近郊や富士山との中間地帯、という構造が富士山を挟んで東西にあるとする富士信仰の伝播と受容に関するモデルを考えたい。浅間社の諸相として、中世の城郭に浅間社が祀られた事例、富士信仰に因んだ可能性がある地名を中部地方各県から検索し、その中から「フジヅカ」に関する事例、「フジ」という名を持っていても富士信仰かわからない社の事例を挙げる。特に「フジヅカ」については研究史上その定義をめぐって議論があり、議論の有効性に対して疑問を持つ立場から考えてみたいと思う。
著者
髙橋 沙奈美
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.91, no.3, pp.25-48, 2017-12-30 (Released:2018-03-30)

本稿はペテルブルグの聖クセーニヤに対する崇敬を事例として、人びとの日常生活の中で経験され、表現される「生きた宗教(lived religion)」が、社会主義時代にどのような主体によって維持され、いかに変容し、またいかに持続したかという問題を検討する。十八世紀末の帝都の下町に暮らしたといわれるクセーニヤは、十九世紀後半から二〇世紀にかけて、悩みや苦しみに寄り添い力を貸してくれる聖痴愚として、人びとに慕われ始めた。一九一七年の革命後、反宗教政策で教会が壊滅状態に陥り、祈?を依頼できる司祭がいなくなると、レニングラードの人びとはクセーニヤに「手紙」を書くことで崇敬を維持した。クセーニヤは過去の記憶ではなく、テロルや包囲戦の時期もレニングラードと共にある等身大の福者として意識された。また、帝政末期にすでに正教会にも認められていたクセーニヤ崇敬は、教会権力によって単なる民衆宗教として排斥されず、西側の世論を怖れたソ連政府も礼拝堂の破壊を思いとどまった。一九八八年の列聖は、信者たちにとって、革命以前の信仰生活の復活ではなく、ともに最も苦しい時代を生き抜いたクセーニヤの記念を意味したのである。
著者
谷内 悠
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.88, no.1, pp.99-121, 2014

本稿では、「なぜ宗教的なものが科学に基礎づけられることで自らを正当化しようとするのか」という問題について、分析哲学の手法を用いて考察する。その際、創造論、とりわけ自らを「科学である」とする創造科学やID論を事例として取り上げる。それらが科学性を主張するのは、公教育を巡る建前であるだけでなく、科学の優位を前提する社会通念の反映でもあり、ここに宗教と科学の間の現代的な捻れがあると読み取れるのだ。そこで筆者はまず、宗教と科学を概念図式及び言語ゲームとして捉え、個々に分析した。そしてそれらを状況に応じて選択する母体として「メタ概念図式」を措定し、さらに概念図式及び言語ゲームとメタ概念図式との間にある循環関係も考慮した「二重の概念図式理論」を提起する。それを創造論に適用することで、宗教と科学の捻れを解消するに至った。この理論は、ウィトゲンシュタイニアン・フィデイズムのような概念相対主義を乗り越える試みでもある。

43 0 0 0 OA 宗教の数理解析

著者
落合 仁司
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.79, no.3, pp.629-651, 2005-12-30

本論はキリスト教や仏教といった世界宗教を数学的に表現し解析する試みである。宗教は、その哲学的な表現である存在論あるいは形而上学と同様に、科学と同じ意味における検証可能性は持ちえないが、論理的一貫性を問うことは出来る。数学もまた検証可能性は持ちえないが論理的一貫性は問われねばならない。そこに宗教分けても存在論として哲学的に表現される宗教を数学的に表現し解析する可能性が開けて来る。本論はまず第一節において、キリスト教や仏教といった世界宗教を哲学的に表現しうる存在論を提示し、続いて第二節において、その存在論によるキリスト教と仏教の哲学的な表現を試みる。これを受け第三節において、宗教を数学的に表現しうる可能性を持つ数学である集合論の基本的な結果を整理し、最後に第四節において、その集合論による宗教の数学的な表現と解析を試みる。
著者
伊達 聖伸
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.89, no.2, pp.297-322, 2015-09-30

本稿は、あえて長い時間の幅を確保し、イスラームがいつ、いかにしてフランスの宗教になったのかを検討するものである。フランスにムスリムがいた事実は古い時代に遡って確認できるが、イスラームは長いあいだヨーロッパの外部にある鏡のような役割を果たしてきた。イスラームがフランスの宗教になる経緯として決定的なのは、植民地行政によってイスラームが「宗教」として把握され、管理されるようになったことである。一九〇五年の政教分離法は、宗教に自由を与える性格を持つが、同法が形式的に適用されたアルジェリアでは、実際にはイスラームに対する管理統制が統いた。フランス国家がイスラームを「宗教」と見なしてムスリムにアプローチする枠組みにおいて、イスラームはフランスの「宗教」になったが、そのアプローチの限界も浮き彫りになる。イスラームに対する構造的不平等があるなかで、ライシテは宗教の平等を唱える理念として機能している。
著者
中田 考
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.243-267, 2004-09-30 (Released:2017-07-14)

西欧の宗教学は「神学」を出自とする。他方、イスラーム世界にはそもそも「神学」は存在せず、イスラーム学とは「宗教学」であった。しかるに西欧の宗教学はこのイスラームの「宗教学」を包摂する道を選ばず、かえってイスラームに「イスラーム研究(東洋学、地域研究)」という別の専攻を割り当て、イスラームを視野に収めることなくその「宗教」概念を構築してきた。こうして形成された西欧の宗教学もイスラーム研究も価値中立的な客観的記述を標榜するが、実はイスラームの真理性要求の拒否を無自覚な規範的前提としている。本稿は、言語の規範性の本質にまで遡り、イスラーム研究における規範主義的アプローチの必要/必然性を基礎付け、「イスラーム」の辞書的意味から出発して、「真のイスラーム」と「偽のイスラーム」の識別をこととし、伝統イスラーム学との接合、イスラーム世界との対話を可能ならしめる新しいイスラーム研究のパラダイムを提示する。
著者
中田 考
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.243-267, 2004

西欧の宗教学は「神学」を出自とする。他方、イスラーム世界にはそもそも「神学」は存在せず、イスラーム学とは「宗教学」であった。しかるに西欧の宗教学はこのイスラームの「宗教学」を包摂する道を選ばず、かえってイスラームに「イスラーム研究(東洋学、地域研究)」という別の専攻を割り当て、イスラームを視野に収めることなくその「宗教」概念を構築してきた。こうして形成された西欧の宗教学もイスラーム研究も価値中立的な客観的記述を標榜するが、実はイスラームの真理性要求の拒否を無自覚な規範的前提としている。本稿は、言語の規範性の本質にまで遡り、イスラーム研究における規範主義的アプローチの必要/必然性を基礎付け、「イスラーム」の辞書的意味から出発して、「真のイスラーム」と「偽のイスラーム」の識別をこととし、伝統イスラーム学との接合、イスラーム世界との対話を可能ならしめる新しいイスラーム研究のパラダイムを提示する。
著者
橋迫 瑞穂
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.88, no.3, pp.597-619, 2014-12-30 (Released:2017-07-14)

本稿は、一九八〇年代に主として少女たちの間で流行した「占い・おまじない」が、特に学校で人間関係を築くさいに生じる軋轢に対応するための手段を与えるものであったことを、少女向けの占い雑誌『マイバースデイ』を分析することによって明らかにすることを目的とする。従来、「呪術=宗教的大衆文化」のなかでも「占い・おまじない」は、少女が自身の立ち位置や周囲との人間関係を推し量りながら自己を定位する「認識のための『地図』」としての役割を担うものとして彼女らに消費されたととらえられてきた。しかし、『マイバースデイ』を詳細に分析した結果、「占い・おまじない」は、少女たちが学校生活に適応する過程に神秘的な意味を与えることで、学校を人間関係構築のための修養の場に作り変える働きを有するものであり、さらには、彼らに緩やかな共同体を形成する場を提供する働きをも担っていたことが明らかになった。
著者
櫻井 義秀
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.453-478, 2009-09-30 (Released:2017-07-14)

本稿では、宗教と倫理が緊張関係にある事例としてカルト問題を取り上げ、教勢拡大中のキリスト教教会や宗教団体にはカルトにも共通する特徴があることを指摘した。宣教体制に機能特化した教団は、教化力・組織力・指導力を高めるべく<指導-被指導>関係を軸とした権威主義的体制を構築する。そこにおいて、「教会のカルト化」「宗教団体のカルト化」として批判される信徒への抑圧・搾取的行為や反社会的行動が見られることがある。宗教組織や宗教運動に固有の逸脱を批判してきたものは、現実の宗教団体に対して外郭的秩序として機能する倫理や法ではなく、カルトに巻き込まれた当事者や支援者が特定教団の活動を社会問題として批判・告発してきた活動であった。具体的な問題を解決する過程において構築される社会倫理こそが、宗教とカルトを分かつものが何であるか、そして、宗教と倫理をめぐる緊張とはいかなるものであるかを明らかにしてくれるだろう。