- 著者
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鈴木 幹雄
- 出版者
- 美術科教育学会
- 雑誌
- 美術教育学:美術科教育学会誌 (ISSN:0917771X)
- 巻号頁・発行日
- vol.32, pp.197-212, 2011
本論稿では,J・イッテンの出身校,シュトゥットガルト芸術アカデミーでヘルツェル教授の下に学び,ナチズム崩壊後,シュトゥットガルト芸術アカデミー教授(1946-55年)となったW・バウマイスターの芸術教育と芸術教育観について基本的な輪郭を描こうと試みた。筆者の知る限りそれはわが国ではこれまで先行研究で解明されることのなかった領域で,バウハウス系譜の芸術教育学とは異なるもう一つの芸術教育観であった。バウマイスターは,ワイマール共和国の時代,フランクフルト市芸術学校の教師として招聘を受け(1927-33),1946年には,シュトットガルト芸術アカデミー装飾油彩画の教授として招聘された。そして1949年には,同アカデミーに改革提案を提出すると同時に,現代の造形表現理論と新しい時代の芸術教育学の基本的精神を若い世代に伝えようとした。それは,内的亡命に耐えてきた一老教授によって用意された,フランス,スイスと国境を接する南西ドイツの戦後芸術大学改革コンセプトであった。