著者
鈴木 幹雄
出版者
大谷学会
雑誌
大谷学報 = THE OTANI GAKUHO (ISSN:02876027)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.p40-48, 1986-01
著者
鈴木 幹雄
出版者
美術科教育学会
雑誌
美術教育学 : 美術科教育学会誌 (ISSN:0917771X)
巻号頁・発行日
no.29, pp.287-298, 2008-03-27

バウハウス教授陣のアメリカへの亡命に伴ってシカゴへ設立されたNew Bauhausに関して,我々は,『50年シカゴにおけるバウハウスの後継学校50.Jahre new bauhaus. Bauhausnachfolge in Chicago』とロサンゼルス郡美術館の共同研究『亡命者達と移民達-ヒットラーからのヨーロッパ芸術家達の逃走Exiles+emigres. The flight of European artists from Hitler』を手掛りに一定の一般的理解を持つことができる。本論ではこれら資料と並んで,イリノイ大学ジョン・ワォーリー文書のホルダー198,ペーター・ゼルツ,リチャード・コッペ著「美術教師の教育」,モホリ・ナギの弟子であり,後イリノイ大学美術部門の主任教授となった人物,リチャード・コッペの証言「シカゴのNew Bauhaus」(ドイツ語書籍『バウハウスとバウハウスの人々Bauhaus und Bauhaeusler』)を手掛りに,本テーマを開明する。
著者
鈴木 幹雄
出版者
美術科教育学会
雑誌
美術教育学:美術科教育学会誌 (ISSN:0917771X)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.197-212, 2011

本論稿では,J・イッテンの出身校,シュトゥットガルト芸術アカデミーでヘルツェル教授の下に学び,ナチズム崩壊後,シュトゥットガルト芸術アカデミー教授(1946-55年)となったW・バウマイスターの芸術教育と芸術教育観について基本的な輪郭を描こうと試みた。筆者の知る限りそれはわが国ではこれまで先行研究で解明されることのなかった領域で,バウハウス系譜の芸術教育学とは異なるもう一つの芸術教育観であった。バウマイスターは,ワイマール共和国の時代,フランクフルト市芸術学校の教師として招聘を受け(1927-33),1946年には,シュトットガルト芸術アカデミー装飾油彩画の教授として招聘された。そして1949年には,同アカデミーに改革提案を提出すると同時に,現代の造形表現理論と新しい時代の芸術教育学の基本的精神を若い世代に伝えようとした。それは,内的亡命に耐えてきた一老教授によって用意された,フランス,スイスと国境を接する南西ドイツの戦後芸術大学改革コンセプトであった。
著者
鈴木 幹雄
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.1997, no.76, pp.110-123, 1997-11-10 (Released:2009-09-04)
参考文献数
48

After the Second World War, German padagogues in art education have been obliged to reflect critically on the theories of art education in the 1920s. Confronting new social and educational situations in Germany, they had to keep in mind several new factors such as expression as beings in the world, contemporaneity, adolescence, contact with modern culture and society, and researches by younger generations. G. Otto re-examined the traditional views of art education from the late 1950s through the early 1960s when the reconstruction after the war terminated. He thought that art education should be planned in a social context and struggled hard to build a new theory of art education suited to the time. As the first step, Otto studied pedagogical anthropology, the adolescence and plastic art theories of the 1920s. In this process, he obtained from anthropology the idea that human beings were members of society. From the theories of plastic art, Otto learned that a human being can discover his relationship to the world by the act of production-expression using materials-subjects. These notions were not emphasized in the views of art education from the time of the >new education< plans. The major views which Otto discovered in his early works are as follows : - “One can develop his ability only by keeping in contact with the world.” -Adolescence is the time when one should come into “contact with compounds made up of culture and society of the times.” - “The treatment, study and experiment of materials correspond to the styles of young people's attitudes.” Since 1963 Otto tried to integrate these views into his concept of art education. In that process, he identified the following as the fundamental points of view for integration : - “Struggles with the selected materials are a step of artistic activities for young generations.” - “One opens up the real world on the basis of his categorical views and experiences obtained by himself.” (W. Klafki) In the process of research for the realization of Kunstpädagogik, Otto tried to integrate these two fundamental points of view into one >kunstpädagogische Theorie< on the basis of the heritages of modern didactic theories which were available in the 1950s. One of these was the theory of >kategoriale Bildung< by Klafki, and another was the didactic theory of structural analysis by P. Heimann who asserted that “the process of teaching should be structured as a whole [in order to get a free analytical point of view for education (teaching act)].”
著者
鈴木 幹雄
出版者
教育哲学会
雑誌
教育哲学研究 (ISSN:03873153)
巻号頁・発行日
vol.1994, no.69, pp.85-98, 1994-05-10 (Released:2009-09-04)
参考文献数
40

By clarifying G. Otto (“Kunst als Prozeß im Unterricht”, 1969) as he deals with the problem of how to conceptualize structurally the problem of formative art and education, the task of art pedagogy is realistically approached, i. e. how the young through art education are lead into the world; thus the foundations of art pedagogy are established.At the time when they were established during the latter half of the 1960ies, Otto adopted the viewpoint of production/expression and the theory of the structure of art education (Gestaltungslehre) from the art pedagogue of the Weimar period (1932), A. Erhardt, and through Erhardt he learned about the practice and the theory of Bauhaus. The viewpoint and the theory consisted in 'material/raw material-experiment-montage as the grammar of production/expression.On the basis of this viewpoint and this logic, he developed the following theory of art pedagogy : The meaning of art education can be interpreted as the problem of experimental/inquisitive search in the process of discovery and production. Through this discovery and search the young discover their own expression and a widening of that expression.This paper examines the structure of art pedagogy (“Gestaltungslehre, ” 1932) as an enquiry into Otto's art pedagogy and its theoretical foundations. At the same time, through this enquiry the following process is clarified, i. e. the process is clarified how by overcoming the blind spot of the art education movement, the viewpoint and the logic of production/expression is prepared in various fields of formative art/design/architecture leading to a reform of the art academies and various arts in the 1920ies.
著者
安東 恭一郎 結城 孝雄 村上 尚徳 鈴木 幹雄 福本 謹一 山口 喜雄 天形 健
出版者
香川大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2013

2015年度は、美術デジタル教科書活用の実施に向けて、デジタル教材の開発とその活用の為の理論構築、実践に向けての環境整備を行った。まず、デジタル教材を活用した学習モデルの構築として、デジタル教材として利用できるコンテンツの選定をおこない、美術教育の「鑑賞」領域に焦点を当てたデジタル教材開発を行った。同時並行に、これを裏付ける理論構築と実践に関する共同研究として、間テクスト性概念に基づいた学習活動の筋道を明らかにした。これらの研究成果を3学会で6本の発表を行い、そのうち2学会に4本の論文投稿を行った。
著者
三浦 龍 井上 真杉 浜口 清 大和田 泰伯 滝沢 賢一 小野 文枝 鈴木 幹雄
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. USN, ユビキタス・センサネットワーク (ISSN:09135685)
巻号頁・発行日
vol.112, no.406, pp.51-56, 2013-01-17

災害に強い情報通信ネットワークの研究開発促進に寄与するため,分散メッシュ型アーキテクチャをベースとした自営系ワイヤレスネットワークテストベッドを東北大学キャンパス内に構築している.このネットワークは,各ノードが互いに同期して利用者情報や経路情報を保持するデータベース機能を備えた5.6GHz帯無線LANによるメッシュネットワーク,およびそれに付随した利用者端末収容のための2.4GHz帯無線LANアクセスポイントを中心に構成され,基幹網やインターネットへの接続を失われてもローカルに災害時用を中心とした通信サービスを維持する機能とそのアプリケーション群を有する.また,距離の離れたノード間や道路や回線の被災により孤立した地域との通信を確保するための地域WiMAX回線や車載ITS回線,さらに小型無人航空機や衛星回線による中継経路も提供する.利用者端末としては市販のICカード読み取り機能付き無線LAN対応タブレット端末の他,920MHz帯アクティブ無線タグを活用したGPS受信機内蔵小型端末,屋外に設置可能な小型サイネージ端末等を用意している.各ノードへ電力供給が可能なソーラー蓄電池も提供しており,停電時における運用性などの評価も可能である.
著者
井上 真杉 大和田 泰伯 浜口 清 滝沢 賢一 小野 文枝 鈴木 幹雄 三浦 龍
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. RCS, 無線通信システム (ISSN:09135685)
巻号頁・発行日
vol.113, no.37, pp.25-30, 2013-05-09

災害に強い情報通信ネットワークの研究開発促進に寄与するため,分散メッシュ型アーキテクチャをベースとした自営系ワイヤレスネットワークテストベッドを東北大学キャンパス内に構築した.このネットワークは,各ノードが互いに同期して利用者情報や経路情報を保持するデータベース機能を備えた5.6GHz帯無線LANによるメッシュネットワーク,およびそれに付随した利用者端末収容のための2.4GHz帯無線LANアクセスポイントを中心に構成され,基幹網やインターネットへの接続を失われてもローカルに災害時用を中心とした通信サービスを維持する機能とそのアプリケーション群を有する.また、距離の離れたノード間や道路や回線の被災により孤立した地域との通信を確保するための地域WiMAX回線や車載ITS回線,さらに小型無人航空機や衛星回線による中継経路も提供する.利用者端末としては市販のICカード読み取り機能付き無線LAN対応タブレット端末の他,920MHz帯アクティブ無線タグを活用したGPS受信機内蔵小型端末,屋外に設置可能な小型サイネージ端末等を用意している.各ノードへ電力供給が可能なソーラー蓄電池も提供しており,停電時における運用性などの評価も可能である.
著者
鈴木 幹雄 堀 典子 長谷川 哲哉
出版者
神戸大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

本科学研究費補助金研究では、事例カッセル・ドクメンタを手掛りに、芸術学校バウハウス第二世代が第二次世界大戦後ドイツにおける文化的・芸術的な文化創出システム《ドクメンタ》にどのような貢献を行ったかについて研究した。その為に、まず第一に、バウハウスを改革史的な文脈に生まれた学校と位置付け、戦後ドイツの教育界、芸術学校の世界の中でバウハウス第二世代がどのように活躍したかを明らかにした(対象:ハンブルク芸術大学、ベルリン芸術大学、デュッセルドルフ芸術大学)。当該研究の研究経過は次の通りであった。課題設定・分析・調査(平成14-15年度):(1)カッセル・ドクメンタの展開とA・ボーデの構想、(2)戦後ドイツにおけるバウハウス第二世代の教育思想と造形芸術観の形成過程・展開過程について(モティーフ:ハンブルク芸術大学長ハッセンプフルークの教育理念、同芸術大学「自由芸術」コース招待講師講義(1953-55年))、(3)デュッセルドルフ芸術大学の戦後改革とその学長代行E・マタレの芸術学校改革について、(4)ベルリン芸術大学の戦後改革について(モティーフ:同芸術大学教授G・フィーツの教育実践)。当該研究の成果(平成14-16年度):ドクメンタ参加芸術家と戦後の芸術運動団体Zen 49グループの活動を糸口に、ハンブルク芸術大学、カッセル芸術大学、デュッセルドルフ芸術大学、ベルリン芸術大学へ在職していた「バウハウス第二世代」教授達が、カッセル《ドクメンタ》の発展に重要な貢献を行ったことを解明した。
著者
辻 宏之 大堂 雅之 三浦 龍 丸山 正晃 鈴木 幹雄 笹本 尚史
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. A・P, アンテナ・伝播 (ISSN:09135685)
巻号頁・発行日
vol.102, no.671, pp.139-143, 2003-02-26
参考文献数
4

2002年6月から7月にかけて,米国ハワイ州カウアイ島で実施された高度20kmの成層圏に滞空する無人ソーラープレーンを用いた世界初のIMT-2000通信実験が行われた.この実験で約200km離れたオアフ島からの干渉波による通信品質の劣化が観測され通信障害が発生した.本報告では,この干渉波の解析とアレーアンテナを用いた干渉波軽減について報告する.
著者
辻 宏之 大堂 雅之 三浦 龍 丸山 正晃 鈴木 幹雄 笹本 尚史
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. MoMuC, モバイルマルチメディア通信 (ISSN:09135685)
巻号頁・発行日
vol.102, no.677, pp.139-143, 2003-02-26
参考文献数
4

2002年6月から7月にかけて,米国ハワイ州カウアイ島で実施された高度20kmの成層圏に滞空する無人ソーラープレーンを用いた世界初のIMT-2000通信実験が行われた.この実験で約200km離れたオアフ島からの干渉波による通信品質の劣化が観測され通信障害が発生した.本報告では,この干渉波の解析とアレーアンテナを用いた干渉波軽減について報告する.
著者
辻 宏之 大堂 雅之 三浦 龍 丸山 正晃 鈴木 幹雄 笹本 尚史
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. MW, マイクロ波 (ISSN:09135685)
巻号頁・発行日
vol.102, no.680, pp.139-143, 2003-02-26

2002年6月から7月にかけて,米国ハワイ州カウアイ島で実施された高度20kmの成層圏に滞空する無人ソーラープレーンを用いた世界初のIMT-2000通信実験が行われた.この実験で約200km離れたオアフ島からの干渉波による通信品質の劣化が観測され通信障害が発生した.本報告では,この干渉波の解析とアレーアンテナを用いた干渉波軽減について報告する.