- 著者
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玉城 福子
- 出版者
- 関西社会学会
- 雑誌
- フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
- 巻号頁・発行日
- vol.10, pp.122-134, 2011
沖縄戦は、沖縄の人々にとって重要な歴史であり、現在では様々なメディアを通じて彼女/彼ら自身によって語られている。本稿では、沖縄における沖縄戦の犠牲者の表象をめぐる政治の一側面を明らかにすることを目的とし、自治体史誌における「慰安婦」や「慰安所」の記述のされ方の特徴と変遷を分析した。その際、共感可能な犠牲者と不可能な者とが分けられていることに着目した米山リサの「共感共苦(コンパッション)の境界線」というパースペクティブを援用した(米山2006)。分析の結果、まず、1)「慰安婦」と「慰安所」の記述の出現頻度を概観すると、1970年代後半に初めて登場した後、1990年代後半に増加していた。次に、2)「慰安婦」同士の差異に注目すると、1990年代以降になって、強制連行された朝鮮人と娼婦である日本人として描き分けが成立していた。さらに、3)一般住民の戦争体験の描かれ方と比較すると、彼女らの体験の詳細はほとんど描かれていなかった。また、4)「慰安所」は、地域の風紀を乱す存在、個人の家屋接収の原因として捉えられていた。考察の結果、1990年代以降の社会的な認識の変化の中で、「慰安婦」は犠牲者として描く必要に迫られた一方、「共感共苦(コンパッション)の境界線」の狭間に置かれることで、むしろ日本軍による沖縄人の被害を強調するために利用されていたことが分かった。