- 著者
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山崎 法子
- 出版者
- 国立音楽大学
- 雑誌
- 音楽研究 : 大学院研究年報 (ISSN:02894807)
- 巻号頁・発行日
- vol.25, pp.45-60, 2013
本稿は、フーゴ・ヴォルフのHugo Wolf(1860〜1903)の《メーリケの詩による歌曲集》を研究対象とし、その演劇的表現の諸相について考察することを目的としている。 今回この歌曲集を選んだのは以下の理由にある。第1に《メーリケ歌曲集》がヴォルフのその後の歌曲創作の出発点となったこと、第2にその創作のなかに、以後の《アイヒェンドルフ歌曲集》、《ゲーテ歌曲集》などの手法を確立するヴォルフの最初の独創性が示されていることにある。 ヴォルフの独創性については、先行研究においても、大きく見て3つの観点から論じられてきた。第1に朗唱法の観点(エッガー)、次にピアノ・パートの構造の観点(エップシュタイン)、最後に形式の観点(ガイアー)からである。しかしこれらの研究は、それぞれの楽曲の構造上の特徴を導き出しているものの、ヴォルフの表現の本質を論じるには至っていない。筆者は歌手としての立場から、ヴォルフの歌曲の本質は演劇的な要素を伴った表現にあるのではないかと考えている。ヴォルフの音楽からは、今、そこで、そのことが生起しているようなリアリティーを感じるからである。本稿で述べる「演劇的」とは、「観客を前に、俳優が舞台で身ぶりやセリフで物語の人物などを形象化し、演じてみせるようなもの」である。ヴォルフ自身も、歌手が舞台で演技を行うような表現を、メーリケ歌曲において思い描いていたと推測される手紙を残していることから、それがいかなるものであるかを明らかにすることが、これらの歌曲の本質を探ることにつながる。このことを考察するためには、従来研究されてきた朗唱法、ピアノの描写的効果に加え、歌唱旋律のリズム、音楽の間や呼吸感などを加味する必要がある。本稿は、歌唱旋律に重点をおきながら、この特質を導き出し、ヴォルフがメーリケの詩から鋭敏に読み取って音楽で表現した演劇的並びに心理的な側面を明らかにした。 構成と内容は以下の通りである。第1項ではメーリケの詩の特質をならびにヴォルフの《メーリケ歌曲集》について述べた。第2項では、ガイアーの分類で「リートに近い形式」に属する〈捨てられた少女Das verlassene Magdlein〉と「拡大された形式」に属する〈エオリアンハープに寄せてAn eine Aeolsharfe〉をとりあげ、詩と楽曲の分析を、それぞれシューマンとブラ-ムスの歌曲と比較しながら行った。そして分析の結果、韻律の置き換えやダーシの音楽化など音楽の"間"を通して、「私」をめぐる感情や出来事が、瞬間、瞬間のものとして表現されていることが明らかにされ、手法に差異はあるものの、いずれの楽曲においても、メーリケの詩に即した生き生きとした表現がみられることが導きだされた。 ヴォルフは、音高や音の長さ、休符、強弱、リズムといった音楽要素を媒介して楽譜に記しているが、さらにメーリケの詩に即して、ダーシ、コンマ、余白、といった詩語以外のサインについても意味解釈を行って音楽化している。これらは語り手(あるいは登場人物)の心を写実的に表すことにつながるもので、その演奏は広い意味で「演劇的」と述べてよいと、筆者は考えている。ヴォルフの歌曲を演奏するということは、これを読み解き、演奏によってこれを再現することである。