- 著者
-
遠藤 織枝
- 出版者
- 社会言語科学会
- 雑誌
- 社会言語科学 (ISSN:13443909)
- 巻号頁・発行日
- vol.3, no.1, pp.51-64, 2000-12-31
1998年11月,江沢民中国主席が訪日した際,「おわび」「謝罪」のことばがとびかった.これをきっかけとして,日本の戦後処理に関する謝罪のことばが,過去においてどのようなものであり,現在どのように使われているかを確認したいと考えた.その方法と手順は以下のとおりである.1.発話行為としての「謝罪」のことばのあり方を考える.2.日本政府首脳と天皇の,主として中国・韓国首脳との会談の言辞を歴史的な流れの中でとらえる.3.それらが,中国・韓国側にどのように受け止められたかをみる.その結果,日本政府は,1990年以降は韓国に対しては,明確に「おわび」を繰り返しているが,中国に対しては細川首相が93年に訪中した際の1度だけ「おわび」のことばが述べられていることが明らかになった.また,日本政府の謝罪に関する発話行為が,70年代の「反省」「遺憾」という不完全なものから,90年代の「反省とおわび」という完全なものへと推移する経過を跡づけた.それは,「話し手の責任」の認識の変化と並行するもので,その変化は,今次の戦争について述べることばの変化に表されている.すなわち,「不幸な一時期」というあいまいな表現から「過去の戦争への反省」へ,さらに「侵略戦争」「植民地支配」へと具体化しており,この変化に合わせて相手側の受容-謝罪の遂行-の傾向が強まってくる動きをとらえることができた.