著者
生澤 繁樹
出版者
教育思想史学会
雑誌
近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.131-148, 2012

プラグマティストの社会理論の基本的アイデアを「社会的な自己」のなかに見出そうとする共同体論的解釈がある。いったい自己や人間の「自然・本性」は社会的なものか、それとも原子的なものなのか。この種の問いの立て方は、私たちの政治や教育における「共同性」の成り立ちを説明するさいの初発の設定として、とても馴染みの深い主題である。と同時に、すぐれて「近代的な」問い方でもある。本論文では、それを「契約」と「経験」という二つの考察枠組みから理解したい。これらはいずれも、人間の自然や本性についての問題構制と親密であったばかりでなく、政治思想史や教育思想史において私たちの「共同性」を創出する異なる仕掛けを長らく提示しつづけてきた。この対比を通してデューイの思想を考察すると、なぜそれが共同体論的に読みなおされるのか、その論拠と課題を見渡すことができるとともに、リベラリズムとコミュニタリアニズムという現代の政治思想史における論争が明示的には語らなかったものについて光を照らすことができる。

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CiNii 論文 -  「契約」と「経験」の思想史 : 近代の社会的想像と共同性の創出(報告論文,シンポジウム 共同性/協働性/協同性) https://t.co/XVhtBKy91Z #CiNii

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