著者
貝塚 茂樹
出版者
教育思想史学会
雑誌
近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.56-64, 2015-09-12 (Released:2017-08-10)

日本教育史においては、教育勅語が近代教育における道徳教育の理念の中核であり、「源流」であることが自明のこととされてきた。しかし、教育勅語の評価は、近代教育を通じて決して「安定」していたわけではなく、国民道徳論や「日本的教育論」などの影響の中で、確固たる有効性を持ち得ていたわけではなかった。この点の歴史的分析を欠いた戦後の教育史研究は、教育勅語の歴史的定位を明確にすることに成功しておらず、同時にそれが道徳教育研究を妨げる要因ともなってきた。道徳教育をめぐる議論を学問的な研究対象とするためには、教育勅語を歴史研究の中に実証的に位置付ける努力が求められる。それは、道徳の「教科化」の本質的な意義と可能性を理解するためにも不可欠である。
著者
下司 晶
出版者
教育思想史学会
雑誌
近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.181-197, 2003-09-27 (Released:2017-08-10)

PTSD論が喚起した外傷記憶の<現実性/幻想性>をめぐる問題は、1950年代の<誘惑理論の放棄>解釈図式の再燃といえる。クリスらの精神分析家たちは、『フリース宛書簡』から<誘惑理論の放棄>というフロイトの理論修正-<現実>から<幻想>への外傷報告の性質の移行-を発見し、それを精神分析の起源ととらえた。それに対し、マッソンらの心的外傷(PTSD)論者たちは、1980年代にこの図式を逆転させ、フロイトが外傷報告の<現実性>を棄却したことを、自らの批判的立脚点とした。これらの<誘惑理論の放棄>解釈は、ともに<現実/幻想>としての個体経験の重視という心理学的観点、自説の論拠としてのフロイトの生涯という枠組みを共有している。20世紀中葉、精神分析は、フロイトの多様なテクストを個体経験に収敏可能な範囲内に切りつめ、心理学理論として自らを整備し、その誕生を創始者の心理生活史に基礎づけることによって、自存的な言説として自律した。その契機こそ<誘惑理論の放棄>の発見だった。今日に至る、フロイトを心理学者たらしめるこの循環回路を超えて、彼を異化する必要があるのではないか。
著者
根村 直美
出版者
教育思想史学会
雑誌
近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
巻号頁・発行日
no.18, pp.73-81, 2009-09-12

現在、社会構築主義の立場から「抑圧」を問題化する諸理論は、非対称的で二項対立的なカテゴリーを設定することによるアポリアを避けて通ることできなくなっており、その乗り越えが大きな課題となっている。そうした状況の中、現実の教育実践を手がかりに、社会構築主義の立場から「抑圧」を問題化する障害者解放理論が直面するアポリアを乗り越えるための理論的地平を提示しようとしている森岡氏の試みの意義は大きい。そこで、本稿においては、森岡氏の提示する理論的地平、特に、その鍵概念「他者への欲望」を検討し、氏の理論的考察の今後の課題を明らかにすることを試みた。具体的には、「他者への欲望」を鍵概念とする理論的地平が果たして二項図式に直接的に切り込んでそれを「無効化」するような枠組みたりえるのか、また、現実の教育関係をモデルにしたその分析の視点が教育者の側に終始してしまっているのではないかという点について指摘した。
著者
森岡 次郎
出版者
教育思想史学会
雑誌
近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
巻号頁・発行日
no.18, pp.45-62, 2009-09-12

本稿では、「青い芝の会」と「障害学」という二つの思想運動について取り上げ、障害者解放のために用いられた理論の特徴を明らかにすることを目的とする。障害という問題を社会的に構築されたものとして捉えること。障害「当事者」の立場から、社会を構成する人々の心性や欲望のあり方に対して、批判と告発を行い続けること。障害者たちが積み重ねてきた議論によって開けた地平があり、残された課題がある。彼らが達成した成果と残された課題を引き受け、社会構築論的カテゴリー内部における無限の反省と相対化のプロセスを克服するための試みとして、「他者への欲望」という視座を提示してみたい。
著者
川津 貴司
出版者
教育思想史学会
雑誌
近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.191-204, 2008-09-12 (Released:2017-08-10)

「日本青年教師団」は、現職教員によって1939年8月に結成され、言論活動や講習会の開催などを通じて、「東亜協同体」建設という国家目標を実現するための教育革新運動を展開した。青年教師団は、1941年12月末に解散させられたが、その中核組織は、終戦後に最初の教員組合結成に加わっている。従来の教育史研究では、青年教師団の「時局便乗」的な性格が注目されてきた。それに対して本稿では、青年教師団運動の理論的指導者であった海後勝雄の存在に注目することで、戦時下の権力と同運動との関連を考察することを課題とした。精神主義や官僚主義への対抗的言説を展開していた海後は、国家的な政治革新にむけて教員を主体化する運動理論を展開し、青年教師団を革新派の国策ブレーンと結びつけることになった。それをうけた青年教師団は、結成当初の精神主義的な性格を脱して、教員の生活状況の改善を要求し、教員支配の階層的秩序を批判する運動を繰り広げた。
著者
山名 淳
出版者
教育思想史学会
雑誌
近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.115-129, 2012-10-13 (Released:2017-08-10)

本稿の目的は、「アジール」を鍵概念としつつ、19・20世紀転換期における時代の危機診断とともに生起した<学校=共同体>を事例として、近代における共同体の可能性と課題についてシステム理論を前提として検討することを試みる。ここで具体的に注目したいのは、「新教育」における<学校=共同体>、とりわけ「学校のゲマインシャフト化」を標榜した田園教育舎系の学校である。
著者
下司 晶
出版者
教育思想史学会
雑誌
近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.203-219, 2006-09-17 (Released:2017-08-10)

しばしば評価の分かれるJ・ボウルビィの説に、私たちはいかに接したらよいのだろうか。支持と批判の二者択一に代わる第三の選択として、本論では、彼の理論の成立過程と、その思想史的基盤の解明を試みる。その際に特に着目するのが、精神分析から自然科学(行動生物学)へと至る彼の理論枠組みの変遷である。各章では、それぞれ以下の内容を検討する。(一)精神分析家として訓練を受けたボウルビィが、病因として外的<現実>を重視するようになる過程。(二)母性剥奪論の登場と受容を準備した思想史的背景。(三)母性剥奪論から愛着理論への道程においてボウルビィが精神分析を離れ、自然科学(行動生物学)への依拠を強めていく様相。(四)ボウルビィ理論および彼が構想した「自然科学としての精神分析」というヴィジョンの妥当性と、フロイトからの距離。
著者
丸山 恭司
出版者
教育思想史学会
雑誌
近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.1-12, 2002-12-04 (Released:2017-08-10)
被引用文献数
1

ポストコロニアリズムの問題提起は、学習者をある権力構造へと組み入れようとする志向が教育的意図のうちに潜んでいることを教えてくれる。これを教育のコロニアリズムと呼ぼう。本論の課題は、ポストコロニアリズムの問題提起を整理し、教育のコロニアリズムを乗り越えるために、悲劇性と他者性という二つの特性から教育を読み解くことである。
著者
川津 貴司
出版者
教育思想史学会
雑誌
近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.191-204, 2008

「日本青年教師団」は、現職教員によって1939年8月に結成され、言論活動や講習会の開催などを通じて、「東亜協同体」建設という国家目標を実現するための教育革新運動を展開した。青年教師団は、1941年12月末に解散させられたが、その中核組織は、終戦後に最初の教員組合結成に加わっている。従来の教育史研究では、青年教師団の「時局便乗」的な性格が注目されてきた。それに対して本稿では、青年教師団運動の理論的指導者であった海後勝雄の存在に注目することで、戦時下の権力と同運動との関連を考察することを課題とした。精神主義や官僚主義への対抗的言説を展開していた海後は、国家的な政治革新にむけて教員を主体化する運動理論を展開し、青年教師団を革新派の国策ブレーンと結びつけることになった。それをうけた青年教師団は、結成当初の精神主義的な性格を脱して、教員の生活状況の改善を要求し、教員支配の階層的秩序を批判する運動を繰り広げた。
著者
貝塚 茂樹
出版者
教育思想史学会
雑誌
近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.56-64, 2015

日本教育史においては、教育勅語が近代教育における道徳教育の理念の中核であり、「源流」であることが自明のこととされてきた。しかし、教育勅語の評価は、近代教育を通じて決して「安定」していたわけではなく、国民道徳論や「日本的教育論」などの影響の中で、確固たる有効性を持ち得ていたわけではなかった。この点の歴史的分析を欠いた戦後の教育史研究は、教育勅語の歴史的定位を明確にすることに成功しておらず、同時にそれが道徳教育研究を妨げる要因ともなってきた。道徳教育をめぐる議論を学問的な研究対象とするためには、教育勅語を歴史研究の中に実証的に位置付ける努力が求められる。それは、道徳の「教科化」の本質的な意義と可能性を理解するためにも不可欠である。