著者
坪光 生雄
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.89, no.1, pp.53-77, 2015-06-30

チャールズ・テイラーの大著『世俗の時代』を読み解く際に無視することができないのは、その所論と著者自身の宗教的アイデンティティとの連関である。テイラーがカトリックのキリスト教徒であることはかねてより周知であるが、その信仰の立場を彼の思想全体との関連においてどのようなものと理解するのが適切であるかについては、なお議論を争う余地がある。読者は、多声からなる『世俗の時代』の議論のうち、どの記述にテイラー自身の声を読み取ればよいのだろうか。ここで本稿が試みるのは、テイラー思想の宗教性を、その目指すところの解明によって特徴づけることである。テイラーは今日という世俗的な時代につきまとう二つの困難なジレンマを精査する中で、その解決への希望をある有神論的見解への「回心」のうちに見出している。超越と内在との相剋を和解させ、暴力による「切断」の連鎖を赦しによって終わらせるのは、肉となった神への信仰なのであった。

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