- 著者
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植田 康成
- 出版者
- 広島大学大学院文学研究科
- 雑誌
- 広島大学大学院文学研究科論集 (ISSN:13477013)
- 巻号頁・発行日
- vol.68, pp.37-55, 2008-12
筆者は「オーストリア哲学のための研究所と資料センター」(オーストリア・グラーツ市)に保管されているカール・ビューラー遺稿整理を、日本学術振興会(2001年)、オーストリア研究学術省(2002年)、ドイツ連邦共和国フンボルト財団(2003年)の支援を得て、各年それぞれ2ヶ月間3年にわたって行った。その内容と部分的成果について述べたものである。遺稿整理の内容とその成果に基づいて、カール・ビューラーが、言語理論に関してアメリカ亡命(1938)以後、どのような思考を展開したかを彼の遺稿によって追認することが研究上の目的の一つであった。最終的には、現時点においても有意味と判断される内容の原稿をまとめて、遺稿集を出版することが目標である。言語理論に関して言うならば、まず『言語理論』(1934)における公理(C)の具体的な展開として言語芸術作品、言語の詩的機能について考察を展開している。次に、イメージ破壊を唱えるオルテガに対する批判を展開する中で、メタファーの認識的機能について、現在の認知意味論につながる考察を展開している。第3番目の主題として、当時めざましい展開を遂げていた一般意味論の潮流を見据え、ビューラーは『言語理論』(1934)を起点に、実用意味論の名のもと、医学、気象、法廷という3つの分野を取りあげ、意味論が日常生活においてどのように有用であるかを論じている。ビューラーは1950年代に生物学、とりわけ生物の体内時計、方向定位に関する論文を発表しているが、言語理論を中心とする言語一般に関するビューラーの学問的関心も決して衰えることはなかった、というのが、彼の遺稿を文献学的に整理して得た結論である。ビューラーの全業績に関する俯瞰と考察を含め、現時点においても有意味と判断される遺稿部分を含む報告の出版は、将来の課題として残されている。