- 著者
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土屋 明広
TSUCHIYA Akihiro
- 出版者
- 岩手大学教育学部
- 雑誌
- 岩手大学教育学部研究年報 (ISSN:03677370)
- 巻号頁・発行日
- vol.68, pp.9-28, 2008
問題の所在─「多文化共生」における「在日朝鮮人」 日本社会で「多文化共生」という言葉が聞かれるようになって久しい。その言葉の増加は、近年のグローバル化と労働市場の再編によって「ニュー・カマー」と呼ばれる外国人労働者が日本国内に多数呼び込まれ1)、各地にマイノリティ・グループが出現、定住するようになったことと強く相関していると考えられる。こうした新たなマイノリティ・グループの登場に促されるように国・地方自治体やNPO などは日本語教室や相談窓口の開設といった様々な社会的受入れ体制の整備に取り組み始めている2)。 しかし、他方で「共生」概念には疑問も向けられるようになってきた。その疑問とは、この概念が定住外国籍者をとり巻く劣悪な労働・居住環境、民族的な差別を不可視化させるものとして機能しているのではないか、「共生」概念には「国籍」「国民」「民族」などの指標によって当人を固定するカテゴリー化権力が潜み込んでおり、そのため、定住外国籍者は日本国籍者と彼岸と此岸の布置関係上に位置づけられ、日本社会に多年に亘って居住したとしても社会の構成員とはみなされないことになっているのではないか、さらには、日本社会は定住外国籍者に対して「ゲスト」としての不平等な取扱いに甘んじるか、それとも、「帰化」=「日本人に同化」3)するかという二者択一を迫っているのではないか、といったものである。 翻って考えてみるに、日本社会には戦後一貫して多くの定住外国籍者が存在してきた。そのなかで、近年まで最も大きかったエスニック・グループが「在日朝鮮人」である4)。本稿では「在日朝鮮人(以下、在日)」5)を、植民地政策に起因して日本に定住することとなった、朝鮮半島をルーツとする朝鮮籍者、韓国籍者、そして日本国籍者を含む広義の概念として使用するが6)、彼/ 女らの生活は世代を経るに従って帰国を前提としていた生活スタイル(「祖国志向」)から、日本社会に定住することを前提とした生活スタイル(「在日志向」)に移り変わってきたと言われている7)。それは定住を余儀なくされているという側面があることを前提としつつも、各種の運動を経て社会保障の適用や公立学校への就学、特別永住制度の設立などによって法的不平等が限定的ではあるが解消されてきたこと、それと同時に彼/ 女らの生活基盤が日本社会のなかに確立してきたこと、さらに祖地との距離感が生じたことなどの複合的な結果であると考えられる。このことから、現在の在日は「一時的に日本に滞在する朝鮮人」ではなく、日本社会を構成する一員であるとも位置づけられている8)。 しかし、以上のような定住化の一方で、日本人は在日を意識的、あるいは無意識的に彼岸に位置づけることで、両者の不連続性を維持させてきたように思われるのである。例を挙げれば、宋連玉は「見知らぬ日本人」から「反日分子」との言葉を投げつけられたことがあると述懐して、次のように述べている。「私たちが批判するのは、マイノリティにマジョリティに対する異見を発言させない社会の構造そのものである。というのも、民族差別の経験を通じて作り出された私たちのトラウマは、日本人との連帯を通じて差別の構造そのものを変えない限り、けっして癒えないということを、私たち自身が誰よりもよく知っているからである。つまり、脱植民地主義化を実現するしかないことを、身をもって知っているからである。」9) 宋連玉は、一方で日本がいまだマジョリティ主導の「植民地主義」社会であることを指弾しながらも、他方で、その社会差別構造の変革は在日と日本人との「連帯」なしにはあり得ないと指摘している。つまりこれまで、在日が様々な差別撤廃運動を行なってきたにもかかわらず、マイノリティとマジョリティとの断絶状態が継続される限り、社会構造の変革は生じ得ないと考えられているのである。それでは、このような言葉を投掛けられたマジョリティである我々日本人はいかなる応答をすることが可能なのであろうか。 本稿は、以上のような問題意識を背景として朝鮮人学校を手掛かりに、在日のエスニック・アイデンティティ志向と、その現状について、ある朝鮮人学校教師の「語り」を経由しながら検討し、日本社会におけるエスニック・アイデンティティ構築の自由度を高めるような法制度について構想するための足掛りを築くことを目的とするものである。以下、まずエスニック・アイデンティティの社会的構築性について法と関連づけながら試論的に述べる(Ⅰ)。次に朝鮮人学校に関する歴史と法的位置づけを確認する(Ⅱ)。そして、聞取データに基づいて朝鮮人学校が直面している課題について法の二律背反的な作用に着目して論じ(Ⅲ)、最後に検討を行う(Ⅳ)。