著者
土屋 直人 TSUCHIYA Naoto
出版者
岩手大学教育学部
雑誌
岩手大学教育学部研究年報 (ISSN:03677370)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.23-44, 2010-02-26

われわれは「憲法を教える(はずの)社会科教育」の在るべき姿について、どのように考えていけばよいのであろうか。果たしてわれわれは、<憲法と教育とのつながり>をどのようにとらえ、憲法学習、憲法教育というものを、学校教育・生涯教育の中で、主権者教育の視点からどのように実現し、実践してゆけばよいのであろうか。去る2006年12月、時の国会が(そして、われわれが)、「改正」と称して、1947年教育基本法から、憲法の「理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」という重大な文言を削除し、消し去ってしまったことの歴史的・実質的意味は大きい。21世紀に入って、2005年10月に自由民主党が「新憲法草案」を提起し、正面から憲法「改正」が論じられるようになり、2007年5月には国民投票法が成立し、明文改憲の動きが進行しようとしている状況がある。そして2006年12月、教育基本法が「改正」されることによりその憲法との関係が弱められた。無論1950年代以降、時々の政府・与党によって憲法「改正」が繰り返し企図され続けてきたことは周知の通りであり、改憲論の潮流は冷戦崩壊後のここ数年に始まったというものではない。ただ、もし万が一でも、現憲法が変わった(変えられた)その時、われわれの憲法教育、憲法に基づく教育の方向は、一体どうあればよいのか。こうした現況、大きな岐路に臨む現在ほど、憲法学習、憲法教育の重要性と必要性が高まっている時はない、といえる。今、この国の教師と子どもたち、市民が一層じっくりと憲法の歴史的意義と価値を生活の中で学び、立憲主義の精神を以て生活を高め、実践しようとする広義の憲法教育の意義が再々度確認される必要があるのではないか(1)。今から約50年前の1957(昭和32)年頃、岩手の胆沢地域において、独立した一つの教科「憲法科」の創設(特設)を提唱し、議論していた教師たちがいた。「イサワ教育こんわ会」(胆沢教育懇話会)の教師たちである。教育科学研究会機関誌『教育』の復刻版冊子に所収の、教育科学研究会『教科研ニュース』第19号(1957年10月10日発行)の中に、「サークル機関紙(ママ)から」欄(謄写刷)がある。そこには「イサワ(ママ)教育こんわ(ママ)会」の「なぜ 憲法科の特設を 主張するのか―いまの日本で ぜひ まなばなければならない 憲法―」というタイトルの稿が収められている(2)。この記事「なぜ憲法科の特設を主張するのか」の記載は、当時の「イサワ教育こんわ会」の機関誌『なかま』からの抜粋(転載)であろうと思われる(3)。なお、おそらく、この稿をその中心となって考え、文を執筆したうちの一人は、その文体や内容からして、ナガイショーゾー(永井庄蔵、1911 ~ 1998)であったと推測される(4)。ナガイはその後、全国刊行されていた教育雑誌『教師の友』1960年5月号に、「永井庄蔵」の名で論稿「憲法科を創設することの提案」を書いていた(5)。ここでは前者、「イサワ教育こんわ会」の「なぜ憲法科の特設を主張するのか」の文章を参照し、永井らが、今から約50年前(1957年、あるいはそれ以前)の当時の時点で、何故「憲法科」の特設を主張したのか、そして彼らは何を主張しようとしていたのか、その教育実践運動の歩みの一端とあわせて、彼らの「憲法科」特設論の内実を読み直し、吟味し、その問題提起の歴史的・今日的意義を問い直してみたい。(以下、引用文中の下線及び傍点、記号は原文のママ。)

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こんな論文どうですか? 「イサワ教育こんわ会」の憲法科特設論について(土屋 直人),2010 http://id.CiNii.jp/IfupM
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