著者
田中 良
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.24, pp.37-47, 1996-03

ベッケットが『ゴドーを待ちながら』で表現した通り、待つことは、十九世紀のジュリアン・ソレルやラスティニャックが抱いた野心とは全く別の、二十世紀の文学的テーマである。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』では、この待つことがとりわけ重要なエピソードにおいて活用されている・本稿のテーマは、この小説に表れる様々な待つという行為あるいは状態を具体的に検証し、その機能と作者の意図を考察することにある。 第一に、待つことはプルースト的想像力にとっての磁場であった。確かに主人公は、ルーサンヴィルではその土地の女性の出現を求めて森をさまよい、ブーローニュの森ではスワン夫人を、パリの通りではゲルマント公爵夫人を待ち伏せながらも、そのどれにも成功していない。しかし彼にとって重要なことは、その待ち伏せによる実際的な接触より以上に、彼女達を待っている間での欲望と想像力の高揚であった。たとえステルマリア夫人との夕食の約束が直前にキャンセルされたとしても、彼はその時が来るのを待つ間に、約束していたブーローニュの森のレストランで彼女との官能的な夜を十分満喫していた。 第二に、待っことは変容の場であった。実際、主人公が何かを待っているとき、待たれているものは現れず・全く別の事態が生じている。シャンゼリゼ公園でのジルベルトとの再会、バルベックの海辺での少女達との出会い、シャルリュスの「変身」、サン・ルーの残酷さ、祖母の病気、二度のレミニサンス、などに関わる重要な場面は全て、主人公が何か別のものを待っているときに展開している。これはプルーストの語りの技法の問題であると同時に、偶然性を重んじるプルーストの思想の問題でもある。 要するに待っことは、方法論の上でも内容の上でも、『失われた時を求めて』にとって不可欠な要素であったといえる。

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