著者
上村 直己 カミムラ ナオキ Kamimura Naoki
出版者
日本独学史学会
雑誌
日独文化交流史研究
巻号頁・発行日
pp.15-41, 2005-12

日本では独語教師は亡くなると、たとえ生前の功績が大きくても、そのまま忘れられるのが普通である。そして外国人教師の場合はよりその傾向が一層強い。しかし、ドイツ語教育に占める外国人教師の役割は明治・大正期においては現在より大きかったことを考えれば、彼らの生涯と業績はもっとしられよいはずである。今回取り上げるエルンスト・エミール・ユンケル(Ernst Emil Junker,1864-1927)はそうした外国人教師の中でも独語教育の面で特に功績の大きかった一人である。彼は一八八五年(明治十八)に来日以来一九二七年(昭和二)に東京で亡くなるまで約四十年間日本に滞在し、その間第四高等学校、第一高等学校、独逸学協会学校等でドイツ語教師として熱心にその職に当たった人であり、また当時の有力な独語雑誌、即ち東京外語系並びに独協系の『独逸語学雑誌』や東大独文系の『独逸語』などに度々寄稿するなど広く日本の独語教育学界のために献身的に尽力した人であった。さらにドイツ東アジア協会(通商OAG)の維持発展のために尽くした功績も大きい。だがこれまでユンケルについて断片的に語られるだけで纏まった研究は全くされていない。以下、新資料も取り入れながらユンケルの生涯と独語教師としての活動を中心に述べることにしたい。

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こんな論文どうですか? 一高及び四高教師エミール・ユンケル(上村 直己ほか),2005 http://t.co/g4x8j6BY29 日本では独語教師は亡くなると、たとえ生前の功績が大きく…

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