著者
上村 直己 上村 直己
出版者
熊本学園大学
雑誌
熊本学園大学論集「総合科学」 (ISSN:13410210)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.87-114, 2008-04
被引用文献数
1

今回訳出したのは、地質学者・地理学者フェルディナンド・フライヘル・フォン・リヒトホーフェン(Ferdinand Freiherr von Richthofen, 1833-1905)が幕末にオイレンブルク伯爵を団長としたプロイセン使節団の学術員(地質学)として来日した際の日本滞在日記の一部である。
著者
上村 直己 Kamimura Naoki カミムラ ナオキ
出版者
熊本大学
雑誌
ラフカディオ・ハーンとその時代
巻号頁・発行日
pp.65-99, 2006-03-10

本稿は、五高の初期、つまり第五高等中学校と称していた時期のドイツ語教育の実態を明らかにしようと試みたものだが、併せてその前に、まだ十分に明らかにされていない明治前期の熊本におけるドイツ語やドイツ語教育をめぐる状況についても整理して記述しておきたい。
著者
上村 直己 上村 直己
出版者
熊本学園大学
雑誌
熊本学園大学論集「総合科学」 (ISSN:13410210)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.121-149, 2007-04

今回訳出したのは、2回目に来日した際の日記のうち九州旅行に関する部分である。この時リヒトホーフェンは研究旅行家として1870年9月9日(旧暦明治3年8月14日)に横浜を出発し、それより西に向い富士山に登り、それから一旦江戸に戻りしばらくそこに滞在した。次いで、東山道、琵琶湖周辺を調査し、さらに進んで中国地方を経て九州へ渉った。特に九州旅行記は苦心の末に成ったと推測され、街道、住民、諸侯及び産業等詳細に記述されている。
著者
上村直己著
出版者
多賀出版
巻号頁・発行日
2001
著者
上村 直己
出版者
九州大学
巻号頁・発行日
2004

博士論文
著者
上村 直己 カミムラ ナオキ Kamimura Naoki
出版者
日本独学史学会
雑誌
日独文化交流史研究
巻号頁・発行日
pp.15-41, 2005-12

日本では独語教師は亡くなると、たとえ生前の功績が大きくても、そのまま忘れられるのが普通である。そして外国人教師の場合はよりその傾向が一層強い。しかし、ドイツ語教育に占める外国人教師の役割は明治・大正期においては現在より大きかったことを考えれば、彼らの生涯と業績はもっとしられよいはずである。今回取り上げるエルンスト・エミール・ユンケル(Ernst Emil Junker,1864-1927)はそうした外国人教師の中でも独語教育の面で特に功績の大きかった一人である。彼は一八八五年(明治十八)に来日以来一九二七年(昭和二)に東京で亡くなるまで約四十年間日本に滞在し、その間第四高等学校、第一高等学校、独逸学協会学校等でドイツ語教師として熱心にその職に当たった人であり、また当時の有力な独語雑誌、即ち東京外語系並びに独協系の『独逸語学雑誌』や東大独文系の『独逸語』などに度々寄稿するなど広く日本の独語教育学界のために献身的に尽力した人であった。さらにドイツ東アジア協会(通商OAG)の維持発展のために尽くした功績も大きい。だがこれまでユンケルについて断片的に語られるだけで纏まった研究は全くされていない。以下、新資料も取り入れながらユンケルの生涯と独語教師としての活動を中心に述べることにしたい。