- 著者
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金 銀実
- 出版者
- 埼玉大学大学院文化科学研究科
- 雑誌
- 日本アジア研究 : 埼玉大学大学院文化科学研究科博士後期課程紀要 (ISSN:13490028)
- 巻号頁・発行日
- vol.10, pp.157-172, 2013
1949 年の中国共産党による「民族識別工作」によって,中国の一少数民族として認定された朝鮮族は,政治的・イデオロギー的問題から43 年もの長きにわたって韓国と往来がなかった。そのかん韓国は1986 年ソウル・アジア競技大会と1988 年ソウル・オリンピック大会を機に高い経済成長を成し遂げた。両大会には当時国交のなかった中国選手が参加したことで両国関係が強化され,中国でも大会の様子がテレビ放映されるようになった。そのテレビ映像は中国朝鮮族に経済成長を成し遂げた豊かな国・韓国の存在をはじめて認識させると同時に,韓国に対するあこがれの気持も植え付けた。そのような背景のもとで1992 年に中韓国交が樹立されると,多くの朝鮮族が「コリアン・ドリーム」の夢を抱いて韓国へ流れ込んだ。中国が現在,世界第2 の経済大国に成長しても,農村と都市の格差が依然として大きい以上,その移動は今後も続くだろう。 私が聞き取りをおこなった朝鮮族夫婦,崔景晃と李玉蓮(いずれも仮名)は,ふたりとも北朝鮮にルーツをもち,祖父の代に中国の東北部へ渡って来た。ふたりは中国で朝鮮族として生まれ育ち,中国の歴史的な出来事を次々と経験する。17 歳のときに文化大革命を経験した崔景晃は,勉学の機会を失い,多くの衝撃的な出来事を目の当たりにしているうちに「これはどうも間違った革命かもしれない」と思いながらも,かかわらないという手段で自分を守る。文革が終わってからは両親を手伝って農作業をする。李玉蓮と結婚してからもずっと農業を営んだが,村に発電所が建設され操業を開始したのをきっかけに,その従業員たちを相手に豆腐商売を始め,金銭的にゆとりをもつようになった。しかし,2001 年の発電所の操業停止により,収入源を失うことになり,韓国への出稼ぎを決め,2003 年に研修ビザで韓国へ入国する。韓国で仕事中に怪我をするなどアクシデントはあったものの,夫妻は6 年間出稼ぎ生活を続け,延辺の都市部で家が買えるぐらいのお金を手にして,2009年に中国に戻った。延辺で家を購入して悠々自適の生活ができるはずだったが,「延辺より北京で家を買ったほうが将来的には儲かる」という娘の助言を受け入れて,北京で高額なマンションを購入した結果,今日の中国社会で広がっている「房奴」(住宅ローン地獄)に陥ってしまったのが,夫妻とその娘の現状である。――夫妻は中国社会の急激な変化に必死に適応しようとしてきたものの,結果的には,その変化に振り回されてしまったのだ。 朝鮮族の人びとの移動にかける思い,急激に変わる社会環境,それを生き抜く朝鮮族の人たちの逞しさと弱さが織り交ざったライフストーリーは,今を生きる朝鮮族の姿をリアルに描いているのではないかと思われる。