- 著者
-
三枝 まり
- 出版者
- 国際基督教大学キリスト教と文化研究所
- 雑誌
- 人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
- 巻号頁・発行日
- no.44, pp.57-84, 2013-03-31
本稿は、今年(2013 年)、生誕110 年を迎える諸井三郎の作曲活動の土台となったスルヤの時代に光を当て、初期創作の課題と、創作思想を取り上げて、ヨーロッパの古典的な形式受容を第一の課題としたとされる諸井の創作の根源を明らかにするものである。 諸井は戦前から創作を手掛け、当時から脚光を浴びていたものの、戦前の日本の作曲家の中で彼がどのような存在であったのかは十分に考察されていない。しかし、諸井の門下からは、尾崎宗吉、戸田邦雄、入野義郎、柴田南雄、団伊玖麿、神良聰夫ら日本に12 音技法を導入した作曲家たちが輩出され、今日の音楽文化の背景には、諸井の創作活動・教育活動に連なる系譜が続いている。諸井は近代日本音楽史を考える上で欠かすことのできない存在であると言える。そこで、本稿では、比較的作品の所在が数多く確認できるとくに歌曲に焦点を絞り、彼がこの時期に試みた作曲様式について考察し、彼の創作の原点を探った。 諸井三郎は、日本におけるドイツ音楽の領袖として知られるが、スルヤ時代は彼にとって試行錯誤の時代であり、近代フランス音楽やグリーグ、スクリャービンらの音楽も受容している。彼はスルヤ時代に頌歌「クリシュナムルティ」(1928)など宗教的な題材による作品を含めて、17 曲もの声楽曲を残している。これらの作品において諸井は、日本語の詩の音の数にあわせたリズムを導入したほか、形式に捉われない象徴主義的な作品や、半音階的書法や朗誦風のレチタティーヴォ、機能性を曖昧にした和音使用した作品などを残し、渡独前のスルヤ時代に様々な実験的な試みを行ったことが明らかになった。