著者
川島 重成
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.45, pp.1-25, 2014-03-31

ソポクレスの悲劇『オイディプス王』(前429 年頃)と『コロノスのオイディプス』(前406 年、ただし前401 年上演)において、オイディプスは<時>をどのように生きたか。 『オイディプス王』1213-1215 行を、筆者はKamerbeek の注解に示唆されて、岡道男訳を修正して、次のように訳する。 望まぬあなたを見出した、すべてを見ている<時>が、 生む者と生まれる者が等しい 結婚ならぬ結婚を(<時>は)かねてより裁いてきたのだ。これはオイディプスが自らの真実を知って走り去った直後、コロスがうたう歌の一節である。オイディプスがこのドラマ以前(の<時>)に犯し、知らずしてその中に生きてきた穢れを、<時>がここで暴露した。一方<時>はオイディプスを、「かねてより」、つまり彼が「結婚ならぬ結婚」という無秩序に陥って以来、「裁いてきた」と解せる。ただオイディプスはそのことに気付いていなかった。それをこのドラマの中で気付かされたのである。この「発見」を、いわば<時>の行為として言い換えたのが、「[……]あなたを見出した、すべてを見ている<時>が」である。詩人はオイディプスの自己発見がそのまま<時>による発見でもあると見ている。ここに人間ドラマが同時に神的ドラマであるギリシア悲劇の真骨頂がある。 『コロノスのオイディプス』の冒頭、娘アンティゴネに手を引かれて登場する盲目の老オイディプスは、次のように言う。「わたしには、ひとつには度重なる苦労が、また長い伴侶の歳月が、それにさらに加えて/持って生れた貴い天性が、辛抱ということを教えてくれる」(引地正俊訳)。かつて<時>がオイディプスの真実を「見出した」。そのとき以来の彼の歩みは、その<時>=運命を伴侶とする新しい生であった。上の引用で「辛抱」と訳されているギリシア語(ステルゲイン)は「運命の甘受」を含意する。この老オイディプスは、その流浪の果てに、ついに彼の生涯の終りを託することのできる高貴な人物、アテナイ王テセウスに出会い、<時>と歩みをともにしてきた者の権威によって、「万物を征服する<時>」の法則を語り聞かせる(607-620)。そして彼の最期を知らせる雷鳴が轟くなか、人間の、とりわけ政治的世界の常である「ヒュブリス」(高慢)に陥らないようにとの誡めを語る。 このソポクレスの遺作悲劇が創作されていたとき、アテナイはペロポネソス戦争の末期、スパルタの軍門に下る敗戦前夜にあった。ソポクレスがオイディプスとテセウスの美しい信頼関係によって象徴させたアテナイのあるべき姿とは、戦争の帰趨や政治的権力や富の離合集散とは別の世界で成立する、まさに「歳月によって害なわれることなく秘蔵されるべきもの」(1519)、すなわち人類の人文的理想としてのアテナイであった、と解せよう。 人文学の本来の道とは、いわばこのオイディプスの生涯が象徴するものを、私たちの経験として反復することによって獲ちとり、維持されていくべきものであろう。 オイディプスの生涯が象徴する古典ギリシア文化がその指導的役割を終えた紀元後一世紀、同じ地中海世界の片隅に、ヨーロッパ文化のもう一つの源泉となる精神が立ち現れた。本講演では新約聖書からただ一箇所ロマ書8 章18-25 節を取りあげる。そこで語られるパウロの神――万物を虚無に服せしめる神(20節)――は、人間、そして全被造物の視点から見る限り、オイディプスを理不尽にも外から操ったあの<時>=運命と代らないように見える。オイディプスはその<時>とともに歩むことによって、ある意味で彼の運命を克服した。しかしこれは限りなく厳しい道ではなかろうか。一方ロマ書8 章は、万物を虚無に服せしめた創造の神は、同時に万物の救いの希望であると語る(23-25 節)。思うに私たちが今日人文学の未来への希望を語りうるとすれば、パウロの「望みえないのに、なお望む」という、この希望の上に、あのギリシアの理想を生かす道しかないのではなかろうか。これはまた本研究所ICCの創設の理想とも密接に関わっている。
著者
森本 あんり
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.42, pp.165-186, 2011-03-31

ニューイングランド社会は、本国で既存の体制に対する異議申立者だった人々がみずから体制の建設者となったという点で、またその建設の課題が政治体制と宗教体制との両方であったという点で、特筆すべき歴史的実験であった。その建設の途上では、バプテストやクエーカーに対する不寛容な一面が見られた。彼らの不寛容を現代の倫理感覚で批判することはたやすいが、本稿ではその不寛容に内在する論理を尋ね、これを本来の文脈の中で理解することを試みた。 アメリカにわたったピューリタンは、教会の設立ばかりでなく市民社会の設立に際しても、参加者全員による契約を求めた。コトンやウィリアムズは、世俗的であれ宗教的であれ権力はすべて民衆に由来すると論じており、ウィンスロップや植民地政府の特許状は、この原則に基づいて建設される社会が「閉じた集団」であることを明記している。地縁血縁を脱して自発的意志による社会を構成するというヴォランタリー・アソシエーションの原理は、ひとまずは閉鎖的な私的共同体を結果する。 さらにここには、中世的な寛容理解が前提されている。中世後期の教会法によれば、寛容とは相手を否定的に評価した上で「是認はしないが容認する」という態度を取ることであった。寛容は善でも徳でもなく、その対象は「より小さな悪」に他ならない。中世社会でこの意味における寛容の典型的な対象となったのは、売春とユダヤ教であった。 ニューイングランドでもこの理解が踏襲されている。教会と社会を自己の理念に則って新たに建設するという課題を前にした彼らは、異なる思想をもつ人々を受け入れる必要がなかったので、比較考量の上で当然のごとく不寛容になった。必要に迫られていないのに寛容になることは、真理への無関心であり誤謬の奨励である、と考えられていたからである。かくして中世社会とニューイングランド社会は、同じ中世的な寛容理解の評価軸に沿って、一方は寛容に、他方は不寛容になった。 だが、やがて変化が訪れる。1681 年にインクリース・マザーは、寛容が「必要な義務」ではあるが、「大きな船をバラストするのに必要なものは小さな船を沈没させてしまう」と記している。この発言には、なお消極的な態度ながら、実利を越えた原理的な善としての寛容理解が芽生えている。かかる変化の背景には、王政復古後の本国からの圧力という外在的な原因と、彼ら自身の世代交代という内在的な原因があった。かくして、「ゼクテ」として出発したニューイングランド社会は、ひとたび断念した普遍性を再び志向するようになり、人々の公的な社会参加を求める「共和国」となっていった。やがてアメリカは、寛容でなく万人に平等な権利としての「信教の自由」を新国家建設の基盤に据えて出発することになる。
著者
森本 あんり
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.39, pp.1-27, 2008-03-31

「人間に固有なもの (proprium) とは何か」をめぐる連続公開講演の第一回として、人間のもつゆるしの能力について論じた。「過つは人の常」という格言は、ストア派や論語に見られる古典的な人間理解であるが、18世紀のアレグザンダー・ポープはこれに「ゆるすは神の常」という対句をつけた。この定式では、ゆるしは神の側に配置され、人間がゆるしの主体となることが不明瞭になっている。キリスト教神学の伝統でも、ゆるしはしばしば神の業として論じられ、人間が人間にゆるしを求めて与える水平次元の欠落が批判されてきた。しかし、イエスは新約聖書においてゆるしを人間の能力として語っており、中世の神秘主義思想、ニーチェのルサンチマン論、現代のデリダらは、ゆるしの原理的な不可能性を語っている。これらの議論をふまえた上で、本稿はトマス・アクィナスの「等価的代償」(aequivalens satisfactio) と「充足的代償」(sufficienssatisfactio) との区別を援用し、ゆるしが正義や償いを前提としつつも最終的にはそれらに依存しないことを論じた。ゆるしは、「分析判断」ではなく、算術的な正義を越えた「総合判断」である。本連続講演の主題に照らして言えば、ゆるしは、被害者のみが与えることのできる「上積みされた贈与」(for-give) であり、代価なしに (gratis) 与えられる恩恵であり、ゆるさないことが当然かつ正当である状況のなかで、その状況に抗して行使される人間の自由の表現である。つまり、ゆるしは、人間の人間的であることがもっとも明瞭に輝く瞬間である。このことの具体例として、本稿はふたつの事例を挙げた。ひとつは、米国議会の謝罪要求決議により再浮上した日本軍の従軍慰安婦問題における発言であり、いまひとつは、1981年に米国で起きたKKKの黒人惨殺事件の民事裁判判決における出来事である。いずれの事例でも、正義の完全な復元が不可能なところで、トマスの言う「充足的代償」が浮き彫りにされている。なお、ゆるしの実現には、加害者と被害者の間で「謝罪」と「ゆるし」の交換がなされなければならないが、これは内心において先に成立したゆるしの現実に、公の外的な表現を与えるための儀式である。それはちょうど、戦争の終結によってもたらされた事実上 de facto の平和状態に、平和条約の締結が法律上の de iure 正当性を付与してこれを追認するのに等しい。だからゆるしは過去形ないし完了形で語られるのである。ゆるしは、この意味で再解釈すると、「あらかじめ与えること」(fore-give) である。「過去を変える力」として、人間にこのようなゆるしの可能性がなお残されているという事実に、「神の像」たる人間に固有の本来的な自由と尊厳 (proprium) がある。
著者
畑中 千晶
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = HUMANITIES (Christianity and Culture) (ISSN:24346861)
巻号頁・発行日
no.52, pp.(213)-(235), 2020-12-15

After the impressive appearance of the comic version of The Great Mirror of Male Love (published by Kadokawa in 2016), this remarkable work of Ihara Saikaku, which has fallen into oblivion for a long time, started attracting the attention of readers who have been indifferent to classical literature. Moreover, the comic adaptation of Saikaku's novel has opened the way for other adaptations, such as new translations into modern language, TV programs, and even a dramatization. The aim of this paper, which has been inspired by the drama adaptation, is to suggest new sources of the chapter "3:2 Tortured to Death with Snow on His Sleeve" of The Great Mirror of Male Love. The paper questions the traditional interpretations, which relate this chapter to the Noh drama Tenko, by pointing at the feeble argumentation. Then it proceeds with the exploration of its possible connection with the Noh drama Matsumushi by referring to some symbolic expressions, which can be considered as allusions to the famous poem of the Chinese poet Po Chü-I (Bai Juyi): "in times of snow, the shining moon, and cherry blossoms, I think of you, my dear friend!"The shocking words in the title "Tortured to Death", can be consider as an imitation of the famous Noh play and farce. This allows us to suppose that the death of Haemon, the elder lover of the young boy Sasanosuke, was an accident caused by Sasanoske's childishness, rather than labeling the boy as a sadist.The paper ends up with the conclusion that the analysis of the adaptions of classical texts is akin to the investigation of their potential context. This methodology will open new horizons for the study of sources in the field of classical Japanese literature.
著者
三枝 まり
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.44, pp.57-84, 2013-03-31

本稿は、今年(2013 年)、生誕110 年を迎える諸井三郎の作曲活動の土台となったスルヤの時代に光を当て、初期創作の課題と、創作思想を取り上げて、ヨーロッパの古典的な形式受容を第一の課題としたとされる諸井の創作の根源を明らかにするものである。 諸井は戦前から創作を手掛け、当時から脚光を浴びていたものの、戦前の日本の作曲家の中で彼がどのような存在であったのかは十分に考察されていない。しかし、諸井の門下からは、尾崎宗吉、戸田邦雄、入野義郎、柴田南雄、団伊玖麿、神良聰夫ら日本に12 音技法を導入した作曲家たちが輩出され、今日の音楽文化の背景には、諸井の創作活動・教育活動に連なる系譜が続いている。諸井は近代日本音楽史を考える上で欠かすことのできない存在であると言える。そこで、本稿では、比較的作品の所在が数多く確認できるとくに歌曲に焦点を絞り、彼がこの時期に試みた作曲様式について考察し、彼の創作の原点を探った。 諸井三郎は、日本におけるドイツ音楽の領袖として知られるが、スルヤ時代は彼にとって試行錯誤の時代であり、近代フランス音楽やグリーグ、スクリャービンらの音楽も受容している。彼はスルヤ時代に頌歌「クリシュナムルティ」(1928)など宗教的な題材による作品を含めて、17 曲もの声楽曲を残している。これらの作品において諸井は、日本語の詩の音の数にあわせたリズムを導入したほか、形式に捉われない象徴主義的な作品や、半音階的書法や朗誦風のレチタティーヴォ、機能性を曖昧にした和音使用した作品などを残し、渡独前のスルヤ時代に様々な実験的な試みを行ったことが明らかになった。
著者
田村 治美
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究(キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.49, pp.77-121, 2017-12-15

18世紀において、「科学」をめぐる諸状況は変化し、宇宙や自然現象、そして身体に対する眼差しが大きく変わってきた。それと共に健康や疾病の観念も変化し、音楽と身体の関わりもまた変化してきた。 これまで自然科学と音楽の関わりについては、主に、音響学理論が直接反映している調律法や和声理論について研究が積み重ねられてきた。近年では生理学や医学、精神医学、電磁気学などもまた音楽観や音楽現象に影響していることが指摘されている。 本稿では、18世紀後半に人々を魅了し大流行したにもかかわらず、健康をそこね死に至らしめるとまで噂されて音楽界から姿を消し、今もなお不思議な伝説の謎から解き放たれていない楽器「アルモニカ」について論述した。 アルモニカは、大きさの異なる複数のガラスの椀の縁をこすって音を発生させ、音楽を奏でる楽器である。この楽器の特異な点の一つは、18世紀、「科学」の転換期に、近代科学に重要な成果を残した二人の人物が、パリの社交界を舞台にそれぞれ独自の科学理論を掲げてその楽器に関わったことである。一人はアルモニカの発明者であり、雷の正体が電気であることを証明したベンジャミン・フランクリン、もう一人は近代力動精神医学の祖とされ、治療プロセスでアルモニカを用いたフランツ・アントン・メスメルである。ところが、二人はメスメルの理論体系をめぐって科学的対立軸に位置することとなり、メスメルの失脚によってアルモニカもその運命を共有することになった。 これらのいきさつについて、本稿では18世紀の神経学や電気の理論の進歩による生命観のパラダイムシフトを主軸に、音楽の心身への影響、フランクリンの電気理論、メスメルの動物磁気理論との関わりを調査し、それらがアルモニカの興亡にどのように影響したのかを分析した。その結果、アルモニカの流行と不名誉な噂の中での凋落が、18世紀の「生命科学」と音楽観との関係の中でうまれた必然的な帰結であることが指摘された。 18世紀以降、科学と音楽は専門分化の道をたどってきたが、共に自然や人間を対象にし、時代思想や社会の産物として照応関係にあると思われる。アルモニカの運命は、音楽が、生命をめぐる諸科学、すなわち医学、生理学、心理学、そして電気・磁気学とも深い相互関係をもっていることを教えてくれる。
著者
川島 重成
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.46, pp.169-205, 2015-03-31

「戦さは男の仕事、このイリオスに生を享けた男たちの皆に、とりわけてわたしにそれは任せておけばよい。(6. 492-3)」――これはヘクトルが妻アンドロマケに、「機を織れ」と勧告した直後に発したあまりにも有名なセリフである。機を織るのは女性の典型的な仕事であり、戦さは男性に課せられた固有の役目だというのである。しかし『イリアス』第6 歌の有名な「ヘクトルとアンドロマケの語らい」の場をつぶさに観察するに、二人のありようは男と女の硬直した関係に終始しているとは言い難い。ヘクトルの世界はアンドロマケによって、そして彼女に先立ち、ヘカベとヘレネ(とパリス)によっても、つまり女性的なるものによって次第に影響され、浸潤されてゆくように思われる。 二人の出会いの場は、男の世界と女の世界の境界線たるトロイア城のスカイア門である。アンドロマケは「万一あなたを失うことになったら、墓の下に入る方がずっとましだとわたしは思っています(6. 410-1)」と夫に迫る。他方ヘクトルは常に第一線で戦えと教えられてきたという。ヘクトルの言動を支配している名誉と恥の念の背後には、トロイア陥落の日が近いとの予感があった。この運命感、突きつめて言えば、人間は皆死すべき者である、という生の感覚は、女性にも等しくあった。しかしそれに対処する仕方が、男と女では違っていた。 スカイア門でアンドロマケに相対しているヘクトルは、彼女の存在そのものが発する女性固有の内的力に感応したのか、あるいはそれに先立つヘカベ、パリス、特にヘレネとの出会いと折衝に次第に影響されたということもあってか、彼の男性性を規定する恥と名誉を相対化する視点をすでに獲得し始めていた。彼はトロイア陥落後、妻に襲いかかる悲惨を想像し、次のように言う。「わたしはそなたが敵に曳かれながら泣き叫ぶ声を聞くより前に、死んで盛り土の下に埋められたい。(6. 464-5)」この二行は明らかに、上に言及したアンドロマケのあの死の希求(6. 410-1)を受け、それを引き継いだものである。ヘクトルはここで妻に限りなく近く寄りそい、ついに彼女の言葉(女性の言葉)を用いて、彼女の心の琴線に触れたのである。 しかしこの女性的なるものの価値を知り、その魅力に引きつけられるヘクトルは、それだけ一層、その価値の担い手たちの生存をトロイアの男として守るために、「戦は男の仕事」の理念に立ち戻らざるをえない。ヘクトルはこの矛盾を終始生きてゆかねばならなかった。
著者
川島 重成
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 : キリスト教と文化 : Christianity and culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.45, pp.1-25, 2014-03

ソポクレスの悲劇『オイディプス王』(前429 年頃)と『コロノスのオイディプス』(前406 年、ただし前401 年上演)において、オイディプスは<時>をどのように生きたか。 『オイディプス王』1213-1215 行を、筆者はKamerbeek の注解に示唆されて、岡道男訳を修正して、次のように訳する。望まぬあなたを見出した、すべてを見ている<時>が、生む者と生まれる者が等しい結婚ならぬ結婚を(<時>は)かねてより裁いてきたのだ。これはオイディプスが自らの真実を知って走り去った直後、コロスがうたう歌の一節である。オイディプスがこのドラマ以前(の<時>)に犯し、知らずしてその中に生きてきた穢れを、<時>がここで暴露した。一方<時>はオイディプスを、「かねてより」、つまり彼が「結婚ならぬ結婚」という無秩序に陥って以来、「裁いてきた」と解せる。ただオイディプスはそのことに気付いていなかった。それをこのドラマの中で気付かされたのである。この「発見」を、いわば<時>の行為として言い換えたのが、「[……]あなたを見出した、すべてを見ている<時>が」である。詩人はオイディプスの自己発見がそのまま<時>による発見でもあると見ている。ここに人間ドラマが同時に神的ドラマであるギリシア悲劇の真骨頂がある。 『コロノスのオイディプス』の冒頭、娘アンティゴネに手を引かれて登場する盲目の老オイディプスは、次のように言う。「わたしには、ひとつには度重なる苦労が、また長い伴侶の歳月が、それにさらに加えて/持って生れた貴い天性が、辛抱ということを教えてくれる」(引地正俊訳)。かつて<時>がオイディプスの真実を「見出した」。そのとき以来の彼の歩みは、その<時>=運命を伴侶とする新しい生であった。上の引用で「辛抱」と訳されているギリシア語(ステルゲイン)は「運命の甘受」を含意する。この老オイディプスは、その流浪の果てに、ついに彼の生涯の終りを託することのできる高貴な人物、アテナイ王テセウスに出会い、<時>と歩みをともにしてきた者の権威によって、「万物を征服する<時>」の法則を語り聞かせる(607-620)。そして彼の最期を知らせる雷鳴が轟くなか、人間の、とりわけ政治的世界の常である「ヒュブリス」(高慢)に陥らないようにとの誡めを語る。このソポクレスの遺作悲劇が創作されていたとき、アテナイはペロポネソス戦争の末期、スパルタの軍門に下る敗戦前夜にあった。ソポクレスがオイディプスとテセウスの美しい信頼関係によって象徴させたアテナイのあるべき姿とは、戦争の帰趨や政治的権力や富の離合集散とは別の世界で成立する、まさに「歳月によって害なわれることなく秘蔵されるべきもの」(1519)、すなわち人類の人文的理想としてのアテナイであった、と解せよう。 人文学の本来の道とは、いわばこのオイディプスの生涯が象徴するものを、私たちの経験として反復することによって獲ちとり、維持されていくべきものであろう。 オイディプスの生涯が象徴する古典ギリシア文化がその指導的役割を終えた紀元後一世紀、同じ地中海世界の片隅に、ヨーロッパ文化のもう一つの源泉となる精神が立ち現れた。本講演では新約聖書からただ一箇所ロマ書8 章18-25 節を取りあげる。そこで語られるパウロの神――万物を虚無に服せしめる神(20節)――は、人間、そして全被造物の視点から見る限り、オイディプスを理不尽にも外から操ったあの<時>=運命と代らないように見える。オイディプスはその<時>とともに歩むことによって、ある意味で彼の運命を克服した。しかしこれは限りなく厳しい道ではなかろうか。一方ロマ書8 章は、万物を虚無に服せしめた創造の神は、同時に万物の救いの希望であると語る(23-25 節)。思うに私たちが今日人文学の未来への希望を語りうるとすれば、パウロの「望みえないのに、なお望む」という、この希望の上に、あのギリシアの理想を生かす道しかないのではなかろうか。これはまた本研究所ICCの創設の理想とも密接に関わっている。
著者
Ammour-Mayeur Olivier
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究(キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.49, pp.ii-v, 159-186, 2017-12-15

Si l’on fait le bilan, en 2017 encore, la photographie de paysage reste la mal aimée de l’analyse esthétique. Bien que les monographies, individuelles ou collectives, d’une grande qualité se soient multipliées du côté des ouvrages portant sur les photographes de paysages, les études théoriques sur le genre, elles, restent rares. À moins qu’il ne s’agisse de livres portant sur les techniques photographiques paysagères. Un peu comme si le paysage nécessitait un apprentissage particulier, sans pour autant atteindre à une esthétique singulière digne d’attention. En s’intéressant aux œuvres de Sophie de Roumanie, cet article entend porter un regard critique et théorique sur la question du paysage en photographie, en montrant en quoi ce genre, jusqu’à présent plutôt négligé, n’a rien d’un plat « exercice de style » pour photographe amateur, ni d’un simple succédané de la peinture de paysage qui dominait avant l’apparition de l’appareil photographique. S’il est établi depuis plusieurs décennies maintenant que la photographie représente bien un art en soi, il convient maintenant de regarder le genre paysager au plus près, afin d’en analyser les tenants esthétiques et poétiques.
著者
伊藤 亜紀
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 : キリスト教と文化 : Christianity and culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.47, pp.33-50,図巻頭2枚, 2016-03

サルッツォのマンタ城サーラ・バロナーレに描かれた《九人の英雄と九人の女傑》(1420年頃)は、サルッツォ侯爵トンマーゾ3世(1356?-1416年)による教訓的騎士道文学作品『遍歴の騎士』の登場人物である。そのひとり、二本の槍をもつアッシリア女王セミラミスの姿は、ボッカッチョの『名婦伝』(1361-1362年頃)などで伝えられてきた「男勝りの烈女」や「息子と交わった淫婦」という彼女の本質を説明するものではない。 しかしその右隣にいるエティオペの、長い金髪を梳く仕種は、ウァレリウス・マクシムスの『著名言行録』(1世紀)が語る、女王が身繕いの最中にバビロニア陥落の報せを受け、すべてを擲って戦に身を投じたという逸話に合致する。そしてこのセミラミス像は、ギヨーム・ド・マショー『真実の書』写本(1390-1400年頃、フランス国立図書館所蔵ms. fr. 22545)や『遍歴の騎士』写本(1403-1404年、フランス国立図書館所蔵ms. fr. 12559)にもすでに見られる。ジェンティーレは、マンタにおけるセミラミスとエティオペの図像の取り違えは、画家が壁画制作にあたって直接手本にした図に起因すると考えた。一方デベルナルディは、『遍歴の騎士』におけるセミラミスとエティオペの詩節が、本来一続きのものであったとみなし、マンタのセミラミスは実際はアマゾネスのメナリッペ、そしてエティオペこそセミラミスであるとした。たしかにエティオペの皇帝冠や宝玉、そして「青地に三つの金の玉座」という、フランス王家と同じ配色の紋章は、彼女が9人の女傑のなかでも特別な存在であることを示している。さらにアーミンで裏打ちされた黄金の縁取りのマントは、下に着た女性の服を覆い隠し、その男性的気質を強調する役割を果たしている。 ウァレリウス・マクシムスが語り、ボッカッチョが加筆し、そしてフランスの写本挿絵で視覚化された「髪を梳く女傑」は、代々フランスとの政治的な繋がりを強化し、その文化の影響を色濃く受けてきたサルッツォで、再度大規模に描かれた。しかしこの雄々しくも女性としての身嗜みを忘れないというイメージは、必ずしもセミラミスに限定されたわけではなく、15世紀半ばには他の女傑にも共有されることになる。口絵有り。画像低解像度版/graphics in low resolution
著者
野本 和幸
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究(キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.48, pp.55-101, 2016-12-15

フレーゲは、第一に、「数とは何か」という問いに対し、自ら考案した記号言語により、史上初の高階述語論理の公理体系化を達成し、その論理的基礎から、数論全体を論理的に導出しようと試みた。第二に、その体系構成の「予備学」として、日常のドイツ語をいわば「メタ言語」に用い、当の記号言語自身の統語論についてのメタ的説明や、自らの論理的カテゴリー区分(対象と型つきの概念・関係)、意味論的区別(意味と意義等)を解明し、第三に、全欧規模で数学者・論理学者・哲学者と充実した誌上および書簡論争を行った。 以上の論理学・数学基礎論上の仕事に加え、フレーゲは意味と意義の区別をはじめ、現代の意味論・言語哲学の原型を与えた。
著者
三枝 まり
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.44, pp.57-84, 2013-03-31

本稿は、今年(2013 年)、生誕110 年を迎える諸井三郎の作曲活動の土台となったスルヤの時代に光を当て、初期創作の課題と、創作思想を取り上げて、ヨーロッパの古典的な形式受容を第一の課題としたとされる諸井の創作の根源を明らかにするものである。 諸井は戦前から創作を手掛け、当時から脚光を浴びていたものの、戦前の日本の作曲家の中で彼がどのような存在であったのかは十分に考察されていない。しかし、諸井の門下からは、尾崎宗吉、戸田邦雄、入野義郎、柴田南雄、団伊玖麿、神良聰夫ら日本に12 音技法を導入した作曲家たちが輩出され、今日の音楽文化の背景には、諸井の創作活動・教育活動に連なる系譜が続いている。諸井は近代日本音楽史を考える上で欠かすことのできない存在であると言える。そこで、本稿では、比較的作品の所在が数多く確認できるとくに歌曲に焦点を絞り、彼がこの時期に試みた作曲様式について考察し、彼の創作の原点を探った。 諸井三郎は、日本におけるドイツ音楽の領袖として知られるが、スルヤ時代は彼にとって試行錯誤の時代であり、近代フランス音楽やグリーグ、スクリャービンらの音楽も受容している。彼はスルヤ時代に頌歌「クリシュナムルティ」(1928)など宗教的な題材による作品を含めて、17 曲もの声楽曲を残している。これらの作品において諸井は、日本語の詩の音の数にあわせたリズムを導入したほか、形式に捉われない象徴主義的な作品や、半音階的書法や朗誦風のレチタティーヴォ、機能性を曖昧にした和音使用した作品などを残し、渡独前のスルヤ時代に様々な実験的な試みを行ったことが明らかになった。
著者
川島 重成
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.39, pp.47-72, 2008-03-31

報復の正義は現代においても未解決の問題である。古代ギリシア人はこの問題にどのように対処したか ―― これを問い直すことで、ギリシア文学における「人間とは何か」を考える。 ギリシア語の〈ディケー〉=正義は、端的に「報復」を意味する。しかも人間社会のみならず、自然界をも貫く原理であり、人間の振舞いを見張る力として女神〈ディケー〉ともなる。 『イリアス』は報ディケー復を内包する名ティーメー誉をめぐる叙事詩である。アキレウスはアガメムノンに対する怒りを募らせ、「ゼウスの名誉」を希求するに至る(第9歌)。この「ゼウスの名誉」は英雄社会の習いとしての名誉=応報観に基づくものでありつつ、同時にそれ以上の何かを指し示している。それが『イリアス』第24歌のトロイア王プリアモスとアキレウスの出会いに結実する。憂いなき神々との対比から生じた、悲惨の中にこそ輝く死すべき人間としての品格を二人の英雄が敵・味方の区別を越えて互いに感嘆しあう―― ここにほとんど奇跡的に「人間に固有のもの」が形をとったのである。 ギリシア悲劇『オレステイア』の第一部『アガメムノン』におけるクリュタイメストラの夫アガメムノン殺害は、『イリアス』では暗黙の前提として受容されていたトロイア戦争の正ディケー義を問う行為であった。復讐が復讐を呼ぶこの悲劇は、ゼウスの正義とアルテミスの正義、男女の在りよう、国家の法と家の血の絆の真向からの対決を描く。〈ディケー〉が孕む深刻な問題 ―― 一方の正義は他方から見れば不正義でありうる、という問題 ――は、人間世界では遂に解決を見ず、第三部『エウメニデス』で、アテナイの裁判制度の縁起にまつわるアテナ女神の英断 (オレステスの無罪判決) を待つしかなかった。これは復讐の女神 (エリニュエス) の恵みの女神 (エウメニデス) への変容 (本質的にはゼウスの変容) を伴なう宇宙大の出来事であった。 このアイスキュロスの壮大な実験は、しかしギリシア文学史ではついに一エピソードに終わった。エウリピデスの『ヒッポリュトス』は、愛の女神アプロディテが純潔の女神アルテミスのみを崇拝する青年ヒッポリュトスに神罰を下す悲劇である。アルテミスはヒッポリュトスを救うことも、彼の悲惨に涙することもない。むしろアプロディテの愛するアドニス殺害を暗示して去っていく。両女神はいわば夏と冬のように自然の秩序=報復の〈ディケー〉の反復を担っている。その神々の世界の円環が閉じた外側で、瀕死のヒッポリュトスと父テセウス ―― アプロディテの代理人とされて息子に呪いをかけた ―― は、過誤の告白と赦しの言葉をかけあう。エウリピデスはギリシアの伝統的な神々の世界の枠組が崩壊した後の時代、やがてキリスト教の福音が種播かれるに至る土壌を、はるかに指さしていた。
著者
伊藤 亜紀
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.39, pp.107-127, 2008-03

チェーザレ・リーパの図像学事典『イコノロジーア』(1593年初版) において定義されている5種類の「節制」の擬人像のうち、一人は「ポルポラの服を着た女性」である。すなわち「節制」とは「中庸」であり、それは「ふたつのまったく異なる色」の「合成物」たるポルポラの服によってあらわされるのだという。これはポルポラが二色の合成色であることを最初に明言したという点で特筆すべきものであるが、リーパはこの知識をいかにして得たのであろうか。 古代のプルプラ貝による染色はとうに廃れ、15世紀の染色マニュアルや衣裳目録には、「ポルポラ」という色名すら見いだすことはできない。チェンニーニ等による諸文献は、ポルポラが赤と青の合成色、もしくは赤そのものとみなされていたことを間接的・・・に伝えているが、いずれにせよポルポラはすでに一般的な色彩用語ではなかったことが理解できる。 16世紀に各種出版された色彩象徴論からも同様な事情が窺える。エクイーコラ、テレージオ、モラート、リナルディ等は、ポルポラを古典文学作品に頻出する色と認めつつも、それを単に赤をあらわす色名の一つとみなしているに過ぎない。 しかし1565年、紋章官シシルの『色彩の紋章』のイタリア語訳が出版されたことが、イタリア人のポルポラ観を変えることになった。この書の第一部では、紋章を構成する基本色として金、銀、朱、青、黒、緑、プールプルが論じられているが、そこではプールプルが「他の [6 つの] 色で出来て」いる合成色であることが明言されている。さらにシシルは、プリニウスや聖書の記述からプールプルが王や皇帝に属する「高貴な」色であることを強調しており、このことはイタリア人にポルポラの象徴的価値を再発見させることにもなったと考えられる。 シシルの論はイタリアで版を重ね、ロマッツォの『絵画論』等、16世紀後半以降に書かれた色彩象徴論に大きな影響を与えたが、リーパも寓意像の服の色彩を決めるにあたってこれを参照したことは間違いない。とりわけ『イコノロジーア』におけるポルポラを着る寓意像の説明には、シシルのプールプル論が色濃く反映されている。さらにポルポラを二色の合成色とみなす考え方も、『色彩の紋章』第二部における、プールプルは「赤と黒のあいだの色であるが、黒よりも赤により近」く、「藍か青の色をもつ」という記述を踏まえたものだと考えられる。したがってリーパの言う「ふたつのまったく異なる色」とは、赤と黒、もしくは赤と青と考えられるが、それを明らかにしなかったのは、ポルポラが人によってさまざまな色名で言い換えられる色調の定まらぬ色だからである。
著者
黒沼 歩未
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = HUMANITIES (Christianity and Culture) (ISSN:24346861)
巻号頁・発行日
no.52, pp.(185)-(212), 2020-12-15

福神を題材にした芸能や物語は、中世末期頃から数多く作られた。例えば、お伽草子『大黒舞』や『梅津長者物語』は、貧しいながらも正直で孝行者の主人公が、大黒天や恵比寿の加護によって立身出世する話である。これらのお伽草子に登場する福神達は、神よりも人間のようであり、中世の人々にとって、その親しみやすさとめでたさで最も身近な神であったといえるだろう。その中で、清水寺との関わりが指摘されるお伽草子『大黒舞』の大黒天の表象に注目し、中世の大黒天がどのように理解されていたのか、また、清水寺とその周辺における信仰がどのように表れているのかを考察した。『大黒舞』で大黒天は、福神よりも戦闘神や仏法守護の神として自身を語る。当時人気を博した狂言の世界では、﹁比叡山の三面大黒﹂が語られていたが、それは『大黒舞』の大黒天とは異なり、祈れば富貴になれるという福の神としての大黒天であった。そして、『大黒舞』の大黒天の表象で最も特徴的なのは、大黒天と恵比寿が鬼と入れ替わるように描かれていることである。福神と鬼は一見正反対に見えるも、特に大黒天は、鬼と共通する三つの宝物を持つなど鬼と通ずるものがあった。その一方で、『渓嵐拾葉集』には﹁大黒飛礫の法﹂という裕福な人の家から福を自分の元に呼び寄せるという怪しい秘術も記されており、大黒天が福人の富を奪って与えるという盗賊的な側面も理解されていた。さらに、清水寺の近隣では、『大黒舞』成立と同時期に、疫病から福神へと転じた五条天神社の信仰が急速に広まっていた。清水寺の下方世界に広がる疫病の世界観にあてはめると、『大黒舞』の中に描かれる鬼や盗賊を﹁疫神﹂として解釈することができる。それを様々な知恵や武力でもって倒していく大黒天と恵比寿のイメージには、五条天神に祀られる少彦名命と大己貴命と、その二神をモデルにして作られた五条天神周辺で戦う義経と弁慶の姿が重ねられているだろう。以上、『大黒舞』における大黒天の表象の考察を通して、現在のような﹁福の神﹂としての大黒天像が浸透する以前の大黒天の姿が反映されていることがわかった。中世の大黒天の信仰の一端と、『大黒舞』が清水寺とその周辺の信仰を取りこみながら、物語を形成している様子が明らかになった。
著者
吉田 一生
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究(キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.48, pp.225-243, 2016-12-15

On Religiousness of Modern Art This article discusses a religious aspect of art based on Schelling’s thesis that an art work is an unconscious identity of the ideal and the real, while critically considering the meaning of the recent artistic movement. The main character of modern art is relativity. Its supporters claim that everything could be an art work. However, from the philosophy of art perspective it must represent some idea, and romantic philosophers even sought the absolute meaning of art. For Schopenhauer, art was liberation from existence, and for Nietzsche reconciliation with it. Both recognize the essence of the world in art, which is not an individual fantasy but an ultimate reality. The following discussion regards the Apollonian art as reality of reason in relation to nature and the Dionysian art as that of god in relation to mythology. Thereby, Schelling’s philosophy of nature and that of mythology offer a deep insight into the identity of being and consciousness. It seems that modern art, whose tendency is thoroughly nihilistic, is far away from such an idea, but the article concludes that it has a strong possibility of the revelation.
著者
村上 陽一郎
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.46, pp.149-167, 2015-03-31

医療技術の高度化に伴い、〈死への道程〉(death ではなくdying)は人為的にかなりな程度引き延ばされるようになった。そこで起る諸問題に対して、倫理的にも、法制上も、正面から向き合う時間のないままに、突出した事例(意図的と偶発的とを問わず)がしばしば起るようになり、対応も後追いの状態が続いている。しかしここ十年ほどの間に、先進圏では、国民的な議論を踏まえて、ラディカルな法整備に舵を切る例が見られるようになってきた。本稿では、そうした諸例に学びながら、日本社会として、どのような選択を行うべきかを考える。
著者
矢嶋 直規
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 : キリスト教と文化 : Christianity and culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.46, pp.281-301, 2015-03

スピノザは彼以降の西洋近代哲学の展開に大きな影響を与えた哲学者である。ヒュームの哲学もまたスピノザの影響を受けて成立した体系の一つである。スピノザとヒュームに共通する最大の主題は「自然」である。両者は、倫理を自然によって基礎づけることを哲学の根本的な目的としていた。ヒュームにとってhuman nature とはいわゆる人間本性ではなく、人間に固有の知覚の連合とそれに基づいて成立する現象の総体としての自然を意味する。ヒュームもスピノザも因果の本質が必然性にあると見なしている。ただしスピノザの必然性が理性により認識されるのに対し、ヒュームの必然性は感覚によって感じられるという違いがある。ヒュームとスピノザの体系の共通点と相違点を理解する上でスピノザの「一般的概念(notiones universales)」とヒュームの「一般観念(general ideas)」の関係を考察することが重要である。スピノザは「一般的概念」を第一種認識に属する想像力の働きに基づく人間の誤謬の源泉として批判している。それに対してヒュームはロックの「抽象観念(abstract ideas)」を批判しながら、一般観念に独自の理解を付与している。とりわけヒュームはロックによる抽象観念を、人間精神の有限性を根拠として批判しており、この点でヒュームとスピノザは共通の認識に基づいている。スピノザは一般的概念を理性による「共通概念(notiones communes)」によって克服し、十全な認識としての第二種認識へと移行する。それに対してヒュームは一般観念に止まりつつ、一般性の拡大によってより妥当な認識が成立していくという観念の自然な発展の理論を提示する。ヒュームの一般観念は習慣から社会的な慣習へと発展することで単に個人的な主観的認識に止まるものではなくなる。スピノザもヒュームもそれぞれの哲学によって他者と協働して幸福を達成する筋道を示そうとする。ただし、スピノザが哲学的認識による理性的主体自身の救いを目的とするのに対してヒュームは一般的認識の成立に基づく共同体全体の安定を目的としている。安定した共同体は富と学芸を生み出し、人間性そのものを発展させる。スピノザとは対照的にヒュームにおいて個人の救いは、個人の理性による哲学的認識にではなく共同体全体の力に委ねられるのである。