著者
並木 浩一
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.42, pp.1-52, 2011-03-31

筆者はかつて、ヨブ記がヤハウィストを相互テクストとして用いていることを『「ヨブ記」論集成』に収録の論文「ヨブ記における相互テクスト性」において論じた。本論はヨブ記とヤハウィストが主題と関心を共有することを探求する。従来、ヨブ記とヤハウィストとは成立時代も関心も大きく違うとの先入観が働いて、両者が民族史的な課題を共有するとはまったく考えられていなかった。しかし私見によれば、両者はペルシア時代の成立であり、時代的な課題を共有する。そればかりでなく、両者はユダヤ教の基本である律法の整備とそれに伴うユダヤ民族中心主義への傾斜に抵抗するという共通の陣営に身を置いている。両者は人類とヤハウェとの関わりを重視する普遍主義を重んじて、申命記主義者が展開したヤハウェとイスラエル民族の特殊主義的な契約観、およびエルサレム中心の見方に対して批判的であり、ユダヤ教の外の世界に注目した。 ヤハウィストによれば、アブラハムは未知の世界に出て行った。そもそも人類の始祖は「エデンの東」に人間的な活動の場を見出した。人類にはその最初から境界侵犯を禁ずる「戒め」(園の中央の樹の実を取って食べることの禁止)が与えられていた。それはシナイもしくはホレブで与えられたというユダヤ教の律法とは関係がない。境界侵犯は人間が神の領域を侵すことの禁止ばかりでなく、人間の間にも適用される。弟を殺した兄は追放されなければならない。境界侵犯の禁止は客人法の遵守がヤハウェの基本的な関心事であることを認識させる。客人法を破った異教の人びとの町ソドムはヤハウェによって処罰される。 ヨブ記の主人公ヨブは「東の人」、すなわち律法が知られない異邦人であるが、ヤハウェの眼には比類のない義人である。ヨブの正しさは客人法の遵守、貧者の保護によって証しされる。ヨブが神との関わりで重視するのは、律法が規定の対象としない内心の世界である。「契約」(神とイスラエルとの特殊な結合)は個人的で私的な領域に移される。行動の基準は彼の「良心」である。 ヨブ記とヤハウィストのこの姿勢を支えるのは、人間の自律性と自由の重視である。しかし人間の自由で知的な活動が神の意志を知ることにはならない。むしろ誤解を導く。ヤハウィストにおける人間は想像力を働かせて神に背き、神と人への応答を拒む。境界侵犯を禁ずる神の掟は無条件に課せられる。しかし神は人間の自発性を尊重し、掟への服従を強制しない。ヨブにおいても、苦難の原因は説明されない。ヨブが「理由なく」神に従うか否かについて神とサタンは対立する。ヨブは理由なく神に服従したが、その後、理由の開示を求めて神に猛烈に抗議した。神の弁論は神について思い巡らす彼の知の限界を示した。ヨブはそれを自発的に認めた。ヨブ記とヤハウィストは普遍主義を支える神と人間のあり方を提示した。

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