著者
中別府 温和 Harukazu NAKABEPPU
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.221-240, 2001-03-21

人間は、感性が与える素材を、カテゴリーにもとづいて構成する。そのカテゴリーのなかで、特に重要な位置をしめているのが時間と空間である。現実には文化統合として存在している宗教が保ちつづける意味は、特定の時間と空間において与えられている。では、宗教現象の理解のために、時間と空間を具体的にとりだすためには、どのような分析視点からどのような作業仮説がたてられるべきなのであろうか。 アウグスティヌスによると、時間は、「現在(praesens)」としてある。過去は、その像を「想起し物語る」ときにあり、未来は、その像を「見られうるもの」にして「心のうちに想像し予見する」ときにある。「現在の精神のはたらき(intentio)」あるいは「心の向かい(tendere)」によって、「ある」から「ない」への移りとして変化がとらえられるのである。 ここに、宗教の理解との関連で、個人の心を場とする時間を、心理学的方法によってとりだすことの意義を見出すことができる。個人の心の中に共有され分有されている時間のあり方を、過去、現在、未来の方面においてとらえることである。その場合、individual integrationの視点から、ウェーバー,M.の宗教的資質(religiose Qualifikation : Charisma)および担い手(trager)の考え方、モースの全体的事実(fait social total)の考え方、フロイト,S.の不安(Angst)の考え方を導入することが検討にあたいする。 時間感覚は、集団の断面でもとりだされなければならない。集団の断面における時間の分析のために、リーチ,E.が提示した時間についての見解を主要な材料にして、三つの仮説を構成した。 ①宗教は二つの異なる時間系列をそなえもっている。その場合に、人々による把握の仕方としては、それらのうち聖なる時間系列が俗なる時間系列に対して質的に優位である、と位置づけられる。②宗教現象における時間感覚は長い、と考えられる。祭儀を無限に繰り返すことによって、過去の深さの方向にも未来の方向にも長く延びている、からである。しかも、その繰り返しは2つの異質の時間系列を含んでいるのであるから、宗教現象における時間幅は広いとも考えられる。③二つの異質の時間系列による繰り返しは、将来による自己実現と考えることができる。現在の自己や社会のあり方を否定して、それらを超えてなりたつものを実現しようとする営みである。 一つの社会における時間体系あるいは時間感覚を具体的にとりだす場合には、エヴァンズ=プリチャードが提示するように、生態学的時間と構造的時間の視点が不可欠である。これらの時間体系を、時間の長さ、速度、幅の視角から具体的にとらえていく仕方は非常に重要である。

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