著者
中別府 温和 Harukazu NAKABEPPU
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.101-130, 2011-03-04

小論の目的は、マヤ・ユカテカの一カトリック村落マニにおける宗教文化統合のあり方を、駆け落ち婚という視点から解明することである。宗教的文化統合は仮説的概念である。「宗教が文化の中心に位置していて、その文化のある部分を濃く、ある部分を弱く色づけている」と仮説的に考えて、社会を調査し分析していくために作成されている。この仮説に立つことによって、宗教現象の諸特性を時間感覚、空間感覚、社会構造、政治経済的態度などの視点から具体的に分析し、宗教現象の科学的解明を試みる。本稿では、宗教現象の一つである婚姻を、調査地マニの人々の駆け落ち婚という視点から聴取調査し、宗教現象と貧しさに関わる一側面を解明した。(1)駆け落ち婚の頻度の高さ(親世代62%、兄弟姉妹の世代51%)、(2)強度の儀礼的形式性(男の家での男と親とのやりとち(「一人で帰ってきたのではない。女を連れている」という慣習的言語表現)、男の両親から女の両親への早々の知らせならびに女の両親による対応(「3日目に再度来訪するように」という慣習的言語表現)、3日目の制裁(「綱での殴打」)・親による許し・結婚の約束、両家族だけによる祝宴など)、(3)当事者の経済的地位(パルセレーロとミルペーロ)の調査分析の結果、駆け落ち婚が貧しさと関連して継続してきていること、また、この慣習はマヤ的な要素を色濃くそなえていることが明らかになった。
著者
中別府 温和 Harukazu NAKABEPPU
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.221-240, 2001-03-21

人間は、感性が与える素材を、カテゴリーにもとづいて構成する。そのカテゴリーのなかで、特に重要な位置をしめているのが時間と空間である。現実には文化統合として存在している宗教が保ちつづける意味は、特定の時間と空間において与えられている。では、宗教現象の理解のために、時間と空間を具体的にとりだすためには、どのような分析視点からどのような作業仮説がたてられるべきなのであろうか。 アウグスティヌスによると、時間は、「現在(praesens)」としてある。過去は、その像を「想起し物語る」ときにあり、未来は、その像を「見られうるもの」にして「心のうちに想像し予見する」ときにある。「現在の精神のはたらき(intentio)」あるいは「心の向かい(tendere)」によって、「ある」から「ない」への移りとして変化がとらえられるのである。 ここに、宗教の理解との関連で、個人の心を場とする時間を、心理学的方法によってとりだすことの意義を見出すことができる。個人の心の中に共有され分有されている時間のあり方を、過去、現在、未来の方面においてとらえることである。その場合、individual integrationの視点から、ウェーバー,M.の宗教的資質(religiose Qualifikation : Charisma)および担い手(trager)の考え方、モースの全体的事実(fait social total)の考え方、フロイト,S.の不安(Angst)の考え方を導入することが検討にあたいする。 時間感覚は、集団の断面でもとりだされなければならない。集団の断面における時間の分析のために、リーチ,E.が提示した時間についての見解を主要な材料にして、三つの仮説を構成した。 ①宗教は二つの異なる時間系列をそなえもっている。その場合に、人々による把握の仕方としては、それらのうち聖なる時間系列が俗なる時間系列に対して質的に優位である、と位置づけられる。②宗教現象における時間感覚は長い、と考えられる。祭儀を無限に繰り返すことによって、過去の深さの方向にも未来の方向にも長く延びている、からである。しかも、その繰り返しは2つの異質の時間系列を含んでいるのであるから、宗教現象における時間幅は広いとも考えられる。③二つの異質の時間系列による繰り返しは、将来による自己実現と考えることができる。現在の自己や社会のあり方を否定して、それらを超えてなりたつものを実現しようとする営みである。 一つの社会における時間体系あるいは時間感覚を具体的にとりだす場合には、エヴァンズ=プリチャードが提示するように、生態学的時間と構造的時間の視点が不可欠である。これらの時間体系を、時間の長さ、速度、幅の視角から具体的にとらえていく仕方は非常に重要である。
著者
中別府 温和 Harukazu NAKABEPPU
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.73-108, 2013-03-08

本稿では、宗教的文化統合という仮説的操作概念を使用して、マヤ・ユカテカの一カトリック村落マニの空間感覚を分析した。具体的な分析の場面での仮説的視点は、宗教事象の太古性・残存性、世界性・公共性、理念性・非合理性、社会統合(integration)・内調整(inner adjustment)機能である。 マニの空間感覚の全体像としては、中心・四方(五方)および共有地の太古性・残存性、神話的事実の現実化の理念性・非合理性、祈りとコンパドラスゴの世界性・公共性が重要である事実を提示した。 さらにマニの修道会・教会がマヤの伝統とカトリシズムを複合させつつ重要な空間として存続変容してきている実態を分析した。具体的には、修道会・教会の建築空間の象徴性を宗教事象の太古性・残存性、世界性・公共性、理念性・非合理性、社会統合(integration)・内調整(inner adjustment)機能の視点から分析した。主に中心(k'iwic ; centro)、インディオ学校・インディオ礼拝堂、セイバの木(yaxche)・洞窟(actun)、マヤ十字形と十字架、聖母マリアによる幼子イエスの左抱き聖像を分析することによって、マニの修道会・教会がマヤ・カトリシズム複合体として存続変容してきている事実を提示した。 これらの分析結果を踏まえて、さらにマニの空間感覚を個人の断面で具体的にかつ厳密に分析することが今後の研究課題である。
著者
中別府 温和
出版者
宮崎公立大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2003

本研究は、これまで長年にわたって取り組んできたインド西北沿岸地域におけるゾ教の存続と変容に関する実態調査を、主に次の視点から発展させることを目的とした。この研究による新しい事実の発見と今後に結びつく研究の新たな展開の可能性に関する詳細は報告書(和文ならびに欧文)に記載した。なお、和文および欧文の報告書の内容は一部重なるが、相互に対応はしていない。1.ナウサリの聖火殿と鳥葬の塔に関するグジャラーティ史料を発掘し、翻刻する。従来、明らかにされることのなかった聖火殿の歴史をグジャラーティ史料によって明らかにするとともに、それらを英訳し、他のゾロアスター教研究者の活用に供した。2.有意味図版と作文による分析方法によって聖なる火と鳥葬に関するゾ教徒の心的態度を取り出す。これまで研究が行われて来なかったゾロアズター教の宗教的象徴に対するゾ教徒の思考と態度を、有意味図版と写真と作文を使用した分析方法で明らかにした。3.インド西北沿岸地域に現存するゾ教徒パーシーの実態を、イラン学ならびにイスラーム学の方法と分析視点から再吟味し、現地調査の内容を批判的に見直し、それらについての記述の正確さを徹底して精査する。古代イランの文化がゾ教徒のコミュニティーにどのように継承され、あるいはまた変容させられているかを、祈りと社会構造を中心に考察し、それらについて新しい事実を発見し、公表した。4.最後に、本研究は宗教現象ならびに宗教集団の変容の側面に関する仮説的見解を得ることも課題として含んでいる。宗教集団が移動する過程で、何が変容し、何が継続するのか、という視点から研究を行い、社会構造、経済的態度、儀礼慣習等に関して仮説的な新たな見解を提示した。
著者
中別府 温和
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.283-308, 2006

小論の目的は、宗教を理解するために宗教的象徴をめぐる事実を厳密に取り出し、それらとの関連でどこにどのような意味が共有され分有されているかを解明することである。ここでは、ゾロアスター教徒パーシーの聖なる火を材料とし、宗教的意味の残存性と太古性という視点と、宗教的なものの地域や社会による分有という視点から分析を試みた。その結果、(1)聖なる火はその構成過程にアヴェスター時代の要素を保っていること、(2)太陽、月、水、土、樹木、動物(犬、牛、など)などの要素と複合した体系の中で聖性が意味づけられていること、(3)死体および死体悪魔への抵抗と忌避の手段として働いていること、(4)穢れを落とし浄められた状態を確保する手段として意味づけられていること、(5)聖なる火は故人および死者の魂を記念することを目的として作られること、(6)聖なる火を納ある聖火殿の建設ならびに聖なる火を維持するために香木を捧げる儀礼も、故人および死者の魂を記念することを目的にしていること、(7)したがって聖なる火は一度作られたらそれを二つに割ったり、二つの火を一つに統合したりすることはできないこと、(8)聖なる火を共有する主体はそれぞれ異なっていること、が明らかになった。また、(9)聖なる火は祭司によって維持がなされていくが、その世話は聖なる火の聖性の高低に応じて定められた清浄度を達成した祭司以外はできない。その制度にもとづいて、聖なる火は現実には祭司を中心に構成される社会的組織であるパンタークをとおして共有され、その機能を果たしていることが明らかにされた。