著者
小谷野 敦
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.29, pp.301-323, 2004-12-27

一九八七年頃から、古代中世日本において女性の性は聖なるものだったといった言説が現れるようになった。こうした説は、もともと柳田国男、折口信夫、中山太郎といった民俗学者が、遊女の起源を巫女とみたところから生まれたものだが、「聖なる性」「性は聖なるものだった」という表現自体は、一九八七年の佐伯順子『遊女の文化史』以前には見られなかった。日本民俗学は、柳田・折口の言説を聖典視する傾向があり、この点について十分な学問的検討は加えられなかった憾みがある。 一方、一九八〇年代には、網野善彦を中心として、歴史学者による、中世の遊女等藝能民の地位についての新説が現れ、これを批判する者もあった。網野は、南北朝期以前に、非農業民が職能民として天皇に直属していたと唱え、遊女についても、後藤紀彦とともに、宮廷に所属していたという説を唱えた。脇田晴子らはこの説を批判したが、豊永聡美の論文によって、後白河・後鳥羽両院政の時期、宮廷が特に高級遊女を優遇したと見るのが正当であろうという妥当な結論が出た。 既に法制史の滝川政次郎は、遊女の巫女起源説を批判したが、同時に遊女の起源を朝鮮に求めたため批判を受けた。だが、そもそも遊女に起源がなければならないという前提が奇妙なのであり、ことさら遊女の起源をいずれかに求めようとすること自体が誤りだったのである。 では「聖なる性」という表現は、どこから現れたのか。宮田登は一九八二年に、遊女の「非日常性」と「霊力」について述べているが、「聖なるもの」という表現は、一九八六、八七年に、阿部泰郎、佐伯順子らが言いはじめたことである。しかしいずれも十分な学問的検討がなされているとは言いがたく、特に佐伯の場合、ユング心理学の「聖なる娼婦」という原型の、エスター・ハーディングによる展開の影響を受けているが、これは新興宗教の類であって学問ではない。 即ち、日本古代中世における「聖なる性」は、学問的に論証されたことはなかったのである。

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