著者
小暮 修三
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.39, pp.119-139, 2009-03-31

かつて、日本の沿岸各地には、裸潜水漁を行いながら生計の主要な部分を賄う人々が存在し、彼/女らは俗に「海人(アマ)」と呼ばれ、特に、男性は「海士」、女性は「海女」と表記されている。この海人の歴史は古く、『魏志倭人伝』や記紀、『万葉集』から『枕草子』に至るまで、その存在が散見される。また、海女をモチーフとした文学作品や能楽、浮世絵も数多く残されている。しかしながら、もはや裸潜水漁で生計を立てている海女の姿は、日本全国のどこにも見つけられない。
著者
彭 丹
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.45, pp.11-50, 2012-03-30

日本には八点の国宝茶碗がある。八点のうち、南宋時代に焼造された天目が五点を占める。曜変天目三点、油滴天目一点、玳皮天目一点である。これらの天目茶碗は、生産地の中国の地には残されていないのに、なぜ日本に残っているのか?日本の国宝と中国の天目とは矛盾しないのか?天目を求め続ける日本人の情熱はいったい何か?
著者
笠谷 和比古
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
no.3, pp.p35-63, 1990-09

徳川幕府体制の下での特異な政治的問題の一つとして、「大名改易」のあったことは周知の通りである。それは軍事的敗北、血統の断絶、法律違反などの諸理由に基づいて、大名の領地を幕府が没収し、当該大名がそれまで保持してきた武家社会内での身分的地位を剥奪してしまうものであった。徳川時代にはこの大名改易が頻繁に執行され、結果的に見れば、それによって幕府の全国支配の拡大と安定化がもたらされたこと、また改易事件の幾つかは、その理由が不可解に見えるものがあり、それによって有力大名が取り潰されてもいることからして、この大名改易を幕府の政略的で権力主義的な政策として位置づけるのは定説となっている。そしてまたそのような大名改易の歴史像が、徳川幕府体制の権力構造、政治秩序一般のあり方を理解するうえでの重要な根拠をなしてきた。 しかしながらそのような大名改易の歴史像は、幕府に事後的な利益をもたらしたという結果的な見地から導き出されたものであって、個々の大名改易事件がどのような事情と経緯に基づくかの、事実関係の面での研究は多くないのが実情である。それ故に本稿では、この大名改易の二大疑獄とされる広島藩四九万石の福島正則と熊本藩五二万石の加藤忠広の両改易事件について、福島正則自身の書状などの同時代史料に依拠して事態の事実確認を中心に考察する。そして本稿の続編(次号掲載予定)において、自余の改易事例をも踏まえながら、徳川時代の大名改易という歴史事象の一般的な意義解明を試みる。
著者
鈴木 堅弘
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.38, pp.13-51, 2008-09-30

本論は、春画として最も有名な北斎画の「蛸と海女」を取り上げ、この画図を中心に春画・艶本表現における図像分析を試みた。まず具体的な図像分析に先駆けて、同種のモチーフが「あぶな絵」や「浮世絵」にも描かれている背景を追うことで、近世期の絵画表現史における「蛸と海女」の画系譜を作成した。そしてその画系譜を踏まえて、北斎画を中心とした春画・艶本「蛸と海女」の図像表現のなかに、同時代の歌舞伎、浄瑠璃、戯作などに用いられた「世界」と「趣向」という表現構造を見出すことにより、春画・艶本分野においても同種の演出技法が用いられていたことを発見するに至った。また、こうした図像分析を通じて、北斎画を中心とした春画・艶本「蛸と海女」の表現構造が、太古より連綿と続く「海女の珠取物語」の伝承要素や、江戸時代の巷間に流布した奇談・怪談の要素で構成されていることを読み解いたといえよう。
著者
渡辺 雅子
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.35, pp.573-619, 2007-05-21

本稿では、日米仏のことばの教育の特徴を比較しつつ、その歴史的淵源を探り、三カ国の「読み書き」教育の背後にある社会的な要因を明らかにしたい。まず日米仏三カ国の国語教育の特徴を概観した後、作文教育に注目し、各国の書き方の基本様式とその教授法を、近年学校教育で養うべき能力とされている「個性」や「創造力」との関係から比較分析したい。その上で、現行の制度と教授法、作文の様式はどのように形作られてきたのか、その革新と継続の歴史的経緯を明らかにする。結語では、独自の発展を遂げてきた各国の国語教育比較から何を学べるのか、日本の国語教育はいかなる選択をすべきかを、「国語」とそれを超えたグローバルな言語能力に言及しながら考えたい。
著者
松田 利彦
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.469-490, 2007-05

本稿は、近代日本植民地における「憲兵警察制度」を素材に、近年の「帝国史」研究で提唱されている「統治様式の遷移」という研究手法の可能性と限界について考察した。 憲兵警察制度は、日露戦後、朝鮮で分立していた文官警察と軍事警察を統合する仕組みとして一九一〇年に生みだされ、「憲兵の文官警察官職への人用(憲兵に文官警察官に対する指揮権を付与するための措置)」と「憲兵の普通業務への従事」というシステムによって文官警察と軍事警察を制度的に架橋していた。この後、憲兵警察制度は、関東州における「憲兵警察制度」(一九一七~一九年)、「満州国」における「在満大使館警務部」による在満日本警察機関の統合(一九三四~三七年)に継受された。しかし、これらの事例において、「憲兵の文官警察官職への任用」については朝鮮→関東州→満州の順に弱くなり、「憲兵の普通警察業務への従事」は朝鮮以外のケースでは採用されていない。「憲兵警察制度」を「統治様式の遷移」の典型例と見なすことは可能だが、ここの植民地固有の状況に規定された変容も小さくなかった。
著者
笠谷 和比古
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.4, pp.123-147, 1991-03-30

前稿(一)においては、福島正則と加藤忠広の二大名の改易事件について検討した。その結果、両改易ともに、幕府側の政略的な取り潰しということはできず、むしろ両大名側に処罰されて致し方のない重大な違法行為のあることが否定できないことが明らかとなった。このように徳川幕府の大名改易政策は、従前考えられてきたような政略的で権力主義的な性格のものではないのである。そしてこのことは、この大名改易の実現過程における、その実現のあり方という面についても言いうる。本稿では大名改易の実現過程を、改易の決定過程と、当該大名の居城と領地の接収を行うその執行過程とに分けて見ていく。秘密主義と権力主義という幕府政治についての一般通念と異なって、大名改易政策の実現過程に見られるのは、諸大名へのそれぞれの改易事情の積極的な説明であり、城地の接収に際しての大名領有権に対する尊重と配慮であった。
著者
笠谷 和比古
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.3, pp.35-63, 1990-09-30

徳川幕府体制の下での特異な政治的問題の一つとして、「大名改易」のあったことは周知の通りである。それは軍事的敗北、血統の断絶、法律違反などの諸理由に基づいて、大名の領地を幕府が没収し、当該大名がそれまで保持してきた武家社会内での身分的地位を剥奪してしまうものであった。徳川時代にはこの大名改易が頻繁に執行され、結果的に見れば、それによって幕府の全国支配の拡大と安定化がもたらされたこと、また改易事件の幾つかは、その理由が不可解に見えるものがあり、それによって有力大名が取り潰されてもいることからして、この大名改易を幕府の政略的で権力主義的な政策として位置づけるのは定説となっている。そしてまたそのような大名改易の歴史像が、徳川幕府体制の権力構造、政治秩序一般のあり方を理解するうえでの重要な根拠をなしてきた。
著者
今谷 明
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.35, pp.201-214, 2007-05-21

アメリカ、フランス、オランダ、ドイツ各国に於ける日本史研究の現状と特色をスケッチしたもの。研究者数、研究機関(大学など)とも圧倒的にアメリカが多い。ここ十年余の期間の顕著な特色は、各国の研究水準が大幅にアップし、殆どの研究者が、翻訳資料でなく、日本語のナマの資料を用いて研究を行い、論文を作成していることで、日本人の研究者と比して遜色ないのみか、医史学など一部の分野では日本の研究レベルを凌駕しているところもある。
著者
山田 奨治
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
no.19, pp.15-34, 1999-06

オイゲン・ヘリゲル著『弓と禅』は、日本文化論として広く読まれている。この論文では、ヘリゲルのテクストやその周辺資料を読み直し、再構成することによって、『弓と禅』の神話が創出されていった過程を整理した。はじめに弓術略史を示し、ヘリゲルが弓術を習った時点の弓術史上の位置づけを行った。ついでヘリゲルの師であった阿波研造の生涯を要約した。ヘリゲルが入門したのは、阿波が自身の神秘体験をもとに特異な思想を形成し始めた時期であった。阿波自身は禅の経験がなく、無条件に禅を肯定していたわけでもなかった。一方ヘリゲルは禅的なものを求めて来日し、禅の予備門として弓術を選んだ。続いて『弓と禅』の中で中心的かつ神秘的な二つのエピソードを選んで批判的検討を加えた。そこで明らかになったことは、阿波―ヘリゲル間の言語障壁の問題であった。『弓と禅』で語られている神秘的で難解なエピソードは、通訳が不在の時に起きているか、通訳の意図的な意訳を通してヘリゲルに理解されたものであったことが、通訳の証言などから裏付けられた。単なる偶然によって生じた事象や、通訳の過程で生じた意味のずれに、禅的なものを求めたいというヘリゲル個人の意志が働いたことにより、『弓と禅』の神話が生まれた。ヘリゲルとナチズムの関係、阿波―ヘリゲルの弓術思想が伝統的なものと錯覚されて、日本に逆輸入、伝播されていった過程を明らかにすることが今後の研究課題である。
著者
岩井 茂樹
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.49, pp.147-181, 2014-03-31

現在、日本では、「痴漢」による被害が多発しており、一つの社会問題となっている。とりわけ電車内における被害が多いようだ。その対策として「女性専用車両」が多くの沿線で設けられたりもしている。
著者
国際日本文化研究センター 資料課資料利用係
出版者
国際日本文化研究センター
巻号頁・発行日
2018-05-21

京都東部に位置する岡崎。美術館・図書館・動物園・平安神宮など、さまざまな文化施設や観光名所があり、いつも賑わいを見せています。1895(明治28)年の第4回内国勧業博覧会以来、徐々に開発が進んで現在の形へと近づいていきます。古地図と絵はがきでその歴史をたどります。
著者
平松 隆円
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.89-130, 2007-03

仏教では、女性は不浄な穢れた生き物と考えられてきた。そして、僧は女性と交接を行うことを「女犯」として戒律で禁じられ、そのため「女犯」の罪を避けるため、僧は男性、とりわけ稚児を交接の対象としてきたといわれている。 なぜ、僧は女性と交接が行えないという理由で、稚児をその対象としたのか。本研究では、仏教的視点から僧と稚児との男色関係の構造を検討した。 その結果、僧にとって、稚児との交接は単に女性と交接が禁じられているために、性欲の処理という意味だけで行われていたわけではないことがわかった。僧にとって稚児との交接は、現世に醜貌として生まれたがゆえに僧となった者の、美貌である稚児への憧れと、稚児が菩薩であるとする児灌頂の思想のもと、救済と功徳を得るための仏教的な行為として意味づけられ、行われていたのである。
著者
川部 裕幸
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.21, pp.117-145, 2000-03-30

浮世絵の一つに「疱瘡絵」と称されるものがある。疱瘡絵はかなり特殊な浮世絵である。疱瘡(天然痘)にかかった病人への見舞い品として贈られたり、病人の部屋に貼られるという用途に限って用いられた浮世絵である。また、疱瘡絵は、全面、濃淡二種の赤色のみで摺刷されているという、際立った特徴を持つ。 従来、疱瘡絵は、芸術的情趣に乏しいものとして、美術史の立場からはあまり研究がなされてこなかった。しかし、江戸時代の日本人の疱瘡についての観念や習俗を知る上では、貴重な資料となる。本稿は、疱瘡をめぐる民俗の一端として、疱瘡絵を研究することを目的としたものである。 近年、H・O・ローテルムンドが、疱瘡絵に描かれている図像や画賛を分析して、日本人の疱瘡観の一端を鮮やかに解明した。本稿では、今までの研究成果を整理した後に、ローテルムンドが、ほとんど検討していなかった疱瘡絵の使用の実態、すなわち、疱瘡絵の購入者・購入意図、贈られた人々の取り扱い、疱瘡絵の普及状態などを、具体的な資料に基づいて叙説することを目指した。また、疱瘡絵の誕生の経緯とその出自についても検討を加えた。本稿で明らかになったことは次のとおりである。1. 疱瘡絵は、専ら疱瘡見舞いに用いられた特異な浮世絵であり、その誕生からして、疱瘡見舞客の購入を当て込んで、商品開発され売り出された可能性が高い。2. また、疱瘡絵には護符的な用途と病床の疱瘡小児のなぐさみ・弄びものとしての用途があったことを指摘した。そして、病気回復後すぐに放棄されるという、これまた特殊な末路を辿る浮世絵であった。最後に疱瘡絵の発生についていくつかの推量を示した。疱瘡絵の発生の時期に関しては、従来の説よりも四〇~五〇年は遡ることを資料によって明らかにした。また、疱瘡絵が誕生するに当たって影響を与えたと思われる浮世絵の系統としては、鍾馗の図や芝居絵・玩具絵・大津絵などが想定できることを示した。
著者
長田 俊樹
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.23, pp.179-226, 2001-03-31

さいきん、インドにおいて、ヒンドゥー・ナショナリズムの高まりのなかで、「アーリヤ人侵入説」に異議が唱えられている。そこで、小論では言語学、インド文献学、考古学の立場から、その「アーリヤ人侵入説」を検討する。
著者
竹村 英二
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究
巻号頁・発行日
vol.46, pp.101-123, 2012-09-28

近代日本の知識層の「知的基盤」「“隠然たる”知的習慣」の醸成要素として、江戸中~後期の儒学/漢学教育があったことを指摘する研究は、とくに教育史、思想史、そして文学研究に存在する。しかし、儒学/漢学教育の何が、ドのような能力を鍛錬・醸成し得たかについて、史料が語る教育事実の具体的様相の呈示をもって実証し、その上でしかるべき理論・知見をもって読み解く研究は少ない。本稿ではまず、江戸中~後期の学習「制度」のみならず、学習の「仕方」の具体相を検討し、とりわけ下見、講釈、質講/会読(輪講)、後見(復読/返り視)といった包括的学習課程が熾烈な競争的勉学を奨励していたこと、また、下見―会読―復読が学習効果を高めるための一体的な教育課程として実践されていたことなどを先行研究も勘案しながら検証する。その上で、「被」教育者が各々の漢学学習について語った記述を検討し、これら二つの方向からの考察を重ねあわせ吟味することをもって、企図された学習方法がどの程度実践され、いかなる知的習慣の醸成に寄与したかを検討する。さらに、「漢學修習の遺風」が洋学学習において大いに継承された(平沼淑郎の言)が、漢学学習のどのような鍛錬手法が近代知識層のいかなる知的基盤醸成に寄与したかも考察する。