著者
武内 恵美子
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.25, pp.63-103, 2002-04-30

関蝉丸神社は滋賀県大津市逢坂に存在する神社で門説教や説教浄瑠璃を行う説教者を掌握していたことで有名である。しかし関蝉丸神社にはそれらの芸能の他に、説教讃語という、江戸時代後期の大坂の芝居興行に関する資料が残存する。 天保一三年(一八四二)、天保の改革によって宮地芝居は禁止され、説教讃語座も興行することができなくなったが、関蝉丸神社は嘉永五年(一八五二)以降、株仲間の再興をきっかけに宮地芝居の再興を訴え続け、安政四年(一八五七)に宮地での興行許可を得る。そして文久二年(一八六二)には大坂宮地での他の興行を排除し、宮地における興行を完全に掌握することになる。 このように関蝉丸神社が説教讃語という名目で寛政の改革を契機に大坂の宮地芝居に進出し、最終的には宮地を掌握するまでに至った経緯とその要因を解明した。それによって日本の舞台芸術史における重要な一側面を見出したと考える。

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