- 著者
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初谷 譲次
- 出版者
- 天理大学学術研究委員会
- 雑誌
- 天理大学学報 (ISSN:03874311)
- 巻号頁・発行日
- vol.60, no.1, pp.123-142, 2008-10
トゥルムといえばカリブの美しい海岸に面したマヤ遺跡が有名であり,遺跡公園はつねに観光客であふれている。しかし,トゥルム遺跡のすぐそばにあるトゥルム市について,そこがクルソー・マヤと呼ばれた反乱マヤの聖地だったということはほとんど知られていない。カスタ戦争(1847―1901年)の末裔であるこの地域の人びとは,祭祀センターであり聖域である教会を輪番制で護衛するシステムを維持している。本稿は,2007年夏に実施したフィールド調査に基づいて,トゥルム市マヤ教会の護衛システムと伝統的ノベナを紹介するとともに,調査のさいに加えられた制限について考察しようとするものである。マヤ役職者たちは,研究者にメモ帳,筆記用具,録音機器,カメラおよびビデオなどの情報機器の使用を禁じる。しかし,だからと言って順路的経験をいっしょにすることを拒否することはない。むしろ積極的に参加をうながす。ただし,その順路的経験を地図的知識に整理しようとするそぶりに対しては強い拒絶の態度を示すのだ。情報操作の優劣による他者化を防いだうえで,儀礼への参加は認めることで研究者を他者化することもしないという日常的実践における近代と伝統の境界線上を生きるという戦術なのだ。