- 著者
-
初谷 譲次
- 出版者
- 天理大学学術研究委員会
- 雑誌
- 天理大学学報 (ISSN:03874311)
- 巻号頁・発行日
- vol.62, no.1, pp.1-30, 2010-10
本稿は3年計画の科研プロジェクト「日常的実践におけるマヤ言説の再領土化に関する研究」の最終年度に実施したフィールド調査の報告書であり,前2作の完結編となる。したがって,前2作で積み残していた2つの課題を中心に取り組んだ。ひとつは,トゥルム村の外部世界との接触の歴史である。そしてもうひとつはマヤ教会で日常的に実践されているミサと呼ばれる祈りのマヤ語部分の翻訳・分析である。かつてサマと呼ばれたトゥルム村はスペイン植民地支配(エンコミエンダ制度)に組み込まれ過疎化・消滅してしまう。しかし,19世紀に勃発したカスタ戦争を契機にトゥルム村は反乱拠点として復活する。そして,20世紀には遺跡の考古学的調査ブームとメキシコ国家統合によって村は条理空間にのみこまれていく。このような過酷な運命に翻弄されながらも,押し付けられたカトリックの祈りをブリコラージュによる摸倣と継承を繰り返しながら,自らの日常的実践の資産として再領土化してきた。かれらの日常的実践は,かたくなに伝統を守りながらマヤ文化の復興をはかるという本質主義的語りのなかに回収されてしまいがちである。しかし,彼らの祈りのなかには,いわゆる「マヤ的要素」は見あたらない。今回分析したマヤ語の祈りにも,カトリックを逸脱するような要素は見られなかった。マヤの人びとがときには経験知をときには科学的リテラシーを使い分けて,秩序ある条理空間と顔の見えるローカルな日常的平滑空間の両方を生きているとすれば,まごうことのない近代的自我を確立して合理的な科学的リテラシーのみを駆使して生きていると錯覚しているわれわれのやっていることとさほど変わらないのかもしれない。