著者
栄原 永遠男
出版者
大阪市立大学日本史学会
雑誌
市大日本史 (ISSN:13484508)
巻号頁・発行日
no.6, pp.1-12, 2003-05

はじめに : 天武天皇は、その一二年(六八三)一二月に、「凡そ都城・宮室、一処に非ず、必ず両参造らむ(下略)」という詔(後掲)を出した。著名な「」である。この詔によって打ち出された複都制の構想については、天武がいかなる構想を描いていたのか、それはどのような意図にもとづいていたのか、また、複数の都という構想は、当時の都の在り方として、どのように位置づけられるのかなど、検討すベき点や不明な点、興味深い点が多い。

言及状況

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朝上げた記事に見える、いわゆる複都制に関しての論文があったので読んでみました。断続的に?機能し続けた難波宮の存在が大きい気がしますね。 CiNii 論文 - 天武天皇の複都制構想 https://t.co/GTYWJqisjf #CiNii https://t.co/YmqPVV8cx7

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