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並河寒泉の政治思想と幕府観--鳥羽伏見戦を中心に
著者
矢羽野 隆男
ヤハノ タカオ
出版者
大阪大学中国学会
雑誌
中国研究集刊
(
ISSN:09162232
)
巻号頁・発行日
no.50, pp.305-319, 2010-01
言及状況
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明治12年2月6日、並河寒泉が死去。幕末期の懐徳堂教授で、プチャーチンの乗るロシア船が大坂湾に来た際、幕命で漢文による交渉を担当。ロシア船が退去したことを、自らの学力による攘夷の実践と捉えた。矢羽野隆男「並河寒泉の政治思想と幕府観」(『中国研究集刊』50)参照。 https://t.co/cRH7JYsk28
慶応4年1月3日(1868年1月27日)、鳥羽伏見の戦いが起きた。矢羽野隆男「並河寒泉の政治思想と幕府観」(『中国研究集刊』50)は、大坂の懐徳堂(享保期に幕府の許可で作られた学問所で、特権も与えられていた)の教授・並河寒泉が、鳥羽伏見の戦いをどのように見たか紹介。 https://t.co/cRH7JYsk28
収集済み URL リスト
https://ci.nii.ac.jp/naid/120006227107
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