言及状況

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慶応4年1月14日(1868年2月7日)、鳥羽・伏見の戦いの情報を得た長崎奉行・河津祐邦が長崎を退去。吉岡誠也「慶応四年の長崎における佐賀藩」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13)曰く、その後1ヶ月、松方正義・佐佐木高行らによる長崎会議所が暫定統治。 https://t.co/FCiMiYm2NR
明治39年10月22日、楠田英世(楠田知才)が死去。佐賀藩出身で、大隈重信らと同じく義祭同盟に参加。戊辰戦争で会津征討総督・仁和寺宮嘉彰親王の副参謀。吉岡誠也「慶応四年の長崎における佐賀藩」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13)が、その動向に言及。 https://t.co/FCiMiYm2NR
明治6年9月27日、沢宣嘉が死去。文久3年8月18日政変の際の「七卿落ち」の公家の1人で、生野の変に参加した。吉岡誠也「慶応四年の長崎における佐賀藩」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13)曰く、大隈重信を新政府の徴士参与に推挙した。外務卿などを歴任。 https://t.co/FCiMiYm2NR
吉岡誠也「慶応四年の長崎における佐賀藩」(『佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要』13、2018年)曰く、慶応4年の長崎における大隈重信らの活動は、新政府中枢に食い込みたい佐賀藩と、開港地を安定化させるため佐賀藩を取り込みたい新政府の、需要と供給の一致。 https://t.co/FCiMiYm2NR

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