著者
岡崎 勝世
出版者
埼玉大学教養学部
雑誌
埼玉大学紀要. 教養学部 (ISSN:1349824X)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.1-15, 2019

アジア・太平洋戦争前の日本では世界史教育は主に中学校で行われ、1872 年に始まる「万国史の時代」から 1902 年以後は国史・東洋史・西洋史の三教科からなる「三分科制の時代」に移行し、ファシズム期(1931 ~ 1945)になると、国史は勿論、東洋史、西洋史に対しても皇国史観が支配を確立していった。その出発点となったのが、昭和 6 年に定められた「中学校教授要目」であった。そこでは国民精神の涵養が唱えられ、皇国史観に基づいた日本史が中心のカリキュラムが組まれた。そのなかで東洋史は殆どその独立性を奪われたが、また西洋史も従来になかった規制を受けるようになった。但しこの規制に対して東洋史の教科書はなお伝統的中国王朝史を守ろうとし、また西洋史教科書にも対応にばらつきが見られた。この意味で、ささやかだがなお執筆には自由が残されていた。はじめに第一章 三分科制確立期に於ける世界史教育 (1902、明治 35~1931、昭和 6)第一節 明治後期の世界史教育 (1902、明治 35~1911、明治 44) 1.教育・研究体制に於ける三分科制の確立 2.「中學校教授要目」(明治 35)と教科書 3.世界史の試み(1) ―「世界史」の登場―第二節 大正デモクラシー期の世界史教育 (1911、明治 44~1931、昭和 6) 1.「中學校教授要目」(明治 44)と教科書 2.世界史の試み(2) ―齋藤斐章の場合― (以上、第 35 巻 第 2 号)第二章 「ファシズム期」における世界史教育 (1931、昭和 6~1945、昭和 20)第一節 昭和初期(戦前期)の世界史教育 ―昭和 6 年の「中學校教授要目」と教科書― (1931、昭和 6~1937、昭和 12) (以上、本号)第二節 大戦期の世界史教育 (1937、昭和 12~1945、昭和 20) 1.「中學校教授要目」(昭和 12)と教科書 2.国定教科書の時代 3.マルクス主義の浸透おわりに

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