著者
神谷 光信
出版者
関東学院大学キリスト教と文化研究所
雑誌
キリスト教と文化 : 関東学院大学キリスト教と文化研究所所報 (ISSN:13481878)
巻号頁・発行日
no.17, pp.5-18,

文芸評論家のフランス文学者村松剛は、ホロコーストへの関心から『サンデー毎日』臨時特派員としてエルサレムでアイヒマン裁判(1961)を傍聴した。以後、イスラエル政府との結び付きを強め、1970 年代以降はイスラエル政府首脳に単独会見を行うなど、親イスラエルの論客となった。彼の中東理解はシオニズム史観に基づいたイスラエル政府の立場からするもので、イスラム学者板垣雄三やジャーナリスト藤村信とは対照的だった。昭和後期から平成初期に活動した右派知識人村松の具体像を検証する作業として、本稿ではイスラエルとの関わりという視点から彼の政治思想を考察した。

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初期の日本人イスラエル代弁者に関する興味深い論文。https://t.co/lHXgfO6Flw 「‥‥執筆に際して、村松はイスラエル外務省アジア局長、同次長、在日イスラエル大使館の『あらゆる便宜』の提供を受けた。イスラエル政府は、この援助により、日本語世界におけるイスラエル寄りの文学者を獲得したのだ」

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