著者
武田 利勝
出版者
19世紀学学会
雑誌
19世紀学研究 (ISSN:18827578)
巻号頁・発行日
no.7, pp.51-60, 2013-03

1802年から1808年までの一時期は、フリードリヒ・シュレーゲルの人生における旅の時代と言ってよい。この間、彼はドイツ中東部を離れパリへと向かい、更に当地で知己を得たボアスレー兄弟らとともにライン地方を巡っている。そしてこれらの旅の足跡は、「フランスへの旅」(1803)および「旅書簡」(1806年)として結実した。 最初の旅記述を全体として規定するのは、革命期の混乱にあるヨーロッパへの慨嘆であり、そこへ至るヨーロッパの歴史への批判的眼差しである。シュレーゲルは古代以来のヨーロッパの歴史を「加速の一途を辿る分裂の傾向」と特徴づけ、自身の生きる1800年前後の時代においてその傾向は「極限」に達した、と診断する。限界にあるという意識は同時に、失われた「中心」への意識とともにある。「中心」の探求は彼にとって、一連の旅行記に先立つ『イデーエン』断章以来のテーマであった。そこでは様々な位相における、そしてなお見出されえない「中心」が予感的に指示されるが、それらは次第に「我らのうちなる」「有機体」という理念的な形姿を帯びてゆく。「来たるべき時代」は「有機的な時代」でなくてはならないという命題が、いわば彼の歴史哲学の核心にして全体となるのだ。しかもそれは想像力と機知のみに開かれるという意味において、たえず有機体の「仮象」なのであって、この仮象性ゆえに、あらゆる「いま・ここ」のうちに限界から中心への変容可能性が萌芽として見出されうる。本稿は、シュレーゲルの二つの旅記述をこのような有機体の仮象の探求と見なすが、その際、旅の途上にある彼の眼差しを規定するものとして、彼独自の「解剖学」概念に注目する。彼において解剖学は純粋に医学的なものではなく、いたるところに隠された「断片」に光をあてる、いわば考古学的な関心に基づいている。かかる解剖学的な手つきによって探り出された「断片」が、とりわけ二つ目の旅記述においては、ライン地方に残るいくつかのゴシック建築、あるいはそれらの廃墟である。そしてシュレーゲルにとって「いかなる体系も断片から生長する」のであってみれば、例えば当時周知とされたあの建築様式と植物とのアナロジーもまた、彼の関心においては建造物そのものがなお有機的な生長の内にあることの証と見なされる。こうしてシュレーゲルにおける中世への憧憬もまた、単なる感傷的な復古趣味の枠組みを超え出る。あらゆる現在が過去と未来の「中間のMittel時代」として漂っているという意識は、「極限」にあるというもう一方の時代意識に対して、すべてがなお有機的な生長うちにあるという仮象を提示しうるのである。

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