- 著者
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池田 健雄
- 出版者
- 千葉大学大学院人文公共学府
- 雑誌
- 千葉大学人文公共学研究論集 = Journal of studies on humanities and public affairs of Chiba University (ISSN:24332291)
- 巻号頁・発行日
- no.40, pp.22-41, 2020-03
[要旨]1938 年 5 月に近田良造(ちかだりょうぞう)医師は東京に生まれ、医学専門学校卒業後、市内の医院に内科医として勤務中に、善隣協会の「対蒙古民族のへ医療に貢献」に賛同、転職した。翌月、善隣協会本部から中国内蒙古・包頭(ほうとう)市勤務を命じられ、善隣協会包頭診療所に単身赴任する。彼は外来以外にも回民、蒙古族の居留地に出かけ、内科以外の眼科、性病科等の治療を行う。彼は日本人学校の校医・保護者会長など歴任し 1945 年 9 月まで包頭で過ごす。1945 年 10 月、医師一家は北京経由で帰国できず、山西省太原(さんせいしょうたいげん)に到着した。閻錫山(えんしゃくざん)が日本軍・住民を引入れ「山西王国」を建設中であった。近田医師は現地の太原共済医院副院長の職を得た。知識人として「山西王国」の要職に就いた為、1949 年、閻錫山軍の敗戦により、山西残留の幹部として逮捕される。1956 年、彼は 70 歳で日本に帰国したが、再び「医師免許」取得に挑戦し、72 歳で合格した。その後、彼は埼玉県で近田医院を開業し、84 歳まで一医師として生涯現役を全うした。