- 著者
-
荻原 智美
- 出版者
- 国立音楽大学大学院
- 雑誌
- 音楽研究 : 大学院研究年報 (ISSN:02894807)
- 巻号頁・発行日
- vol.33, pp.217-232, 2021-03
本稿では日本人がハワイの伝統舞踊であるフラhulaを踊ることの意義、日本でフラが学ばれる現状を修士論文で考察するための予備考察として、日本におけるフラの受容とその背景を検討した。フラはハワイに西洋文化が本格的に流入したとされる1820年以前から存在し、ハワイ人の宗教観を伴うものであった古典フラの「フラ・カヒコhula kahiko」と、欧米要素を取り入れた娯楽性の高い現代フラの「フラ・アウアナhula 'auana」に大きく分類される。後者はハワイの観光地としての「楽園」イメージを作り上げるために用いられた。つまり商業的な側面ももったフラである。日本でフラが受容された要因として、商業的な面もあるフラ・アウアナが日本に流入したこと、カルチャーセンターにフラのクラスが設置されたことがある。その受容の背景には日本人がハワイに抱くイメージが影響している。本稿では、まず日本人がハワイに抱いたイメージの変化を確認し、次にカルチャーセンターにおけるフラをみていった。結果、終戦後から海外渡航自由化となる1964年前後まで、日本人にとってハワイは憧れの場所で、「楽園」「夢の島」というようなイメージが抱かれていた。そのような状況において「楽園」を連想させるようなフラ・アウアナは日本で受容された。一方、1970年代以降になると比較的簡単にハワイ旅行が可能になったこと、ハワイ全体で日本人観光客を満足させるための取り組みが行われていたことから、日本人のハワイに抱くイメージは新鮮味に欠ける「定番」の観光地に変化した。初期のフラクラスは1970年代末に設立されたが、カルチャーセンターが拡大したのは1980年代で、参加するために十分な資金と時間のある中年の主婦が主な対象となった。その時期にカルチャーセンターでフラを学ぶ女性たちには、フラ・アウアナが人気であった。しかしハワイが訪れやすい観光地になったことで、現地のフラや音楽の演奏に触れる機会が増加し、ハワイの音楽とフラの習得をしたいと考える「本物志向」の日本人が出現した。そして1990年代初頭から、日本人教師は古典フラのカヒコも教え始めた。このようにハワイに近いフラを目指す動きが強まったことで、ハワイで開催される競技会への参加や、ハワイ人教師とつながりをもつクラスも見られることから、日本においてフラは受容の段階から、展開と発展の時期に入ったと考えられた。今回はフラの受容に関して、ハワイへのイメージとカルチャーセンターという視点から検討したが、さらに他の視点からの検討を行うことが必要になる。またカルチャーセンターの生徒や教師へのインタビューやアンケート調査、フラに関する雑誌の調査により、日本でフラが受容の段階を経て展開と発展したその後の状況、そして日本人がフラに求めているものを考察することを今後の課題とする。