著者
加藤 泰紀
出版者
日本体育大学
雑誌
日本体育大学紀要 (ISSN:02850613)
巻号頁・発行日
no.51, pp.1023-1036, 2022

ネパールにおけるスポーツの開発の枠組みは,大きく3種類に区分できる。第1にスポーツ評議会によるもので,ナショナルチームの指導や一般への普及を目的としている。第2に警察を中心とした武道(柔道,空手)の普及,そして第3に学校での体育科教育である。そして,いずれも日本政府は,積極的に支援に介入してきた。ネパールの学校体育の普及は,1971年に始まった「国家教育体制(5カ年)計画」の中で重視されるようになった。しかしながら,体育を教科の中に位置づけても,実際に体育・スポーツを教えることのできる教師がいないというのが実情であった。そして,その対策の一環として,ビレンドラ・シールドがあった。ビレンドラ・シールドとは,中・高校生のスポーツの集い(日本の高校総体に相当)で,陸上競技とバレーボールが実施されていた。郡大会,地区大会,全国大会と続くこの競技会は,当時の青年海外協力隊の支援なしでは,実現が困難であったと言っても過言ではない。本稿は,1980年代,ビレンドラ国王の名のもとに開催されていた,ビレンドラ・シールドについて,スポーツの開発と国際協力の視点から考察するものである。この競技会は,もちろんネパールの国が主導ではあるものの,日本政府は青年海外協力隊の体育隊員による器具・用具の物質的な援助や,コートの作りかた,審判など大会運営の技術的な支援をも行い続けた。そして,体育隊員のチーム派遣,すなわち各開発地区(当時は5開発地区)教育事務所への配属や,広範囲にわたる地方の小中学校への理数科教師の大量同時派遣が大きく関係していた。本稿では,当時の情報を記述式インタビューによって収集し分析した。その結果,例えばスポーツのルールが勝つための言い争いの材料となっていること,カーストによる差別などが指摘された。その場合,日本人という外国人が関わることで仲裁となり,円滑な競技進行へとつながった。ゆえに,スポーツの開発は,政府レベルといったトップでは体育・スポーツの専門家が,学校現場といった草の根レベルでは,日本の学校やスポーツ教室などでのスポーツ経験者が積極的に関与することで効果的に実施できることが明らかとなった。したがって,スポーツの開発は,単にスポーツの専門家のみで実施するのではなく,日本においてスポーツを経験してきた人たちのサイドワーク的な協力を得ることが重要であると言える。ビレンドラ・シールドそのものは,ネパールの民主化により継続が困難となり消滅してしまった。しかし,当時,この競技会に出場した生徒の多くは,後にネパールスポーツ評議会の一員となり,今日のスポーツ界をリードする存在となっている。

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勝つことにすごくこだわるとか、大会役員ですらルールを勝手に変えようとするとか、競技中に民族間で喧嘩になるとか、スポーツというのが根付いてないとそうなるんだろなぁという感じ https://t.co/XYOSF8xLKq

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